目の前の現実離れした光景に、恐怖を感じた。
足がすくむ。言葉が出ない。
だけど、それ以上に。
「・・・っ・・・」
親父を助けたいという気持ちが勝った。
「うあああああ!!」
むちゃくちゃだった。なりふり構うこともなかった。
俺は親父に向かって全力で駆け出した。
鈴の音に夢を見る
ドンッ!!
「っ・・・?!」
見えない何かに阻まれ、駆け出した勢いの分、後ろへと弾き飛ばされる。
目の前に親父やちゃんの姿は見えるのに、それ以上近づくことが出来なかった。
「なんだよこれ・・・!何で・・・?!」
「おじさんっ!!」
見えない壁のようなものが俺たちを阻み、どんなに前に進もうとしても、
見えないそこを叩いても、殴っても、それ以上進むことができない。
「た、たすけて・・・お兄ちゃん・・・」
「!!」
この光景に、恐怖に耐えられなかったんだろう。ちゃんがその場に倒れた。
目の前にいるのに。助けを求めているのに。俺たちは何も出来なかった。
「なんだよこれ・・・!どうなってんだよ!冗談だろこんなのっ・・・」
「でも・・・あんな・・・」
「・・・残念ながら現実だね。・・・将、これが言い伝えの妖怪だって言うのなら、何か方法はない?」
「知らない・・・。そんな方法があるのならとっくに・・・」
「くそっ・・・どうしたらいいんだよ!!将、何でもいいから、他に何か聞いてねえのかよ?!」
「何かって言っても・・・浮かばない。何も、知らないんだ・・・!」
「方法なんて、ないよ。」
慌て混乱する俺たちの横で、が静かに呟いた。
そして、俺たちを阻む見えない壁に向かいゆっくりと歩き出す。
「おい、・・・」
誰も通れないのに、と口にしようとして、思わず言葉を失った。
俺たちの誰もが通れず、壊すこともできなかった透明の壁を、はなんなくすり抜けたのだ。
「なんで・・・?!どういうことだよ!どうやって・・・!!」
「方法なんてないから、今でも生き続けてる。」
「・・・?」
そして、赤い液体に包まれた親父をそこから引っ張り出す。
無造作に投げ出すと、代わりに彼女が鈴の前に立った。
「!逃げろ・・・!」
将の言葉には反応をみせず、振り向きもしなかった。
赤い液体は彼女を襲うことはなかった。
それどころか彼女を守り、次の行動を待つかのように、少しの距離を置いて蠢くだけだった。
「・・・英士くん。」
「・・・?」
「言ってたよね?言い伝えも迷信も、そんなもの信じられないって。」
「・・・うん。」
「確かにこの世界に存在する迷信は、事実と異なることも多い。
君たちがそう思うのも無理ないよ。」
「・・・。」
「でも、稀に真実が存在する。
この場所に誰も近寄らず、近寄らせなかった、村の人たちの判断は正しかった。」
混乱していた。訳がわからなかった。
目の前の彼女が何を言いたいのか、俺たちに何を伝えようとしているのか。
「少し、昔話をしましょうか。」
言葉すら紡げず、茫然とする俺たちを見て、が穏やかに笑う。
静かに儚く響く鈴の音。彼女を取り囲む赤。そして、心を奪われるような、とてもとても綺麗な笑み。
すでに見えない壁があって進めないことはわかっていても、それ以上彼女に近づくことは出来ないと改めて思わされる。
それくらい現実離れをした、幻想的な光景だった。
「むかしむかし、一匹の妖怪がおりました。その妖怪は力が弱く、自分の食糧ですら確保できない毎日。
他の妖怪には見下され、人間にも妖怪だからと追い詰められる。
ある日、居場所を追われた妖怪は、偶然逃げ込んだ洞窟で、大きな鈴を見つけました。」
俺たちはその場を動けず、声すらも出せなかった。
理由はわからない。今も頭に響いている鈴の音のせいかもしれない。
「これ以上逃げることは出来ないと悟った妖怪は、その鈴の中に入り込みました。
自分の姿は無くしてしまい、その場から動くことさえ出来なかったけれど、代わりに妖怪は力を得ました。
それが、人を惹きつけ誘う鈴の音。」
それとも、話を続けるの表情が、あまりにも儚くて悲しげだったから。
「妖怪は美しい鈴の音を鳴らしては、人間を惑わせ、洞窟へ誘い込み、それらを喰うことで生き永らえていました。
けれど、時代とともに人間は減っていき、さらにはこの洞窟が人を喰う妖怪が居る場所だと伝えられてしまいました。
徐々に洞窟に近づく人間は減っていきました。」
どうしてそう思ったのだろう。だって彼女は話を続ける今も笑ってる。
「本当に久しぶりに、この山に迷い込んだ人間を誘い込み、喰った後に妖怪は思いました。
このままここにいては、いつか餓え死んでしまう。もっと、もっと、人間を誘い込まなければ。」
ずっと、ずっと笑っているのに。
「けれど自分は動けない。・・・ならば、作り出せばいい。自由に動ける分身を。獲物が油断するよう同種の姿で。」
どうして、こんなにも。
「自分が、人間になればいい。」
こんなにも胸が締め付けられるほどの悲しい笑顔を、俺は見たことがない。
通ることも、壊すことも出来なかった見えない壁に、将は自分の手を叩きつけた。
彼女の名前を叫びながら、何度も、何度も。けれど、の視線は未だ俺たちを捉えない。
「本当は村を襲うつもりだった。でも、迷い込んだ家族を襲ったばかりの私にはまだ余裕があった。
この村で身を潜めて、腹がすけば村の誰かを襲えばいいとそう思い直した。」
「・・・うそ・・・」
「でも・・・その村は思った以上に居心地がよくて。暖かくて、優しくて。
私は彼らを食べることなんてできなくなってしまった。」
「何、言ってるの・・・?嘘だろ?冗談だよね?!」
「だから、誰にも正体がわからないように、騒ぎにすらならないように、この山に迷い込んだ人間を襲い続けた。
村にやってくる前に、人間の姿で誘い込み、この洞窟まで連れてきた。」
「・・・、」
「あの人も・・・一人だと思っていたのに失敗した。こんなに必死になってくれる家族が一緒にいたなんて。」
「!」
将は今にも泣き出してしまいそうなほどに、苦しそうな表情を浮かべていて。
話すことを止めたと、ようやく目が合う。
「・・・冗談に聞こえる?」
「・・・だって、何をいきなり・・・」
「私がこんなこと、冗談で言うと思ってる?」
「っ・・・!」
「・・・ねえ、将はうすうす勘付いていたんじゃないの?私が普通の人間じゃないって。」
「・・・もう、いい。僕はが何者であっても、どんな姿でも関係ない。」
「・・・何人もの人間を襲ってるのに?彼らのことだってがいなかったら私は見捨ててた。
・・・将が優しいことは知ってる。でもそれは私にかけられるべき言葉じゃない。」
「僕は優しくなんかない!」
「・・・。」
「もし僕が優しいと感じていたなら、それは、相手が君だからだ。」
「だからだよ・・・!」
はほんの一瞬、驚いたような表情を浮かべて。
静かに目をふせた後、もう一度顔をあげた。
「この人を、助けたい?」
今度は将にではなく、俺たちに向けて。
「当たり前だろ?!」
茫然としていたのも束の間、俺はすぐに言葉を返した。
「それなら、私を破壊して。」
時間が止まったかのように静かで、誰も動くことが出来ずに。
奏でる鈴の音だけが、時が動いていることを知らせていた。
TOP NEXT
|