「・・・っ・・・」





身を隠すためにこの店に来て1週間と少し。
ここに来てからずっと、と寝食をともにしているけれど、ここ数日、彼女のうなされる声が聞こえるようになった。





はじめはただの寝言かと思った。
けれど、その声はつらく苦しそうで、俺は戸惑いながらも彼女の肩をゆすって起こした。

うなされていたことを告げても、は何も心当たりがないと言う。
怖い夢を見ていたわけでも、寝付けなかったわけでもないと。





「・・・っ・・・う・・・ああ・・・」





けれど、それからも数日続いている、苦しそうな声。
しかし目を覚ましても、彼女は何も覚えていないのだ。



ただの寝言だろうと、うるさくしてごめんと言いながら笑う。



けれど、俺の中の漠然とした不安は、日に日に大きくなっていく。












哀しみの華














「一馬にばっかり買出しさせるのも悪いよ。そろそろ私も外に出ていいでしょう?」

「まだだな。体力が回復してない。」

「私はもう元気だよ。」

「自分でそう言ってる奴が一番危ねえんだよ。言うこと聞け。」





ここ数日、三上との間で見られるやりとりだ。
この場所に来てから1週間以上が経っているが、は未だにこの近辺以外に出してもらっていない。
倒れた原因が過労なら、こうして休み続けていれば、そろそろ回復してもいいように思える。
医学知識の無い素人考えではあるけれど、俺でさえそう思うのだから、も同じだろう。





「必要なものは持ってきてやってるだろ。食糧として必要な魔の者も真田からもらってる。
出かけなきゃならない理由がないなら、今は安静が一番なんだよ。」

「・・・それは、そうだけど。」





一所で大人しく待っているタイプではないことも、彼女が外に出たがる理由だとは思う。
おそらく外に出て、どんな小さな情報でも集めておきたいという考えもあるのだろう。
三上は念のためだと何度も繰り返しているが、さすがにも少し不満がたまってきているようだった。
けれど、今俺たちは守られている身だ。我侭ばかり言うわけにもいかない。





。俺たちですら、自分の体のことはわからないんだ。三上さんの言うことは聞いておいた方がいい。」

「一馬・・・。」

「言っとくけど、これは渋沢の意見でもあるんだからな。完全に回復するまでは安静にさせろって。」

「克朗!?連絡が取れたの?」

「人を介してだから詳しい話は出来てないけど。お前のこと心配してたって。」

「・・・そっか・・・。」

「過保護な兄ちゃんの言うことくらい聞いといてやれ。」

「兄ちゃんって・・・うん、でも、わかった。」

「お前は本当、渋沢の言うことはすぐ聞くのな。」





渋沢さんの名前が出たことで、は安心したように穏やかな表情を浮かべた。
それだけでも彼女がどれだけ信頼している人なのかがわかる。
淡白にも見える彼女が、一番最初に頼ろうと思った人。信頼していると、はっきり口にした人たち。
松下さんと渋沢さんはにとって、俺たちとはまた違う、特別な存在なのだ。





「さて、いい時間になってきたし、カウンターで酒飲んでくる。お前らどうする?」

「私はいい。本でも読んでるよ。」

「・・・俺は・・・行こうかな。」

「めずらしいね。一馬ってお酒苦手じゃなかったっけ?」

「苦手っていうか、無理やり飲まされたトラウマがあるからな。それを抜きにすれば飲めないことはない。」

「ははっ、そっか。」





の言うとおり、俺は酒が好きというわけじゃない。
だから今も、酒を飲みたいから、三上さんの言葉に頷いたわけじゃない。

三上さんと話がしたかった。
能力者なしのまま、を一人にすることは出来なくて、彼女の傍には俺か三上さんが必ずいる。
つまりを抜きにして話をする機会は、ほとんどなかった。
だから同じ建物内とはいえ、少し離れた別部屋ならば、話をするのに丁度よかった。
















「お前と二人で飲むなんて、昔は想像できなかったな。」

「それは俺も同じだよ。」

「相性はそれほど悪くないと思うけど?」

「そりゃアンタからすればな。俺をからかって遊んでるし!」

「ふはっ、よくおわかりで。」





何気ない話を続けながら、いつ話を切り出そうかとタイミングを見計らう。
別に確信を持っているわけでもないし、疑問・・・いや、違和感とでも言うのだろうか。
それを確かめるだけだ。それほど身構える必要もないのだろうけれど。





と二人きりは耐えられなくなってきた?」

「耐えられ・・・って、いや、それは・・・」

「慣れはするだろうけど、きついよな。」

「・・・。」





英士や結人に言い当てられたように、三上さんも俺の気持ちに気づいているのだろうか。
俺はそれに同意も否定もできずに、黙って酒を口に流し淹れた。





「何が聞きたい?それとも相談か?」

「え?」

「気分転換ってだけじゃないだろ。俺に聞きたいことがあるから、ここに来た。」

「・・・わかってたのか。」

「そうでもなきゃ好きでもない酒を、好きでもない俺と二人で飲んだりするかよ。」





さすが、とでも言うのだろうか。
頭の回転もあり鋭さも持っているから、俺の考えていることなんてすぐに見透かされてしまう。
しかしこれでタイミングを計る必要も無くなった。





のことだ。」

「だろうな。」

「あいつ、ここ数日、夜にずっとうなされてる。でも、本人にその自覚はない。」

「・・・そうか。お前はそれが心配ってことか。だけど、の過去も体質も知ってるよな?
時々思い出してうなされることもあるって聞いたことがあるぜ。」

「それは俺も考えた。だけど、三上さんが言ってたことをもう一度確かめたい。」





聞きたいことがあるのか、と言った三上さんに、持っていた疑問が大きくなった。
つまり彼はまだ、俺たちに伝えていないことがあるのではないか。





が倒れた日、三上さんにを看てもらった。そのとき、極度の過労だって言ったよな?」

「ああ。」

「確かにって思えた。笠井がいなくなって、信頼していたグループからも追われることになって、逃げる場所だってなくて。
それでもは大丈夫だって無理して笑ってた。笠井のときだけじゃない、佐藤のときだって・・・ずっと。」

「・・・。」

「精神的に限界が来て、それが体に影響したって考えることに、何も疑問なんて持たなかった。」

「ああ。それで?」

「でも三上さんはあのとき、の"気"を確認しただけだ。医者でもないアンタが、原因が過労だなんて、どうやってわかる?
風邪かもしれない。別の病気かもしれない。それがなんで"過労"になった?」

「おそらくって言葉をつけてたのを忘れたか?
あの時のは体温も正常、呼吸も安定してた。確かに俺に医学の知識はないが、医者に見せるわけにもいかないなら、推測で考えるしかねえだろう。現にあの後目を覚まして回復に向かってる。」





三上さんが言っていることが、わからないわけじゃない。俺だって今思っていることは全て推測だ。
けれど、日に日に大きくなっていく不安の正体を確認しなければ。すべてが終わってから後悔するなんて、絶対に嫌だから。





を外に出さないのも、渋沢さんに言われてるからだって言ってたよな。」

「ああ、アイツのに対する過保護ぶりは知ってるだろ。」

「出さないんじゃない。出せないんじゃないのか?」





三上さんは俺の顔を見ずに、グラスを口につけ、何事もないかのように話を聞き流しているようにみえる。
それでも構わないと思った。俺の思い過ごしであれば、何も問題はないのだから。





「この間、に魔の者を分けた。だけど、すぐに吸収することが出来ずに、少し時間がかかった。」

「・・・。」





俺は佐藤のように勘が鋭いわけでも、笠井のように頭が良いわけでもない。
だから俺の推測は穴だらけなのかもしれないし、見当はずれなことを言っているのかもしれない。





「過労だと言えたのは、が風邪でも、別の病気でもないとわかっていたから。」

「は、なんだよそれ?俺に医学の知識はねえって・・・」

「三上さんがわかるのは俺たちの"気"だ。気に変化があるなら、通常の病気じゃなく魔の者が関連してるとわかる。
だからの変化を"過労"でごまかした。」





それでもいい。何を言っているんだと。そんなことがあるわけないと、そう言ってくれれば俺はそれを信じようと思ってる。
三上さんは嘘をつくのがうまいけど、俺たちの思いだって知っている。平気な顔で嘘をついたりなどしない。







「魔の者がうまく喰えなかったのは、力の制御が出来なくなってきているから。」







不安はいつだって持っていた。







「うなされ続けているのは、無意識のうちに、中にいる魔の者と争っているから。」







いつまでも消えることはないのだと知っていた。







「過保護なほどに外に出そうとしないのは、これ以上の進行を遅らせるため。」







不安を持ち続けていても、それが現実にならないように願っていた。
















コトン、と静かにグラスが置かれた。三上さんはまだこちらを見ない。

握っていた拳に力が入る。
こちらを見ず何かを考えるように瞼を閉じた三上さんの言葉を待つ。





「本当・・・お前ってさあ・・・」

「・・・三上さん?」

「自分から面倒ごとに突っ込んでどうすんだよ。」










先ほどまで向けられていなかった視線が、初めて俺を捕らえた。












「その通りだって言ったら、どうする?」













それは、覚悟を決めたように、決して逸らされることはない。





その言葉が真実なのだと、俺に実感させるには充分だった。






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