心から笑って生きていくのは、難しいのかもしれない。 幸せを願っても、それが叶う保証なんてどこにもないけれど。 けれど、こんな俺でもささいな日常に幸せを見出すことが出来た。 その理由を知っているから。 だから、きっと。 哀しみの華「・・・竹巳・・・?」 驚くように俺を見つめる。俺に押さえつけられるようにして床に倒れる真田。 の首に突きつけられた鋭い刃は、俺の指先から伸びている。それを伝い、落ちる赤い雫。 はっきりと開けた視界には、目を背けたくなるような現実があった。 「・・・ごめん。、真田。」 「・・・っ竹巳・・・!!」 「笠井!元に戻ったんだな・・・?!」 怪我をして、血を流し、青白い顔をしたまま、二人は嬉しそうに俺を見つめた。 意識を取り戻しても、元の形に戻らない自分の手のひらを驚くほど冷静に眺めながら、 この現状は自分が引き起こしたものなのだと理解する。 「そんな・・・バカな・・・。笠井くんはもう完璧に僕の・・・」 「ざけんな!お前の言いなりになんかなるかよ!」 「竹巳、動ける?はやくここから出よう!外にはさんも、翼たちも・・・」 「・・・逃がしはしません!」 須釜さんが何か呪文のようなものを呟く。 以前にも聞いたことがある声。その直後の俺の記憶はない。 魔の者に取り込まれつつある俺を操るようなものなのだろう。 おそらく俺に力を吸い取られ、思うように動けない真田。 そして俺自身も自分の意識を保つのに精一杯だった。 一人で俺たち二人を連れて逃げるには、時間が足りなかった。 「・・・っ・・・!!」 「竹巳!」 「笠井!」 頭の中に響くのは、寒気のする低くノイズがかったおぞましい声。 いつまでも足掻くなと、諦めて体をあけわたせとでも言うように、俺をあざ笑っているかのようだった。 「往生際が悪いですねー?いい加減に諦めたらいいものを!」 「・・・っ・・・ああ・・・ぐああっ・・・!!」 「須釜ーっ!!」 「・・・っ・・・!!!」 須釜さんに飛び掛ろうとしたの腕を掴んで、その場に引き止める。 「竹巳!」 強く抗議するように疑問の表情を浮かべるを見つめて、俺は笑みを浮かべる。 どうしてだろう。もう、不安はないんだ。 迷いもない。 覚悟を、心を決めただけで、こんなに穏やかになれるなんて知らなかった。 「・・・あああ・・・うああああああ!!!!」 叫んだ声は倉庫全体に響き、辺りを揺らす。 押さえ込んでいた力が開放されるかのように、一帯の空気が張り裂けるように激しく揺れた。 パリンッ・・・ ガラスの割れる音。次々に消えていく、この場所を取り囲む禍々しい気配。 「なっ・・・僕の結界が・・・、それに、魔の者たちも・・・?!」 「・・・須釜さん。動かないでくださいね?貴方なら今がどういう状況かわかるはずだ。」 「・・・!!」 俺たちの中にいる魔の者の力は強大だ。無理に抑えようとせず受け入れれば、それは強力な力になる。 術者と深い繋がりのない魔の者など、それ以上の強さを持つ者が現れればすぐに逃げ出す。 「た、竹巳・・・!何してるの?!はやく元に・・・!」 「いいんだ。」 「何がいいんだよ!お前、このままじゃ・・・」 「うん、知ってる。だから、取り込まれる前に頼みがあるんだ。」 体が形を変えていく。俺たちを苦しめ続けた魔の者へ近づいて、徐々に侵食されていく。 覚悟を決めたとはいえ、自分の意識がどこまで保てているかだってわからない。 「俺が言った言葉、覚えてる?」 「・・・竹巳?」 「『もし俺が魔の者に取り込まれるようなことがあったら、迷わず俺を祓ってほしい。』」 「「!!」」 「・・・俺、本当にそう思ってたんだ。最後が来るのなら、二人に祓ってほしいって。」 「竹巳!何言ってるのよ!そんなこと考えないでって言ったでしょう?!」 「そうだバカ!はやく止めろ!この間みたいにちょっと落ち着けば、体だってすぐに・・・」 「はは、二人はそう言うと思った。」 こんな状況でもまだ俺を救おうとしてくれている。 もう限界なんだと、これしか道は思い浮かばないんだと伝えても、それでも二人は諦めないだろう。 「真田、頷いてくれたのに。」 「・・・っそれは・・・!」 「でも、気が変わったから、二人の力は借りないことにするよ。」 もし自分に限界が来て、どうしようもなくなって、最期を迎えるのなら。 その最期をくれるのは、君たちがよかった。 二人の暖かさに触れながら、穏やかに逝けたのなら。俺はそれで充分だと思っていたんだ。 でも俺は、それがどんなにつらいことか知ってる。 仲間を失う辛さを、苦しさを、痛いくらいに味わった。 シゲを失い、苦しみ続けたの姿をずっと見てきた。 だから、二人の手は借りない。 意識は保っているものの、自分自身を消すことなど俺の中の魔の者がさせないだろう。 どんどん強力になり、溢れ出すこの力を自分に向けて使うことはきっとできない。 もう一度の首に手をかける。 「・・・たく・・・み・・・?」 それはが御守りのように、いつも大切に身につけていたもの。 吸い込まれるような真紅の色。 渋沢さんから受け取ったという霊玉。 「・・・竹巳!!何するつもり?!」 渋沢さんから聞いたこの石の能力は、力の増幅と魔の者の封印。 戦いの中で使うことはほとんどなかったものの、三人でその能力を数度試したことがある。 力の増幅はうまくいかないこともあったが、封印の方はすべてが成功している。 シゲを取り込んだほどの、強力な魔の者も消し去った力。まさか、自分に使うことになるとは思わなかったけれど。 自分自身を消すことが出来ないのなら、この石の力で同化している魔の者ごと自分を封印する。 「笠井!やめろ!!」 「竹巳!」 俺の意図に気づいた二人が、必死の様相で俺を止めようとする。 けれど、力を解放した俺に触れることはできない。 バンッ・・・!! 俺に近づくことのないように、二人を遠くへと追いやると、同方向の扉が開いた。 そこに立っていたのは翼さんと黒川に誠二、そしてだった。 先ほど力を解放したせいで、結界もこの倉庫を取り囲んでいた魔の者もいなくなったからだ。 「・・・タク・・・?」 ああ、こんな姿、見られたくなかった。 や真田に見られていることだって、結構ショックだったんだけどなあ。 「・・・、真田。これは・・・」 「・・・ごめん翼、説明してる時間はない!」 が地を蹴り、一気に俺に近づこうとする。 けれど、今の俺たちの力の差は歴然。俺はそんな彼女を一蹴し、元の場所へと吹き飛ばした。 「・・・、俺がフォローするからなんとか笠井の近くまで行け。悔しいけど、今の俺じゃそれしかできない。」 「一馬・・・体は・・・?」 「大丈夫だよ。そもそもそんなこと気にしてらんねえだろ!」 ・・・本当に、この二人は・・・。 どこまでお人よしなんだろう。どこまで優しいんだろう。 「、真田。それ以上は止めてほしい。」 「そんなこと言われても私たちはっ・・・」 「力を使えば使うほど、同化の進行が早まるんだ。これ以上俺に力を使わせないで?」 「っ!!」 もう、いいんだ。 もう、充分だ。 「・・・最初はね。」 「・・・?」 「最初は、どうだってよかったんだ。 魔の者に入り込まれたって聞かされたって、それが自分の運命なんだって諦めてた。 いつ死んだっていいって、そう思ってたんだ。」 「・・・竹巳・・・」 「も真田もシゲもさ、みんな個性的すぎて、素直じゃなくてバカみたいにお人よしで・・・ 他人なんて知らないって言いながら、おせっかいばかりでさ。俺は正直あわないだろうって思ってたよ。」 親の言いなりになっていたあの頃は、考えられもしなかった。 自分が誰かの力になりたいと、支えたいと思うだなんて。 あのまま何も知らなければ、こんな感情を知らなければ、これほど苦しむことも悩むこともなかったのかもしれない。 「でも、なんでか・・・俺も巻き込まれていったんだよね。」 だけど、思うんだ。 「いつの間にか、一緒にいることが当たり前になってた。」 楽しいことばかりじゃなかった。口論だって、ぶつかりあうことだってあった。 お互いを理解しただなんて言えるほどに長い付き合いなわけでもない。 育ってきた環境も、性格だってばらばらだけど。 「大切で、守りたかった。このまま何気ない日常が続いていけばいいって思ってた。」 それでも、俺は彼らを信頼し、守りたいと支えたいと願った。 自分だけの諦めかけていた世界は、色をつけて広がっていった。 「楽しかったんだ。本当に。」 彼らがくれた新しい世界を、 この感情を知ることが出来て、よかった。 どう言えば、何を言えば、この気持ちが伝わるだろう。 わからない。 わからないけれど。 「ありがとう。」 これだけはわかって。知っていて。 俺が望んでいるのは、二人が生きてくれること。 願うことすら残酷かもしれないけれど、それでも。 幸せに、なってほしいんだ。 「タク!!」 「っ・・・竹巳!!」 茫然とすると真田の後ろから聞こえた二人の声。 こんな姿になっても、心配そうに俺を見つめる。俺の名前を呼んでくれる。 「誠二、仕事さぼるのもほどほどにしなよ?きっと翼さんにはバレてるから。」 まるでいつもの会話を始めるように、笑いながら言う。 お前にはそんな顔似合わないよ。いつもみたいに堂々としてればいい。 一緒にいてあんなに楽だったなんて今でも理由がわからない。性格は正反対だったのに。 でも・・・友達ってそういうものなのかもしれないな。 誠二の隣には、今にも泣き出しそうに涙を溜めたの姿。 俺に関わり、追ってきたせいで、しなくてもいい苦労をたくさんして。 今だって魔の者に取り囲まれるだなんて、体験したこともない恐怖を味わっただろう。 泣かないで。俺のことは気にしないで。元の生活に戻って幸せに・・・ 言うべきことは、きっとたくさんあった。 だけど、俺の脳裏に浮かんだ言葉はたった一つ。 「。」 今まで、口に出したことのなかった言葉。 おかしいな。こんなに・・・こんなに想っていたのに。 どうして言わなかったんだろう。 もっと言葉に、形にすればよかった。 伝えていればよかった。 何度でも、何度でも。 「愛してる。」 その言葉を最後に自分の限界を悟ると、俺は持っていた紅玉に力を込めた。 一瞬で広がった赤い世界。不思議と恐怖はなかった。 決められていた世界。自分の感情など持たず、ただ導かれるままに歩いてきた道。 誰かと喧嘩などすることもなく、笑いあったりすることもなく、ただ結果さえ残せればよかった。 それはきっと楽な道だったけれど、一人ぼっちの真っ暗な世界だった。 その道を照らしてくれた。少しずつ色を取り戻した。 様々な人に出会い、たくさんの道を知り、感情を知った。 バカみたいに一緒に笑いあえる友達が出来た。 支えたいと、一緒に生きていきたいと思える人たちがいた。 俺は、幸せだったよ。 悲しまないでとは言わない。 忘れてほしいとも言わない。 残される辛さを、俺は知ってるから。 でも、一人じゃない強さだって知ってる。 だから、 どうか、どうか、生きていてほしい。 疲れたら休んだっていい。逃げ出したっていいから。 俺には出来なかったけど、二人なら。 願ってる。 皆が笑っている未来を。 願ってる。 大切な人たちの幸せを。 迷惑ばかりかけてしまったけれど、 情けない姿だったけれど、 望んでいた最期ではなかったけれど。 俺はきっと、笑えていただろう。 TOP NEXT |