松下家から身を隠しながらも、大きな問題は起こらず日々は過ぎていく。
平和な毎日に慣れていくと、これからもこうして暮らしていけるんじゃないかという錯覚さえ覚える。

そんな淡い期待を持った頃に、襲ってくる飢餓感。
自分が普通の人間とは違うのだと思い知らされるとき。

魔の者を見つけ、奴らを"喰う"。
はじめはあんなに抵抗があったのに、今ではもう普通の食事と同じようにスムーズに行える。
もちろん、嫌悪感は消えることはなかったけれど。



そうして毎日を過ごしていくなかで俺はひとつ、自分の変化に気づく。





飢えの間隔が、少しずつ少しずつ、短くなってきていることに。












哀しみの華














「体の調子?」

「うん、どうかなって。」

「もう大丈夫。ありがと、竹巳。」





はシゲを救うために、彼を喰った。
シゲの中の魔の者も一緒に取り込んだ彼女への負担はひどいものだった。
大きな力は徐々に彼女を蝕み、力の暴走に高熱、ひどく苦しむほどの体の痛みもあったようだ。
もちろん病院には連れていけないし、頼れる人もいない。
医者の息子だったとはいえ、結局医大へも行っていない俺の知識はたかが知れていた。
だから出来うる限りの処置をして、あとは彼女の回復を祈ることしかできなかった。

けれどなんとか持ち直し、それから彼女の体調に変化は特にないようだ。





「真田は?」

「俺?何で俺まで?」

「一応ね。二人とも心配だから。」

「別に何も変わりはねえよ。今までどおり。お前は?」





素直じゃないとはいえ、嘘のつけない真田だ。言っていることは本当だろう。
俺と同じように"飢え"の頻度がせばまっている・・・なんて雰囲気も見られない。



つまり、変化が現れ始めたのは、俺だけ。





「何も問題ないよ。」





感じた不安など、気づかせない
周りを欺いて生きてきた。だから言葉にも、表情にも出さないことなんて簡単。

二人に余計な心配をさせたくない。
まだわからないことだ。ほんの一時のことなのかもしれない。俺の気苦労かもしれない。



ようやく立ち直りはじめた二人の心を、曇らせたりしたくない。












けれど頻度がおさまる気配は一向になく、それどころか狭まっていく一方だった。
自分はどうなるのか、どうすればいいのか、二人には伝えるべきなのか、
様々な考えが頭の中をめぐり、けれど答えにはたどり着かない。





『グ・・・ギ・・・ギギッ・・・』

「・・・。」





俺に"喰われる"魔の者の叫び声。それはやがて、俺の中に取り込まれ消える。
最初こそずっと耳に張り付いて離れなかった声だけど、今では何も感じなくなった。
・・・いや、何も感じないフリをしているといったほうが正しいだろうか。

今取り込んだ自分の手のひらを見つめる。
小物を一匹喰らう程度では、もう飢餓感が消えることはなくなっていた。





「・・・っ・・・?!」





それどころか目の前が霞んで、俺はその場に崩れ落ちた。
頭がふらふらして立つことさえままならない。

怖かった。どんどん俺の体じゃなくなっていくように。
意識が、遠のいて、








「竹巳っ!!」








突然聞こえたその声が、俺の意識をつなぎとめる。
聞き覚えのある、温かな優しい声。
何度も何度も、頭の中で繰り返し思い出していた声。







「竹巳っ・・・竹巳!!」






ひざをついている俺に駆け寄り、温かな手が俺を支える。
霞みかけていた視界が、その姿をはっきりと捉えた。





「大丈夫?苦しいの?どこか痛めてるの?!」





幻かと思った。
限界がきて、都合のいい夢を見ているんじゃないかって。



でも、





「・・・・・・?」

「竹巳・・・!」





俺を抱きしめる腕と体。
何度も何度も俺の名を呼ぶ声。
泣きながら、苦しそうな表情を浮かべて。





「・・・会いたかった・・・!」





彼女は確かに、そこにいた。












ふらつく俺はに支えられながら、近くにあったベンチに腰をかけた。
は変わらず心配そうな顔で俺に寄り添う。





「・・・どうして、ここに?」

「竹巳を探してたの。竹巳に会いにおうちへ伺ったら・・・息子はもういませんって追い返されちゃって・・・。」

「・・・。」

「もう私は婚約者じゃないからそう言われたのかと思ったんだけど、違ったんだね。
びっくりしたよ、竹巳が家出なんて。」





嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった。
過去は捨てたとそう思っていても、俺に初めての幸せをくれた人。心をくれた人。
親にももう見捨てられていたのに、彼女はまだ俺を探してくれていた。

けれど、同時にひどく困惑した。
大切な人だからこそ、巻き込むわけにはいかない。巻き込みたくない。

だから、





「なぜ?俺との関わりはあの日、無くなったはずだ。」

「・・・。」

「探されても、会いにこられても迷惑なんだ。
あの日、そう言ったつもりだったんだけど、わからなかった?」





俺はもう一度、彼女を傷つける。
俺なんてどうでもいいと思うくらいに。





「関わりなら、まだあるよ。」

「・・・なにを・・・」

「私が竹巳を好きなこと。」





巻き込みたくないんだ。これ以上傷つけたくないんだ。
だから、忘れてほしいのに。





「・・・俺は好きじゃない。」

「私は好き。」

「迷惑だ・・・!」

「それでも好き!」





俺のことなんて構わないで、幸せになってほしいのに。








「どうして・・・そんなに俺にこだわる?」

「好きだからって理由じゃだめなの?」

「ならどうして俺を好きになった?」





自分自身、つまらない人間だとそう思っていたんだ。
親の言いなりになって、言われたことだけをこなして、優等生の仮面をつけて。
なのには出会った頃から俺に笑顔を向け、好きだと、そう言ってくれる。





「理由なんてわかんないよ・・・。」

「・・・だったら・・・」

「だけど、きっかけは子供の頃。竹巳は私と同じ境遇だったのに・・・ううん、もっと厳しい家だったのに、
文句ひとつ言わずに言われたことをこなしてた。」

「・・・そんなの、親の言いなりだっただけだ。」

「私は泣いてばかりいたの。勉強なんて嫌だ、習い事なんて嫌だ、外で遊びたいって我侭ばかりだった。
だから最初は竹巳のこと、ただ単純に尊敬してたの。」





そういえばの泣いている姿は何度も見たことがあった。
泣きながら習い事を拒むに、彼女の父親が困り果てた顔をしていたことも。
けれどだからといって、俺なんかを尊敬することなんてないのに。俺はただ親の言いなりだっただけだ。





「でもね、いつだったか、竹巳って時々遠くを見てるなあって、悲しい顔をするなって思った。
それから私は竹巳をもっとよく見るようになったの。」

「・・・。」

「すごいだけじゃなかった。竹巳はいろいろなものを一人で抱えて、それで苦しんでるのかもしれないって。
そのとき初めて思った。竹巳の笑顔が見てみたいって。苦しんでるのなら、少しでも力になりたいって。」

「・・・それは、同情だろ?」

「違うって言って、竹巳は信じてくれる?」

「・・・信じないよ。」

「それなら、これだけは信じて。」





包み込むように、俺を抱き寄せる。
俺は抵抗はしなかった。気力もつきていたし、いつだって拒もうと思えば拒めるから。





「竹巳が私の婚約者って聞いたとき、本当に嬉しかった。」





けれど、そう思うのはただの言い訳。





「竹巳が笑ってくれたとき、本当に貴方が愛しいって思ったの。」





彼女の温もりが心地よくて、優しい腕に包まれていたくて





「ずっとこうして、一緒にいたいって思った。」





離れたくなかったんだ。













「・・・それで?」

「!」





彼女のためと偽りながら、俺は一度、彼女と離れることを選んだ。





の気持ちはわかったけど、俺は俺で楽しく暮らしてるから。過去はもう捨てたんだ。」





俺は結局臆病で、彼女のために自分を変える勇気がなかったんだ。





「帰れ。俺のことはもう忘れて。」





俺にもう少し勇気があったなら、他にも道はあったのだろうか。










「・・・っ・・・の・・・」

「?」

「それなら・・・それなら何で竹巳はそんな悲しそうな顔してるのよ!!」





確かに俺は嘘をついてる。彼女と離れることなど望んでいない。
でもそんな感情、決して顔にも言葉にも出さないとそう思っていたのに。





「私は竹巳に笑っててほしいって言ったよね?楽しいならもっと楽しそうにしてよ!
そんなつらそうな顔で・・・どうやって忘れろって言うの?!」





彼女をだまし続けることなんて無理だったのだろうか。
それとも、もう隠せないくらいに感情はあふれ出してしまっていたのだろうか。






迷惑なんかじゃない。嬉しかった。





忘れてほしくなんてない。





俺も、もっともっと、君と一緒に・・・









「・・・っ!!」





しまった・・・まだ、おさまってはいなかった。





「・・・竹巳・・・?」





俺の中の魔の者が、また外に出ようと暴れだす。





「・・・離れろ・・・!、ここから離れろ!!」





彼女を巻き込むわけにはいかない・・・!
どうにか、どうにか押さえ込まなければ・・・!





「そ、そんな・・・私・・・」

「・・・っはやく!!」

「・・・っ・・・・」





俺の気迫に押されてか、ようやくが後ろを向き走り出した。
安堵したのも束の間、体の中では魔の者がさらに力を強める。





「・・・っく・・・うあっ・・・」





今度こそ抑えきれないかもしれない。
そうしたら俺は・・・どうなるだろう。や真田にはなんて言おう。





「・・・なるほど。彼が笠井くんですか。実際に会うのは初めてですね〜。」

「はやくっ・・・はやく竹巳を助けてあげてください・・・!」

「ふふ、あせらずとも。」





俺の前に現れた影はふたつ。
ひとつは先ほどまで傍にいた。そしてもうひとつは・・・
















気づくと俺は正気を取り戻し、周りは何事もなかったかのように静寂に包まれていた。
俺は自分の体を見回し、どこにも変化がないことを確認する。

そして、目の前の人影を見上げる。





「初めまして、笠井くん。」

「・・・貴方は・・・?」

「僕は須釜寿樹。さんから貴方の捜索依頼を受けた便利屋です。」





人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて、けれどその表情に底知れなさを感じたことを覚えてる。
彼との出会いが俺を救うことになるのか、それとも破滅への道をたどることになるのか。
考える余裕など、もう俺には残っていなかった。








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