「・・・さん・・・?」 静まり返ったその場所で、私は彼女の名前を呼ぶ。 「・・・っ・・・あ・・・あああ・・・」 「さん!」 言葉になっていない、恐怖に慄くような震えかすれた声。 けれど、その声は確かに彼女のものだった。 「遅くなってごめん。なんとか間に合ったみたいだ。」 厚い扉の先から聞こえたのはもうひとつの声。 私は叩き続けていた扉から手を離し、彼の名を呼んだ。 「・・・翼!」 哀しみの華「、そっちの状況は?」 「あ・・・うん!さっきまで竹巳は危なかったけど・・・今は一馬が押さえ込んでる。そっちはどうしたの?」 「すっげー数の魔の者が襲ってきてるよー!うわ、また来たし!!」 「藤代くん!」 「俺らみたいな増援も予想してたってことだな。まさかここまでの魔の者を集められるとは思わなかったけど。」 「黒川くんも・・・皆無事・・・?」 「この結界も・・・すぐには解けそうにないか。、聞いて。」 翼たちと魔の者たち、大きな力のぶつかりあいで扉が揺れている。 一体この先にはどれくらいの魔の者がいるのか、はっきりとはわからない。 けれど、簡単に倒すことのできない、力の強い魔の者ということだけはわかる。 「ここに着いてすぐ、僕らは魔の者に襲われた。 気配も消していたつもりだったのに、それすらも見破られて。 そんな力を持つ魔の者が複数、しかも1つの場所に集まるなんて聞いたことがない。」 「翼・・・!」 「須釜の力を見くびってた。時間をかけて遠まわしにを狙っていたくらいだから、 特殊な能力を持っているだけで、本人の力はたいしたことがないと思い込まされた。」 「!」 「そう思わせるのが奴の策だ・・・!油断するな、二人とも!」 私たちは普通の人間とは違う。多くのリスクとともに得た力は、魔の者も、敵も退けてきた。 だから、こんな卑怯な人間、最低な人間に負けるはずなどないとそう思っていた。 「須釜は、そこにいる。」 高く積まれた荷物の影から、物音が聞こえる。 そして見えた人影。出会ったときと変わらぬ表情で。 「・・・わかったよ翼。そっちは任せた。」 「ああ、後で会おう。」 「タクー!負けんなよ!また一緒に遊びにいくんだかんな!」 「真田!挑発されて暴走するなよ。お前の悪い癖!」 外ではまだ轟音が鳴り響いている。 けれどこの倉庫の中は、別世界のように静かだった。 いや、彼を目の前にして誰も動くことができなかった、というほうが正しいだろうか。 「ずいぶん仲の良いお友達がいるんですね〜?ぜひ僕も仲間にいれてもらいたいです。」 「アンタなんて絶対ごめんだわ。」 「えー?ひどいなあ。」 彼がいつ動くのか、決して油断はせずにその動きを見つめる。 少しでもおかしな動きをしたら、彼の能力に対するリスクなんて考えていられない。 下手すればここにいる全員が限界を迎えかねない。 「それでさん?僕の元へ来る決心はついたんでしょうか?」 「ふざけんな!行くわけねえだろ!!お前のせいで・・・俺らは・・・笠井はっ・・・」 「一馬!」 「・・・っ・・・」 行き場のない感情をはきだすように、一馬が叫ぶ。 私だってこの男を許すことなんてできない。でも、感情に任せた行動をしていても不利になるだけだ。 いつだって冷静に笑みを浮かべ続けるこの男にたいしては、なおさら。 「僕のせいで?それは違う。笠井くんは自分で望んだんです。 自分の中にいるものを押さえつける力が欲しいと。」 「・・・それは・・・そんなのっ・・・」 「だから僕は力を貸した。事実、彼は自力で魔の者を押さえ込んでいた。」 「後から来る代償を知らずに・・・?」 「それを僕が知らせる必要なんてないでしょう?」 振り上げそうになった腕を、必死でおさえた。 口に出しそうになった言葉を、必死でこらえた。 この男はそうして私たちが動揺し、力を乱すのを待っているのだ。 「貴方のところへ行く気はない。もちろん、竹巳をここに残しておくつもりもない。」 「・・・交渉決裂ですか。」 「今不利なのは貴方よ。貴方がどんなに特殊な能力を持っていても、 私たちはそれを上回る身体能力がある。その力を使う前に勝負はつく。」 「そうですね〜。まあ、」 言葉の途中、須釜が小さく何かを呟いた。 私たちはすぐさま周りの変化がないかを確認する。 「普通に戦ったら、ですけどね。」 周りに何かが変わった様子はなかった。 変わったのは、 「っ・・・!!笠井!!」 先ほどまで動く様子の見せなかった竹巳だ。 赤い瞳のまま、けれど生気なんて感じられずに。 表情ひとつ動かさずに一馬を片手で持ち上げた。 けれど私も竹巳の行動を封じようと、すぐさま彼らの方へと駆け出す。 須釜にはこの身体能力はない。しかし、彼に近づけば何かしら罠があるかもしれない。 ならばまた何かをする前に竹巳の動きを封じるのが一番だ。 私たちの目的は須釜を倒すことではなく、竹巳を救うことなのだから。 はられている結界も、一馬と二人ならばなんとかなるかもしれない。それに外には翼たちだっている。 けれど、その考えはすぐに打ち消される。 竹巳の前まで駆け寄ったのに、私はそれ以上前には進めなかった。 人間のものとは思えない、鋭い刃物のような長い爪が、私の喉元の数ミリ前で止まった。 私たちは確かに魔の者に入り込まれた。 でも、こんなのは初めてだ。体の構造まで変わるなんて、私たちは経験したことなどない。 「僕は魔の者を操ることができるんです。操る条件はいろいろあるんですけどねー。」 「・・・竹巳は・・・魔の者なんかじゃない・・・!」 「ええ。だから最初から操れたわけではありません。 けれど、僕に操られるほどには魔の者に取り込まれたってことですね。」 「・・・お、お前っ・・・ふざ・・・けるなっ・・・!」 「ふふ、先ほど笠井くんに"気"を喰わせて弱っている真田くんには何が出来るでしょうね〜?」 「・・・っ・・・」 「僕が手を出さなくても実質、笠井くんとさんでの1対1。地力はさんの方が強いのでしょうけど・・・ 人間と同化し、抑えられている力より純粋な魔の者の方が強いに決まっている。」 私の首に爪を突きつけることをためらわず、生気の感じられない真っ赤な瞳。 「もう一度聞きます。」 「・・・!」 「僕の元へ、来ますか?」 命令されれば私たちのことも躊躇なく殺すのだろうか。 「・・・竹巳・・・」 名前を呼んでも、何も変わらない。 「笠井・・・!お前・・・ふざけんなよ!俺らに説教ばっかりしてたくせに! 一人で冷静でいやがって、何でもないって顔しやがって!」 真っ赤で、生気のない瞳のまま。 「そのくせ一人でつっぱしりやがって!人のこと言えねえじゃんかよアホ!」 何を言っても、届かない。 「こうなってまで欲しいと思うもんがあるんだったら、最後まで貫けよ! あんな奴に負けんなよ!魔の者にだって・・・!」 本当に?竹巳はもう、どこにもいないの? 「お前の体だろ?!お前の命だろ?!諦めんてんじゃねえよ!!」 そう。 そうだ。違う、まだ竹巳はここにいる。 私はシゲを失ったあの日、誓ったんだ。 どんなことをしていても、どんな姿になろうとも。 大切な彼らを守ると。 一人になんて、させないと。 鋭く伸びる爪が、彼の手を包んだ私の手のひらを切り裂く。 そこから赤い血が流れて落ちていったけれど、それでもこの手を離さない。 「ねえ、聞こえた・・・?」 「・・・そうしたら・・・ずっと一緒に・・・」 聞こえないのなら、何度でも。 「私も、一馬も・・・皆、竹巳が好きなんだよ?一緒にいたいって、そう思ってる。」 「タクー!負けんなよ!また一緒に飯食いにいくんだかんな!」 届かないのなら、届くまで。 「だから、ここまでするの。竹巳が私たちに迷惑をかけてたんだとしても。」 「お前の体だろ?!お前の命だろ?!諦めんてんじゃねえよ!!」 取り込ませたりなんかしないから。 私たちは諦めたりしないから。 「迷惑なんて、いくらかけたっていいよ。 竹巳だから、貴方が大切だから、私たちはここまで来たの。」 だから、お願い。 「帰ろう。」 竹巳も諦めないで。 「帰ろう、竹巳。」 一緒に、生きよう。 「だからそんなことをしても無駄だと言って・・・」 竹巳の表情は変わらなかった。瞳も赤いままだし、刃物のように鋭い爪だってそのままだ。 切り裂かれた私の手のひらからは、変わらず血が流れおちてる。 けれど、その赤い血と一緒に地面に広がる、透明の雫。 竹巳の赤い瞳から流れる、涙だった。 TOP NEXT |