割れた窓から拭きぬける風。





一点を見つめて動かない須釜さんの後ろ姿。





彼はが落ちていった方を見つめたまま、しばらくこちらへは振り向かなかった。





表情は見えなかったけれど、得体のしれない寒気が俺を襲っていた。















哀しみの華
















「・・・笠井くん。やってくれましたね〜」

「・・・。」





ようやくこちらを振り向くと、その表情はいつもの笑顔に戻っていた。
そう、いつもと同じ。感情を隠して、誰にも悟らせない笑顔。





「君はもう少し、賢い人かと思っていましたが。」

「・・・。」

「す、須釜さん・・・。竹巳は・・・竹巳は一体・・・どうなるんですか・・・?」





何も言うことができない俺に代わって、が問う。
須釜さんは笑みを崩さず、けれどとても冷たい目で俺たちを見た。





「どうもこうも、もう僕の知るところではありませんね。」

「なっ・・・」

「僕の目的は笠井くんではない。さんです。」

「そ、れは・・・」

「もう笠井くんが魔の者に取り込まれようと、知ったことではありません。」





俺が彼に出会ったとき、そして今までに話しかけていたときとは明らかに違う。
俺たちが須釜さんの目的を知った今、彼の本性を隠す必要がないということもわかるけれど。





ドン、ドン、ドン!





「お客様!ご無事ですか?!」





部屋のドアを叩く音と、声が聞こえた。
考えるまでもなく、ホテルの従業員が部屋を訪ねてきたのだろう。
この部屋窓ガラスが突然割れたことで、外は大騒ぎになっている。





「貴方は・・・私に協力してくれると言った・・・。騙していたんですね、私のことも。竹巳のことも。」

「おや、協力はしたつもりですよ?僕は笠井くんを見つけ出した。
そして手段はともかく、魔の者をしばらく抑え続けていたじゃないですか。」

「・・・っ・・・」

さんを手に入れられるまで、あと少しだったんですけどね〜。
まあこうなっては仕方ない。もう一度彼女を探すとします。」

「止めろ・・・!もうにはっ・・・くっ・・・」

「興奮しない方がいいですよ?貴方はもう限界が近いのだから。」





須釜さんの笑みはあまりに残酷に見えた。
俺はもう限界が近い。それは自分が一番わかってる。
そんなリスクもあると知りながら、それでも須釜さんの力に縋ったのは自分だ。

誠二に嘘をつかせて、や真田に迷惑をかけて、あんなに悲しい思いもさせて。
そして目の前にいるまでも巻き込んだのは俺だ。





ガチャッ、ガチャガチャッ・・・





電子音、そしてホテルの鍵がまわされる音がするが、ドアは一向に開かない。
どうやら須釜さんが結界を張り、誰も入れなくしているようだった。

彼ならば俺たちを見捨ててこの部屋から出て行ける。
けれど力を使って結界をはってまで、俺たちの話をしようとしている理由。それは。





「・・・もう、いい・・・!竹巳は病院へ連れていきます!」

「ふふ、まだ理解していないのですか?そんなことをしたら松下家に連れていかれて捕まり、下手すれば殺される。
それがわかっていたから貴方は僕に助けを求めたのでしょう?」

「・・・守ります・・・!私が・・・私が竹巳を守ります!!」

「守れるはずなどないでしょう。人に頼りきって、最後は口先だけですか?」

「・・・っ・・・それでも・・・!わたしはっ・・・!!」





そう、俺はもうどこにも行けない。この体で逃げることは不可能、一般の病院では処置はできないし、
松下家の情報網にもすぐにひっかかる。見つかるのも時間の問題だろう。
俺を探し出し会いにきてくれた、そして守ると言ってくれたの言葉は本当に嬉しかったけれど、
これ以上、彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。





「いいよ。病院に連れていって。」

「・・・た、竹巳・・・!」





限界を感じてから、何度も自分で自分の存在を消そうと思った。
けれどそれは出来なかった。今の生活の未練からか、それとも俺の中にいる奴が引き止めていたのか。
自分で消えることができないのなら、選択肢はもうひとつだけだ。

限界が近い俺はいつ魔の者に取り込まれてもおかしくない。
松下家に捕まれば、その行く末は決まっているだろう。けれど・・・それでいい。俺は欲を持ちすぎた。
や真田、シゲがいて、他人同士で衝突もしたけれど穏やかだった生活。
それだけで満足するべきだったのに。それ以上の幸せを求めてしまった。





「死ぬ覚悟がついたと言うわけですか?」

「・・・。」

「死・・・?な、何を・・・」

「先ほどは下手すれば、と言いましたが、限界の近い笠井くんを生かしておくわけがないでしょう?」

「そ、そんな・・・そんな簡単に人を消すだなんて・・・!」

「お嬢様育ちの貴方にはわからないでしょうが、そういうものです。
一人を生かしたために、多大な犠牲を生まれることを避ける。そういう世界なんですよ。」





須釜さんの言葉には動揺を隠せない。
・・・どうにか説得するつもりだったのに、俺が死ぬという前提を話されてしまってはそれも難しい。
だから優しく、愛しい彼女には俺のことなど忘れてほしかったのに。

俺のことなど忘れて、幸せでいてほしかったのに。











ズクン・・・





「う、あ・・・」





ズクン・・・





「あ・・・ああ・・・」





体の中で何かが叫び、軋みだした。
それが自分の中にいる魔の者だということもわかっていた。





もう、何度も何度も味わってる。





そしてそれを須釜さんによって抑えられ、自分はまだ意識を保てていると安心していた。





けれど、もう抑えられない。





それを抑えられる人は、もういない。





「・・・う、あ・・・ああああああ・・・!!」

「竹巳っ・・・!!!」






存在を失って、取り込まれて。





俺の中のものは、今まで抑えつけられていた反動のように周りの人間を襲うだろう。





このホテルの人間も、今まで出会ってきた人たちも。





も、も、真田も。







怖い。





怖い。







取り込まれたくない。








失いたくない・・・!













「もう一度だけ、協力しましょうか?」

「・・・え・・・?」





と須釜さんが何かを話してる。
けれど俺には何も聞こえない。





「彼には自分で魔の者を抑えつける力はほぼない。このままだと彼は死にます。
そして中にいる魔の者が顔をだし、たくさんの人間を襲うでしょう。」

「・・・っ・・・」

「けれど、僕が今までどおり力を貸せば、まだ生きられる。」





意識が薄れていく。
自分の存在がなくなっていくかのように。
ただこの痛みに、苦しみに抗うかのように叫ぶことしかできなかった。





「その代わり・・・僕にも協力してもらいます。」

「・・・それって・・・」

「僕の目的はひとつだと言ったでしょう?」

「・・・。」

「僕は僕の目的のために、貴方は笠井くんを助けるために。
大切なものを守るには、それなりのリスクも覚悟も必要だと思いませんか?」





体に感じる強い力を最後に俺は意識を手放す。





この苦しみと絶望とは裏腹に、浮かんでいたのは幸せだった日々。そして、





大切な人たちの笑っている姿だった。











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