聞こえる? 貴方に向けられた言葉が、想いが。 哀しみの華真っ暗な闇。静まり返ったその場所。 彼の顔を照らすのは、窓から差し込む月明かりのみ。 「・・・。」 音をたてることなく、私はベッドに横たわる彼に近づく。 暗くてよく見えない彼の顔。出会ったときの綺麗な顔も包帯とガーゼに包まれて見ることはできない。 「・・・ノリックさん・・・。」 自分にしか聞こえないくらいに小さく、目の前の彼の名を呟いた。 私たちの住んでいた町から、少しだけ離れた病院。 そこは街中にあるような大きな病院ではなく、街の奥にひっそりと佇むような小さな病院だった。 上條に捕まりこんな状態になるほどに傷つけられたノリックさんは、シゲを追ってやってきた松下家に保護された。 表向きは暴力団のいざこざとは言え、魔の者の力を使ったシゲの傍にいたことは事実。 気絶していた彼はシゲのしたことを知っているはずもないのだろうけれど、万が一の可能性も考えられ、松下家の顔の利く病院に運ばれた。 最初は彼がどこへ連れていかれたのかなんてわからなかった。けれど私はどうしても、ノリックさんに会いたかった。 たとえ話すことができなかったとしても、シゲの言葉だけは伝えたかった。 竹巳がノリックさんの居場所を知っていたのは偶然だった。 彼はシゲを探す途中に、シゲが『上條』を喰ったことを耳にした。 そしてそれに巻き込まれた『吉田』と言う名前にも聞き覚えがあった。 だから、もしシゲを見失ったときの手がかりにと会話をしていた退魔師の会話を聞き、覚えていたのだ。 竹巳も一馬も私の頼みを聞きいれ、松下家に関わる病院だというのに、私がこの部屋まで来れるように協力してくれた。 今も彼らは部屋の外で、私がここにいることが漏れないよう気をはらってくれている。 「・・・ごめんなさい・・・。」 繋がりは断ち切るべきだった。携帯を変えろとシゲにも言われていたのに。 私がノリックさんと連絡手段を残していたことで、シゲもノリックさんも傷ついた。 甘い考えで貴方たちを傷つけた。そして、シゲを・・・失った。 「・・・誰・・・?」 「!」 こんな怪我をして、かたく目を閉じているように見えたから。 まさか彼が反応を返すなんて思わなくて。私は少し驚きながらも、彼に見える位置へと移動する。 「・・・・・・ちゃん・・・?」 「・・・はい。」 片目はガーゼで覆われていて、さらにこの暗さ。 彼はもう片方の目を細めて私の姿を確認した。 そして、出会ったときと変わらぬ優しい笑みを浮かべた。 「・・・見舞いにでも来てくれたん?」 「・・・はい・・・。・・・ノリックさんに・・・謝りたくて・・・。」 「はは、何でちゃんが謝んねん。訳わからん。」 「でも、その怪我・・・。」 「これは・・・僕のせいや。僕の・・・責任。僕の方こそ・・・ごめんな?」 恐らく口の中にも傷があるのだろう。 小さく、掠れた声で少しずつノリックさんは言葉を紡ぐ。 「・・・何でっ・・・ノリックさんが謝るんですか・・・!」 「・・・それや。僕も・・・それと同じ気持ちやねん。」 「!」 「何も・・・心配せんでええって言ったのになあ・・・。結局僕のせいで、迷惑かけてしもた。」 「そんなことありません・・・!ノリックさんのせいなんかじゃ・・・絶対にないです。」 「・・・優しいなあホンマ。」 何でこんな目にあっても、こんなひどい傷を負っても。 こんなにも優しく笑えるのだろう。 優しいのは私なんかではなく、ノリックさんだ。 「・・・シゲは・・・どうしとる・・・?」 「!」 「・・・アイツ・・・勝手気侭に生きてるように見えて・・・実は結構しょうもないこと気にする奴やねん。」 「・・・っ・・・。」 「結局・・・アイツが僕を助けてくれたんやろ?・・・格好悪いなあ。」 「・・・ノリックさん・・・。シゲは・・・」 「わかってる。ここには来とらんのやろ?」 まるで確信を持っているように。 シゲの性格など、わかっているとでも言うように。 「気にするくせに・・・素直やないねん。」 「・・・。」 「アイツのことやから、ちゃんに任せたって言って逃げたんやろ?」 「ノリックさん・・・。」 「ええねん。わかってるし。今顔合わせても・・・お互い素直になれへんしね・・・。 だから・・・ちゃんを中継するくらいが丁度ええんや。」 楽しそうに笑うノリックさんは、 今までもそうだった、と言っているかのようで。 言葉を伝えなくとも二人はきっとわかりあっていたのだと、そう思えるような表情で。 「・・・シゲから・・・伝言があるんです。」 「・・・そうなん?何?」 「・・・堪忍って・・・。」 「・・・あはは。なんやアイツらしくないな。」 「それと・・・きっと・・・。」 「・・・?」 「シゲはきっと・・・ノリックさんに感謝してたと・・・そう、思います。」 「あんなんでも一応、俺のダチやねん。」 仲間とか、友達とか、そんな言葉を滅多に使うことのなかったシゲ。 けれどあの時、シゲは確かにそう言った。 いつも笑ってかわしながら、飄々としていたシゲが、少しだけ子供じみて話す相手。 誰にだって愛想がいいのに、ノリックさんと話すときは何だかぶっきらぼうに見えた。 それだけ心を許している相手。私にはそう見えていた。 「・・・うわー、止めてや。照れるやんかー・・・。」 そう言いながら、ノリックさんは私から視線を外し顔をそらした。 彼もシゲと同じなのかもしれない。信頼している相手だからこそ、素直になれない。 嬉しくても、ついつい顔をそらしてしまうような。 コンコン 小さく、ドアを叩く音がする。 誰も入ってこないところを見ると、一馬か竹巳からの合図だ。 松下家の監視下にあるこの場所に長時間いるのは危険だ。 だからもうここを離れる必要がある。 「・・・ごめんなさいノリックさん。私、もう行きます。」 「・・・詳しい事情はわからんけど・・・君らも大変なんやね。」 「・・・。」 ノリックさんの言葉には、苦笑を返すしかなかった。 こんな夜更けに会いに来た理由も察してくれているようだ。 つくづく彼は他人への気遣いがうまい人なのだと思う。 「見舞い、ありがとな。」 「はい。・・・体・・・お大事にしてください。少しでもはやく治ることを祈ってます。」 「はは、おおきに。」 こんなときでも在り来たりの言葉しか残せない自分を情けなく思いながら。 振り返り部屋のドアへと歩き出す。 「・・・ちゃん・・・!」 名前を呼ぶ声に、私はもう一度ノリックさんの方へと振り向いた。 「アイツに・・・シゲに・・・僕からも伝言や。」 月明かりに照らされた、ノリックさんのまっすぐな瞳。 小さく、掠れた声でゆっくりと。ノリックさんは口を開いた。 「・・・いつでも・・・戻ってこい、て。」 その言葉に、締め付けられるような胸の痛みを感じた。 彼は、知らない。シゲはもう戻らない。 「いつも自分が一人やって思ってるような奴やから、よう言ってやって。 僕から何言ったって信じないやろうから。」 ねえ、シゲ。 「なんていうか・・・結局、僕の相棒はシゲやと思うねん。だから・・・」 聞こえてる? 「・・・なんて、うわ、本人目の前にしたら絶対言えへんわ。」 だから、言ったでしょう・・・? 「・・・ちゃん・・・?」 貴方は・・・一人なんかじゃなかった。 理解してくれる人がいた。 ずっと側に。 そして、離れていても。 貴方を思ってくれる人はこんなに近くにいたんだよ? 「ちゃん・・・?どうしたん?」 「・・・いえ・・・。ありがとうノリックさん。必ず・・・伝えます。」 「いや、必ずとかはええで?気が向いたらくらいにしといて。」 小さく笑いあい、私は部屋を後にした。 部屋の外で待っていた一馬が、確保していた道へと私を誘導する。 暗い廊下は、お互いの顔さえも見えない。かすかな足音だけが、耳に響く。 「・・・、こっちに・・・。」 一馬が私の腕を引く。 そして、驚いたように動きを止めた。 「・・・・・・?」 ああ、ずるいなあ。 「・・・・・・。」 私、ずっと我慢してたんだよ? 魔の者との同化の話を聞かされたときも。 初めて自分が普通の人間ではないのだと思い知った日も。 貴方が、いなくなったときでさえ。 なのに。 「・・・泣いてるのか・・・?」 溢れ出した涙が、ポタリポタリとこぼれ落ちてゆく。 「・・・私じゃないよ・・・。」 私のものじゃない。 これは、きっと。 私の中にいる、シゲの涙だ。 「代わりに泣かせるなんて・・・最後まで・・・ずるいんだからさ・・・。」 自分は一人だと思い続けて。 信じられるものは自分しかないと、周りから逃げて。 それなのに、人の温もりを求めて。誰かを信じたいと願っていた。 私と貴方は少し似ていた。 溢れ出して止まらない涙。 頭に浮かんでいたのは、貴方の最後の願い。 「俺を・・・喰うてくれへんかな・・・」 貴方の苦しみは、痛いほどに伝わった。 ボロボロになって動かない体。内側から魔の者に支配されてゆく、自分が自分でなくなっていく恐怖。 私たちだからこそ理解できる恐怖。私たちだからこそ理解できる苦しみ。 祈っても、願っても、どうにもならないことなんて知っていた。 綺麗事や努力で、この運命から逃れられるわけなんてないと知っていた。 だけど。・・・だけど、本当は。 「俺は佐藤成樹。苗字とか面倒やからシゲって呼んでくれてええで。」 「いつでも穏便解決のシゲちゃんに何を言うねや!任せとき!」 「おわ!なんつー黒い笑みを浮かべるんや兄さん!冗談やがな!」 どんな姿でも、どんな形でも、生きていてほしかった。 「いややわ。あの坊に感化されるとかありえへんわ。」 「俺もお前らが大切やった。」 「ぎょうさん迷惑かけて・・・最後にこんなことまで頼んでしもて・・・ごめん。」 ちゃんと聞いてほしかった。伝えてあげたかった。 ノリックさんの言葉も、私たちの想いも。 「おかしいな・・・。それでもずっと一人やったはずなのに・・・。」 貴方は決して・・・一人じゃなかった。 「好きやで。。」 「・・・っ・・・。」 止まることのない涙。その場に立ち止まってしまった私の手を一馬がそっと握り締める。 そして、どうしたらいいのかわからないといった表情で心配そうに私を見つめた。 溢れ出す涙は止まらなかったけれど、私は小さく笑って温かな彼の手を握り返した。 そして、また走り出す。 その道は暗く、険しいものかもしれないけれど。 それでも、走り続ける。 いつかきっと、光が見つかると信じて。 TOP NEXT |