温かい。 こんな汚れた俺に、差し伸べてくれる手。 包み込んでくれる体。 どうして、お前は。 哀しみの華ああ、本当についていない。 自分よりも実力が上の魔の者に目をつけられ、襲われて。 せめて状態が万全のときならば、逃げることくらいできただろうに。 必死の抵抗も空しく、俺は魔の者に囚われて。 力が徐々に失われていく。喰う側ではなく、喰われていくという恐怖。 最後に松下さんが現れたことは覚えている。 けれど後のことはわからず、いつの間にか意識を失って気づけばここにいた。 体が思うように動かない。 吹き飛ばされ、這うようにしてこの木の下に背中を預けたはいいが、もはやもう動くことさえできやしない。 獣のような魔の者。取り込まれてしまった力。ギリギリで全てを取り込まれてしまうことはなかったようだ。 けれど、力をほとんど失った今、もうこの体は元には戻らないだろう。 「・・・ゴホッ・・・」 何かがこみ上げてきて、それを吐き出す。 うまく吐き出すこともできない。そんな動作でさえも肺が軋むように痛んだ。 もうすっかり暗くなった夜空を見上げた。 俺を見下ろすように、悔しいくらいに綺麗な星空が広がっていた。 空を見上げながら、今までのことがまるで走馬灯のように頭の中を駆け巡る。 これは罰・・・なのかもしれへんなあ。 ずっと一人だった。 誰も寄せ付けることなんてしなかった。俺を理解しようとする奴をかわし、本当の自分を見せず。 サッカーを止めて、何も考えずにフラリと暴力団に所属し、たくさんの人間を傷つけてきた。 どうでもよかった。 自分に関わりがあるわけでもない。自分に害が及ぶわけでもない。 だから、助けてくれと縋る言葉も、ことごとく無視してきた。 「や、止めてくれシゲ・・・!お願いだ・・・。」 「シゲ・・・!止めて!お父様を殺さないで・・・!」 あいつらを許す気はないけれど、あの男を喰ったことに後悔もしていないけれど。 この汚れた手では、もう誰にも会うことはできない。 その結果が今の自分。一人を望み、一人でいることで他人を避け続けた。 自分で選んだ生き方。文句などつけようもない。 なのに感じた寂しさは、体が弱っているせいかもしれない。 それとも、ただの他人であったはずのあいつらと一緒に過ごしすぎたせいだろうか。 変わることなどないと思っていたのに。 何のことはない。自分も真面目でまっすぐで素直じゃなかったあいつらに感化されていたのだ。 「ッ・・・ガハッ・・・ゴホッゴホッ・・・」 ああ、本当にやばいな。 痛みさえも感じなくなってきた。見えていた夜空も霞んでいく。 「シゲ・・・!!」 聞こえた声は幻聴かと思った。 その姿は幻かと思った。けれど。 「・・・・・・。」 何でこないなとこにおんねん、とか。 もしかして俺を探していたんか、とか。 はやく戻れ、お前らまで追われる立場になる、とか。 言うべきことはたくさんあったはずなのに、頭の中は真っ白で。 「・・・格好・・・悪いなあ・・・。こんな姿で・・・お前には会いとうなかったわ・・・。」 そう。会いたくなんて、なかった。 こんな俺を、こんな汚れきった俺の姿をにだけは見せたくなかった。 まっすぐに生きようとしているお前に、お前らには見てほしくなかった。 なのに。 なのに、何でお前は。 「・・・・・・?」 こんな俺を抱きしめてる? こんなにも汚れきっている、俺を。 何も言わず、何も聞かず、はただ俺を抱きしめた。 感覚なんてもうなくなっていたはずなのに、それは何故かとても温かく感じた。 「・・・ずるいわ。」 「・・・何が・・・?」 「・・・いつも、俺が抱きしめようとすると怒るくせに・・・何でこないなときに・・・こういうことすんねん・・・。」 「うるさいな、私の勝手でしょ。」 「・・・うわー・・・我侭や・・・。」 こんなときでも涙ひとつ見せない。 そしていつもの日常のように、俺を動揺などさせないように言葉を紡ぐ。 やっぱりは普通の女やないよなあ。 最初は俺に似てる奴と思った。 一人が好きで、他人に踏み込むこともしない。 多少のおせっかいはあったようだけれど。 少し違っていたところは、一人を望みながら、それでも他人を求めていたこと。 そんな矛盾を持ちながら葛藤していたこと。俺たちとの出会いをきっかけに変わろうとしていたこと。 「そんなところで寝てて襲われても文句言えへんで?」 ちょっかいをかけていたのも、そのせいだと思っていた。 俺たちの中でたった一人の女で、そして少しだけ俺に似ていた。 ちょっとした興味と、ただの暇つぶしだった。 なのに、いつの間にかお前は変わっていった。 他人に興味など示さないと思っていたのに、自分から踏み込むことなんてないと思っていたのに。 「いくら私たちが自分は一人だと思い込んでても・・・意外と一人じゃなかったりするんだよね。」 「だけど、変わりたいとは思う。」 「何かあったら絶対言ってよ?いつだって力になるから。」 もしかしたら、俺は。 「かもね。でも一馬を見てると・・・結構羨ましく思う。」 俺も、羨ましかったのかもしれへんな。 いつでもまっすぐに突っ走る真田ではなく、変わろうと決意し変わっていくお前が。 だから、 「・・・なあ・・・。」 「・・・ん?」 だから。 「好きやで。。」 だからきっと、こんなにもお前が愛しかった。 会いたくなかったはずのお前に、こんなにも会いたかった。 「また・・・何、言ってるのよ・・・。」 「・・・ホンマやで?信じてや。」 「・・・っ・・・。」 お前は優しいから。 こんな状況で言われた俺の言葉だったら、信じるやろう? 信じてくれれば、それでいい。 俺がお前を想っていたと、知ってくれればそれでいい。 「なあ・・・頼みがあんねんけど・・・」 「・・・何?」 覚悟は決めていた。 それは、彼女に告げる残酷な願い。 「俺を・・・喰うてくれへんかな・・・」 の体が揺れる。 驚いた表情が目に浮かぶかのようだ。 「何・・・何言ってるのよ・・・!」 の体が俺から離れた。 ようやく彼女の表情が見える。ああ、想像したとおりに混乱して驚いて、怒っている。 「俺はもう治らん。意識も実はもうすぐ飛びそうや・・・。そしたらどうなるか・・・わかるやろ?」 「!!」 "人間"の俺がこの状態で意識を手放せば、残るのは俺の中にいる"魔の者"だけ。 こんな体でも魔の者は俺の全てを乗っ取り、下手すればたちの体をも取り込もうとするだろう。ボロボロの体ならば尚更。 「病院に行こう。そしたらその傷も・・・」 「お前ならわかるやろ。頼むわ。」 どうにかして俺の命をつなぎとめようとするの言葉を遮る。 にだってわかっているはずだ。なのに、俺自身よりも必死で足掻こうとするを見て自然と笑みが浮かんだ。 「魔の者に取り込まれる最後なんて・・・まっぴらやねん。だから・・・。」 が首を振る。 体も震え、泣きそうな表情で。 「・・・ゴホッ・・・ッ・・・!!」 「シゲッ・・・!!」 吐き出した赤い血。が顔をゆがめ、心配そうに俺の体を支えた。 俺はその間も、から目をそらさない。 「・・・。」 「・・・。」 「。」 「・・・それが・・・シゲの望みなの・・・?」 「そうや。」 「・・・っ・・・。」 がもう一度俺の体を包みこむ。 優しくて、何故か安心できるような温かさ。 こんな残酷な願いまで聞いてくれる、優しい彼女。 「・・・さすがやな。格好ええわ。」 「・・・嬉しくないってば。」 「俺なんかより・・・ずっと・・・格好ええ。」 「だから・・・」 「ごめんな。」 「!」 「ぎょうさん迷惑かけて・・・最後にこんなことまで頼んでしもて・・・ごめん。」 「・・・っ・・・。」 こうして、つらいことを押し付けて。 この先が苦しむことも、わかっているのに。 それでも彼女の中に残りたいと思う。 俺は本当に・・・嫌な男や。 「笠井や真田にも・・・松下さんたちにも堪忍って・・・言うといて。そうやな、あとはできればノリックにも。」 「・・・。」 「・・・最後にこんなに言葉を伝える相手がおるとは思わなかったわ・・・。」 「・・・いるに決まってるよ。ずっと・・・一緒にいたんだからっ・・・!」 「おかしいな・・・。それでも一人やったはずなのに・・・。」 「言ったでしょ?一人だって思い込んでても・・・一人なんかじゃないって。」 「はは、そうなんかな・・・。そうやったのかもな・・・。」 震えるの声は、涙を流すまいと必死でこらえていることを伝えた。 涙を流したっていいと伝えてもよかったけれど、はそう言われることなど望んでいないだろうから。 「・・・ありがとな。」 の手に熱がこもる。 優しく温かなその手の温もりは、決して恐怖など感じさせない。 「・・・私も・・・。」 「私も・・・ありがとう・・・。シゲ・・・。」 浮かんだ笑みはきっと、には見えなかっただろうけれど。 それでも今までのどの笑った顔よりも、自然だったんじゃないかってそう思う。 お前のその一言がどんなに俺を救ってくれたかなんて、気づいていないんやろうな。 こんな姿で、こんなボロボロの自分。こんなにも汚れた自分を。 お前にだけは見せたくなんてなかった。 そう、思っていたはずなのに。 ホンマに俺はずるい男で、嫌な奴や。 お前にだけに重荷を背負わせて、自分はいなくなるなんて。 お前の優しさにつけこんで、俺がいた証を残していこうだなんて。 きっとこれから先も、つらいことが待っていると思う。 なんて、つらい思いをさせてる俺が言えることじゃないけれど。 それでもどうか、幸せになってほしい。 真田も、笠井も、も・・・アホみたいにお人よしなあいつらだから。 こんな汚れた俺でも、それくらいは願ったってええやろ? たくさん迷惑かけて、俺だけこんな温かい気持ちで逝くなんて、不公平やから。 こんなこと、面と向かって言えへんけど・・・ちゃんと思てたで。 ただの他人だった、強制的に一緒に過ごすことになったお前らやけど うざいって、面倒やってそう言うてたけど。 お前たちと過ごす毎日は、居心地がよかった。 このままお前らと一緒に生きていくことだって、構わないと思てた。 アホみたいにお人よしなお前らが、好きやった。 ありがとな。 TOP NEXT |