当たり前にそこにあった生活。





変わることなどないと思っていた自分。





それでも、浮かんでくるものは。
















哀しみの華


















「・・・はあっ・・・はあっ・・・!」





いつの間にか辺りはもう暗くなり始めている。
長い時間、必死で走り続けたせいで息があがる。





「ホンマありえんわ。なんやねんあのおっさん・・・。」





上條を喰って、麻衣子にも手をかけようとしたその時。
目の前に現れたのは松下さんだった。

悔しそうに、悲しそうに顔を歪ませた直後の無感情な表情。
ああ、この人の覚悟はやはり本気だったのだと痛感した。

松下家の実力者の名は伊達ではなかった。
覚悟を決めた彼は、すぐさま俺の捕獲へと動いた。
そして彼の後ろにいた数人の、おそらく退魔師。打ち合わせたような連携とその力に、俺は逃げ出すことが精一杯で。
魔の者の力によって常人以上の力を持った俺にとっては、数十人の暴力団員よりも数人の退魔師の方がよっぽど脅威やった。





「・・・結構、はやかったなあ・・・。」





呟きながら、目の前にあった公園のベンチに座った。
そういえば今日は、松下さんと渋沢さんが来る日やったっけ。
だから笠井と真田は買い物に出て、は前日から掃除をしたり、なんやかんやで準備してたもんなあ。

そうか、だからこんなにも早くあの人が来たんや。そして結局、俺は目の前で人を喰うところも見られてしまった。
・・・あいつらは、大丈夫やろうか。俺のせいであいつらまで追われる身になることは避けたい。
しかし松下さんが先にここに来たということは、何らかの手をうってくれているのだろう。
それにノリックも・・・あの家に置いてきてしまったけれど、松下さんたちが気づいて病院に連れていってくれているはず。
無事・・・ではないのだろうけれど、俺にはアイツの傷が少しでも早く癒えることを祈るしかない。





「お母さんお母さん!今日のご飯は?!」

「なんだろうねえー。帰ってからのお楽しみ!」





目の前を歩く、平和そうな親子。
母親と目があうと、俺から目をそらしそそくさとその場を去っていった。
ああ、そういえば俺ボロボロやん。暗くなったことと、黒い服を着ていることで流れた血は見えないだろうけれど。





「傷も治らへんし・・・。」





あの家で銃で撃たれた傷。
上條を喰ったことですぐに治ると思ったが、松下さんたちから受けたダメージがでかく、治癒能力も極端に落ちている。
これは結構な時間がかかるかも・・・









「・・・くっ・・・ははっ・・・。」










そんなことを考えて、思わず笑いが零れた。
結構な時間がかかる、だなんて。自分はもうどうなってもいいと思っていたはずなのに。

上條を殺すことができれば、魔の者となっても、そしてそのまま消されようとも構わないと思ってたのに。

こんな格好悪く、無様な姿で。
俺を消す為にやってきた松下さんから逃げ、それでも生きようとしている。

上條は消えた。俺が喰った。
麻衣子は残っているが、父親を失った彼女はもう何もできないだろう。
ノリックだって今頃病院へ連れていかれたはずだ。
それならもう、俺はどうなったって構わないはずなのに。



それでも生きようとしているこの意志は、俺自身のものだろうか。
それとも俺の中にいる、奴のものなんだろうか。


















日が暮れて、辺りは真っ暗になる。
まばらにいた人間も徐々にいなくなり、今は俺一人。





「・・・これで完全に一人やなあ・・・。」





今までもずっと一人だった。
両親に捨てられ、誰と付き合っても本当の意味で他人を信頼することのできない自分。
バカ正直な奴、素直になれない奴、突き放しても突き放しても懲りずに俺の側によってくる奴。

いろんな奴と出会った。
だけど、いつになっても俺は本当の自分を見せることはできなくて。誰も信用できなくて。
のらりくらりとかわしながら、格好つけながら生きていた。

一人が好きだった。一人が気楽だった。
だから、誰も自分の中に入り込んでほしくなかった。








「同化しているんだ。君達と"魔の者"が。」








"魔の者"だなんて、現実味のない、夢物語のようなそんな話。けれどそれは確かに現実で。

偶然一緒に乗ったエレベーターの中で出会った他人。
それでも強制的に同じ運命を辿ることになった奴ら。

馴れ合う気などなかった。
たとえば一緒に暮らすことを聞いても、何も変わることなんてないと思っていた。





なのに。





他愛のない日常が、毎日出会う3人が当たり前の存在になって。
口うるさくてクソ真面目な笠井。うざいくらいにまっすぐな真田。そして。
俺と同じく、一人でいることで周りから逃げていた

それぞれが本当の自分を出していたわけじゃないだろう。
こんな短期間で、しかも何の関係もなかった他人の俺らがお互いを理解できるなんてことはなかった。

他人なんてうざいだけやと思ってた。
一緒に暮らすなんて、面倒なだけやと思ってた。

たまたま特殊な出来事に遭った、ただの他人。
性格もバラバラで、多分お互いを理解しようとしてもできるような存在ではなかっただろう。









「・・・なんや俺・・・おかしいわ・・・。」










なのに、俺は。
あいつらともう会えないことに、寂しさを感じている。



それは、今まで感じたことなどなかった感情。



誰かとの別れにこんなにも大きい虚無感を、寂しさを感じるだなんて。





一緒に過ごした時間はほんの一時。
俺は、あいつらに情でも移ってしまったのだろうか。









真面目で口うるさく、いつも俺たちのことを考えていた笠井。



うざいくらいにまっすぐで、バカ正直に気持ちをぶつけてくる真田。



一人でいることを望み、けれど少しずつ変わっていった








もしかしたら、ただの同族意識なのかもしれない。けれど。










「俺もお前らが大切やった。」










あの時の言葉に、偽りはなかった。






















「・・・そろそろ行くか。」





どこへ行く当てもないけれど。傷も癒えてはいないけれど。
それでもこの近くにはいられない。
これ以上、あいつらに迷惑はかけられない。

これからは追われる生活になるだろうけれど、どうにかなるだろう。
今までだって暴力団に関わったことで追う身にも追われた身にもなったことはある。それが元に戻るだけ。

あいつらはきっと、松下さんたちが守ってくれるはずだ。





「・・・――っ?!」





ベンチから立ち上がった瞬間、自分を襲った寒気。
いや、これは・・・寒気なんてものじゃない。

俺の中の魔の者が危険だと、逃げろとでも言うように警鐘を鳴らしている。





「なんやねん・・・。ありえへんわホンマに・・・。」





ゾクリとした殺気と悪寒。
それを感じる方向に振り向けば、そこには。





見たこともないような、大きな魔の者。
俺たちの出会った人型ではなく、動物のような大きな牙を持った化け物。
その大きさは俺の数倍はあるだろう。





「こんなときに・・・ついてへんなあ・・・」






強力な力を持つ魔の者は、食糧と力を得ようと同等程度の力を持つものを襲うことがあると、松下さんに聞いたことを思い出した。
今更思い出しても仕方のないことなんだろうけれど。





癒えぬ傷。思うように動かすことのできない体。一人となった自分。







襲いくる魔の者に抗う術など、俺はもう持っていなかった。















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