このちっぽけな平穏を捨てても





守りたいものがある。














哀しみの華
















『・・・っ・・・』





声が聞こえる。
もう何度も聞いている、聞きなれた声。





『・・・おいっ・・・だ・・・か・・・』





はっきりとは聞こえない。
けれどその声も言葉も、徐々にはっきりと耳に届く。





「おい!っ・・・!」

「・・・一馬・・・?」

「大丈夫?何があったんだ・・・!」

「・・・竹巳・・・。私・・・。」





心配そうな表情で私を見下ろす二人。
ベッドに寝かされている自分。ぼんやりとした思考。
あれ?私は・・・何を・・・。





「っ・・・!シゲは・・・?!」

「俺たちが帰ってきたときにはもういなかった。そしたらリビングでが倒れてて・・・。一体何があったの・・・?」

「シゲを・・・シゲを止めないと・・・!早く・・・!」

「おいっ・・・!」





思考がうまく働かない。
その時私の頭に巡っていたのは、一刻も早くシゲを止めることだけだった。
慌てて体を起こしてベッドから降りようとする私を、一馬が引き止める。





「どこに行こうっていうんだよ!佐藤が一体どうしたんだ?!」

「離して一馬!早く・・・早くしないと・・・!」

。」

「どうして一人で・・・!大切だって、そう言ったのに・・・!」

!!」





普段冷静な竹巳の大きな声。
私はその声に我に返って言葉と動きを止めた。
竹巳は私を見つめながら、優しく微笑む。





「落ち着いて。シゲに何があったか話して。
一人で行動しても仕方ないことはわかるだろう?」

「・・・っ・・・。ごめん・・・。」





竹巳の言葉にようやく冷静さを取り戻す。
私はシゲとのやり取りを簡潔に伝え、シゲは『上條』という人のところへノリックさんを助けに行ったことを話した。
そしてシゲは、魔の者の力を使う覚悟もしているだろうことも。





「・・・佐藤が・・・くそっ・・・勝手なことすんなって言ったのに・・・!」

「・・・今回ばかりは許してやれないな。マイペースにも限度があるよ全く・・・。」

「ごめん。私が・・・止められれば・・・。」

「何言ってんだよ、のせいなわけねえだろ?!」

「そうだよ。が落ち込む必要なんてない。」





俯いて唇を噛む私に、二人の声が重なる。
あんなに後悔はしたくないと、シゲを、皆を一人で苦しませたくないと思っていたのに。
結局私はシゲを止めることはできなかった。





「まだ遅くなんてねえよ!アイツを連れ戻せればいいんだろ?!」

「そうだね。力を使う前にシゲを止めよう。、その上條って奴の居所は?」

「詳しくは・・・でも、最寄り駅ならわかる!前にノリックさんに聞いて・・・」





私の言葉が不自然に途切れた。
言葉の途中で扉の先の人の気配に気づいたからだ。
私が扉に視線を向けると、一馬と竹巳もそこに誰かがいるのだと気づく。





「誰だよ!そこにいるのは・・・!」

「・・・久しぶりだな。」





扉を開く音がして、そこに立っていたのはとても懐かしい顔。
私の信用している数少ない人間。





「松下さん・・・!」





松下さんが私たちを見て、複雑そうに笑う。
けれどその笑みは、決して優しいものではなくて。
おそらく今の話は全て彼に聞こえていたのだろう。





「少し早めについてしまったんだが・・・どうやら大変なことになっているようだな。」

「ま、待って松下さん・・・!私たちがシゲを止める。だから少しだけ・・・少しだけ待って!」

「そういうわけにはいかない。なあ、松下。」





私の懇願に返事を返したのは松下さんではなく、彼の後ろにいたもうひとつの気配だった。

その人は松下家の実力者である松下さんを呼び捨てで呼べる存在。
私も何度か会ったことがある。彼は松下家現当主の側近。





「・・・榊さん・・・!」

「久しぶりだねさん。そして笠井くんと真田くんは初めまして。
私は松下家当主のお世話をさせてもらっている、榊だ。以後お見知りおきを。」





ニッコリと笑う榊さんの隣では、松下さんが複雑そうに顔を背けていた。
何て、タイミングが悪い。この話を聞かれたのが松下さんだけだったのならば、救いの道もあったはずなのに。





「先ほどの話だが・・・全て聞かせてもらったよ。」

「ちょっと待って・・・!まだシゲは何もしてません!私たちにシゲを探させてください!」

「はは、何を言っているんだ?」





榊さんがまた笑う。けれどその笑みは。
笑っているのに、笑っていない。背中にゾクリと悪寒が走る。





「仲間の制止を振り切り、意識を失わせて?
居場所も告げずに一人で出て行った彼は、明らかに私たちとの約束を違反している。」

「・・・!」

「何をするもしないも、もう関係ない。彼は魔の者に取り込まれ暴走していると見なされても仕方がない。」

「違う!ちゃんとシゲの意識はありました!暴走なんてしてない!シゲは・・・シゲはただ・・・!」





大切な人を助けに行っただけ。たくさんの苦しみとたくさんの葛藤を繰り返して。
それでも大切な人を守りに行っただけ。それが魔の者の意識であるはずなんかがない。





「大体アンタたちがちゃんと佐藤の仕事を清算してなかったのがいけないんだろ?!
何だよ今更偉そうに!」

「確かにそうだな。だが・・・それに気づいたとき、君たちは私たちに相談をしたのかい?」

「!」

「話してくれていれば、状況は変わったかもしれないな。けれど、君たちは私たちにそれを話さなかった。
私たちを信用していなかったからだ。」

「・・・そ、れは・・・。」

「私たちを信用していなかった君たちの何を信じろと?」





榊さんの言葉に、何も返すことができなかった。
確かに私たちは誰も信用していなかった。
一番近くにいた三上や松下さん、克朗にさえもその話を告げることはなかった。





「松下。堂藺生会の上條の所在はわかるな?」

「・・・ああ。」

「この町にいる分家の退魔師をそこへ向かわせろ。実力者だけを選りすぐってな。
何しろ相手は強力な魔の者だ。中途半端な力では邪魔になるだけだからな。」

「待ってください。」

「・・・なんだい?笠井くん。」

「俺たちも・・・それに協力させてください。戦力としては充分なはずだ。」

「・・・それは無理だね。」

「なぜ?」

「君らには佐藤くんを祓うことなどできないだろう?」

「!!」





シゲのことを"魔の者"と言った榊さんは、既にシゲを消そうとしていると言うのか。
私たちは言葉を失い、目を見開いて彼を見た。





「佐藤を・・・殺すつもりかよ!」

「それは彼次第だ。」

「そんなこと・・・させない!」

「・・・これは俺たちなりの譲歩だ。今回のことは彼一人の暴走とし、君たちの保護は続ける。」

「・・・保護なんていらない!だからこれ以上シゲを苦しませないでよ!」

「おやおや。松下家に保護されてるというありがたみがまるでわかっていない。
松下、お前も苦労するな。」

「・・・。」

「・・・松下さんっ!お願いだからシゲを・・・」

「ダメだ。」





榊さんの横で複雑な表情をしていた松下さんの名を呼ぶ。
もう頼みの綱は彼しかいないのだ。それが私たちの勝手な願いだとしても。

けれど松下さんは、複雑な表情を消し、感情を感じさせない表情で否定の言葉を告げた。





「俺は君たちに言ったはずだ。君たちを消す覚悟はできている、と。そして・・・。」

「・・・。」

「そして君たちを助けたいと思っている、と。」

「・・・っ・・・。」

「たった一人の暴走の為に、君たち全てを危険に晒すわけにはいかないんだ。」

「松下さん・・・!」





そういうと松下さんと榊さんが部屋を出て、扉を閉める。
松下さんを呼んだ声だけが空しく響いた。

そしてその直後、何か大きな力が私たちを包んだ。





「しまった・・・!真田!ドアだ!」

「え・・・?!」





ただの木材で出来ているはずだったドアは、竹巳が押しても引いても動かない。
一馬と竹巳がドアに体当たりをしても、ビクともしなかった。





「・・・くそっ・・・結界だ・・・!」

「なんとかならないのかよ・・・!」

「あの松下家の実力者二人だよ?そう簡単にいくわけがない。」

「・・・そ、んな・・・。」





どうやらその結界は部屋に張り巡らされているようで、窓を割ろうとしても鈍い音が響くだけ。
力を使ってみても、私たちの力はまだ彼らの力に及ばないようだ。





「君たちはそこで大人しく待っているんだな。」

「!」

「全てが終わったら結界を解きに来よう。それまで無茶はことはしないことだ。」

「待って・・・!松下さん!!」

「すまない。俺は君たちを守りたいんだ。」





ガチャン、と家のドアが開く音が聞こえた。
何度叫んでも、もう誰の声も返ってはこなかった。





たった一人で大切な人を助けにいって。
たった一人で全てを背負い込もうとしている。
そして私たちのことを大切に思うから、巻き込みたくないときっとそう願って。

だけど、私たちも貴方が大切なんだよ?
だからこのまま何もせずに、シゲを一人になんてしない。





「・・・一馬、竹巳。」





未だどうにかしてこの部屋から出ようと模索している二人に向けて、小さく、けれどはっきりと彼らの名を呼ぶ。

私に何か考えがあることに気づいたのだろう。
二人は私に近づき、その続く言葉を待った。






















ガシャーンッ!!!





「おい!おい!!誰かいないのか?!」

「そこに誰かいるんだろ!助けてくれ!!」





一馬と竹巳の必死の声が扉の外へと向けられる。
その間にも、再度部屋の何かが壊れる音。





が魔の者に取り込まれた!!」

「・・・何だと?!」





人気も声もなかったとはいえ、やはり扉の外には監視者がいた。
彼らの必死の声と、私が魔の者に取り込まれたとの声にようやく返事を返した。





「この狭い部屋じゃ何もできない!とりあえずここを開けてくれ!」

「し、しかし・・・それは・・・!」

「このままじゃ俺たちも死ぬ!いや・・・下手すれば俺たちも魔の者に取り込まれる!それでいいのか!」

「っ・・・!」

「この扉を開けて、彼女だけこの部屋に閉じ込めておくだけでいい。結界は俺たちが張りなおす!だから早く開けろ!
俺たちが皆魔の者になったらアンタ責任取れるのか?!」

「くっ・・・くそ!ちょっと待て今開ける・・・!」





カチャリ、と鍵の開く音。
そして何かが弾けたような音がした。結界が解かれたのだ。





「お前ら、大丈夫・・・っぐあ!!」





外の男が扉を開けた瞬間。
小さなうめき声とともに、その場に倒れる。
もっとも、彼を倒したのはほかでもない私たちなのだけれど。





「なるほどね。中から開けられないのなら、外から開けてもらえばいい、か。」

「・・・情けねえやり方だけどな。」

「迫真の演技をしたのは竹巳だけでしょ?一馬は最初の助けてくれ、しか言ってないじゃない。」

「いや、真田にやらせなかったのは正解だよ。あの一言だって棒読みでバレやしないかってヒヤヒヤしたしね。」

「なっ・・・うるせえな!あんな演技、俺だってしたくなかったっての!」





魔の者に取り込まれただなんて、嘘でも言いたくなかったことだ。
けれど、そんな嫌悪感など持っていたって仕方がない。今はそんなものよりも、大事なことがある。





「・・・いいの?」

「何が?」

「これで私たちは・・・松下さんたちに逆らうことになる。本当にもう、ただの被害者じゃなくなる。
私たちを守ってくれるものも無くなるわ。」

「何を今更。」

「わかってるに決まってるだろ。そんなこと。」





竹巳と一馬が同時に言った言葉に、私は笑って頷いた。
そしてこんなことを聞くこと自体、彼らに申し訳なく思った。





「・・・うん。それじゃあ、行こう!」

「おう!」

「ああ、無茶はしないでよ、二人とも。」












小さな、それでも平穏だった生活が崩れて。
それでも、この4人でまた小さな日常を見つけた。
ちっぽけでも、何気ない毎日でも、このまま過ごしていきたいとそう願った。



けれど。



その平穏を守る為に、大切な仲間を見捨てることなんてできない。
このまま何も見ないフリをして、安全な場所にいたって意味がない。



たとえばこの平穏を捨てても、守りたいものがある。



だから、くだらない意地もプライドも捨てて、彼を追おう。
一人で何でもしようとする彼は、きっと迷惑がるだろうけれど。





それでも私たちは、貴方を一人になんてしないから。









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