他人に触れることを恐れた。 近づいていくことを避けていた。 傷つくことを怖がって、前に進むことさえせずに。 哀しみの華「ただいま。」 「あ、おう、おかえり・・・。」 「?どうかした?一馬。」 「いや、別に・・・。」 バイトから帰ってきて、丁度リビングにいた一馬に軽く挨拶すると、少しだけ戸惑ったように一馬が返事を返す。 一馬のその態度は別にめずらしいことでもない。私は特に気にせずに、買ってきた荷物をテーブルへ降ろす。 「一馬ご飯食べた?」 「いや、まだだけど・・・。」 「私今から作るけど、一馬のも作ろっか?」 「え、え、ああ、じゃあ・・・。」 「了解。ていうか、そんなどもって返事しないでよ。」 「う、うるせえな。」 一緒に暮らして半年近く。 4人の生活にもすっかり慣れたと思っていたけれど、未だ一馬は慣れきってはいない。 特に女の子の知り合いというものが極端に少なかったらしく、私と生活するということに慣れるのには、一番時間がかかっていた。 それでも今はこうして気を遣われつつも、普通に話せるようにはなったけれど。 買ってきた食材を取り出して、まずは野菜を切り始める。 そこにはテレビの音声と、包丁でまな板を叩く音だけが響いていた。 「・・・・・・!」 「わ。何?急に大きな声だして・・・。」 「あっ・・・悪い。あの、佐藤なんだけど・・・。」 「シゲ?シゲがどうかしたの?」 「最近様子・・・おかしくなかったか?」 いつもシゲにからかわれている一馬の口から、予想外の言葉が出てきて。 私は思わず言葉を失い、彼に疑問の表情を向ける。 「何で?」 「さっきまでいたんだ。ここに。」 「さっきまで・・・?出かけたの?」 「そう、言ってたけど・・・。でも俺・・・なんか気になって・・・。」 「・・・どういうこと・・・?」 自分でも何が気になっているのかはわからないらしい。 それでも、戸惑いながらも一馬は言葉を続けた。 「テレビで・・・。」 「・・・?」 「テレビでニュースが流れた。今話題になってる・・・サッカー選手が襲われる事件。」 「!」 「三上さんが来た日もこのニュースが流れたよな?それを見たとき、佐藤の様子もおかしかった。 その時は気にもしてなかったけど・・・。」 そう、あの日のシゲの様子は確かにおかしかった。 そしてそれは、襲われたサッカー選手がシゲの幼馴染だったからなのだけれど。 後からあの事件を調べてみれば、襲われているのは井上選手だけではなかった。 その前にも一人、サッカー選手が襲われていたのだ。 一人目は風祭 将選手。二人目が井上 直樹選手。そして。 「今さっき、マリノスの水野が襲われたってニュースで流れた。それ見て佐藤が急に立ち上がって・・・。 ちょっと出てくるって言って、出かけたんだ。」 「・・・!」 「いつもみたいに笑ってたけど、いつも通りには見えなかった。空気が張り詰めてて、いつものアイツじゃないみたいだった。」 心臓の鼓動が、少しずつ速くなっていく。 漠然と感じていた不安がどんどん大きくなってゆく。 「俺アイツと仲悪いし、気のせいかもしれない。だけど・・・なんでかすごく気になったんだ。 お前なら佐藤から何か聞いてないかと思って・・・。」 一馬が真剣な目で私を見つめる。 シゲと言い合いばかりしていた一馬がここまで何かを感じていて、私自身が感じている不安もどんどん大きくなっている。 私は少しだけ迷って、口を開いた。 「・・・あの時のニュースで流れた井上選手。シゲの幼馴染なんだって。」 「幼馴染・・・?!」 「友達が襲われたってニュースが流れたから驚いただけって・・・言ってたけど・・・。」 私もそれ以上は聞かなかった。 シゲも聞かれたくないのだろうと思っていたから。けれど。 「それと、この間なんだけど。シゲの知り合いに会ったの。シゲ、暴力団に関わってたみたい。」 「・・・はあ?!何だよそれ・・・!!」 「それで今、何か問題が起こってるみたいだった。」 「・・・問題って・・・?」 「・・・わからない。」 「お前その場にいたんだろ?佐藤から聞かなかったのか?!」 「シゲが話さなかったから。聞かれたくないのかと思って、何も。」 「・・・っ・・・。」 次々と聞かされる知らなかった事実に、一馬が言葉を失った。 それと同時に悔しそうな表情を浮かべる。 「そう、だよな。俺たち他人だし、佐藤なんて特に自分のこと話したがらないしな・・・。」 「・・・元々私たちはお互いをよく知らない。 まだ一緒に過ごして数ヶ月なのに、そこまで踏み込めないし、踏み込みたいとも・・・思わないもの。」 「・・・お前の言ってることはわかるよ・・・!だけど・・・。」 「・・・何?」 「佐藤と言い合いばっかして、何も聞かなかった俺が言えたことじゃないけど・・・でも・・・」 「・・・。」 「偶然でも何でも、俺らの中で一番佐藤を知ってたのはお前だ。 そのお前が聞けば、佐藤は答えてくれたんじゃないのか・・・?」 他人に踏み込んでいくことを避けていた。 話してくれるのなら、その話を聞こうとは思っていたけれど。 聞かれたくないのなら聞かない。踏み込まない。それが私が無意識にしていた生き方だった。 「その問題ってのはわからないけど・・・その幼馴染や襲われたサッカー選手と関わりがあるんじゃないのか?」 「え・・・?」 「アイツは感情を表に出さないし、捕らえどころのない奴だけど・・・。俺らのことを思ってくれてるのは知ってる。 周りのことどうでもいいって顔して、それでも気にせずにはいられない世話好きだってことも知ってる。」 「・・・。」 「だから、佐藤が何か問題を抱えてて、それに佐藤自身が関わってたなら・・・。 それをほっとくことの出来ない奴だっていうことも・・・知ってる!」 「!」 「だって・・・わかってただろ?」 知ってる。知っていた。 ヘラヘラしているように見えて、いつも私たちを気遣ってくれていたこと。 暗い雰囲気も吹き飛ばしてくれるような明るさをいつも持ってくれていたこと。 私も竹巳も一馬も、何かしらの形で彼に救われている。 「せやけど、シゲのことやからずっと気になっとるんやろ?情報が知りたかったら伝えるし、協力もするで。」 「・・・お前、どれだけ俺がええ人やと思っとんねん。そんなもんバックレるに決まっとるやろ?」 吉田さんがシゲに何かを言っていたとき。 シゲがその"問題"をずっと気にしているはずだと吉田さんが言ったとき。 彼らの言っている意味がわかっていたわけじゃなかった。その問題の内容もわからなかった。 だけど、吉田さんはシゲの性格をよく理解している人なのだと思った。 そして彼の言うとおりに、シゲがその"問題"をほっておける人ではないのだと無意識に思っていた。 「俺・・・ちょっと佐藤探してくる。」 「・・・でも・・・ちょっと様子がおかしかっただけでしょ・・・? そもそもそのニュースとシゲにつながりがあるかだってわからないじゃない。」 「でも・・・すげえ気になって仕方ないんだよ。何もないのならそれでいい。」 「・・・そんなことして・・・また、シゲにからかわれるよ?」 「それでも、動かないで後悔するよりよっぽどいい。」 一馬の言葉が胸に突き刺さったかのように、痛かった。 結局私は、他人に気遣っているように見せかけて。踏み込まれたくないのだと勝手に思い込んで。 そう、自分に言い訳をして。格好つけていただけ。 誰かを知ることで、自分が傷つくこともあると知っていた。 だから私も自分を誰にも見せようとしていなかったし、誰かを本当の意味で知ろうともしていなかった。 偶然であっても、ほんの少しでも彼を知ることができたのは私。 だからこそ、予想できたはずだ。気づいていたはずだ。 彼が何かしらの行動を起こすこと。 人には触れてほしくないこともある。けれど。 私が彼に近づいていけば、もう一歩前に進もうとしていれば、知ることはできたはずだ。 例え迷惑に思われようとも、もっと彼に近づいていくことが出来たはずだ。 「・・・待って一馬!」 「・・・え?」 「私も行く。何の手がかりもなしに探すわけにもいかないでしょ?」 「何か・・・知ってんのか?」 一馬を一瞥して、軽く頷く。 そして自分の携帯を手に持ち、おぼろげな記憶を探って。 何も言わなかったシゲ。そして何も聞かなかった私。 それでも漠然とした不安は、無意識に小さな行動にうつさせていた。 あの日渡された吉田さんの名刺。そこに書かれていた携帯番号。 普段ならば覚えようなどとは到底思わなかったのに、私はその番号を頭に刻み込んでいた。 『もしもし?』 数回の呼び出し音の後に聞こえた声。 私は少しだけ緊張しながら、その声に答えるように口を開いた。 自分の居場所が欲しいと叫びながら、知ろうともしなかった他人の心。 格好つけて逃げていただけの自分。 気づいていたくせに気づかないフリをしていた。 だけどそれを認めた今、もう逃げるのは止めよう。 私たちは他人だけれど、他人じゃない。 少しずつでも近づけるはずだ。歩み寄れるはずだ。 望んでここにいるわけじゃないけれど、一緒にいるわけではなかったけれど。 私が今いるこの場所が大切だと思えることは、本当だから。 TOP NEXT |