何もなかったかのような平穏な日々。





それが例え仮のものだったとしても。





それでも、せめてこの平穏だけは。


















哀しみの華





















「・・・い、おーい〜?」





ぼんやりした意識から徐々に聞こえてくる声に、私は瞼を開いた。
窓から差し込むオレンジ色の光がやけに眩しく感じる。





「そんなところで寝てて襲われても文句言えへんで?」

「・・・。」





肌が触れるか触れないかの位置に声の主の顔がある。
未だ覚醒しきらない意識と視界。けれどそこにある顔がさらに近づいてきたことに気づく。





「ぬぁっ?!何すんねん!」

「それはこっちの台詞。あーもー、せっかく気持ちよく寝てたのに。」





近づいた顔を両手で叩くように、ついでに足も使って彼の体ごと押し返した。
不安定な体勢を取っていた彼の体がフラリと揺れ、そのままの勢いで床に腰を下ろす。





「めずらしいやん。がこないなところで寝とるなんて。疲れてるんか?」

「別に。ちょっと風が気持ちよくて。」

「ダメやで〜?男だらけの家でそない無防備になっとったら。」

「何を今更。」





私たちが松下さんの家を出て、今まで暮らした町から離れて数ヶ月が経っていた。
今私たちは松下さんの用意してくれたマンションに4人で住んでいる。勿論部屋は一人一人別の部屋だけれど。

誰か監視の人間と住まなければならないのかとも思ったが杞憂に終わった。
松下さんが気を遣ってくれたのか、それとも私たちと住むだなんて人間がいなかったのか。
同じ境遇とはいえ、よく知らない男三人と住むことに抵抗はあったけれど、監視されるよりはよほどマシだと思った。

後から電話で松下さんに聞いた話だと、私たちを一所に留めておけとの上からの命令だったらしい。
まあ四六時中監視する人間がいないのなら、私たちをお互いの監視役にするといったところだったのだろう。





「今更も何もないやろ。いくら俺らがこんな体になったからいうて、男でなくなったわけやないんやで?
目の前に無防備な女がおったらそりゃムラッとくるっちゅうねん。」

「だからって毎回襲おうとするの止めてくれる?」

「だから不可抗力やん!いや、ちゃうちゃう。に危機感を持たせようとしてんねん!」

「・・・。」

「紳士ぶってる笠井とか、純情ぶってる真田なんてめっちゃ危ないで?
ああいうタイプはいつ暴走するかわからん。」

「・・・へえー。ところでシゲ。」





何も言わずに彼の後ろを指差す。
シゲが「なんやぁ?」と振り向くとそこには。





「おわ!笠井!」

「おかえりシゲ。」

「お前気配なく人の後ろに現れるのは止めろっちゅーねん!」

「別に俺は普通だよ?シゲの方がバカなことばかり考えてるから神経鈍ってるんじゃないの?」





そこには静かに微笑む竹巳がいた。
笑ってはいるけれど、彼の纏う空気は明らかにひんやりと冷たい。





、こんな奴のこと気にしないでいいからさ。もう俺たちは仲間だし一蓮托生なんだ。
襲ったりなんてしないから安心して。」

「あ、う、うん。」

「そうだよね?シゲ?」

「さー、約束はできへんなぁ。」

「・・・どうして君はいつもそう・・・素直に頷けないかな。」

「素直も何も、男のサガや!」





数ヶ月一緒に暮らしていると、彼らの性格がいやでもわかってくる。

シゲはいつだってマイペースで楽しいことが好き。ついでにお調子者だ。
それでいて自分の深いところへは決して踏み込ませない。

竹巳はいつだって冷静で、元々培ってきた真面目な性格ゆえだろう。
調和を乱すことを嫌う。そのせいかわが道を行くシゲとはよく言い合いをしてる。
とはいえ、本気の言い合いになったことはないけれど。





「まあ別にいいよ。私も簡単には襲われませんので。」

「そやで。さっきもに蹴りくらったしなぁ?」

「・・・はあ。」





シゲが私を襲う気などないことはわかっている。竹巳もわかっているからこそ、強くは言わない。
そんなことをすれば、私たちの関係は間違いなく崩れる。
同じ境遇、同じ苦しみ。わかるのはお互いしかない。誰かが裏切れば、1人になる。
それがわかっていて、関係が崩れるリスクを背負うわけはないからだ。

ここに住むとき、そう教えてくれたのは松下さんだったけれど。
彼らとともに時を過ごす度にその意味を実感する。
彼らを失えばたった1人だ。他に家族がいようと、友達がいようとも。
考えただけで体が震えた。





「・・・ただいま・・・って何、皆で集合してんだ?」





騒いでいる間にドアを開けて帰ってきたのだろう、一馬が驚いた顔でこちらを見ていた。
一緒に住んでいるとはいえ、私たちの生活は基本的にバラバラだ。
別にご飯を一緒に食べる約束もしていないし、リビングであったら話す程度。
私たちは仲間であるけれど、友達ではないから。他人の集まりなのだから、当たり前だけれど。

そんな私たちがリビングに集合しているものだから、何かあったのかと驚いたのだろう。





「真田!お前もわかるやろ?同じ男なんやから!」

「は?」

、可愛いと思うやろ?襲いたくなるやろ?ホラ正直に言うてみい!」

「・・・っはああ?!」





キョトンとした表情から、見る見る顔が赤く染まっていく。
そんな一馬を見て、シゲがニヤリと笑う。





「ほれ見いや!真田だって同じやん!」

「な、何がだよ!何の話だ!」

「そんな真っ赤な顔で否定したってもう遅いで?よかったよかった。真田もちゃんと男やったんやなぁ。」

「何だよ!どういう意味だそれ!おい!佐藤!」





そんな二人のやり取りを見て、竹巳が呆れた顔で私に笑いかける。
もはや日常のようなその光景。私も肩を竦めて笑う。

良くも悪くも真っ正直な一馬。何に対しても真剣で必死だ。
温かく、大切に育てられてきたのだろう。正義感も強い。
そのせいでシゲは面白がりながら、彼をよくからかいの対象とする。
一馬も一馬でそれに真剣に返すから、彼ばかりが疲れてその言い合いが終わることも多い。





。・・・今日は仕事の依頼は?」

「なかったよ。まあそんなしょっちゅう頼まれても困るけど。」

「俺、今日帰りに喰ってきたんだ。、最近食べてないだろ?」





私が返事をする間もなく「手貸して。」と小さく一言呟くと、竹巳が私の手のひらに自分の手をあてた。

端から聞いていれば、それは私たちが普段食べるご飯の話なのだろうと思うけれど。
私たちの場合、当然それは違う意味を持っている。

私たちの中にいる"魔の者"の食料。すなわち、生きる者の生気だ。





「帰り・・・。幽霊でもいた?」

「いや、魔の者だよ。絵本に出てくる小鬼みたいな感じだったな。」





ここに来るまでの間と、ここに来てから。
私たちは私たちの食料について教え込まれた。
私たちが食べるのは、人間の霊。そして人間に害をなすと言われる妖怪、つまり私たちが"魔の者"と呼んでいるモノたちだ。

私たちは"祓う"ことを名目として、その依頼で食料を得ていた。
とはいえ、人間の目には見えないモノの依頼。そして私たちの住む地域で多くの依頼があるわけでもない。

毎日のように生気を喰わなければならない、というわけでもないので、今のところそんなに困ってないけれど。
それでも空腹感が消えるわけではなかった。
だから偶然でも食料となるものに出会ったときには、それぞれが食べることにしている。

そして数ヶ月。
魔の者としての食をとることにも大分慣れてしまっていた。
生気などという人間離れした食料の話題も平気で出せるくらいには。





「実体有り?」

「無し。ていうか実体有りの方だったら、俺無傷で帰ってこれてないだろ。」





"魔の者"はほとんど実体が存在していない。
普通の人間には見えないと言った方が正しいかもしれないが。
人間の霊も、実体のない魔の者も私たちにとっては微々たる力にしかならない。
それだけそれらの力が弱いからだ。

そしてまれに存在するのが実体のある"魔の者"。
私たちを襲ったのはこちらとなる。彼らが実体があり、見せようと思えば人間にも姿を見せることができる。
それだけ物質度が高く、力も強いのだ。





「じゃあ対して持たないじゃない。いいよ、私は。」

「ダメ。はほっとくとギリギリまで食べないからね。その時食料がないじゃ洒落にならないだろ?」





竹巳の言葉に返す言葉もなく、私は素直に彼の言葉に従うことにした。

私たちが食べる生気にも、勿論実体はない。
実体のない生気は自分の体に吸収する前に自分の中に溜めておく、なんてこともできる。
そしてそれを分け与えることも。

自分の掌を彼の掌にしっかりとあて、精神を集中する。竹巳もニコリと笑って目をつぶった。
掌から温かな何かが流れ込んでくる。そして自分の体が多少なりとも満たされるのが感じ取れた。





「・・・って何しとんねん自分ら。」





一馬との言い合いに飽きたのか、私たちがしていることにシゲが気づいた。
お互いの掌をあてていたことから予想はできたようだ。





「仲良くお食事かいな。笠井、俺にはくれへんの?」

「ああ、悪いけどもう余分はないから。」

「つうか、最初っからその気なかったやろ?」

「あはは。よくおわかりで。」

「かーっ!ムカつくわホンマ!」





毎日が楽しいわけじゃない。
お互いを全然知らなかった私たち。突然一蓮托生となって。お互いしかいなくなった。
望んで一緒にいるわけじゃないけれど。





「さて、どうせ四人ともいるならご飯でも作る?」

「お?作ってくれるん?」

「まあね。嫌じゃなければ。」

「嫌なわけないやーん。ホラ!真田!ちゃんと準備手伝うんやで?」

「な、何だよいきなり!偉そうに!」

「シゲの気まぐれはいつものことなんだから。真田もかわすことを覚えた方がいいよ?」

「何だよ笠井まで!かわすって何だよ!訳わかんねえよ!」





それでも、それが例え仮のものであっても。
それなりにうまくやっていけている。

望んだ願いは叶わないと思っていた。
あの日、あの瞬間に。
だけど、今のこの時間も決して悪くはない。



お互い全く知らない者同士だったのに。
性格も全然違うのに。それが同族意識だとしても。



あれから数ヶ月。
これからだって何が起こるかなんてわからないけれど。

それでも、せめてこの平穏な時だけは壊れないでほしいと心から願った。










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