過去を捨てる必要なんてないけれど





過去に囚われていては、縋っていてはならないと思った。





これからを生きてゆくために。















哀しみの華














「それじゃあちゃん・・・寂しくなるけど、頑張ってね?」

「はい。今までありがとうございました。」





高校に入ってからは様々なバイトをかけもちしていたが、その中でも一番長く勤めていた飲食店。
高校卒業後はここの社員となるはずだった。いい人たちばかりで、私はここでのバイトが一番好きだった。
だから店長に社員になる気はないかと誘われたときも、さして迷うことなく返事をすることができた。

けれど、私はもうここで働いていくことはできないから。
くしくも、この店のあるデパートのエレベーターで起こった出来事によって。





「ご両親と仲良くね!」

「・・・。」





笑顔で見送ってくれる彼らに、私は小さく笑みを返した。
消息不明だった両親が見つかり彼らと一緒に暮らすことになった、なんてそんなベタな設定を作り、
店を辞めるのはそれが理由ということにした。
優しい彼らに心配をかけることも嫌だったし、不審に思わせるわけにもいかなかった。

ただ、その嘘にはっきりと返事を返すことはできなくて。
小さく笑ってお辞儀をして、私は店を後にした。














デパートを出ると、通りに咲く梅の香りが鼻をかすめた。
心地の良い風とポカポカした春の陽気。

高校の卒業式も終え、就職するはずだった仕事先にも最後の挨拶をした。
友達がいなかったわけではないが、そんなに深い付き合いをする子はいない。
たとえ連絡が来たとしても、何も返さなければそのうち連絡も途絶えるのだろう。

意外とあっさり準備ができた。
ここから離れる準備。・・・これほどまでに簡単に終わってしまうとやはり少し寂しい気がした。








「ただいま。」

「よー。最後のお別れは終わったんか?」

「うん。結構あっさりできちゃうものだね。」

「ええんちゃう?ドロドロした別れよりも。」

「ま、そうだけどさ。」





一人暮らしだったアパートを引き払って、私が帰ってきたのは松下さんの家だ。
一番はやくに全てのことを清算したシゲは、既にこの家に住んでいる。

彼は別れを告げなきゃならない人も、自分がいなくなって困る場所もないと言っていた。
ただ彼がしていた仕事は特殊で、簡単に抜けることができない仕事だったそうだ。

それは松下さんが根回しをし事なきを得たようだけれど、一体何の仕事だったんだろう。
シゲに聞いてみても、「お子様には秘密や」と笑って教えてくれなかった。
ひとつしか違わないのにお子様って・・・。けれど、彼にも話したくない理由があるのだろうからそれ以上は聞かなかった。





「ドロドロした別れって俺のこと言ってる?」

「ホラ、ここに昼メロも真っ青な別れをしてきた第一人者がおるんや・・・って笠井?!」

「お褒めに預かって光栄だよシゲ。」

「おわ!なんつー黒い笑みを浮かべるんや兄さん!冗談やがな!」

「お帰り。問題はなかったみたいだね。」

「ただいま。今の顔本気で怖いよ竹巳・・・。」





シゲの次にこの家に来たのは竹巳だ。
大病院の息子で、代々医者として続いてきた家系。
高校を卒業した後は、大学の医学部に進学することになっていた彼。

しかし竹巳はもう医者になることはできない。
人の生死を前にした仕事など出来るはずがないから。
昔から医者としての道を歩むよう育てられてきた彼は、家族に家を出ることを告げた。

結果、彼は怒り狂う父親に勘当された。
母親は泣きながら、弟は茫然としながら、彼を見送ったそうだ。

淡々と話す彼の話を黙って聞いていた。・・・かけられる言葉などなく、黙って聞いているしかなかった。
元から医者になりたかったわけじゃない、自分がいなくても弟がいる。
真面目な弟がきっと病院を継いでくれるから心配はしてないと、竹巳は静かに笑っていた。





「一馬は?」

「ああ、アイツは部屋に篭ってるで。」

「よっぽど堪えてるみたいだ。まあ・・・仕方ないけどね。」

「・・・。」





二人と少しだけ話した後、私は用意してもらった部屋へと少ない荷物を持っていった。
部屋に入り荷物をおろして、少しだけ考えてから私はすぐにそこを出た。

向かった先は隣の部屋。
襖を軽く叩いて返事を待つが、何も返ってこない。





「一馬?いる?入るよ。」





ノックをしても返事がない。
けれど人の気配はする。声をかけても返事が返らないことは予想できていたので、そのまま静かに襖を開ける。

襖を開けてみればそこには、窓の外を見つめてぼんやりとする姿。
襖が開けられたことと、人影が見えたことでようやく彼は自分が呼ばれていることに気づいたようだ。





「うわっ!!」

「言っとくけどノックもしたし、名前も呼んだからね?」

「わ、悪い・・・。」

「別にいいけどさ。」





一馬がここに来たのはほんの最近で、部屋は殺風景で何もない。
彼の荷物と言えるものは、大きめのバッグが一つだけだった。





「・・・で、何の用だよ?」

「ん?いや、別に。私も準備が終わったから。報告かな。」

「・・・そっか・・・。」





私の言葉を聞いて一馬が目を伏せ、顔を俯けた。

シゲが本当に捨てるものなど何もなかっただなんて思ってない。
竹巳が納得して、自分の歩いてきた道を捨てただなんて思ってない。
彼らに大切なものがなかったとは思わないし、思えない。
それでも二人は所在を伏せることで、家族に勘当されることで
言い方は悪いけれど、自分たちとの関係を切り離すことができた。

けれど彼は、一馬は。





「ずっと部屋に篭ってるんだって?」

「・・・仕方ねえだろ?外に出て知り合いにでも会ったらどうすんだよ。」






大切にされすぎていた。そして彼自身もまた大切な人が、場所が多すぎた。
一馬が何をしようとも、彼の周りにいる人たちはいなくなった一馬を探すのだろう。

そう判断した松下さんが一馬に告げたことは。







「俺はもう死んだことになってんだろ・・・?!」







それは、一馬の『死』だった。
どんなに相手を思っていても、死んでしまった人を探すことなんてない。

高校卒業後の一人の旅行。
観光地の崖から転落。多くの人にそれを目撃させて、彼の死を刷り込ませる。
死体を確認させるわけにはいかないからという、苦肉の策。





「バカみたいだ・・・。自分が生きる為にあいつらを悲しませて・・・
もう大切なものなんて何も残ってないのに・・・俺は何のためにここにいるんだよっ・・・。」





一馬の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
私はそんな彼をただ見つめて。かける言葉すら見つからなかった。
彼ほどに大切なものがない私はきっと、彼の気持ちを理解することなんて出来ない。

だから。





「一馬。」

「・・・っなんだよ・・・。」

「一緒に出かけない?」

「だから俺はっ・・・」

「大丈夫だよ。帽子深くかぶって顔を見せないようにして。
いざとなったら恋人のフリでも何でもしてやりすごせばいいでしょ。」

「なっ・・・」





一馬が驚いたように私を見る。
こんなときに何を言っているのかという感情も含まれていたように見えた。





「・・・大体、今はそんな気分になんか・・・」

「私は今日この町を出る準備を終えた。これで皆、ここから離れる準備が出来たってことだよ。」

「!」





全ての準備が終わった今、もうこの場所にいることはできない。
大切な人たちの誰にも知られることなく、私たちはこの町から出て行く。





「一馬は過去ばっかり見てる。幸せだったときのことばかり考えてる。だからずっと部屋に篭って一人きりでいる。」

「・・・っ・・・。」

「それが悪いだなんて言わないよ。だけど・・・。」







「これから生きようって思うのなら・・・願うのなら、過去に、幸せだった時間に囚われないでほしい。」







私は考えなしの言葉を彼にぶつけているのだろう。
一馬の気持ちもわからないくせに、偉そうに格好つけて。

それでも、これから私たちは共に生きていく。
私たちの中に潜んでいる魔の者と戦っていく。

過去を忘れる必要なんてない。だけど。
過去に縋って、囚われていてはダメなのだと思った。



一馬が震える手で拳を握った。
そして、小さな声で呟く。





「・・・俺、あいつらに会いたい・・・。」

「あいつら?」

「親友なんだ。最後・・・俺、後ろめたくてあいつらの顔しっかり見れなかった。」

「・・・。」

「・・・話せなくてもいいんだ。俺が死んだって聞いて、あいつらはどうしてるかって・・・それだけでいい。」





小さく、それでも確かに聞こえた一馬の言葉を聞いて、私は後ろ手に持っていた帽子を無理やり彼にかぶせた。
突然視界が真っ暗になった一馬は慌てて帽子の鍔を持ち上げた。





「うん。それじゃあ行こうよ。」

「え・・・。」

「一馬がどうしてもその人たちの前に出たくなっちゃったら、私が止める。・・・恨まないでよ?」

「・・・お前・・・最初からそのつもりで俺に・・・一緒に出かけよう、とか・・・?」





一馬を助けようととしたとか、そんな大層な理由じゃなかった。
けれど驚いた表情で私をじっと見つめる一馬の視線に何だか耐えられなくなって。
彼の言葉に答えることもなく、先に部屋を出た。





「・・・一馬?」

「あ、お、おうっ!」





それから少し待っても誰も出てこない部屋の中をもう一度覗く。
決意をかためたように真剣な表情でそこに立ち尽くしていた一馬は慌てて返事をし私の後につく。

緊張の表情には期待を込めたような嬉しさも混じって見えて。
そんな彼を見てほんの少しの微笑ましさと、痛いほどの切なさが胸にこみ上げた。














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