今の生活を捨てても





『普通』に過ごしていけなくても





それでも、生きていけるのなら。


















哀しみの華


















「来たか。。」

「私が逃げると思った?」

「思わないよ。」





昨日松下さんに言われた通り、私は再びこの家に足を踏み入れた。
一晩経ったせいか、昨日よりは落ち着けている。





「笠井くんとシゲはもう来てたんだ。」

「まあね。俺は性格上早めの行動が身についてるから。」

「とりあえずはな。話は全部聞いときたいとこやし。」





二人も思ったより普通だ。
私たちに起こった事実を受け入れているのか、それとも受け入れられてなくてこの落ち着きようなのか。
あまりにも普通に見える彼らからは、それを読み取ることはできなかったけれど。





「後は・・・真田くんか。」

「アイツは怪しい思うで?今にも逃げ出したいって顔しとったやん。」

「まあ気持ちはわからないでもないけどね。」





昨日、声を出すことも出来ずに茫然としていた真田くん。
彼は昨日、どんな思いでいたんだろう。
私は現実味のないあの話を全て受け入れることなんてできなかった。
不安と恐怖と絶望と、溢れ出てくるのはそんな負の感情だけで。
彼も・・・同じように絶望を感じていただろう。





ガラッ





「・・・。」

「真田くん。」





障子の開く音。
そこに無言で立ち尽くしていたのは真田くんだった。
俯いたまま、私たちを見もせずに彼はその場に腰をおろす。





「・・・これで全員揃ったな。」





真田くんがその場に座ったことを確認し、松下さんが口を開く。





「君たちのこれからについて、話させてもらう。」





私たちのこれから。
きっと、普通になんて生きられない。幸せなんてそこにはないのかもしれない。けれど。





「まず君たちには、今の環境を捨ててもらう。」

「・・・捨てる?」

「いきなりでは周りに不審がられる。少しずつでいい。家族も友人も恋人も、君たちに関わる全ての人間から離れるんだ。」

「!!」





全員に動揺が走る。
誰にだって1人や2人、大切な人が、離れたくない人がいて当然だ。





「それは・・・何故ですか?」

「君たちの"体質"がその人たちに知れたらどうする?君たちが彼らを食べたくなったら・・・どうする?」

「なっ・・・!」

「近くに誰かがいるほど、その人間が近ければ近いほど、傷つくのは・・・苦しむのは・・・君たちだ。」





松下さんの言葉に、私たちは何も言えなかった。
昨日よりも更に強くなっているこの飢餓感。それが日に日に強くなっていって。
誰かを、人間を食べたくなるだなんて。想像すらしたくなかった。





「そして君たちには退魔師となってもらおうと思う。俺たちが祓っているものを、君たちは食べる、と言う形になるが。」

「・・・そない簡単になれるもんなんかいな。大体、アンタ以外は俺らを殺せ言うとるんやろ?」

「君たちは既に退魔師としての力を充分に持っていると思っている。
上の人間は俺が黙らせよう。全ての責任は俺が取る。」

「たいした自信ですね。」

「上の人間と言っても、もう力もない名ばかりの人間だ。事実、退魔師としての力は完全に俺の方が勝っている。
大した考えもなく君たちを消せという奴らの言うことなんて聞く気はないからな。」





松下さんは、言葉につまることなく全てに対してはっきりと返事をくれる。
全てを不安に感じる私たちにとって彼のその態度に、ほんの少しだけ安堵感を得た。
迷いなく発する言葉に、そらすことのないその瞳に、本当に私たちを守ろうとしてくれているのだと感じたからだ。





「笠井くん、真田くん、そして。君たちはもうすぐ高校を卒業だね?」

「・・・うん。卒業式もすぐそこだしね。」

「進路も決まっていたのだろう。けれど、諦めてほしい。
もうわかっていると思うが・・・君たちが普通に生活することは不可能だ。」





普通に生活することができない。
確かにわかっていたことだけれど、その言葉に胸が痛む。

笠井くんは表情を変えずに、真田くんは相変わらず俯いたままに。
二人の心中はわからない。





「佐藤くんは・・・。」

「ああ、俺は別に何もないで。ただ・・・今の仕事を止めるとなると結構やっかいかもしれへんけど。」

「・・・それは私たちが何とかしよう。」

「あ、ホンマ?それなら別に問題ないわ。」





本当に今の生活に未練などないように。
シゲは出会ったときと変わらぬ笑みで笑った。





「俺も・・・構いません。」

「・・・笠井くん?」

「捨てなきゃ生きられないと言うのなら・・・全て捨てます。拘るものも、ないし。」

「君は・・・有名大学の医学部に進むと聞いていたよ。」

「それは親が勧めた道です。俺が選んだわけじゃない。俺自身が望んでいたわけじゃなかった。」





笠井くんが儚げに笑う。
けれどそれは目指すことのできなくなった未来を嘆いているわけではなく、
何故か・・・安堵した笑みに見えた。





「私も松下さんの言うとおりにするよ。元々バイト先にそのまま就職予定だっただけだし、どうしても欲しいものなんてないしね。」

「・・・・・・。」

「私の場合は松下さんもいるわけだし。元々捨てなきゃいけないものなんてなかった。」





大切なものが欲しかった。探していた。
けれど、それが出来ることを怖がってもいた。だから周りに踏み込んでいくこともしなかった。
結局私は、本当に手放したくないものなど持っていなかった。





「真田くん。・・・君は?」

「・・・。」

「真田。いつまでもいじけてどうすんねん。男ならシャキッと決めるべきやで?」

「・・・んで・・・」

「・・・真田くん?」

「・・・何なんだよっ・・・何なんだよお前らっ・・・!!」





俯いたまま、一言も言葉を発しなかった真田くんが口を開き叫んだ。
その声に私たちは驚き、彼を見つめる。





「何でそんな簡単に諦められるんだよ!家族とか友達とか将来とか・・・!!
俺は嫌だ!諦めたくなんてない!!こんなっ・・・こんな今でも信じられないようなことで・・・!!」

「真田くん・・・。」

「家族とも・・・友達とも・・・二度と会えないってことだろ?!夢だってあった!
だから大学に入るのだって死ぬ気で勉強して・・・!やっと合格したんだ!!
何で、何でそれを諦めなきゃならないんだよ!!」





必死で叫ぶ彼を、ただ見ていた。
ああ、彼にはたくさんの大切なものがあったのだろう。
私の持っていなかった、たくさんの大切なものが。





「お前らおかしいよ!そんな簡単に受け入れられるはずもないだろ?!
俺はあいつらを食べたりなんかしない!人間を食べたりなんてしない!!これからだって一緒にっ・・・!!」





真田くんの目に涙が浮かぶ。
彼だってわかってるからだ。諦めたくない。けれど、諦めなければならないこと。
それでも、彼は。





「真田く・・・」

「さ、触るな!!」

「・・・。」

「俺に・・・さわるなっ・・・。」





そう言ってじりじりと後ろに下がって、彼は障子に手をかける。
逃げるようにしながらそこを開ければ、目の前に監視の人間が立ちふさがる。





「どこへ行くんだ!」

「うるさい!離せ!!」

「そんな状態の君を外に出すわけにはいかない!」

「離せっ・・・離せぇっ!!」

「・・・っ・・・!!」





真田くんを止めていた二人の男が、吹き飛ばされたように宙を舞う。
彼はただ、掴んだ手を払いのけようとしただけだった。
けれど、払いのけられたその手は、大の男二人を吹き飛ばした。





「!!」

「真田くん・・・。」

「お、俺っ・・・こ、こんな・・・。」





真田くんが怯えたように私たちを見る。
そして、すぐにその場を駆け出した。





「なんや・・・今の・・・。アイツあんなに強い奴やったんか・・・?」

「そうは・・・見えなかったけど・・・。」

「まずいな。力が制御できていない。」

「・・・あれも私たちの中の奴のせいなの?」

「ああ。」





真田くんに吹き飛ばされた二人は未だ倒れたままだ。
ただ払いのけただけに見えたその動作で、ここまでのことができるなんて。





「異常なまでの身体能力。だが、制御することだって可能なんだ。」

「真田は今、それが制御できていない。かなり危ない状態ってことですよね?」

「その通りだ。今すぐに彼を追わせて・・・」





松下さんはすぐに近くにいた彼の部下に指示を出そうとする。
けれどその言葉は途中で途切れる。





「・・・君たちが追ってくれないか?」

「・・・え・・・?」

「退魔師としての仕事ではないが、俺からの依頼だ。彼を連れ戻してくれ。」

「・・・俺たちに任せていいんですか?」

「勿論私たちも追いかける。だが、君たちの方が彼を連れ戻せる可能性が高い。
それに・・・彼の気持ちを誰より理解しているのは君たちのはずだ。」

「俺たちそのまま逃げるかもしれへんで?」

「その時はその時だ。こちらも容赦なく君たちを追わせてもらう。」





はっきりと言い放ち、笑った松下さんを見て、笠井くんとシゲが顔を見合わせる。
そして最後に、私へと視線を向けた。

彼らの視線に頷いて答えると、私たちは一斉に走り出した。





「・・・しゃあない。ほんじゃあ我侭坊ちゃんを迎えに行きましょか!」

「今の彼じゃ返り討ちに合うかもね。」

「シャレにならんこと言うなや!」





走りながらも、平然と会話する二人の後ろにつく。





!」





走り出してすぐ、聞こえたのは松下さんの声。





「・・・任せたぞ!けれど、危険なことはするな!」





私が必要以上に心配されることも。
女だからと差別されることが嫌いなことも、松下さんは知っている。

だからこそ任せた、とそう言ってくれる。





「了解。」





そう返して前を走る彼らを追うように、スピードをあげた。
元々足が遅かったわけじゃない。けれど。

いつも以上に、それまで感じたことがないほどに速く、自分の体が風を切っているのを感じていた。

一緒に走り出した彼らも、気づいていただろう。



それでも私たちはそんなこと、何でもないとでも言うように。
今はただ、真田くんを追うために走り続けた。









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