「おはよう、郭くん。」 「おはよう。」 私は郭くんともう一度友達になった。 都合よく、いきなり元の関係に戻れるわけもなかったけれど、月日を追うごとに違和感は減っていった。 「クマ。」 「熊?え?何が?どこに?」 「朝から寝ぼけないでよ。目。」 「目・・・?」 「また寝不足?」 「・・・クマって目の隈!?」 「最初からそう言ってるんだけど。」 あの日の彼の言葉に、戻った関係に、何も感じなかったわけじゃない。何も迷わなかったわけじゃない。 それでも今、呆れたようにそれでも優しく、静かに笑う郭くんの隣にいられる。 一緒に笑い合えるこの時間を大切に思えることが、本当に嬉しかった。 友達協定 「違うんだよ。」 「何が?」 「これはね、学校で仕事を頼まれて、遅くまで残ってた結果なの。別にずっと遊んでて寝不足なわけじゃないんだよ。」 「仕事って?」 「私、図書委員だって言ったじゃない?今、学校の図書室を大整理中なの。」 「・・・ふーん。それで、いらなくなった本でももらった?」 「そうなの!やっぱり図書委員になって正解だったよ!」 「それで、もらった本を持ち帰って早速読んでみたんだよね。」 「うん!ボロボロだったり、すごく昔のものだったりしたんだけど、設定がかなり斬新で・・・」 「やっぱり本か。」 「あ。」 「なんで格好つけて嘘つこうとしたの。」 「や、たまには本以外の理由の方がいいかなあって。」 「っ・・・なにそれ。格好のつけどころがわからないんだけど。」 表向きは友達に戻っても、やっぱりしばらくはギクシャクした関係が続いた。 ここまで元に戻るのに、どれくらいの時間がかかっただろう。 それでも、私たちには共通の趣味があって、お互い静かな場所を好むことも一緒だった。 性格も考え方も違っても、相性は良かったのかもしれない。 朝の十数分の間、何も喋らなくても、居心地が悪いとは思わなかった。 そんなことを繰り返しながら、会話量も徐々に増えて、今ではすっかり元通りだ。 「そもそもですよ。」 「何?」 「女の子に隈が出来てるのを、会って第一声で指摘するっていうのはどうなのかしら、郭くん。」 「仕方ないよね、事実なんだから。」 「郭くんはもっとデリカシーとかある人だと思ってた。」 「へえ、本当に?俺がそんな気遣いが出来る人間だと思ってくれてたんだ?」 「・・・。」 「黙らないでよ。」 元通りになれたことは、単純に嬉しい。 だって私は、郭くんに告白をしたとき、覚悟を決めていた。 そりゃあ、都合の良い展開を期待してもいたけれど。それよりも、もっと大きく。 彼との関係が崩れて、友達ですら無くなってしまうだろうと。 実際本当に無くしてしまったときは、つらくて悲しくて、放心状態にもなったけれど。 それでも、こうして元に戻れた。彼ともう一度、友達になれた。 「・・・人によるよね。」 「は?」 「郭くんは、他人に対するほど紳士。」 「なにそれ。」 「あまり話したことのない人とか、年上には礼儀正しくて気遣いもする。」 「そりゃあね。初対面で悪態ついたってデメリットにしかならないでしょ。」 「苦手意識を持ったり、敵とみなした人と、友達には容赦ない。」 「敵と友達が同列ってどういうことなの。」 「でも、友達にはプラスで優しさもついてくるのです。」 「・・・。」 「デリカシーはないけど。」 「一言多い。」 充分だと思った。 女の子に苦手意識を持って、簡単には寄せ付けないような彼の数少ない女友達。 私は郭くんを好きだったけれど、それは恋愛対象としてだけじゃない。 彼の人間性もすごく、すごく素敵だと思っている。 「正直なだけだよ。」 「正直?」 だから私は、彼を想うことをやめた。 なんといったって、私は彼から友達宣言をされた女だ。 郭くんのことは大好きだったけれど、これ以上の期待を持っていても可能性は限りなく低いのだから、その結論に達することは当然だ。 「俺のことを理解してる相手になら、気遣いなんて必要ないでしょ。」 なんて。 何度、思ったことか。 「別に優しくしようと思って行動してるわけじゃない。 そういう相手の前では正直に、自分が思う通りに行動してるだけだよ。」 毎日話をして、楽しい時間を過ごして、呆れることが多くても、優しく笑ってくれて。 こんなにも堂々と特別感を押し出してくる彼への気持ちを、どうやったら忘れられるというのか。 「・・・?」 「・・・ダメだ、限界。」 「だろうね。寝なよ。」 ああ、なんてやっかいな関係になってしまったんだろう。 友達でいたいのに。それだけで、充分だと思っていたのに。 好きだと思う気持ちは友情なのだと言い聞かせても、郭くんの些細な言葉が、行動が、あっさりとそれを打ち崩す。 彼の一言に体温が上がり、心臓の鼓動は速度をあげていく。 友達でいたいのに、私はいつまで経っても、彼のことが好きなままだった。 いつか、郭くんにも好きな人が出来たら、自分の気持ちに踏ん切りもつくだろうか。 彼と一緒にいると、楽しくて心地が良くて、だけど少しだけ切ない。 帰りの電車で郭くんの姿を見つけた。見知らぬ女の子数人が、彼に話しかけている。 同じ学校の制服だから、クラスメイトか何かだろう。郭くんも反応は薄いながらも、それに応えていた。 郭くんは女の子に対して、少しだけ優しくなったように思う。 ひんやりとした態度はあまり変わらないけれど、向けられる好意を理不尽に拒絶することは無くなった。 前の彼女とも話をしたと言っていたし、郭くんの中で何かしらの変化があったのかもしれない。 しかし、これでいよいよ、彼に友達以上に特別な存在が出来るのも、そう遠い日では無くなったとも思う。 「。」 「郭くん。今日はクラブは無いの?」 「うん、休み。」 乗り継ぎ駅に降りると、私の姿を見つけて、郭くんがこちらへ近づいた。 同じ車両内にいた先ほどの女の子たちは、訝しげに私を見ながら、その場から去っていく。 そんな怪しそうに見なくても、恨めしげな目をしなくても、ただの友達でしかないのになあ、なんて苦笑してしまう。 「クラスメイト?」 「ああ、見てたんだ。そうだよ。」 「どこか行こうって誘われてたんじゃないの?」 「そうだけど、なんで俺が。別に友達ってわけでもないのに。」 「そういうとこ、はっきりしてるよね。」 「まあね。」 郭くんに好きな人や、彼女が出来たら、私はどうするだろう。どうなるだろう。 自分自身の感情もそうだけれど、そもそも彼女にとっては面白くない存在になることは間違いない。 いくら友達と言い張ったって、仲の良い女友達が彼と二人で話してる、だなんて、私だって嫌だ。 共通の友達もいない私たちは、そこから距離を置いていってしまうのかもしれない。 ああ、嫌だな。 つらいかもしれない。苦しくて泣きたくなるのかもしれない。 それでも・・・どんな形でも良いから。一緒にいたいなあ。 「・・・郭くんは、彼女つくらないの?」 どうして突然、そんな言葉が出てきてしまったのか、自分でもわからなかった。 あれから恋愛の話は無意識に避けてきたのに、なぜ今だったのか。 いつまでも感じていた不安。無くなってしまうんじゃないかと思っていた関係。 もしかしたら、私はずっと、はっきりさせたかったのかもしれない。 「どうしたの、急に。」 「いや、あの、女の子と一緒にいるのよく見るし、最近昔ほど拒絶しなくなったかなあって・・・。」 しかし、タイミングが悪い。 自分でも予想外の言葉だったから、自然な聞き方ではなかったし、彼の返答に対する冷静さも無く、ごまかしの言葉も浮かばない。 「できないと思うよ。」 「へ?」 「なにその間の抜けた顔。」 あれだけ女の子に構われたり、告白をされていて、できないというのはどういうことだろう。 そりゃあ私だったら、作ろうと思っても相手がいないとか、そもそも相手に振られているし、そんな言葉も出てくるだろうけれど。 ・・・いや、そうか。彼は女の子に対してトラウマがある。 昔の彼女とは和解したといっても、問題は彼女だけじゃなかったと聞いた。一種の女性恐怖症のようなものに・・・ 「別に女性恐怖症とかじゃないからね。」 「え!?」 「勝手に想像して、深刻な顔しないでよ。」 「じゃあ、えっと、好みの女の子がいないとか。」 「そんなに俺と誰かをくっつけたいの?」 「そ、そういうわけじゃないけど・・・」 正直、私としては、郭くんは誰のものにもなってほしくない。 そうすれば私はきっと、彼の傍にいられるし、いつか出来る大切な存在に怯えなくてもいい。 でも、いつまでもこのままでいられるだなんて思わない。いつかその日は必ずやってくる。 「できないよ。がいるから。」 ぐるぐると巡っていた思考をバッサリと切るかのように、けれど淡々と、郭くんは答えた。 一瞬、何を言っているのかわからなかった。けれど、その言葉に私は一気に血の気が引いた。 「そ、それって・・・私に気を遣って、彼女をつくらないってこと!?」 私は郭くんのことが好きだ。誰のものにもなってほしくない。 出来るなら私が彼にとっての特別な存在になりたい。 きっと、友達としての私はそれに近い存在なのだろう。 だけど、私は、郭くんのこれからの足かせになりたいわけじゃない。 「なにそれ、いやだよ!そんな風に気を遣ってもらっても嬉しくもなんとも・・・」 「相変わらず勝手に考えて自己完結しようとする癖があるよね。誰もそんなこと言ってないでしょ。」 「え・・・」 「に気遣いなんてしないって、こないだ言ったばかりだと思うけど。」 じゃあどういう意味なのかと首をかしげる。 先ほどの女の子たちも訝しげに私を見ていたけれど、友達であろうと特定の女子が傍にいれば、彼女なんてつくれないと言っているのだろうか。 彼女をつくることよりも、私という女友達の存在を優先してくれている。そして、それを彼自身も望んでいる、ということだろうか。 「は?」 「え?」 「つくらないの?彼氏。」 そう返してくるとは思わなかった。 いや、話をふったのは私だけれど。 先ほども思ったけれど、郭くんのようにモテるわけでもない私が、気軽に彼氏なんてつくれない。 相手もいないし、そもそも私はまだ、郭くんが好きなんだ。 期待が持てなくても、友達でしかなくても、今は彼以外、考えられない。 「できないよ。」 郭くんがいるから。 なんて、先ほどの郭くんの台詞になぞらえてしまおうとも思ったけれど。 私の場合は洒落にならないからなあ。 「ふーん。それはよかった。」 いやいや、別によくはないんですけど。 そう突っ込もうとして、けれど無意味な気がしたのでやめた。 先ほどと今の言動からして、郭くんは今の関係でいることを望んでいるみたいだ。 郭くんに彼女が出来ても、私に彼氏が出来ても、きっと、今の関係のままではいられなくなるから。 恋人をつくるよりも、友達といた方が気楽で楽しい、だなんて感覚に似ているのだと思う。 「不満そう。」 「郭くんは余裕でいいなあって思ってるだけだよ。」 「別にそんなつもりはないけど。」 「郭くんは別に、できないわけじゃないじゃない。その気になれば、我先にって手をあげる子はたくさんいると思うよ。」 「かもね。」 「・・・っ自分で同意しちゃうし!」 「がふってきた話でしょ。」 あえてつくらない郭くんと、つくろうと思ってもつくれない私。 同じ台詞でも、ここまで違いがあると、悔しいを通り越してなんだか悲しくなってくる。 「でも、できないけどね。」 「・・・今は必要ないから、つくらないってことでしょう?」 「それはたぶん、違うと思う。」 「・・・?」 郭くんはその言葉の説明をしなかった。 すでに手にしていた小説を広げ、そちらへ意識を集中させてしまったからだ。 私もそれ以上、深追いすることはなく、彼の言葉の意味を考えていた。 つくらないのかって聞いたのに、彼はやけに"できない"って言葉にこだわっていた気がする。 それなのに、できないと思うとか、たぶん違うとか、郭くんにしては表現がめずらしく曖昧だ。 私が彼氏が『できない』理由は、選べるような相手がいないから。そして。 郭くんという存在が私の中にずっと残っているから。 それなら、選べる相手がいくらでもいそうな郭くんが、できないと言った理由は? 「・・・。」 あまりにも都合の良い方向へ突き進んでいってしまうところだった。 私が単純だと言っても、さすがにそこまで都合の良い解釈はしない。 たとえ、郭くんに選べる相手がいて、私がいるからできない、なんて言葉を告げられていたとしても、だ。 私はそもそも振られているし、友達宣言をされているし、気持ちに応えることはできないと言われている。 期待なんて持っても空しいだけだ。だから私は、これからも彼と友達で居続ける。それは郭くんも望んでいることだ。 「、なに一人で悶えてるの?やめてよ、隣にいる俺まで変な目で見られるから。」 「だ・・・誰のせいでっ・・・」 しまった、と思って口を噤んだけれど、郭くんは少しだけ驚いた表情を浮かべた後、静かに、小さく笑う。 その表情があまりにも綺麗で、優しくて、私はそれ以上の言葉を紡げなかった。 「相変わらず勝手に考えて自己完結しようとする癖があるよね。」 私たちは"友達"から始まった。 意地の張り合いから始まった、表面だけの関係。 けれど、徐々に距離は近づいて、それは絶対の信頼の証となった。 それを壊してしまったのは私。友情を飛び越えて、彼を好きになってしまった。 一度は壊れてしまった関係。それがようやく元通りになった。 そして今、彼とかわした約束が無くても、お互いの信頼は残っている。 もう私たちの間に、制約は無い。 「誰のせいなんだろうね?」 結論を出さなくても、いいのだろうか。 諦めようと、忘れようとしなくても、いいのだろうか。 まだ、貴方を好きでいてもいいのかな。 相変わらず、郭くんの考えてることはわからないけれど。 気持ちを受け入れてもらえなくても、あの時のように彼が私を拒絶することは、きっとない。 郭くんの厳しい言葉も、冷たい反応も、そこに隠された優しさも、すべてが大切で愛おしい。 この先、私の想いが叶わなくても、彼との関係が変わっていってしまったとしても。 「・・・何、にやけてるの?」 「だって、郭くんが笑うから。」 「別に笑ってなんかないんだけど。」 「笑ってたよ?郭くんにしてはめずらしく、すごく優しい顔で。」 「・・・。」 「・・・もしかして無意識?」 「・・・・・・笑ってないってば。」 「ふふ、じゃあ、そういうことにしておこう。」 彼は私の大切な友達で、大好きな人。 それだけは、これからもずっと、変わらないんだろう。 TOP あとがき |