『久しぶり』『元気だった?』『偶然だね』なんてありきたりな挨拶を頭に並べ、どれが一番いいのかなんて、無意味なことを考えていた。
だけど、結局声にはならない。つくづく私は、突然のことに弱いのだと実感する。

そんな私よりも早く、言葉を発したのは郭くんだった。





「人の顔を見た途端、叫んで逃げ出すって、どういうこと?」

「ごっ、ごめんなさい。」





咄嗟に出てきた謝罪の言葉は、悪いと思ったというよりも、これまでの経験によるものだろう。
本当に怒っているような表情でもトーンでもないのに、郭くんには相手に有無を言わせないような妙な威圧感がある。





「なにボーっと突っ立ってるの?行かないの?」

「あ、え、うん。行く。」





無視されるんじゃないかとか、嫌そうな表情でも浮かべるんじゃないかとか、
想像してたものとは違う郭くんの態度に困惑しながら、一緒に改札を出た。

今までならば、この後すぐに別々の道になるわけだけど・・・
そうだ、今の調子なら本を返すことも簡単だろう。郭くんに帰られてしまう前に渡さなければ。





「郭くん、これ借りてた本・・・」

「・・・ああ。あっちで返してよ。」

「あっち?」





彼が指差す方向は、駅近くの公園だった。
どういう意味かと首をかしげたけれど、彼はスタスタと公園へ向かい、私も訳がわからないまま彼の後を追った。














友達協定
















「・・・えっと、ハイこれ、返すね。遅くなってごめんなさい。」

「うん。」





公園のベンチに座った彼に、借りていた本を手渡した。
なぜわざわざこんなところに来たんだろう。改札を出た場所では何か都合が悪かったんだろうか。





「・・・それだけ?」

「それだけ・・・って、遅くなったお詫びに何か・・・とか?ごめん、今私何も・・・」

「違う。」





彼が何を望んでいるのか、わからなかった。
あんな別れ方をして、今はもう友達ですらない。
困惑した表情を浮かべる私に、郭くんはため息をつく。





「・・・なんでさっき、逃げ出そうとしたの。」

「え、あ、その・・・いろいろ、混乱して。」

「前もあったよね。俺が声をかけて、悲鳴をあげたこと。」

「す、すいません・・・。」

「そんなに俺が怖い?」

「・・・。」





怖くない、と言えば嘘になる。
あの日の彼の表情が忘れられない。
声をかけて、関係ないと無視されてしまったら。また拒絶されてしまったら。
持ち直しかけた心が押しつぶされてしまうんじゃないかと思った。





「勝手だよね。」

「え?」

「勝手に好きになって、勝手に告白して、勝手に怖がって避けて。こっちの都合は関係ないの?」

「・・・そう、だったのかもね。約束があっても、結果がわかってても、抑え切れなかった。結局は全部、私の我侭を通してる。」

「そうやって、自分だけを責めて卑屈になるのもね。」

「うっ・・・」





もしかして、私に言い足りないことが山ほどあったのだろうか。
あの日の彼は無言でいたけれど、落ち着いて考えて、もっと私を責めるべきだった、なんて思ったのかもしれない。
彼が優しいとは言っても、それは友達にたいしてだ。今の私に容赦が無くなってもおかしくはない。





「ひとつ、聞きたかったんだけど。」

「・・・何?」

「俺のことが好きだったのに、どうしてあの時、彼女と話した方がいいだなんて言ったの?」





彼女、とは映画のときに偶然出会った、郭くんの昔の彼女のことだろう。
告白のきっかけも、彼女のことについて話していたことだった。





「俺が昔の彼女と話して和解したって、にはなんのメリットもない。
彼女を嫌って避けてた、あのままの態度と関係でいた方がよっぽどよかったと思うけど。」

「・・・それは・・・」

「・・・。」

「・・・私も、わからなかった。」

「何それ。」

「郭くんを好きな彼女と自分を重ねたとか、いい人ぶりたかったとか、いろいろ考えてた。
でも、郭くんに気持ちを伝えて、なんとなくわかった気がするよ。」

「・・・どういうこと?」

「私は郭くんを好きだったけど、同時に貴方の友達でもありたかったから。」





確かに郭くんの言うとおりだった。
私がけしかけることで、誤解が解けて彼女とよりを戻してしまったかもしれない。
もしくは友達になって、私以上に仲の良い存在となったかもしれない。昔は仲が良かったのだから、可能性はいくらだってある。
彼女の想いを無視をしていれば、私自身だって告白のきっかけもなく、私たちは今も友達のままでいたかもしれない。





「郭くんといるのは楽だったけど、きっと、それだけじゃなかったんだよね。
嘘をつきたくなかった。おせっかいだってわかってても、言うべきだと思った。」

「・・・。」

「いつまでも好意を向ける誰かを疑ってほしくなかったし、わざと冷たい言葉を並べて追い返すこともしてほしくなかった。」

「それは、自分が同じ立場になるって思ってたから?」

「その可能性も否定はしないよ。だけど、郭くんを好きになっていなかったとしても、同じことを言ってたと思う。」





その行動が恋愛感情とつながりがないなんて言わない。何も打算がなかったとも思わない。



だけど、私は彼の友達だった。友達でありたかった。後ろめたい気持ちで、彼の隣にいたくなかった。





「結果、私の気持ちが抑えきれなくなって、友達ですら無くなっちゃったけどね。」





自嘲気味に苦笑いを浮かべる。
郭くんを前にしたら、自分はどんな表情になってしまうかと不安だったけれど、どんな形であれ意外と笑えるものだ。





「もっとタイミングを考えるとか、要領よく立ち回るとか、そういうことに頭がまわればよかったけど、私には無理だったみたい。」





郭くんが私を拒絶しないでくれたから。どんな理由があったとしても、いつもどおりに話しかけてくれたから。
思っていたよりも私は冷静で、笑顔さえ浮かべられる。思い描いていた、綺麗な終わりに近づけていた気がした。





「・・・本当だよね。俺、怒鳴られながら告白されたのって初めて。」

「う・・・」

「よかれと思って映画に誘ったのに、なんでか説教されて、人の過去にまで踏み込んでくるし。」

「だ、だからそれはっ・・・」

「気兼ねのない友達が出来たと思ったら、告白されるし。」

「もう、それはわかってるてば!わざわざ掘り返さなくていいよ!」

「次の日から時間をわざわざずらして会わないようにするし、本だって返さないし、顔を合わせたら叫んで逃げ出すし。」





やっぱり彼は私を責めるために引き止めたのだろうか。
あまりに本当のことばかりで、反論の言葉も見つからなくなってきた。








「勝手に自己完結して、友達ですら無いとか言うし。」








その言葉に顔を俯けるのをやめ、ゆっくりと彼の方へ視線を戻した。
郭くんはまっすぐに私を見ていた。きっと私が彼を見ずに目を背けている間も、ずっと。

何が言いたいのかわからなかった。ただ、私は責められているのだと。
自分勝手に行動して、彼を失望させ、これが最後なのだと。



けれど、彼の表情は、あの日のものとは違っていた。





「・・・郭、くん?」

「俺は、無くしたくない。」





思考は働かず、彼の言葉を頭の中で繰り返すけれど、ただ混乱するだけだった。
私は彼に告白して、恋愛どころか友達関係すらなくしてしまった。もう元に戻ることは出来ない。

そう、思っていた。





「何言ってるんだって顔しないでくれる?」

「・・・え・・・だって・・・なに・・・」

「あれだけ責めて、冷たく突き放して、何を今更って言いたいんだろうけど。」

「・・・。」

「・・・自分でも、よくわからない。」





こんな風に戸惑った表情を浮かべた彼を見たことがなかった。
はっきりした答えも無く、言葉に詰まって、答えを探すように目を伏せた。





「気持ちに応えることは出来ない。
でも・・・このまま縁を無くしたくないと思うし、今までみたいに気楽に話がしたい。」





何を考えているか、わからなかった。
今までの彼は言葉を濁して、からかうように笑って、本心を見せてくれなかった。





「関係を繋ぎ止めたいなら、上辺だけの関係で付き合うことも出来るんだろうって思った。でも、とはそうなりたくない。」





そんな彼が今、迷いながらゆっくりと、気持ちを伝えてくれている。





「今までの関係のままでいたいなんて、無理なのかもしれない。勝手だってわかってる。でも、俺は、」





正直に。まっすぐに。











「俺はまだ、と友達でいたい。」
















想いが叶ったわけじゃない。それどころか友達宣言だ。
郭くんだって言っているじゃないか。無理だろうって、勝手だって。
落ち込みはしても、喜ぶべきところじゃない。
頭ではわかっていた。それなのに、理屈とは正反対に、じわじわと広がっていく温かな感覚。

私は嬉しかったんだ。
迷いながら、悩みながら、本心を話してくれたことが。
私が大切に思っていた関係を、郭くんも望んでいてくれたことが。

過ごした時間を大切に思っていてくれた。
想いの形は違っていても、一緒にいたいと思ってくれた。











「・・・この間行った映画、新刊出たの知ってる?」

「え?」

「私、明日買いに行くんだ。読み終わったら貸すけど、読む?」

「いきなり何・・・」

「一番に貸してあげるよ。」





私が彼を好きなことに変わりはないのに、彼から気持ちが返ってくることはない。
それなのに、これまでどおりだなんて、苦しくてつらいだけなのかもしれない。

けれど、彼に伝える言葉に、もう迷いはなかった。









「友達だから。」










大切にしたい。
友達として彼に向ける思いも、好きだと思う気持ちも。

不安も切なさも消えたわけじゃない。
胸にこみ上げてきた感情に思わず泣き出しそうになりながら、それでも私の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
驚いたように私を見つめていた郭くんも、次第に表情が緩み、久しぶりに二人で笑い合った。







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