俺の前から去っていく彼女に、声をかけることも引き止めることもせず、その背中を見送った。 ああ、また同じだ。以前にも味わったことのある感覚。 驚くほどに気を許せるようになっても、あっさりとした別れに関係の脆さを実感する。 "友達"であることに、絶対の信頼を寄せていた。 妙な疑いを持つこともなく、警戒する必要もない。気楽で居心地の良い場所だった。 だからこそ、変わりたくなかった。 変わってほしくなかった。 友達協定 『電車が参ります。白線の内側まで下がってお待ちください・・・』 いつも通りに流れるアナウンス。朝は早く、駅には人もまばらだ。 制服を着た学生に、スーツを着た会社員。私服の人もいつも同じ時間の電車なあたり、何か仕事をしているのだろう。 会話らしい会話をかわしたことはないけれど、いつも同じ時間に同じ場所にいるのだから、顔を覚えもする。 電車に乗り込み、いつもどおりの席に座る。 特にこだわりがあるというわけではないけれど、毎回同じ場所を選んでしまうのは、癖にでもなってしまっているからか。 人のまばらな車内で、少しだけ隙間を空けて、俺の隣に腰掛ける彼女の姿。そんな光景が頭をよぎった。 そんな風に思い返すことも、今感じているちょっとした違和感も、そのうち無くなっていくんだろう。 本を読む気にはなれず、ゆっくりと車内を見渡した。 そういえば、を初めて認識したのはいつだったかと、ぼんやりと考えた。 確か、いつも駅にいる人たちの中に、見慣れない女の子がいたことに気づいたときだ。 キョロキョロと周りを見ながら、おそるおそる車内を覗いて、なぜか嬉しそうな表情を浮かべていた。 同じ電車に乗っているだけの、話したこともない他人。お互い、それだけの認識だった。 「感じワリー!なんですかあ?俺らうるさかったですかー?」 「だよねー、こそこそしてないではっきり言えっての!!」 あの日も別に他意があったわけじゃない。 あまりにも目に余ったから、思わず声をかけてしまっただけ。 だから、まさかあんな言葉をかけられるとは思っていなくて。 「私と・・・友達になってくれませんか?」 またか、とそう思った。 毎朝電車が同じだったのだから、彼女の存在は認識していた。 でも、今まで話したことすらない俺に、どうしてそんなことが言えるんだろう。 たどたどしい言葉に、緊張して真っ赤になっている表情。彼女からの好意は一目瞭然だった。 友達とは言っているけれど、本当に望んでいるのはそれ以上の関係なのだと気づく。 いつも同じ電車に乗り、静かに本を読む大人しそうな印象。 時々帰りの電車でお年寄りに席を譲っている姿も見かけたことがあった。 そして、先ほどのことを考えると、困ってる人をほっておけないようなお人よしなんだろう。 彼女の望むものが、本当に友情だけならば、それ以外が無ければいいのに。 妙な駆け引きも期待もわずらわしさも無い、そんな関係がいい。 純粋な友達になら、なってみたいとさえ思えるのに。 そこまで考えて出した答えは、今思い返しても性格の悪いものだった。 「いいよ。」 そうだ。彼女は付き合ってほしい、なんて言っていない。 あくまで"友達"。 「ただし、ただの友達。それ以外には絶対にならない。」 考えなしで、こちらの都合も考えずに繰り返される告白の場面に、うんざりしていたからかもしれない。 彼女がどんな気持ちだったのかは知らない。ただの八つ当たりだ。 でも、そんな俺の性格も知らずに、友達になりたいと言ったのは彼女だ。 好意を持っているのに、友達でしかない。それ以外は無い。 そんな選択肢を突きつけられて、受け入れるはずがない。 「いいよ?それ以外の意味なんて無かったし!」 そう思っていたのに、からかっただけのつもりだったのに、まさかの返答だった。 明らかに怒っていたし、それがただの強がりだということもわかっていた。 けれど、そこで引くのも癪だったし、仕掛けたのは俺だ。彼女が音をあげるまで、"友達ごっこ"を続けてみようか。 それが、はじまりだった。 「・・・お、おはよう、ございます・・・。」 「べ、別に怯えてなんてないし、びっくりしただけです。」 友達になってからも、彼女はしばらく緊張が解けないようだった。 いや・・・挙動不審とでも言った方が正しいだろうか。 「あ!はい、どうも。です。、!」 今思い出しても、思わず笑ってしまうくらいには、彼女の行動は可笑しかった。 話をしたことはなかったけれど、いくらなんでもあそこまでガチガチにならなくても良いのに。 そのくせ、本の話題をふると、そんな緊張なんて飛んでいったかのように、目を輝かせて揚々と話しだす。 一緒にいる時間が増えれば増えるたびに、電車で見ていただけの彼女のイメージは、どんどん崩れていった。 「だから、乱用しようとしたけど出来なかったんだってば!」 「・・・っ・・・そんな、堂々と主張されても・・・」 元々何かを期待していたわけではなかったから、幻滅もしなかった。 それどころか、自分の知らなかった彼女を新鮮に感じることが不思議だった。 本のことになると話は止まらないし、はまりすぎてテスト勉強すら疎かになったりするし。 少しからかうだけでムキになって怒るのに、少し時間を置けばいつもどおり。 意外とずる賢い考えは浮かぶのに、行動に移せず失敗する。そんな要領の悪さなのに、人には頼りたがらない。 そうやって自分の弱さを隠そうとするくせに、思っていることが表情に出て、結局隠すことも出来ない。 そんな彼女だったからこそ、俺も徐々に気を許し始めていったんだろう。 「友達なんでしょ?」 「だって私たち、友達でしょう?」 ことあるごとに、あてつけがましく会話に出てきた"友達"の言葉。 お互いそれが表面だけのものだと、意地の張り合いの延長なのだとわかっていながら、何度も繰り返した。 あんな始まり方。長続きするわけないと思っていた。 元々知り合いでもなんでもない。気まぐれから始まった関係。 俺の外見だけを見て持った好意なんて、こんな意地の悪い俺を見れば、すぐに無くなるって。 そうして幻滅して、俺が何もしなくたって離れていくって、そう思っていたんだ。 「その代わり、のおすすめ持ってきてよ。」 「って本当、嘘がつけないよね。」 「代わりと言ったらなんだけど、俺のことも好きに呼んでいいよ。」 それなのに、どうしてだろう。 一緒に過ごせば過ごすほどに、話をすればするほどに、もっと彼女を知りたくなった。 このままでいても特に損をすることもない。それなら飽きるまでこの関係が続いても、別にいいだろう。 そうやって、建前をつくった。自分に言い訳をした。 だって、思ってもみなかった。 こんなに気楽で、居心地の良い存在になるだなんて。 顔を合わせて挨拶をして、好きなときに好きなように話した。 会話が無くても、無理なく自然でいられた。 男とか女とか関係なく、そう思える関係が、本当に心地よかった。 そしてそれが、"友達"である前提があるからこそのものだとわかっていた。 「・・・変わったよね・・・そんな冷たいこと言う人だとは思わなかった!」 友情が別の感情に変わることで起こる弊害を知っていた。 うまくいっていた関係も、それが友情じゃなくなるだけで、変わってしまうことを知っていた。 それがすべてではないと頭ではわかっていても、脳裏に過ぎる予感を覆すことは出来なかった。 無くしたくなかった。 大切だったから、壊したくなかった。 だってそれを、わかってくれていたんだろう。 だから、安心して傍にいられた。 決して変わることのないものだと、そう信じられたから。 けれど彼女は、今までの関係よりも新しい関係を望んだ。 俺と友達で居続けることよりも、それ以上を選んだ。 俺は彼女の選択を受け入れられない。 それが、すべて。 気持ちを伝えられて断る。何度も繰り返して、その度に冷たい態度を取ってきた。 これ以上の期待をさせない意味もあったし、俺という人間の性格を知らせる意味でもあった。 相手がどう思うか考えることも麻痺するほどに、当たり前になっていた。 そしてそれをそのまま、にもぶつけた。 「私のことを信用できないならそれでもいい。でも、郭くんのことを本当に好きな人は、絶対にいるから。」 俺があんなにひどい言葉で拒絶しても、 その気持ちすら否定するような言葉を伝えても、 彼女は最後まで俺の友達だった。 「今までありがとう。郭くんと友達になれて、よかった。」 ぎこちなく、泣き出しそうなその笑顔が、脳裏から離れなかった。 TOP NEXT |