悩みに悩んで着ていく服を決め、バッグの中のチェックもした。 遅刻しないように目覚ましはふたつ。明日の準備は完璧だ。 それなのに、ドキドキしすぎて眠れないなんて、遠足前の小学生じゃあるまいし。 深呼吸して目を閉じ羊の数を数えて、何度も寝返りを打ちながら、普段なら呼んでもいないのにやってくる眠気は、なかなか訪れることはなかった。 友達協定 「郭くん!おはよ・・・っと、こんにちは?」 「お互いその挨拶が癖になってるよね。時間的にはこんにちは、かな。」 いつもと違う場所、違う時間、違う服装。 すべてが新鮮で、普段見れない彼の姿に、始まりから眩暈でも起こすかと思った。 ・・・昨日なかなか眠れなかったが故の寝不足によるものでもあるかもしれないが。 郭くんの私服姿は予想通り・・・いや予想以上に格好良くて、周りの女の子からの視線が痛い。 そんな彼が誰かを待っていた。それだけで注目を浴びていただろうに、そこにやってきた私もまた好奇の目に晒される。 女の子らしさよりも動きやすさを重視した私の服装は、実際の年齢よりも下に見られそうだ。 『あんな子が?』『ないないないない』『妹とか親戚じゃないの?』なんて、心の声が聞こえてくる。 「待たせてごめんね。郭くん何時に来てたの?」 「たいして待ってないし、そもそもまだ待ち合わせ時間前なんだから謝る必要ないよ。」 恋愛の教本に模範解答で書いてありそうな返しだ。 当然、郭くんがそれを計算でいう訳がないので、天然でこの台詞がサラッと出てきたんだろう。 ずるいというか、末恐ろしいというか・・・。 「それじゃ、行こうか。」 「うん。」 郭くんの私服姿が素敵だとか、二人きりで街中を歩いているだとか、意識する要素はいくらでもあったけれど、それよりもこの場を乗り切ることに精一杯だった。 彼と会うまでに持っていた様々な不安も緊張も、今はひとつひとつが新しいことばかりで考える余裕すらない。 ただ、変わらず見せてくれた彼の小さな笑みが、私を安心させてくれた。 「面白かったねー!」 「そうだね。」 「実写化って当たり外れが激しいけど、これは当たりでしょう!2時間の中であの世界観をよくぞこめた!って感じ!」 「そうだね。」 「特にあのラスト!よかったよね!続編が出てきても期待できそう!」 「・・・そうだね。」 「・・・あれ?」 「ん?」 「郭くんはそうでもなかった?」 「いや?が楽しそうでよかったなあって。」 「っ!!」 最初の緊張も、必死さもどこへやら。私はつくづく、一度に複数のことを考えられないらしい。 それまで郭くんがチケットを買ってくれたとか、映画館で隣に座ってるとか、ちょっとしたことに右往左往していたのに。 いざ映画が始まれば、その世界に見入り、緊張していたことなんてすっかり忘れ、興奮しながら感想を語り倒していた。 「本当、好きなことになると人が変わるよね、は。」 「べ、別にそんなことないよ?」 「ははっ、よく言う。」 「・・・郭くんだって、面白いって思わなかった?映画のオリジナルも入ってたけど、うまく組み込んだなあとか。」 「思ったよ。実写化に過度な期待はしないけど、それでも期待以上だったと思う。」 「だよね!」 「・・・そこでが誇らしげになる必要あるの?」 「郭くんに素直に認められると、やったぜ!って気にならない?」 「本人に聞かれても。」 「・・・確かに。」 「っ・・・はは、あははっ・・・」 「・・・え・・・!?」 郭くんが声をあげて笑うという珍しい光景に、可愛いとか楽しいと思うより、唖然としてしまった。 人が慌てているのを見て、呆れたりからかって笑うことは多くあったけれど・・・。 今の会話の中に面白いことなんてあっただろうか。郭くんの笑いのツボがいまいちわからない。 「か・・・郭くん?」 「あー笑った。」 「今の何がそんなに面白かったの?」 「ああ、気にしないで。」 「気にするよ!」 何に笑ったのか、結局何度聞いても教えてくれなかった。 これ以上しつこくしても、彼の機嫌を損ねるだけだと学んでいた私は、諦めて話題を映画へ戻す。 すると郭くんは、またそこに戻るのかともう一度笑い出した。・・・やっぱりわからない。 「あ、私、パンフレット買いたい。郭くんは?」 「俺はいいや。ここで待ってるよ。」 「じゃあちょっと行ってきます!」 「了解。」 思っていたよりもずっと自然に彼と一緒にいられた。話していても違和感も感じない。 あんなにドキドキしていたのに、緊張して不安だらけだったのに。 今だってそれらすべてが無くなったわけじゃないけれど。 楽しい。 余計な感情も思惑も無く、そう思えることが嬉しかった。 郭くんを必要以上に待たせてはいけないと急いだはいいものの、予想以上の行列に手間取って時間がかかってしまった。 先ほどいた場所に戻ると、郭くんが見知らぬ女の子に声をかけられている。これはもしかしなくとも・・・ 「(ナンパだ・・・!)」 自分には一度も経験が無いけれど、郭くんにとっては日常茶飯事なんだろう。 女の子と目線を合わせることもなく、迷惑そうに顔をしかめていた。 ・・・どうしよう。私があの場に行って良いものなんだろうか。 私が出て行っても、余計にややこしいことになるんじゃないだろうか。 ここは手馴れているだろう郭くんに任せて、女の子が去っていくのを待つのが最善なはず。 「!」 と、思っていたのに。まさかの郭くんから声がかかった。 ここで私を呼んでどうするというのだろう。気まずい空気しか流れそうにないのだけれど。 しかし、声をかけられては無視をするわけにもいかない。 私はおずおずと彼らの方へ歩を進める。 「ご、ごめんね。待たせちゃって。」 「まったくだよ。おかげでさっきから嘘つき扱いされて困ってたんだから。」 「・・・嘘でしょ?本当に?」 この状況で彼女と勘違いされるのは仕方ないと思ったけれど。そんなに衝撃を受けるほどのことなのか。 まあ相手は郭くんだし、釣り合っていないことも重々承知とはいえ、やっぱりちょっとショックだ。 「彼女は当分つくる気ないって言ってたのに・・・!」 「言ってたとして、それが何か関係あるの?」 「私とはまともに話すらしてくれないのに、何でこの子ならいいの?私と何が違うの!?」 「そうやってヒステリー起こすところとか、俺の事情を無視して勝手に暴走するところ。 そういえば、俺がここにいるって何でわかったの?一人で映画館に来るタイプでもないよね?」 「!」 何かがおかしい。 見知らぬ女の子にナンパをされているのかと思っていたけれど、二人の会話はお互いを知っているみたいだ。 私のことなどお構いなしに、郭くんに食って掛かっている女の子の顔を見ると、私はその子に見覚えがあることに気づいた。 「・・・変わったよね・・・そんな冷たいこと言う人だとは思わなかった!」 郭くんと友達になる前に見た、彼と言い合い・・・というよりも、一方的に怒って去っていった女の子。 あの時は、別れ話なのか、痴話喧嘩なのかと想像を巡らせていた。 郭くんと友達になってからも、そのときのことを少し話したことがあったけれど、具体的な事情には触れていない。 だから、郭くんと彼女の関係がどんなものだったかも、私は知らない。 「友達から連絡でもあった?そうやってまた、味方を集めてなんとかしようとするの?」 「べ、別に私は・・・!」 「とにかく。」 混乱している間に、私は腕を引かれ、郭くんに引き寄せられた。 「これ以上、付きまとわないで。」 今までにない近さで、腕の中にすっぽりとおさまる私は、彼の望む演技ひとつ出来ていなかっただろう。 「英士!」 けれど彼女は、私のことなんて見ていなかった。 つらく悲しそうに、郭くんの名前を呼んだ。彼のことしか見ていなかった。 私たちを追いかけることすら出来なかった彼女の、泣き出しそうな表情が目に焼きついた。 「ごめん、変なことに巻き込んで。」 「ううん。」 「こんなところにまで来るから、さすがにもうほっておけないと思って。」 「あの子、昔、駅で言い合ってたよね。もしかして・・・付き合ってた?」 「・・・まあね。」 「関係が変わったら、うまくいかなくなったって言ってた子?昔は仲良かったの?」 「・・・はあ、巻き込んだし仕方ないか。 昔はよく話してたし仲も良かったと思う。告白されて付き合って、それまでどおりうまくいくかと思ってたけど・・・ やっぱり関係が変わるといろいろ面倒なことが増えるってわかったよ。」 「・・・そう・・・。」 少し前に思ったことがある。 もし私たちの間に友達という前提が無かったら、私は郭くんに期待を持っただろう。 私が郭くんを好きなように、彼も同じ気持ちを持ってくれているんじゃないかって。 だって、私の前ではあんなに楽しそうで、わかりにくい優しさを見せながら、笑って話を聞いてくれる。 だから、気持ちを伝えた直後、そんな気はないと冷たくされてしまえば、裏切られたと感じてしまうかもしれないと。 「中学のときが特にひどかったし、まだ子供な分うまい対処法も思いつかなくて、ストレスも大きかった。 だから、ああいう小細工なんてされたら、余計に信用なんてできない。」 郭くんと彼女の間に何があったのかなんて知らない。 もしかしたら、郭くんが女の子を避けるようになった原因の一端なのかもしれない。 だから、友達である私を使ってまで、彼女を拒絶したんだろう。 「俺のことをそういう対象に見てるっていうだけで、まともに付き合えなくなることも多かったから、身構えるのは確かかな。」 好かれすぎるせいで、郭くんは大変な思いをして、無意識に女の子を避けるようになってしまった。 向けられる好意に過敏になって、疑うことから始めるようになってしまった。過剰な好意と行動が、彼を傷つけた。 対極的な私は、全部をわかってあげられることは出来なくても、彼に同情したし、同じ想いをさせたくないと思った。 だから郭くんの味方でいたかったし、今でもそのつもりだ。 でも、どうしてかな。 私は、 「私とはまともに話すらしてくれないのに、何でこの子ならいいの?私と何が違うの!?」 強い言葉の中に隠そうとしていた泣き出しそうな声も、郭くんを見送る悲しそうな表情も、頭から離れない。 話したことすらない彼女の気持ちも、自分勝手に聞こえる言葉や行動も、すべてを否定することが出来ない。 「郭くん。」 「ん?」 「あの子とさ、ちゃんと話した?」 「どういうこと?」 「別れた理由とか、どうして冷たくするのか、とか。」 「何を今更。さっき話してたこと、だって聞いてたでしょ。」 「彼女の言い分は?」 「必要ある?話の通じない相手から聞くことなんて何もないと思うけど。」 何も知らないのに、彼女と私が重なってみえた。 好きだから、このままでいたくて、私は気持ちを隠した。 好きだから、元に戻りたくて、彼女は行動に表した。 どうしようもない想いのぶつけ方が、わからなかった。 「何も知らないのにごめん。でも、なんか・・・ちょっと気になって・・・」 郭くんは明らかにイラついていた。 当然だ。何も知らない、わかっていない私に、彼の深い部分で口を出されているのだから。 でも、私は止まらなかった。口に出さずにはいられなかった。 「あの子、前に見たときも、今日も、すごく悲しそうだった。 本当に自分のことしか考えてないのかな。慎重な郭くんが仲良くなって、付き合ってもいいとまで思えた相手なんでしょう?」 「・・・。」 「よりを戻してとか、優しくしてあげてなんて言わないよ。でも、一度、話を聞くくらいはしてもいいんじゃないかな。」 自分がどうして、こんなことを言っているのかわからなかった。 彼女と自分を少しでも重ねてしまったから?いい人を演じたいから? 郭くんがまた恋愛をしたいと思えるようになってほしいから? どれも当てはまっていたように思う。 「こういうことがあるたび、嘘をついて、誰かを傷つけるの?」 「何それ?どうして俺が・・・」 「彼女を遠ざけるための冷たい言葉を伝える郭くんだって、何も感じないわけじゃないでしょう?」 彼の言葉に、行動に、これほどまでに口を出したことはない。 信用の出来る友達だと、居心地の良い場所だと思いながら、だからこそ私はそれを失いたくなくて、少なからず彼に気を遣っていたのかもしれない。 「・・・どうしたの?今日は随分突っ込んで聞いてくるね。」 「・・・ごめん。」 「助言くらいは聞くよ。この後の俺がどう行動するかはともかくね。だから、謝らなくていい。」 「ごめん。」 「だから謝らなくていいって・・・」 無神経にも思える私の言葉にも耳を傾けてくれる。 友達だから。私を信用してくれているから。 伝えなければ隠し通せる。 口にしなければ、このままでいられる。 あんなに、壊したくないと思っていたのに。 「・・・?」 「ごめんね。友達としての言葉じゃない。」 私を彼女だと見せかけたとき、体を引き寄せられたとき、驚いて頭が真っ白になった。 でも、我に返って、嬉しさや恥ずかしさよりも強く、悲しさと空しさが押し寄せた。 彼女なんかじゃない。友達の私が、そんな存在になることなんてないのに。 だからこそ彼は、迷いなく嘘をつき、私を抱き寄せた。 時期を待つ?気持ちを隠し通す?今のままでいられる? 友達として信用を得ているのに、だから彼は私を傍に置くのに、そんな考えで一体何が変わるというんだろうか。 このまま自分の気持ちを知らせずに、この恋を終わらせたくなかった。 「郭くんが好き。」 彼との約束を無視した、自分勝手な考え。 返ってくる言葉も、結末もわかっているのに。 それでも、伝えずにはいられなかった。 TOP NEXT |