知らなかった感情に不安になる。 だけど、考えない。考える必要なんてない。 だって私は、彼が求めているものを知っている。 友達協定 「・・・それってさ、怒られても仕方ないと思うよ?」 「そうだよね。俺も同感。」 郭くんの友達が、女の子ともめているらしい。 相談を受けたんだけどと切り出し、うんざりとした様子で、その内容を語る。 他人から見れば他愛のないことだけれど、要は郭くんの友達にデリカシーがあるか、ないかという話。 私の答えを聞くと、郭くんは同意を示すように頷いた後、大きくため息をついた。 「ところでなんでそんな嫌そうな顔で話してるの?」 「だって、女子とのもめごととか俺には関係ないし。それに相談してきたから答えたのに、男の意見は参考にならないって言われてさ。 でも結局女子に聞いたって同じ意見じゃないかと思って。」 「あははっ、郭くんがムキになるのって珍しいね。普段だったら、勝手にやってろって言って放置じゃないの?」 「そうなんだけど。あそこまで言われたら、女子に聞いて確認くらいしてやろうかなと。」 「でも、私が女の子視点の意見かって言われると自信ないなあ。他の子にも聞いてみたら?」 「別にそんなに広げる話でもないし、そもそも俺、女子の友達って一人だけだし。」 さりげない一言に、思わず固まってしまった。 郭くんは女子に対して警戒心を持っているのだから、考えられなくもなかったけれど、『自分だけ』という響きに少し頬がゆるむ。 けれど、そんな彼に対し、調子に乗って大人ぶったことを言ってしまう自分の素直じゃない性格が憎い。 「郭くん、もう少し女の子を信じてもいいんじゃない? 好きになったり、付き合ったから性格が変わるとか、妙なことするとか、そんな子ばっかりじゃないと思うよ?」 「だろうね。」 「それなら・・・」 「前にも言ったけど、別に避けてるわけじゃない。女性特有の視点や考えを聞いて、視野が広がることもあるだろうし。 だけど、今はそういうのを確かめる労力を使いたいと思わないだけ。」 郭くんは女の子のことで大変な思いをしてきたけれど、私に言われなくても、そんな人たちばかりじゃないと頭ではわかってるんだろう。 女子を遠ざけるのは無意識かもしれないし、うんざりしてるがために、しばらく関わらないと決めているのかもしれない。彼の考えはいまだ頑なだ。 「そうだ。、これいる?」 「あー、しおりだ。可愛い。郭くんの趣・・・」 「俺の趣味なわけないでしょ。この間買った本のおまけについてきたから・・・って、なに、どうしたの?」 あまりにも自然すぎて、一瞬流してしまったけれど、今、彼からは聞きなれない呼び名が聞こえた気がする。 いや、ちょっと待って。幻聴だったかもしれない。それくらい仲良くなれたらいいなっていう私の願望がそう聞こえさせたのかも。 「?」 ・・・全然幻聴じゃなかった。郭くんはもう一度、はっきりと私の名前を呼んだ。 ええっと、何?なんで?なんで急に名前を呼び捨てにされてるの? 郭くんは仲良くなると、自然と友達を下の名前で呼ぶ癖でもあるんだろうか。 「な、ななな、なんでもない!もらえるなら欲しいな!」 「・・・。」 「・・・郭くん?」 「ああ、そうか。名前。」 仲良くなれば、自然と呼び名が変わっていくなんて、よくあることなのに。 必要以上に動揺してしまって、結局気づかれた。こんなに反応していたら、呼んだ方だって恥ずかしくなってしまう。 驚いたのは良いとしても、それを隠して名前で呼び返すくらいの余裕を、なぜ私はもてないのか。 「ごめん、つい。嫌なら戻すけど。」 「ぜ、ぜんぜん!嫌じゃないよ!ちょっとびっくりしただけ。」 「周りにつられたんだよね。」 「周り?郭くんの周りに私のこと知ってる人って・・・」 「あー・・・知ってるっていうか、うちの両親と、友達。」 「?」 「本を借りてる手前、両親にの名前は教えてるんだけど、そのときから両親はのことを『ちゃん』って呼んでる。」 「そ、そうなんだ。」 「それからたまにが作ったお菓子を分けてる友達がいるって言ったでしょ。 俺の親経由で名前を知ってから、なぜか『』って呼び捨てにしてる。会ったこともないのに失礼な話だけどね。」 「・・・。」 「だから俺もつられたんだけど、嫌ならやめるし、やめさせるけど。」 「・・・ううん。そういうのって、なんか、ちょっと、嬉しい。」 郭くんのご両親も、友達も、郭くんが信頼してる人たちなんだと、彼の話から伝わっている。 会ったことはないけれど、名前の呼び方だけでも他人行儀で無くなるのは、素直に嬉しい。 「嬉しい?俺だったら、何も知らない他人から、いきなり呼び捨てにされたら嫌だけどね。」 「何も知らない他人じゃないでしょう。」 「え?」 「郭くんのご両親と友達。それだけわかってれば充分。」 「・・・そう。」 なんて、格好つけたことを言ってみる。 けれど、実際会ったら絶対緊張して、他人行儀どころの話じゃなくなってしまいそうだ。 「代わりと言ったらなんだけど、俺のことも好きに呼んでいいよ。」 「ええっと・・・改めて言われると、なんか照れるなあ。」 今まで名字で呼んでいただけに、それを突然変えるなんて、私にとってはだいぶ難しい。 相手が下の名前で呼んでくれているならば、同じようにすればいいだけのことなのに。 けれど、たかが呼び名でも、その呼び方ひとつで距離が測れるほどに重要だとも思う。 特に私は、男子と名前で呼び合うなんて経験が無かった。 「・・・えーと、」 「うん。」 「ど、どうしようかな。私、別に今までどおりでも・・・」 「・・・もしかして、俺の下の名前、忘れてるんじゃないの?」 「そんなことないよ!」 「ふーん?」 「覚えてるってば!」 「まあいいけどね。なんでも。」 「だから、わかってるって言ってるでしょう!」 私が戸惑って迷っている間に、まさかそんな疑いを持たれるなんて思わなかった。 確かに聞いたのは一回だけだけど、忘れるはずなんてない。 疑いの目を向ける郭くんに、私は慌てて彼の名を呼んだ。 「英士!」 ドクン、と音を立てて、心臓が跳ね上がった。 たった三文字。 既に知っていた彼の名前を口にしただけなのに。 「なんだ。知らないって言ったら、どんな面白いあだ名をつけてあげようかと思ったのに。」 どうしよう。 いつもの彼の憎まれ口にすら、反応できない。 自分が今、どんな顔をしているのかわからない。 「・・・?どうかしたの?」 いやだ。 気づかれたくない。 気づきたくない。 だって、それを認めてしまったら、きっとすべてが壊れてしまう。 乗り換え駅の到着アナウンスが流れた。 私は気づかれないように小さく深呼吸をして、ようやく顔をあげる。 「・・・・・・名前、間違ってなくて、安心しちゃって。」 「・・・もしかして、本当に覚えてなかったの?」 「ち、違うよ?覚えてたんだけど、もし間違ってたら、どんな目にあわされるかと・・・。」 「・・・。」 「そんな呆れた顔しないでよ。だって1回しか聞いてないし、不安にくらいなるでしょー?」 「そういえば、記憶力悪かったっけ。」 「哀れんだ目もやめてくれる!?」 私は嘘がつけないって、表情にも行動にも現れるって、そう言ったのは郭くんだ。 だから、何も考えない。だから、何も気づかない。 自分が認めなければ、それは恋じゃないから。 そう思ってた。 そう思い込んでいれば、私たちは変わらないのだと。 隣に座って、好きなものの話をして、お互いの悩みも打ち明けられる。 これからも一緒にいられる。私たちが、友達であり続ける限り。 それが一方的なものでも、印象の悪い始まりでも、約束したんだ。 私たちは友達だと。それ以外にはならないと。 郭くんは信じてくれた。心を許してくれた。笑ってくれるようになった。 それなのに、些細な一言で心が揺さぶられて、その名前を呼ぶだけで気持ちが溢れ出す。 どんなに否定しても、認めたくなくても、抑えることが出来ない。 恋愛の定義も、友情の境界線も曖昧だけれど、それは理屈なんかじゃなく 私はもうとっくに、恋に落ちていた。 TOP NEXT |