変化は一目瞭然だった。

顔を合わせれば声をかけて、自然と隣に並び話をする。
冗談を言えばクールなツッコミを入れながら笑ってくれて、愚痴を言えば辛らつながらも励ましてくれる。

時々見たり、聞いたりする、彼の女の子への警戒心はいまだに大きくて、態度もこっちが緊張するくらいに冷たかったけれど。
私に対して同じ態度を見せることは無くなった。勘違いでなければその逆で、日に日に優しくなっていくように思えた。

女の子に対して身構えて、冷たい態度をとる郭くんが、私の前では笑ってくれる。優しくしてくれる。
それはやっぱり嬉しかったし、性格悪く優越感のようなものを抱いてしまったこともある。
でも、すぐに我に返って、そんなものに意味なんてないと気づいた。

女の子としての私は、誰よりも彼から遠い位置にいる。











友達協定












「あ、が本以外のものを見てる。」

「・・・郭くん、おはよう。ふふ、私だっていつも本読んでるわけじゃないのよ?」

「テスト?」

「・・・テスト。」





駅に早く着くと、ホームの椅子で本を読んで待っていることが多い。
そんな私が今日手にしていたのは、英語の単語帳。





「随分と笑える表情してるね。なんでそんなに絶望的な顔してるの。」

「後悔先に立たずっていうか・・・ううっ・・・」

「なるほど。昨日の夜、勉強しようとしてたんだけど、少しだけ読もうと思った本にはまっちゃって、気がついたときには夜も更けていた。
いざ勉強を始めたら、予想外に理解できてない問題が多くて途方に暮れているってところかな。」

「なんの説明もしてないのに何でわかるの!?」

の行動くらい、簡単に読めるよ。」





郭くんは私の隣に座ると、持っていた単語帳を覗き込む。
出題範囲を聞かれたので、鞄から英語の教科書を出して、軽く説明する。
郭くんは私よりも偏差値の高い学校だ。おそらく既に終えている範囲だろう。





「もっと早く言えば、ポイントくらいは教えたのに。」

「郭くんのところだってテスト時期でしょ?迷惑かけちゃいけないと思って・・・」

は変なところで気遣うよね。本に対する情熱と図々しさをバランスよく使えばいいのに。」

「・・・郭くんは勉強しなくていいの?」

「俺は前日や当日になって慌てるような、計画性のないことしないから。」

「ど、どうせ私は行き当たりばったりですよ!」





ムキになる私が面白かったのか、郭くんはクスクスと笑いながら、先ほど渡した教科書をパラパラとめくる。
教科書を閉じると、顔をあげてこちらへ視線を向けた。





「困ってるのは英語だけ?」

「だけっていうか・・・厳密に言うと、一番危ないのが英語です・・・。」

「わからないところは?」

「文法の意味がいまいち理解できなくて、だからその応用も・・・でも、それはもう諦めようかと思って。」

「それで単語の暗記に逃げてるんだ?」

「そ、そんな顔しなくてもわかってるよ、単語単体の問題数も配点も少ないことくらい・・・!」

「うーん、少しくらいならなんとかなるかな。」

「・・・え?」

「電車の中で15分、その後駅に着いたら20分弱。俺のわかる範囲で良ければ教えるけど。」





少し前の私ならば、郭くんの申し出に何か裏があるんじゃないかと勘ぐっていたところだろう。
でも、今は違う。善意から、私が困っているのを見て、助けようとしてくれている。





「で、でも、郭くん、そんなことしたらラッシュの時間帯にぶつかって、満員電車に巻き込まれることになるよ?」

「だろうね。も潰されないようにね。」

「人ごみ嫌いなんでしょ?いいの?」

「そういう心配をするくらいなら、これからは計画性ってものを持ちなよ。」





どうして助けてくれるのか、なんて聞かなかった。
理由なんてわかりきっているからだ。

きっと、郭くんは元々こういう性格なんだ。
冷たくて、正直すぎてきつく見えても、世話好きで。
困っていれば、ため息をつきながら、思わず手を差し伸べる。

それは彼との距離が近づけば近づくほど、顕著になっていく。





「付け焼刃じゃどうにもならないなんて最初から諦めるなら、時間無駄にしたくないし、協力する気もないけど?」

「いえ!ぜひ!ぜひお願いします!」

「了解。」

「ありがとう郭くん。すごく助かります。」

「お礼はテストを乗り切ってから言ったら?一応、どうしたしまして。」





郭くんの態度が、徐々に柔らかくなっていくのを見て、嬉しくもあり寂しくもあった。
彼の優しさはあくまで友達へ向けられたものであり、女の子としての私はそこにはいない。
たとえ私が郭くんに特別な感情を抱いていなくても、どこか寂しくて空しい。

でも、それで良かったんじゃないかと思った。
これ以上の関係にならないことがわかっているから、郭くんは私に気を許してくれた。
前提があり、意地から始まったからこそ、私は緊張も気負いも気にせずに、彼と接することが出来た。
もし初めに好意を伝えていたら、郭くんは私を拒絶し、私たちの関係は始まることすらなかった。

郭くんと話してみたかった。郭くんがどんな人なのか知りたかった。
そして、彼と友達になれた。気兼ねなく話せるようになった。優しく笑ってくれるようになった。





「私と・・・友達になってくれませんか?」





あの時、断られたって仕方ないと思ってた。
こんな風に仲良くなれるなんて、思っても見なかった。

それで充分じゃないか。どんな理由であれ、寂しいと思うなんて贅沢だ。


























自分が甘いものが好きで、親が得意としているということもあり、休日には時々お菓子作りをしている。
ついつい作りすぎてしまうため、普段は学校の友達に配っており、お世辞でなければなかなか好評だ。
今回は作ったのは甘さ控えめレモンクッキー。学校の友達用に小分けしたものと、思い切ってもう2つ、追加してしてみた。
テスト期間をなんとか乗り切ることが出来たささやかなお礼なのだけれど、彼は受け取ってくれるだろうか。





「ねえ、郭くん。お菓子は好きですか?」

「なに突然。嫌いではないよ。」

「手作りとかどう思う?」

「ちゃんとした職人が作ってるならいいんじゃない。」

「・・・その辺の素人が趣味程度で作ったものは?」

「嫌い。」

「即答!?」

「だって何が入ってるかわからないし。」

「・・・そんな妙なものは・・・」





郭くんの言葉に一瞬、疑問を覚えたけれど、よく考えればわかることだ。
熱烈な好意をぶつけられ、トラウマレベルになっているであろう郭くんが、手作りお菓子をもらったことがないわけがない。
小説や漫画なんかでは、そのお菓子に薬が入ってたり、髪の毛が入・・・想像するだけで怖い。
問題なのは郭くんに限っては、それが物語ではなく、近いことを経験しているかもしれないということ。
手作りお菓子なんて、苦い思い出ばかりだったのかもしれない。





「・・・そっか。」

「・・・。」

「・・・。」

「・・・で?」

「え?」

「なんでそんなこと聞いたの?」

「え、や、うん。ちょっとした興味?気にしないで。」





事情を説明してもよかったし、話せばもらってくれただろうけれど、嫌な思い出を掘り返すのも悪いし、
余った分は学校の誰かか・・・自分で食べよう。





は作ったお菓子に何か妙なもの入れる人?」

「いきなり何を言うかな・・・!入れません!」

「その辺の素人でも、友達がくれたものなら食べるけど?」

「!」

「だからは顔に出るんだってば。その紙袋の中身も隠せてないし。」





全部見透かされていたみたいで、思わず顔が赤くなった。
でも、私の気持ちを汲み取ってくれたことが嬉しかった。
私は紙袋から小分けにした小さな袋と、もうひとつ、中くらいの袋を取り出した。





「・・・なんで2つ?しかも大きさも違うし。」

「郭くんと、えっと、郭くんのご家族に。」

「え?なんで?作りすぎたの?」

「だって私が借りる本って、郭くん自身のものと、ご両親のものもあるんでしょう?
いつもお世話になってますっていう感謝の気持ちをこめて。」

「っ・・・はは、なるほど。お気遣いありがとう。」





そう言うと郭くんは、クッキーが割れないように、そっと鞄の中にしまった。
ただでさえ朝だし、荷物が多いのに邪魔にならないかなとか、クッキーなんて割れやすいものにしなければよかったかもとか、
そもそも甘いものが嫌いだったらどうしようとか、作った後にいろいろ考えていたけれど、迷惑そうな様子もないし渡せてよかった。





「そういえばうちの母親がさ。」

「うん。」

と話してみたいって言ってたよ。」

「へ?なんで?」

「茜空と碧空シリーズについて語りたいって。」

「!」

「あれってあまり有名じゃないから、話が出来る人も少なそうだしね。
俺はそれほど話さないし、同じくらい盛り上がってる子と話してみたいんじゃない?」

「私もぜひ話してみたいなあ・・・!」

「周りの誰もわからない、マニアックな会話になりそうだよね。」

「いいじゃないマニアック。どんと来いですよ。」





郭くんの家は、家族みんながある程度本を読むのだと聞いた。
私の読みたい本を言えば、郭くんの家にあるなんてことも多い。
趣味も似通っているのだろうか。緊張はするだろうけど、機会があるなら話してみたい。





「でも、うちには来ない方がいいと思うよ。」

「どうして?」

「来た瞬間、彼女扱いされるだろうから。」

「・・・え?」

「俺が女子と仲良いなんて滅多に聞かないから、実はそうなんでしょってしつこいんだよ。」

「そ、そうなんだ。」

「俺たちは友達でしかないって言ってるのに、人の話を聞かないんだ。」





一瞬、胸がチクリと痛んだ。
何もおかしなことなんてない。初めからわかっていて、納得している事実なのに。





「うちのお母さんも、そろそろ彼氏出来ないのって聞いてくるよ。お母さんって、そういうことに口出ししたくなるものなのかも。」

「妙な勘ぐりはやめて、ほっておいてほしい。」

「何を言っても、からかわれそうだね。」

「いいけどね。周りから何を言われたって何が変わるわけでもないし。」





どんなに仲良くなっても、距離が近づいても、私たちの関係は変わらない。

わかっていて、すべて受け入れて、だからこそ毎日が楽しい。
それ以上を望む必要なんてないし、贅沢なことだ。

それなのに、彼の言葉が頭の中で繰り返されて、もやもやとする気持ちはしばらく晴れなかった。








TOP NEXT