私が初めて跡部景吾という人間を認識したのは、中学の入学式だった。
いや、正確に言うと認識せざるをえない状況だったというか。
なぜなら彼は入学式にて代表挨拶をし、常人とは違うその存在感を見せ付けた。
私のような一般人が唖然としている間に、1年にして生徒会長、果てはテニス部の部長という座まで手に入れた。
さらには特待生としてこの学校に入った私が、テストに勝てない唯一の相手でもある。
彼はもはやいろんな意味で伝説であり、否が応にもその圧倒的存在感を認識せざるをえない。

しかし、そんな彼と同じクラスになったことはないし接点は何もない。
大勢の生徒がいる氷帝学園で、おそらくこれからも話すことのない相手なのだろうと思っていた。





「よう、。来てやったぞ。ありがたく思え。」

「・・・何しに来たの?跡部くん。」

「あーん?用がなくちゃ来たらいけねえのか?」

「別にそういうわけじゃないけど・・・」

「そんなに用事が必要ならつくってやろうか?俺の仕事を手伝え。」

「いやです。」

「そこは『光栄です。ぜひお手伝いさせていただきます』だろうが。」

「なんの義理があってそんなこと・・・」





それなのに最近の私は、彼と話す機会が確実に増えつつある。





「お前の意見を通してやったのは誰だ?」

「それは跡部くんも正当な理由だと思ったからでしょう?」





今まで話したことなんてなかったし、同じ学年といえど立場はまったく違う。
きっと私には想像もつかないくらいのお金と権力と名声を持った彼と、
一般家庭に生まれ、氷帝学園の学費を奨学金制度でまかなう私。
彼がこんな風に私と話すようになった理由がいまひとつわからない。


















理由はわからないけれど、私が跡部くんと初めて話した日がきっかけであることは確かだろう。
同じクラスの友達に泣きつかれ、跡部くんに部の予算について意見しにいった日だ。

氷帝学園はお金持ちが集まる学校と言っても過言ではない。
大体この無駄に煌びやかな内装とか、別にいらないと思うんだよね。
こういうところにも、学校運営の予算が使われているのかと思うと思わずため息が出てしまう。
なんて個人的意見はおいといて、つまりそんな学校だから、予算に文句を言う人は少ない。
なぜなら必要な備品は自分で購入できてしまうからだ。





「それが今期の予算予定表。俺、ちょっと泣きたくなってきた。」

「あー・・・前から立場弱かったもんね。、今回は戦うんだ?」

「今回のことはさすがに、俺たちの研究にとって死活問題だ!」





しかし彼・・・は私と同じ特待生。自分で予算をカバーできるお金などないのだ。
彼は成績での特待生ではなく、科学技術研究会という同好会の名の通り科学技術の分野において秀でていた。
口下手で研究にのめりこむと周りが見えないところもあるけれど、1年から同じクラスだったこともあり、
この学校における苦労をわかちあってきた仲だ。

彼がどんなに優秀でいろんな開発をしようが、賞をとろうが、今回の予算にはひとつも響いていないようだった。
しかし彼らの部は新しい研究を進めたい。それには費用がいる。学校からの補助金ではまかなえない。
それで部の予算をあてにしていたらしいけれど・・・思った以上に少なかった。
予算委員会に抗議に行こうとしたはいいけれど、口下手な自分では言いくるめられて終わってしまう。
だから言い負かされなさそうな私に泣きついてきたというわけらしい。





「頼む、!」

「・・・先に意見を言うのはだよ?
それに私は科学技術研究会じゃないから、完全な味方にもなれない。それでいいなら。」

「ああ、それでいいよ。ありがとう。」





私は事情を聞いて、友達のよしみもあり、意見を言うだけならばとそれを引き受けた。
の気持ちも性格もわかっていたし、確かにこの予算案は部によって差がありすぎるとも思ったからだ。
抗議する相手が会長なのは避けたいという彼を、半ば無理やり引っ張って連れていった。
この学校で一番影響力があるのは生徒会長の跡部くんだ。
それに跡部くんならばもしかしたら・・・私たちの意見も聞き入れてくれるかもしれない。





「会長・・・!この予算は納得できません!考え直していただけませんか?」

「それはできない。もう決められたことだ。」

「けれどこんな予算じゃ俺たち・・・」

「決められた予算内で最大限の成果を出すことも必要だろう。」





まずは当の本人が会長・・・跡部くんに抗議をする。
しかしあっけなく正論を返されて終わってしまった。
こんな簡単に・・・と普通は思うかもしれないけれど、相手が跡部くんではそうも言えない。
彼の存在感や威圧感は同じ中学生とは到底思えないほどのものだからだ。





「会長。」





の縋るような視線から目をそらしつつ、私は初めて跡部くんに話しかけた。
役職で呼んでしまったのは、緊張とやっぱり彼の存在感が、気安く名前さえも呼べる気にならなかったから。
しかし私も自分の意見は言うと約束したのだ。それに彼だって同じ中学生、いつまでも怖がっていられない。
腐れ縁だとしても、ずっと一緒にいた友達のためだ。気合を入れろ、私。





「この予算案、私も見せてもらいました。
同じ人数なのに、明らかに予算がかたよってる部活があるのはなぜですか?」

「E組のだな。お前も同じ部活なのか?」

「私はどの部活にも所属していません。彼の友人としてここにいます。」

「それなら関係のないことだな。」

「いいえ、私もこの学校の一員です。予算がどう使われているのか知り、意見する権利はあるでしょう?」





跡部くんの眉がピクリと動いた。
正直怖い。どうしてこの人、こんなに目力があるんだろう。
ただでさえ綺麗すぎる顔で凄みが増すのに、それがさらに拍車をかけている。
しかし目をそらしたら負けだ。そんな気がする。





「チッ・・・部活の内容によっても違うだろう。あとはそうだな、過去と現在の実績は重視している。」

「彼が所属しているのは、科学技術研究会。
去年の予算で作ったカラクリロボットが賞を受賞しています。少なからず氷帝学園の評価をあげたのでは?」

「・・・。」

「それから映画研究会も去年自主制作した映画が評価されているし、
天文部も研究大会で入賞しています。なのに去年よりも予算が下がってる。
その理由と詳細を教えてくれませんか?」

「おい、ちょっと待て。お前はそいつの友人じゃなかったか?
なぜそこで違う部が出てくる。それとも俺に意見できない奴らに頼まれたか?」

「確かに彼は私の友人ですが、別に彼だけを応援しにきたわけではないので。
ただこの予算案のデータを見て、思ったことを会長に伝えてくれと言われただけです。」

「・・・わからない奴だな。お前には何のメリットもないだろう。」

「ないですけど・・・その結果が友達の助けになったら嬉しいですね。
もしくは部活の備品も買えない苦学生たちにも。」

「一般庶民代表か?」

「そんなところです。」





先にある程度調べておいたデータを跡部くんに告げる。
交渉に必要なのは、説得力のある話し方と結論に持っていき頷かせるためのデータだ。
説得力のある話し方に自信はないけれど、このデータは多少なりとも武器になるはず。
正直なところ、の応援には違いなかったのだけれど、そんなことを言えば贔屓してくれと言っているようなものだ。
ひとつの部のために会議をやり直せなんて難しいだろうし、私もさすがにそれは通らないと思う。

それに、嘘も言ってなかった。
他にも一般家庭から無理して通っている子もいるし、同じく特待生の立場の子もいる。
いくら氷帝学園とはいえ、皆が皆、お金に不自由していないわけじゃないのだ。





「・・・いいだろう。」

「会長!考え直してもらえますか?!」

「検討はする。だが、条件がある。」

「条件?」

「予算に不満があるだろう部活・同好会の去年の実績をすべて調べあげて報告しろ。
お前があげた部活だけが賞をとったとは限らない。もっと評価の高い部活もあるかもしれない。」

「!」

「そ、そんな・・・この学校にどれだけの部活があると・・・」





跡部くんが不敵な笑みを浮かべて、とんでもない条件を突き出す。
それを聞いて私はかたまり、唖然としてしまった。表情にはもちろん出さなかったけれど。
無茶な条件を出して、私たちを諦めさせようっていう魂胆だろうか。





「それができないのならこの話は終わりだ。ひとつの部だけを特別扱いするわけにはいかない。」

「・・・わかりました。」

「おい・・・!」

「猶予は3日だ。できるんだな?庶民代表。」






しかし、言ってることは正論だ。条件はだいぶ、いや、かなり無茶だけど。
正直できるかどうか不安だった。はとんでもなく慌ててるし。
だけど、逆に考えれば私たちがそれを達成したなら、もう一度予算について考えざるをえないということだ。
今までの跡部くんを見ている限り、彼は約束を反故にするようには見えない・・・と、思う。





「意見したからには責任も持たないと。そうですよね?」

「は、よくわかってるじゃねえか。」





相手はあの跡部景吾。無理だと思っても余裕の顔をしていなければ、弱みに付け込まれてしまう。
とにかく彼の視線は真っ向から受け止めた。強がっているのが見透かされないかと不安になりながら。

















それから3日後。
私たちは他のたくさんの友達の協力も得て、なんとかデータを集めることができた。
この3日間はほとんど徹夜だ。とにかくはやく家のベッドで眠りたい。
髪はぼさぼさだし、目の下には隈が出来てるし散々だ。
しかし私にはまだこのデータの報告という難関が残っているのだ。
私以上にぼろぼろになり力尽きたのためにも、最後までやり遂げなければ。





「一人か?」

「一人です。協力者は力尽きて保健室で寝てます。」

「お前は寝なくていいのか?」

「寝ますよ。この報告が終わったら。」





生徒会室には当然のごとく、生徒会役員がずらりと並んでいた。
身分が下の人を見るような視線が痛い。
今はそんなこと関係ないし、慣れているから気にしないけれど。
私は集めたデータ資料を並べ、それについて簡潔に説明する。
こういうのはいかに短くわかりやすくまとめられるかが勝負だ。
というか、あまり長くしたら私の体力が持たない。





「・・・へえー。庶民部でもやれば出来るもんだなあ。」

「うわ、こんな部があったんだ?」





あーあーあー、聞こえない聞こえない。
何を言われても、ちゃんと資料の内容を評価してくれればいい。





「以上で報告を終わります。」

「わかった。後はこちらで審議する。」

「はい。よろしくお願いします。」





私は最後に跡部くんをじっと見つめた。
正直、やっぱりどうしても私たちを見下す他の役員たちは信じられない。
けれど彼ならば少しは評価してくれるのではないだろうか。
在学中ずっとこの学園の頂点に君臨する彼ならば、立場など関係なく真剣に考えてくれるんじゃないか。
そんな思いをこめて。最後には深く頭をさげた。










・・・!どうだった?」

「あれ?もう起きたの?
出来ることはやった。後はなるようになれってところかな。」

「・・・ありがとう。本当にありがとう・・・!こんなことに巻き込んで・・・」

「ごめんって言葉はいらない。私が自分で決めてやったことだから。それより・・・」

「?」

「この間作ってたロボット完成したら見せてね。ちいさくてこまごました動きが可愛かった。」

「・・・ああ!任せて!」





お互いぼろぼろの姿。結果がどうなるかはわからなかった。
むしろあのデータでは通らなかった、と言われて終わる可能性の方が高いだろう。
けれど自分たちに出来ることはやった。今はお互いの健闘をたたえて笑う。
























「おい、。」





散らかした資料をかたづけていたら、いつの間にか時間が経っていた。
ようやくそれを終えて教室で帰る準備をしていると、後ろから私の名を呼ぶ声。





「予算見直しの会議、することになった。」

「本当ですか?ありがとうございます。」





わざわざ伝えにきてくれたのだろうか。案外いい人だ。
私は素直にお礼を告げる。






「ただし、どう転ぶかはまだわからねえぞ。面倒くさがる奴も多いしな。」

「でも、一番重要な人に言いたいことは伝わっているし。」

「あ?俺にってことか?」

「だって会長は立場や権力でものを決めたりしないでしょう?」





疲れていたからか、一歩前進したことによる喜びか。
頭の中にあった考え・・・というよりも希望をそのまま口にしていた。
跡部くんと話したこともなかったくせに、いきなり何を言うんだと思われていそうだ。





「お前が俺の何を知っている?」

「知りません。だからちょっとした賭けでした。」

「あ?」

「私は外からしか会長を見たことがなかった。
テニス部部長で、生徒会長で、多くの人を惹きつける力を持ってて。
どこにいても会長の話は聞くし、評判が良いを通り越して心酔してる人もいるし。」

「そんなもの当たり前のことだろう。何が言いたい?」

「それだけ人の心を惹きつける人が、根拠も理由もなく
話を聞かないなんてことはないと思いました。」





言葉にしたことは、計算でもなんでもなく、本当の気持ち。
この学校に入って跡部くんを見たとき、本当にとんでもなく驚いた。
テニス部の応援コールを聞いたときも、これが中学生の応援なんだ・・・!
とか間違えた知識まで持ってしまったよ。危ないところだった。
けれど、そんな彼が人を惹きつけ、信頼されているのも見てきた。
勉強も運動も、すべてにおいて一番だということも。
テニス部部長で生徒会長で、すごく大変だろうにそんなことを微塵も見せない。

そして今回は私たちの言葉をちゃんと聞き入れてくれた。
努力にたいする結果をくれた。

想像でしかなかった跡部くんは、思ったとおりの人だったみたいだ。








「・・・本当は・・・」

「?」

「本当は、友達を助けたかったんです。・・・ありがとう。」








無性に嬉しくなって、本音を零してしまった。
結果はまだわからないけれど、ずっと弱い立場にいた私たちの言葉でも伝わったことが嬉しかった。





私はこの日、遠くから見ていただけの彼に、ほんの少しだけ近づけた気がした。


































それから、予算は見直しとなり、科学技術研究会の部費もあがる結果となった。
跡部くんありがとう、という気持ちにはなったけれど、それで終わりだと思っていたのに。



なぜか最近、跡部くんが私のクラスに来ることが多い。
彼と仲のいい人っていたっけ?
・・・というか、跡部くんがこのクラスに来ること自体なかった気がするんだけど・・・。
訳のわからないまま、それでも跡部くんが話しかけてくればそれに応える。
彼が会長と呼ばれるのは嫌だとか、敬語はやめろとか言うのでやめたけれど、
そしたら今度は名字じゃなくて名前で呼べとか言ってくる。

わからない。彼は一体何が目的なんだ。





「跡部くん、忙しいんでしょう?さっき生徒会の人が探してたよ?」

「ああ忙しい。こんなに忙しい俺が会いにきてやったんだ。喜べ。」

「いや、だから・・・そういうことじゃなく・・・」

「俺のことを忙しいと気遣うつもりなら、自分から会いにこい。」

「なんで私が会いたがってるみたいになってるの?!」

「・・・ああ、そうか。その手があったか。」

「え?」





理由を聞こうとしても、会話がかみ合わない。
ただでさえ忙しいのだから、私に構っている暇などないと思うのに。
そう告げると、跡部くんはまたもや不敵な笑みを浮かべる。





「お前を生徒会庶務に任命する。思う存分俺に尽くせ。」

「・・・・・・・・・・は?」

「お前の実力ならすぐに戦力になる。問題ないだろう。」

「いやいやいやいや、問題あるよ!大有り!」

「何がだ?」





何がだ、じゃないよ!会話が噛み合わないにもほどがある!





「まず生徒会ってそんなに簡単に入れるものじゃないでしょ?」

「生徒会長ならば役員を任命できる。ちょうど今は庶務が空いているしな。」

「次!次が重要!私の意見は?!」

「聞かなくてもわかる。まあないと思うが仮に嫌だと言っても、生徒会長の命令は絶対だ。」

「そんなところで権力ふりかざさないで!」





まさか・・・!まさか、何度も私のところにやってきてたのはこのため?!
自分の仕事を手伝わせられる人間を見つけたとでも思ったのだろうか。
いい人だと思ったのに、そんなことを考えてたの?!



ああ、クラスメイトの視線が痛い。特に金持ち階層の視線が・・・。
派手な彼と地味な私。一緒にいて違和感があるのだって一目瞭然だ。

私にこれからどうしろと?目立たないように平凡にひっそりと暮らしてきたのに。





私は頭を抱えながら、どうやってこの難問を乗り切るか必死で考えをめぐらせた。











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