俺が初めてを認識したのは、中学3年になった頃だ。
いや、正確に言うと彼女の存在を知らないわけではなかった。
なぜなら彼女は成績優秀な特待生としてこの学校に入学しており、
定期テストでは常に俺の1つ下、つまり学年2位の順位を守り続けていたからだ。

しかしそれ以外はこれといって目だったところはなく、同じクラスになったこともない。
そうなれば彼女を知る機会などないし、それ以前に興味を持たなかった。





「よう、。来てやったぞ。ありがたく思え。」

「・・・何しに来たの?跡部くん。」

「あーん?用がなくちゃ来たらいけねえのか?」

「別にそういうわけじゃないけど・・・」

「そんなに用事が必要ならつくってやろうか?俺の仕事を手伝え。」

「いやです。」

「そこは『光栄です。ぜひお手伝いさせていただきます』だろうが。」

「なんの義理があってそんなこと・・・」





それなのに最近の俺は、別のクラスにいる彼女を訪ねることが日課になりつつある。





「お前の意見を通してやったのは誰だ?」

「それは跡部くんも正当な理由だと思ったからでしょう?」





この俺にたいしてこんな小生意気な態度をとるなんて、彼女くらいのものだ。
器が大きい俺は、それくらいで怒ったりはしない。
むしろ今の彼女は、ありのままの自分を俺に見せていると考えてもいいだろう。
初めて話したときよりも、俺たちは格段に親密度が増している。

















俺がにこんな感情を抱くようになったのは、ごく最近だ。
予算委員会と生徒会で決められた、今期の各部・同好会の予算案。
それを見たある同好会部長が、俺に抗議をしにきたことが事の発端。





「会長・・・!この予算は納得できません!考え直していただけませんか?」

「それはできない。もう決められたことだ。」

「けれどこんな予算じゃ俺たち・・・」

「決められた予算内で最大限の成果を出すことも必要だろう。」





こういった抗議には慣れている。
とはいえ、誰かを経由することはあっても、俺に直接抗議しにくるのは珍しい。
他の奴らに言っても無駄と思ったのだろうか。まあそれは間違った認識ではないが。





「会長。」





俺の言葉にか、威厳にか。萎縮し何も言わなくなったその男の後ろにはもう一人いた。
そう、そこにいたのが名前と姿だけは知っていた、だ。





「この予算案、私も見せてもらいました。
同じ人数なのに、明らかに予算がかたよってる部活があるのはなぜですか?」

「E組のだな。お前も同じ部活なのか?」

「私はどの部活にも所属していません。彼の友人としてここにいます。」

「それなら関係のないことだな。」

「いいえ、私もこの学校の一員です。予算がどう使われているのか知り、意見する権利はあるでしょう?」





この学校で俺に意見してくる者など、ほとんどいない。
なぜかは知らないが、たいていは今彼女の後ろにいる男のように萎縮してしまうのだ。
けれど、彼女はまったく物怖じせずに俺の目をまっすぐに見る。





「チッ・・・部活の内容によっても違うだろう。あとはそうだな、これまでの実績は重視している。」

「彼が所属しているのは、科学技術研究会。
去年の予算で作ったカラクリロボットが賞を受賞しています。少なからず氷帝学園の評価をあげたのでは?」

「・・・。」

「それから映画研究会も去年自主制作した映画が評価されているし、
天文部も研究大会で入賞しています。なのに去年よりも予算が下がってる。
その理由と詳細を教えてくれませんか?」

「おい、ちょっと待て。お前はそいつの友人じゃなかったか?
なぜそこで違う部が出てくる。それとも俺に意見できない奴らに頼まれたか?」

「確かに彼は私の友人ですが、別に彼だけを応援しにきたわけではないので。
ただこの予算案のデータを見て、思ったことを会長に伝えてくれと言われただけです。」

「・・・わからない奴だな。お前には何のメリットもないだろう。」

「ないですけど・・・その結果が友達の助けになったら嬉しいですね。
もしくは部活の備品も買えない苦学生たちにも。」

「一般庶民代表か?」

「そんなところです。」





正直、今までまったく気にしたことのない存在だった。
外見が派手なわけでもなく、着飾ることもなく、俺のように表立った役職についているわけでもなく。
奨学金制度を使ってこの学校に入り、その立場を守るためのガリ勉女なんだろうくらいにしか思っていなかった。

普通ならこんな風に意見を告げられて、迷惑以外の何者でもないのだろうが。
俺に意見をするものが少ない中で、彼女はとても面白い存在に思えた。
そもそも俺はこうして真っ向から意見をいう奴が嫌いではない。





「・・・いいだろう。」

「会長!考え直してもらえますか?!」

「検討はする。だが、条件がある。」

「条件?」

「予算に不満があるだろう部活・同好会の去年の実績をすべて調べあげて報告しろ。
お前があげた部活だけが賞をとったとは限らない。もっと評価の高い部活もあるかもしれない。」

「!」

「そ、そんな・・・この学校にどれだけの部活があると・・・」

「それができないのならこの話は終わりだ。ひとつの部だけを特別扱いするわけにはいかない。」

「・・・わかりました。」

「おい・・・!」

「猶予は3日だ。できるんだな?庶民代表。」

「意見したからには責任も持たないと。そうですよね?」

「は、よくわかってるじゃねえか。」





一度審議したものを覆すなら、それなりの行動も伴ってもらわなければ困る。
たとえ、それがどんなに大変だろうと俺には関係のないことだ。
一人情けなくあわてる男とは対照的に、彼女は冷静に挑戦的な瞳で俺を見ていた。


















それから3日後。
は本当に俺の言われたとおりのデータを集め、生徒会室へ報告にやってきた。
目の下にはうっすらと隈が見える。





「一人か?」

「一人です。協力者は力尽きて保健室で寝てます。」

「お前は寝なくていいのか?」

「寝ますよ。この報告が終わったら。」





そう言うと鞄から数枚の資料とCD-ROMを取り出し、机の上に並べる。
俺を含めた生徒会役員が見守る中、調べた各部の成果を簡潔に説明した。
いつも俺の次点の成績をとるだけあり、彼女はかなり仕事ができるようだ。
今回の予算見直しについてしぶしぶと彼女の報告に同席したほかの生徒会役員も
驚いたように資料を凝視していた。





「・・・へえー。庶民部でもやれば出来るもんだなあ。」

「うわ、こんな部があったんだ?」





しかしこいつらは一般家庭出の特待生や特技のない者、金のない者を毛嫌いしている傾向がある。
資料をみながらも彼女らをけなしているようにも見えるが、は表情ひとつ変えなかった。





「以上で報告を終わります。」

「わかった。後はこちらで審議する。」

「はい。よろしくお願いします。」





が出ていくと、生徒会役員の不満が一気に押し寄せた。
一度決まった会議をもう一度行うのか、こんな資料は彼女が捏造したものではないか。
そんな言葉が飛び交う。





「会長、もういいじゃないですか。審議はしましたし、これは来年以降の参考にするということにすれば。」

「・・・。」

「あんな庶民の言うことを聞く必要なんてないじゃないですかー。」

「黙れ。」





俺の目算では、到底3日で終わるものじゃないと思っていた。
なぜならば、氷帝学園は社会的権力や家柄を重視する者ばかりで、
彼女のような一般家庭の特待生は立場が弱いからだ。
たとえば部の予算についての意見を聞きだすのも、実績を調べることもこいつらのように一蹴されただろう。

しかしこのデータを見ると、彼女と同じ立場の者がいる小さな部活だけでなく、
大企業の御曹司がいるような部活にも声をかけているようだ。捏造でこんなデータは出せないだろう。



そして、先ほどこの部屋を出る前。
彼女は他の誰でもなく、俺をまっすぐに見ていた。視線をそらさず俺を見て頭をさげた。



立場など関係なく、俺は真剣に向かってきた者には真剣に返す。
それが最低限の礼儀だからだ。



そうして考えれば、答えはおのずと出てくるものだ。


















「おい、。」





フラフラとしながら彼女は教室で自分の荷物をまとめていた。
声をかけると静かにこちらへ振り向く。





「予算見直しの会議、することになった。」

「本当ですか?ありがとうございます。」





半ば自分の独断で決めてしまったけれど。
他の役員も渋っているのが見えこそすれど、やはり俺に意見する気にはならなかったらしい。





「ただし、どう転ぶかはまだわからねえぞ。面倒くさがる奴も多いしな。」

「でも、一番重要な人に言いたいことは伝わっているし。」

「あ?俺にってことか?」

「だって会長は立場や権力でものを決めたりしないでしょう?」





ずっと冷静でほとんど表情を変えなかった彼女の、予想外な一言。
今まで話したこともなかった相手になぜそんなことが言える?





「お前が俺の何を知っている?」

「知りません。だからちょっとした賭けでした。」

「あ?」

「私は外からしか会長を見たことがなかった。
テニス部部長で、生徒会長で、多くの人を惹きつける力を持ってて。
どこにいても会長の話は聞くし、評判が良いを通り越して心酔してる人もいるし。」

「そんなもの当たり前のことだろう。何が言いたい?」

「それだけ人の心を惹きつける人が、根拠も理由もなく
話を聞かないなんてことはないと思いました。」





俺が人を惹きつけ、評判がよく、実力もあることなんて当たり前のことだ。
そんなわかりきったことを聞かされても、普段はなんとも思わないのに。
彼女の口から聞くその言葉は、なぜだか初めて聞いたかように、新鮮だった。





「・・・本当は・・・」

「?」





彼女が何かをためらうように顔を俯け、言葉をにごす。
けれどすぐに顔をあげて、










「本当は、友達を助けたかったんです。・・・ありがとう。」










そのとき俺は初めて、彼女の笑った顔を目にした。

それまでほとんど表情を変えなかった彼女。
徹夜明けで目の下には隈、そのせいで髪のツヤもなくなり、顔色だって悪い。
毎日鏡で自分の顔を見てるんだ、俺の美的感覚がおかしくなったはずもない。









それなのに俺は、このときの彼女を何よりも綺麗だと思った。




























それから俺はに興味を持ち、姿を見かけると声をかけるようになる。
はじめは俺のような男に声をかけられるからか、戸惑っていた彼女も次第に緊張が解けてきたようだ。
最近まで続けていた敬語と会長呼びもようやくなくなってきたしな。
いや、名前で呼べと言ったのになぜか名字で呼ぶのは気に入らないが。





「跡部くん、忙しいんでしょう?さっき生徒会の人が探してたよ?」

「ああ忙しい。こんなに忙しい俺が会いにきてやったんだ。喜べ。」

「いや、だから・・・そういうことじゃなく・・・」

「俺のことを忙しいと気遣うつもりなら、自分から会いにこい。」

「なんで私が会いたがってるみたいになってるの?!」

「・・・ああ、そうか。その手があったか。」

「え?」





頭はいいくせに勘は鈍いらしい。
俺は忙しい。そしてはそんな俺を気遣っている。それならば。





「お前を生徒会庶務に任命する。思う存分俺に尽くせ。」

「・・・・・・・・・・は?」

「お前の実力ならすぐに戦力になる。問題ないだろう。」

「いやいやいやいや、問題あるよ!大有り!」

「何がだ?」

「まず生徒会ってそんなに簡単に入れるものじゃないでしょ?」

「生徒会長ならば役員を任命できる。ちょうど今は庶務が空いているしな。」

「次!次が重要!私の意見は?!」

「聞かなくてもわかる。まあないと思うが仮に嫌だと言っても、生徒会長の命令は絶対だ。」

「そんなところで権力ふりかざさないで!」





彼女が地味ながり勉だなんて、誰が言ったのだろう。
しっかりと自分の意見を持ち、誰を相手にしても物怖じせず、努力も怠らない。
遠まわしに俺の忙しさまで気にしやがって、わかりにくいことこのうえない。
あれから少しずつ話すようになって、変わっていくようになった表情。
俺にたいしての小生意気さも、照れ隠しの反論も、そのすべてが愛おしい。



なぜもっとはやく気づかなかったのかとは思うが、それももう過ぎたこと。





彼女の美しさを一番知ってるのは、俺だ。









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