部屋に響くのはピアノの音色。
あの頃より上達した技術。弾ける曲も格段に増えた。
けれど、どんな曲を弾いていても、今でも俺は君を思い出す。





「失礼します・・・っと、演奏中か。すいません!」





唐突に開いた扉から、慌てたような声。
俺は演奏を止めて、そちらへと視線を向けた。





「ああ、平気。何か用?」

「あ、はい。今日のミーティングの件で相談があるんですけど・・・いいですか?」





ピアノの蓋を閉め、立ち上がり、扉の前まで歩いていく。
俺よりも一回り小さな彼らは、あの頃の自分を見ているようで微笑ましくなる。





「うん、いいよ。どうした?」

「ありがとうございます。先生!」















空に唄う

















と出会い、別れてから十数年。
俺は高等部へ進みサッカーを続けていくことを決めた。
に言われたからじゃない。もちろん、考えるきっかけは彼女だったけれど。
自分で決めた。自分で、好きなことを続けていくと決めたんだ。

選んだ道は簡単なものではなかった。
後悔だってしなかったわけじゃないし自己嫌悪に陥ったこともある。
だけど、それ以上に得たものも大きかったように思う。

努力し続けた日々も、叶わないと悔しさに涙した日も、勝利も、敗北も。
悩んで迷って進んだ道を思い返して、自然と笑みが浮かぶ今の自分がいる。





「あ、いた!」





そして今、俺は、





「先生!ここにいたんだ。探しちゃったよ〜!」





もうひとつ、ずっと好きだったことに携わっている。





「もらったプリントが人数分足りてなかったみたい。」

「え、うそ。」

「嘘じゃないよー。しっかりしてそうで抜けたとこあるよね〜。」

「あ、ついでに先生、このプリント難しいよ!音符なんて俺読めねえもん!」

「いやいや、読もうと思えば読めるよ。時間はかけてもいいから。」

「ねー。さっきから読めない読めないって言ってるんだよコイツ。」

「なんだと!お前は数学わかんないってよく言ってるじゃんか!」

「数学は難しいもん!」

「音楽だって難しいっての!」

「ははっ。落ち着きなよ二人とも。」





教師となった俺は、自分よりも一回り小さなこども達と毎日を過ごす。
彼らと同じ頃の自分を思い返し、懐かしさを覚えながら。





「数学も音楽もわからなかったら聞きにきていいからさ。」

「やった!タク先生かっこいいー!」

「先生ってすごいよなー。サッカーの有名な高校出身で、しかもレギュラーだったんでしょ?
サッカー部の奴らが監督はすごいんだって自慢してた。ピアノも弾けてサッカーも出来るとか反則!」

「別に反則じゃないよ。努力の結果。」





こんなことをさらっと言えるようになるなんて、あの頃の自分は想像も出来なかっただろう。
だけど、今なら思えるんだ。言葉に出来るんだ。





「いいなー!タク先生みたいになりてー!」

「ははっ、アンタがなれるわけないじゃん。」

「なんだとこのブス!」

「なんてこと言うのよバカー!!」

「・・・っ・・・まあ、俺を目指さなくてもいいけど。何か目標をつくるのはいいんじゃない?」

「目標?」

「目標を目指してるうちに、なりたい自分になれるかもしれないし。」

「なんだよー。そこは君ならなれるさ!とかじゃねえの?」

「そんな無責任なことは言わない。俺が言えるとしたら、何事も自分次第ってことかな。」





彼女のようになろうとは思わなかった。
で、俺は俺。
だけど、確かめもしないで、挑戦することもなく出来ないと嘆くのはやめた。
それは俺にとって勇気のいることだったけれど、少しずつでも踏み出すことを決めた。



あの頃より少しでも、自分が成長できていればいい。



















話を終えて、俺は音楽室へと戻った。
今日は部活もなく、顧問をしているサッカー部も休みだ。
放課後、誰もいないその空間で俺はピアノの蓋を開けた。

と出会ったあの頃が、夢だったんじゃないかと思うこともあった。
だってよくよく考えれば、信じられないような出来事だ。
幽霊なんて見たことのなかった俺が、彼女を見つけて。
俺しか見ることのできない彼女と、毎日を過ごした。

性格だって対照的で、奔放な彼女に呆れ、迷惑だと思ってはいらついて。
なのに、彼女に触れられないことがもどかしくて、離れることが本当に苦しいと思った。

ほんのわずかな時を過ごしただけの彼女に、俺はあんなにも心を奪われていた。









ガラッ





君がいなくなって、時が経っても。
俺は君の言葉を思い出す。





「タク先生!来たよ!」









『へへ、竹巳ってピアノ好きなんだねー。』









「せっかく部活もないのに・・・用事はないの?」

「うん!先生のピアノ聞きたいから。」

「俺、プロでも何でもないよ?」

「プロとかそういうのは関係ないよ。
先生のピアノを聞いてると、すごく落ち着くし優しい気持ちになれるんだ。」










『なんだかすごく落ち着く。優しい気持ちになれるね。』










「陸上部は?調子どう?」

「いいよ!私、次の大会は優勝狙ってるから。応援しててね!」

「いつも全力で、だっけ?」

「そう!後悔はしたくないから!」








『私、いつでも全力で生きるのがポリシーだったから!』









「応援の意味で好きな曲弾いてあげるよ。何がいい?」

「じゃあね、いつものやつで!」

「もっと別の曲もあるのに。」

「いいの。これが一番落ち着く。一番好き。」








『私ね、その相手が竹巳でよかったと思ってるんだ。』













『だって運命なら、また会えないはずがないもん。』















一人増えたその空間に、ピアノの音色が流れていく。
あの頃よりも弾ける曲は格段に増えたけれど、響くのはあの頃と同じ曲。

彼女の言った運命という言葉を、安易に信じようとは思わなかった。
だけどもし本当に、ほんの少しでもそれを信じていいのなら。










『竹巳に会えて、よかった。』










俺も、君に伝えよう。
今度は空ではなく、君に向けて。









俺自身の言葉を、










君の好きなこの音色とともに。











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