『竹巳。』
目の前で泣き続けていたが、俺の名前を呼ぶ。
声で返事はせず、彼女を見ることで答えるとは笑った。
あれだけ流していた涙の跡はどこにも残っていなかった。
だから彼女の笑う姿は、本当に今まで何もなかったように清々しかった。
『帰ろう!』
なのに、その笑顔がこんなにも胸をしめつけるのは。
「・・・うん。」
もう、わかっていたからだ。
昨日よりも、今朝よりも、ずっとずっと薄くなり透き通って見える彼女の姿。
残された時間は、ほんのわずか。
空に唄う
『ねえ竹巳。』
「何?」
『神様って性格悪いよねー!』
「・・・は?」
の家からの帰り道、少しの沈黙の後の第一声。
予想もしていなかった言葉に、俺は思わず間抜けな声を出した。
『だってさー、死んじゃったときにそのまま成仏させてくれれば、
私、幸せな気持ちのままでいられたのに。』
「・・・。」
『お母さんの泣いた顔も初めて見ちゃったし、私も泣かされたー!』
「そういうの、知らないほうがよかった?」
『・・・そういうわけじゃないけど。』
自分がいなくなることの影響。悲しむ人たち。
彼女自身ですら気づいていなかった本音。
そして、生きたいと願って流した涙。
気づかなければよかっただなんて、は思っていないだろう。
照れ隠しの意味をこめて、文句を言っているだろうこともわかっていた。
『・・・私の未練ってさ、』
が空に自分の手のひらを掲げる。
彼女の姿を通しても、その先の光景が見えるくらいに透けた体はそのまま日の光を地面まで届ける。
『生きたいって、願うことだったのかなあ。』
先ほどから少しずつ、けれど確実に透け始めた彼女の姿。
考えられる可能性は、家族と会い新たな感情を見つけたこと。
生きていたかったと、そう願ったことだ。
幽霊を見るなんて、ましてやこうして一緒に行動するなんて経験は、当然だけど初めてだ。
だから比べようもないけれど、の心境の変化が未練だと考えると疑問が残る。
「何かしたかった」「何かをやり残した」
そんな様々な後悔を未練と呼ぶのではないのだろうか。
「生きたい」と思うことは、願いであって後悔ではなかったのだと考えると、に未練はなかったとも言える。
それとも、俺たちが思っていた常識と違っていただけなのかもしれないけれど。
「さあね。」
『あー!もう、適当に答えてるでしょ!』
答えなんて出るわけがない。
だから一言そう言うと、は予想通りに少し怒って俺に詰め寄る。
そんな彼女をいつもどおりに軽く受け流しながら、小さく笑った。
『でも、答えが出ないってことは、どんな答えを出してもいいってことだよね。』
「何その解釈。強引だね。」
『だから、私は考えたんだけど・・・』
「人の話聞いてる?」
『次につなげるためなんじゃないかなあ。』
言葉の意味がよくわからなくて、俺はの方へと視線を向けた。
は笑って、つまりね、と続ける。
『このまま成仏したら、その後はどうなるんだろうって考えてた。』
「・・・。」
『でも、本当に消えてしまうことはなくて、また新しい生命となって生まれてくるんじゃないかって思ったの。』
「・・・輪廻転生だっけ?」
『うん。死んでしまっても生まれ変わって新しい人生を送るの!そう考えた方が楽しいよね!』
・・・なんと答えていいものやら。
大体今の自分の状況を見て、この元気さはどうなんだろう。
まあそれが彼女の長所でもあるけれど。
『でね、その新しい人生・・・"次"に繋げるためには、
生きたいって思うことが必要なのかもしれない。』
「・・・。」
『私はきっと足りてなかった。今までの日常に満足して、
だからこれ以上何も望まないって、そう思ってた。』
「・・・満足できてる時点ですごいけどね。」
『そりゃあそういう生き方してきたもん。』
「自信満々で言えるところもね。」
『褒めてる?』
「褒めてるよ。」
『生きたい』と願うこと。
がここにとどまったのは、本当にその理由なんじゃないかと思った。
それはきっと、人間の根本的な欲求。はそれが足りなかった。
いや、心の奥底では思っていたのだろうけれど、それを必死で押し隠していた。
だから、それに気づかなかった今までは何も変化がなかった。
『それとね、もうひとつ疑問があったんだ。』
「?」
『何で、竹巳にだけ私の姿が見えたのかなあ?』
そう、一番の疑問はそこだ。
俺は幽霊なんてものを見たこともなかったし、つまり霊感だってあるはずもない。
さらにいえば、とは何の接点もなかったんだ。
なのに、俺にはずっと彼女が見えていた。俺にしか見えていなかった。
『でもそれは、私が最初に言ってたことが当てはまると思うんだよね。』
「最初?」
『「接点のなかった二人がこうして出会った・・・つまり運命!」』
「・・・そんなこと言ってたっけ?」
『言ってたのー!』
「そんな理由で片付けられるなんて、相変わらずお気楽思考だよね。」
『竹巳は相変わらず頭かたいよねー。』
「・・・。」
『・・・。』
「惜しいなあ。触れられるなら、頭ひっぱたいてあげるところなんだけど。」
『きゃあ!女の子に暴力ふるうなんて!竹巳ってばそんな子だったのね!』
「何を今更。」
『そこって開きなおるところなの?!』
運命だなんて言葉を無条件で信じたりはしないけれど。
だけど、との出会いは、過ごした日々は、少なからず俺を変えたように思う。
『人間いつ死ぬかなんてわからない。だから後悔しないように毎日を生きるって決めてたの。』
『人に何か言われたって決めるのは自分だしね。』
『ちょっと一緒にいた私に気取られるくらい元気ないんだったら、はじめから行くなって言ってるの!』
彼女の言葉はまっすぐすぎて、いつも俺をいらつかせた。
その言葉も、生き方も理解できなかった。
無神経に俺の心を逆撫でするくせに、彼女はいつでも堂々としていて満足そうで。
思い返せば、俺は頭を悩ませてばかりだ。
けれど、そんな彼女に感化され、影響されたのも本当だった。
電車を乗り継ぎ、俺の家まで帰ってくるのはあっという間だった。
会話を途切れさせることもなく、ずっとしゃべり続けていたせいもあるかもしれないけれど。
「。」
『ん?』
家に着いて、俺は帰り道にずっと考えていたことを口にする。
がここにいられる時間はきっと、ほんのわずか。
徐々に姿を失っていく彼女に、俺は何ができるだろう。
「何か聴きたい?」
『・・・え?』
「ピアノ。」
『・・・え、ええ!弾いてくれるの?!』
俺が弾くピアノをとても喜んでくれていたことを思い出して。
何気なく聞いてみれば、予想通りというかなんというか。
俺に飛びつかんばかりに、満面の笑みで最近覚えたばかりの曲名を答えた。
彼女はいつだって正直で、きっとこの笑顔にも嘘なんてないんだろう。
逆に俺はどうだっただろう。笑顔で本音を隠していた。そうして、逃げ続けていたように思う。
周りに振り回されて、届かない背中を思い返しては、考えることに夢中になって周りさえ見えずにいた。
「俺は高等部に入って・・・またあいつらと一緒にレギュラーを目指す。母さんだって応援してくれてる。
それなのに、行きたくないなんて言えない。遅れをとることだってできない。」
「・・・踏み込んでくるな。」
『竹巳、サッカー好きなんだよね?』
『簡単なことだよ。』
俺はきっと、彼女と同じ生き方はできない。
けれど、どんな答えを見つけても、それが自分で選んで決めたものならば。
『決めるのは竹巳だよ。それは変わらない。
だけど、周りに振り回されないで、竹巳が何をしたいのかで決めるのが一番だと思う。』
響くのは、ピアノの音。
他には何も聞こえない。それはまるで、この一室だけが別世界のように。
『竹巳。振り向かないで・・・そのまま弾きながら聞いてね。』
演奏を覗き込んでいたが、いつの間にか俺の後ろへとまわっていた。
彼女の言葉通り、ピアノを弾く手は止めずに、俺はそちらへ耳だけを傾ける。
『さっき、運命だって言ったでしょう?』
いつもと変わらぬ明るい声で、彼女はゆっくりと言葉をつむぐ。
『私ね、その相手が竹巳でよかったと思ってるんだ。』
一言一言を慈しむように。
『だって運命なら、また会えないはずがないもん。』
俺は何も答えなかった。答えられなかった。
『・・・一度、貴方に触れてみたかった。』
ただ、ピアノを弾きつづける。
『・・・ありがとう。』
優しくなれると言ってくれたこの曲を。
『竹巳に会えて、よかった。』
好きだと言ってくれた、この音を。
『大好きだよ。竹巳。』
その言葉と同時に、曲が終わる。
俺は振り向かなかった。
もう、わかっていたから。そこに彼女の姿はないのだと。
「・・・本当に・・・自分勝手なんだからさ・・・」
言いたいことだけ言って、最後は顔をあわせることすらしないで。
まだ、話していたかった。
声を聞いていたかった。
『全部わたしが努力してきた結果だもん。自慢したくなるでしょ?』
『びっくりするくらい音感がないのよおおお!!』
『今の笑顔が一番好き。』
俺だって、何度も思った。君に触れたいと。
『・・・一緒にいても、いいの?』
『これ以上望むものなんてないのに・・・どうして私はここにいるの?』
『・・・生きたかったっ・・・』
何度も、何度も、思ったんだ。
『大好きだよ。竹巳。』
ぼやけたままの視界で、もう一度鍵盤に手を添える。
俺の演奏はプロみたいにうまくない。ブランクだってあるし、ぎこちない。
それでも、彼女はこの音を望んでくれていたから。
『竹巳のピアノ、わたし好きだよ。』
君の魂がどこへ向かったのかはわからない。
だから、空へ向けて。広がる空は、そこにある自由な雲は彼女にぴったりだから。
願わくば、君が好きだと言ってくれたこの唄が、
俺の気持ちと一緒に届いてくれればいい。
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