「あーもーどうしよう!時間ないー!」





扉をすり抜けて家の中へ入ると、慌しく廊下をばたばたと走る音。
聞きなれた声。いつもの日常だと笑いがこみあげる。





「あんた一体何回寝坊すれば気が済むの?」

「したくてしてるんじゃないよ!あーもう髪ぼさぼさ!」





もうお昼も近いというのに、今起きたような格好。
出かける準備をしながら、あっちこっちに移動しては時間がないと嘆くのは私の姉。
少し年の離れた姉には長い間つきあっている彼氏がいて、今日も会うのだろうなあとぼんやり思う。
休日はこうして出かけることが多い割に、寝坊癖が抜けないのかいつもこの調子だ。





「何時待ち合わせ?もう間に合わないんじゃない?」

「成せば成る!遅刻はしない主義なの!」





その割に言葉通りに遅刻はゼロというのだから驚きだ。
あっという間に準備を終えた姉は、勢いよく扉を開け放ち飛び出していった。





「もう。何回同じことをすれば気が済むんだか・・・。」





母親が呆れるように呟く中、やっぱりもういつもの日常に戻っているのだと安堵した。














空に唄う















それから食卓にいたお父さんとお母さんが、何気ない話をする。
お昼ごはんを終えると、お父さんはテレビの前へ行き、お母さんは食器洗いや部屋の掃除を始める。
やはり何も変わらない。私の未練も特に見つかりそうにもなかった。

もう少ししたら戻ろうと決めて、私は何気なく母親の掃除する姿を見ていた。
部屋を次々に移動し、気づけば次は私の部屋だ。
私がいなくなってどれくらい経っただろう。私の部屋は綺麗なままだった。

お母さんが掃除機を止めて、棚に飾ってあった写真たてを手に取る。
それは私が部活仲間と写っているもの。大きな大会で入賞したときのものだ。
友達はどうしているだろうとふと思った。皆も私の性格は理解してくれていた。
だから家族と同じく、後悔などしない人生だったと思ってくれているだろうと思う。





「・・・ちゃん・・・かわいそうにねえ・・・」

「・・・本当に・・・いい子だったのにっ・・・」

「・・・私たちに出来ることなら協力するわ・・・?」





私のお葬式のとき、家族にかけられた言葉。
皆、泣きながら本当に悲しそうに家族に、眠ったままの私に声をかけた。
だけど、私の家族は誰一人泣いていなかった。
それが私たち家族の生き方だったから。後悔しない生き方をすると、そう決めていたから。





「大丈夫。あの子も全力で生きてたから悔いはないと思います。」





そう答えた両親を見て、私も安心した。私がいなくなっても大丈夫。
私が後悔なんてしてないとわかってくれてる。そう、思っていた。



だから私は次の瞬間、母親の姿を見て言葉を失う。





「・・・っ・・・・・・」





トロフィーを持って皆と一緒に笑っている写真の中の私に、大粒の水滴が落ちた。
それは私の前で見せることのなかった、母親の涙。

写真を抱きしめて、子供のように泣きじゃくる。





『お母さん・・・?』





見たことのないその光景に、私は思わず声に出して問いかける。





『・・・どうして・・・?』





届くはずなんてないのに。





『ねえ私、何も後悔してないよ?いつだって全力だったの、知ってるでしょ?』





わかっているのに、声をかけずにはいられなかった。





・・・っ・・・」





ねえ、私は後悔なんてないんだよ?
お母さんもそれをわかってくれていたんでしょう?
人間いつ死んでもおかしくないんだから、いつだって全力で生きなさいってそう教えてくれたでしょう?

私の写真を抱きしめて、私の名前を何度も何度も叫んで。
いつも笑っていたお母さんが泣く姿なんてみたくなかった。
私のことで泣いてなんかほしくなかった。





『お母さん!!』





何度呼んでも、届くことはなかった。
代わりに後ろに人の気配を感じ、振り向く。
お母さんの様子を見に来たのだろう。
お父さんがお母さんの背中をさすり、優しく抱きしめた。





「・・・あなた・・・」

「・・・落ち着いたか?」





お父さんはお母さんの姿に驚いていない。
お母さんがこんな状態でいることを知っていたかのように。





「・・・だめね私。子供たちには後悔のないように生きなさいって教えてたのに。に笑われるわ。」

「難しい生き方だとも教えただろ?そう割り切れるものじゃないことだってわかってるさ。」

「・・・そうね。」

「泣くことも、後悔することも、当たり前の感情だ。
俺たちはに誇れるような生き方をしていけばいい。」

「・・・は本当に・・・全力で駆け抜けすぎたのよ。まさか私たちよりも早く逝くなんて・・・。」

「確かに全力で生きてたなは。
俺たちの言ったことを受け止めて、全力で応えようとしてくれていた。」

「・・・もっと・・・たくさんのことを教えてあげたかった・・・」

「・・・そうだな。」

「・・・もっと・・・」





お母さんの言葉はそこで途切れた。
お父さんもそれ以上何も言わなかった。
私はそんな二人の姿を、呆然と見ていることしか出来なかった。








自分が死んでしまってから、家族や友達の様子を見に行ったのは数度だけ。
だって皆、私の生き方を知っていたから。心配なんて、いらないから。



そう思っていたの。



そう思っていた、はずだった。



けれど、こうしてきちんと会いにくれば想像通りの姿ではなくて。



それなのに私はお母さんのあの姿を見て戸惑いこそすれ、
思ったほど慌ててなく、それどころか既に落ち着きを取り戻してる。





それは、どうして・・・?





















私はそのまま、自分の家を後にする。
少し離れた場所に竹巳の姿が見えて、私を迎えてくれた。





「・・・どうしたの?」

『・・・何が?』

「ひどい顔。」

『ひ、ひどい顔って何ー?』





竹巳がいつもどおりに、私にからかいの言葉をかける。
だけど、その表情はなぜかすごく優しく見えて。





『・・・お母さんが泣いてた。』

「・・・そう。」

『お父さんも・・・悲しそうな顔してた。』

「そっか。」





ぽつりぽつりと話す言葉に、竹巳は頷きだけを返す。





『人間いつ死ぬかなんてわからない。だから全力で毎日を生きる。そう・・・教えられてたの。』

「・・・うん。」

『だから・・・家族も友達も、私のそういう生き方をわかってくれてると思ってた。』

「・・・。」

『大好きな家族がいて、良い友達に巡り合えて、私は本当に幸せだった。
後悔なんて・・・本当になかったんだよ・・・!』





自分が死んでしまったのだと自覚したとき、真っ先に頭に浮かんだこと。
なぜ私はまだここにいるのだろうかと、そう思った。





『後悔なんてなかったのに・・・!あんな二人の姿・・・見たくなかった・・・!』





誰にも私の姿が見えず、地に足はつかず宙に浮いた自分の体。
これがもし"幽霊"というものなのだとしたら、なぜそうなってしまったのかがわからない。
テレビや本で見た知識をそのまま使っていいのなら、幽霊とは未練を持った人がなるものだ。
けれど私には未練はない。ないはずだ。だって今まで後悔のないように生きてきたんだから。





『これ以上望むものなんてないのに・・・どうして私はここにいるの?』





それは誰に問いかけた言葉だろう。
答えなんて誰も知らない。知るはずもないのに。
私はただ叫ぶことしかできなかった。





「・・・本当にないの?」

『・・・え?』

「望んでること。」





いつものように呆れられるかと思った。
あれだけ平気だって、未練なんかないって余裕でいたくせにって、そう言われるかと思った。
だけど竹巳はまっすぐに私の目を見て、問いかけた。





「なんだっていい。小さなことでも、当たり前のことでも。」





「泣くことも、後悔することも、当たり前の感情だ。」





私に未練なんかない。後悔もない。
今まで幸せだった。だから、これ以上はいらないとそう思い込んで。





『・・・わたし・・・は・・・』





私はきっと知っていた。
これ以上ここにいたら、望みが大きくなっていく。
大切な人たちの傍にいたら、欲が大きくなっていく。

望んでも、それは決して叶わない。だから、望まない。
そのためには、大切な人たちの傍にいるわけにはいかない。

だから、私は離れることを選んだ。





「・・・もっと・・・たくさんのことを教えてあげたかった・・・」





当たり前すぎて、望むことさえしなかった。





「・・・もっと・・・」





『・・・もっと・・・』





そう、私は、










『・・・もっと・・・一緒にいたかった・・・』










大好きな、大切な人たちと過ごす日々。



後悔しないと言える毎日が送れたのは、皆がいたから。



全力で走って、壁にぶつかっても、背中を押してくれる人たちがいたから。





皆で笑いあって、喧嘩もして、たくさんおしゃべりもして。
そんな何気ない日常を、これからもずっと、ずっと。











『・・・生きたかったっ・・・』











このとき私はどんな顔をしていただろう。
都合の悪いことは見ないふりをして、自分も周りも大丈夫なのだと思い込んで。
自分が悔しくて情けなくて。感情だけをはきだした。

そんな私を見て、竹巳がどう思っていたのかはわからない。
ぼやけた視界からその表情は見えない。呆れていたのかもしれない。



それでも何も言わずにただ、私の傍にいてくれた。








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