『そんなに焦って・・・決めなくちゃいけないの?』
と言い合いになって彼女が俺の前からいなくなり、1日が経った。
しょっちゅう聞こえていた騒がしい声が急になくなり、なんだか落ち着かない。
ほんの少し一緒にいただけなのに、1日いないだけで違和感を感じるなんて自分でも驚いた。
今日も学校は休みで、俺は朝の走りこみを終えて何気なしにピアノの前に座る。
気分転換になるかと思って数曲ひいてはみたけれど、やはり気持ちは落ち着かなくて。
『いいなあ、私これ好きだなあ。』
彼女はどこへ行ったのだろう。
怒って、別の場所へでも行ったのだろうか。
それならば構わない。俺ははじめからそうなることを望んでいた。
昨日だってやはり彼女を受け入れるべきでなかったと、そう思ったんだ。
なのに、
この空しさは一体なんなのだろう。
奏でるピアノの音が、なんだかとても寂しく耳に届いた。
空に唄う
ピアノを弾きながら、俺は昨日のことを思い返す。
がいなくなり、けれど俺はそのまま皆のいる練習場に向かった。
そこに着いた頃には既に練習ははじまっていて、俺の存在に気づかない皆を少しの間声もかけずに眺めていた。
仲間内での練習だっていうのに、皆真剣だった。
怒る監督も先輩もいないのに、皆真剣で、楽しそうで。
『ちょっと一緒にいた私に気取られるくらい元気ないんだったら、はじめから行くなって言ってるの!』
自分の本心もわからず、どうしたらいいのか答えも出せず、
いまだ迷っている自分が、あの中に入っていいのかと。そんなことが頭をよぎって。
『まるで義務みたいに言うんだね。』
にそう言われたとき、そんなことないと腹が立った。
義務だなんて単純なものでくくれやしない。
「俺は高等部に入って・・・またあいつらと一緒にレギュラーを目指す。母さんだって応援してくれてる。
それなのに、行きたくないなんて言えない。遅れをとることだってできない。」
だけど、そう思っていた俺の言葉は確かに『義務』のようだった。
いつの間にそんな風に思うようになっていたのだろう。そんな言葉が出てくるようになったんだろう。
誰にも本心をぶつけなかった俺は、彼女の言葉ではじめてそれに気づいた。
『竹巳はどうしたいの?』
わからなかった。だから答えを出さなきゃってそう思ってた。
高等部へ進学するまで?いや、それじゃ遅い。
日々は過ぎていき、その分周りには置いていかれる。だから、
『そんなに焦って・・・決めなくちゃいけないの?』
だから、俺は焦っていた。
どれだけ考えたって理屈を並べてみたって、答えは出なかったのに。
それでも無理やりにでも結論を出そうとしていた。出さなければならないと、そう思っていた。
だけど、そうして『義務』のように出した結論では、この先も俺は迷い続けるんだろう。
『人に何か言われたって決めるのは自分だしね。』
たとえば答えは出なくても、自分で選んだ道なのだと胸をはって言えるような選択ができるだろうか。
もう少し、迷っていてもいいのだろうか。
自分の気持ちが落ち着いて、改めてが今どうしているのかが気になった。
彼女のことだから、怒って別の人のところにでも行って、意外と楽しくやっているのかもしれない。
周りに割と無関心な俺でさえ、振り回されてしまうようなあのマイペースさがあれば困ることなんてないのかもしれない。
ただそれは彼女の姿が見え、声が聞こえることが前提だ。
最初に俺と話せたことに驚いていたことといい、無理やりにでも俺と一緒にいようとしていたことといい、
そんな人間、出会ったことなどなかったのだろう。
そういえば最初に彼女を見つけたときは、一人でうずくまって大人しそうな子に見えたっけ。
『うん、結構元気!だけど大丈夫ではないの!あー、久しぶりに人と話したー!!嬉しいー!』
でも話してみたら、想像とは正反対で驚いた。
『竹巳が声かけてくれてよかったー。一人ってつまんないんだもん。心がくじけそうでした!』
「・・・。」
『それに、やっぱり一人は寂しいから。少しだけつきあって。』
ピアノを弾く手が止まる。
気づけば立ち上がって、上着を持ち外へ駆け出していた。
確かに彼女は今まで一人で何でもしてきたのだろう。
彼女の言う『努力』を惜しむことなく、いつだって全力で乗り越えて。
だけど、きっと今の彼女は努力をしてもどうしようもない壁がある。
いや、努力といってもすべきことすらわからないはずだ。
『私もきっと未練があるからここにいるんだろうなーって思ってたの。
だから考えてみたんだけど、どうも思い当たる理由がないんだよね。』
俺は彼女の言動に呆れていたし、理解もできなかった。
自分が死んだというのに、あっけらかんとしていて、俺のことをからかう余裕まで見せて。
悲しい表情なんてひとつも見せない。むしろ今の状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
だから、腹が立ったんだ。
何もわからないくせに、わかったようなことを言うなってそう思った。
「自分が死んでるのにいつもヘラヘラ笑ってるような奴に、何も言われたくない!」
だけど、思い返してみれば。
彼女は笑ってばかりなんかじゃなかった。
気づかないくらい小さく、言葉の端々には彼女の寂しさや悲しさが含まれていた。
そんなもの、出会ったばかりの俺が気づくはずなんてない。
そもそも俺は彼女にははやく成仏してほしいと思っていたし、
彼女の明るさはそれらを覆い隠すほどに自然なものだったから。
俺自身だって自分のことで精一杯だったんだ。
『わあっ?!』
「わっ・・・!って、ええ?!」
家から出て角を曲がると見えた人影。
驚き慌てたその声は聞き覚えのあるものだった。
ただ、その考えよりも先に、突然目の前にいるその人にぶつかると思い反射的に目を閉じた。
けれど、その人物が俺の思ったとおりの人ならば、ぶつかるはずなどないのだ。
『た、竹巳・・・?』
彼女の実体はないのだから。
「・・・何してるの、。」
『いや、その・・・竹巳のピアノを聴きに・・・?』
「どこか行ったのかと思った。」
『うん・・・そうしようかとも思ったんだけど。』
「俺の言ったことに腹が立ったんだろ?」
『え?なんで?怒る必要なんてないでしょ?』
きょとんとした顔で不思議そうに俺を見る。
呆れた。本当に怒っていないみたいだ。
普通ならば自分を傷つけたと、責められても仕方のないような言葉だったのに。
『竹巳の方が心配だったよ。』
「・・・俺?」
『離れたときはね、確かに竹巳にちょっとイライラしたっていうのもあるんだけど、
落ち着いてみたら私が原因なんだろうっていうのはわかるし。」
「・・・え・・・?」
『だって学校での態度と違うし、あんな感情的に怒ることもなかったし。
まあ感情的になるのはいいと思うけど、竹巳の生活を壊すわけにもいかないなって思ったんだよね。』
「がそんなこと気にする人だとは思わなかった。」
『まあ失礼。私だって自分のことだけ考えてるわけじゃないんだからね!』
出会ったときそのままに、表情をコロコロと変えて。
俺よりも自分の状況の方がずっと大変なくせに、そんなこと何でもないって顔を見せる。
『ただ、ちょっと・・・竹巳のピアノ、もう1回聴きたくなっちゃって。こっち来たらちょうどよく弾いてたから・・・。
別に外で聴いてる分にはいいかなって思ってたんだよ。そしたら急に竹巳が出てくるしさ、びっくりした。』
きっと、本人もそれが当たり前だと思っているんだろう。
何があってもそれは乗り越えるべきもので、努力次第でどうにでもなるとそう思っているんだろう。
だから悲観的なことは言わないし、そんな表情だって見せない。
『それで、いきなり飛び出してきたりしてどうしたの?急用?』
「・・・迎えにきたんだよ。」
『え?』
もしかしたら彼女はそうやって、今までもいろんなことを乗り越えてきたのかもしれない。
悲しいことも、苦しいことも、つらいことと思わず笑って受け止めて。
だから周りは気づかない。もしかしたらそれは、本人でさえも。
「を迎えにきたんだって、そう言ってるんだけど。」
『!』
彼女は強い。誰かの力を借りなくても、何でも自分で乗り越えてきたんだろう。
だから、俺のかけた言葉に戸惑う。
『・・・一緒にいても、いいの?』
驚いたように、きっと彼女自身も気づかないような、切なく複雑な表情を浮かべて。
「協力するって言っただろ?途中で放り出したりしないよ。」
俺の一言を聞いて、彼女はゆっくりと静かに。
照れるような表情を浮かべて、小さく笑った。
家に戻ろうとすれば、まだ動き始めようともしない彼女を見て、無意識に手をひこうとする。
けれどふと気づいて、その手は差し出されることなく元の場所に戻る。
彼女もそれに気づき、小さく笑うとすぐに俺の後ろについた。
もう日は暮れはじめていて、足元には影が出来る。
そこに伸びる影は、ひとつだけ。
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