『ファイトー!いっちに、いっちに!』

「・・・。」





静まり返った朝の公園。近所にあったその広い公園を懐かしく見渡しながら一定の速度で走っていく。
が現れてから、走りこみをするなんて精神的余裕がなかったけれど、
ようやく今の状況に自分の感覚が追いついてきたようだ。追いついてしまってよいものか甚だ疑問だけれど。





『走りこみねー。私も日課だったよー。』

「・・・。」

『一緒に並んでジョギングしたかったね!』





休日で朝早い公園にはほとんど人はなく、聞こえるとすれば鳥の鳴き声くらいだ。
緑も多く穏やかな空気が流れているこの公園が俺は好きだった。





『ちょっと竹巳?無視は寂しい!今は一人なんだから話してくれたっていいじゃんー!』





今は俺以外誰にも見えないたった一人のせいで、その穏やかさもどこかへ行ってしまっているけれど。













空に唄う
















『竹巳って意外と体力あるよねー。』

「・・・え?」

『さっき走ってた公園も広かったし、そこからさらに先に進んでいくし。結構な距離だったと思うけど
ほとんど息乱してないじゃない?』

「別に・・・部活で走りこんでたしね。」

『あー私もはっしりたいなあ!とは言っても短距離の方が得意なんだけどね!』





宙に浮かびゆらゆらと揺れながら、腕と足を走っているように軽く動かした。
俺に触れられないのは最初の日にわかっていたけれど、やはり人間以外の物でも触れることはできないらしい。
歩いているように見せかけることはできても、その実、地面を踏んでいる感覚はないと嘆く。





『・・・ん?あれ?』

「?」

『ねえねえ、もしかして私誰かに乗り移れたりするのかな?』

「・・・は?」

『ほら、漫画とかテレビであるじゃない。幽霊が人間に乗り移れるって。
そしたら走ることもできるんじゃない?』

「・・・バカなこと言わないでよ。」

『バカなことかはわからないじゃん!それじゃあものはためしで・・・』

「俺に乗り移ろうとしたら成仏どころか必ず除霊してくれる人のところに連れていくよ?」

『ひどい!冗談なのに!』

のは冗談になってないって言ってるだろ?!」





俺が怒ろうと、少しくらい声をあらげようと、彼女には何の効果もないようだ。
俺をからかっているかのように、いたずらめいた笑みを浮かべるとそのまま俺の行く先の道へとふわりと飛んでいく。

彼女がいる生活に不本意ながらも少しは慣れた。
けれどそれは慣れであって、その状態が続いていくことを俺は望んでいない。

幽霊なんて特殊な状態だというのに、いや・・・それよりもう死んでしまっているらしいのに、
その状況を楽しんですらいるように見える。その神経が俺には理解できない。
というより、誰にも理解できないんじゃないだろうか。
俺は彼女とは違うし、楽しもうなんて思えない。
何より一人で落ち着ける時間が少なくなったことで心労も増えているように思う。

最初に言っていたように、きっと探そうと思えば霊能者なり霊媒師なり、探すことはできたのだろう。
彼女がなぜここにいるかもわからない状態ならば、なおさら探すべきだったのだろうけれど。





『竹巳?どうしたの?』





なぜか、いまだに行動にうつすことができない。





「・・・別に。帰ったらの方の特訓はどうしようかなと思ってただけ。」

『な?!また楽しそうな顔して・・・!そんなに人を辱めて楽しいの?!』





ここまで首をつっこんでしまったからには、知らない誰かに頼むのは無責任だし後味も悪い。
それにもしかしたら、本当に歌がうまく歌えることが未練なのかもしれない。

だから、もう少し。
もう少しくらいなら、つきあってもいいとそう思っているだけなんだろう。

















「竹巳、ついさっき電話あったわよ?」

「え?誰から?」

「藤代くん。」





走りこみを終えて家に帰ると、俺宛に電話があったらしい。
朝はやくからしかも誠二からの電話に少し驚きつつ、俺は寮に電話をいれた。

内容は今日は誠二が高等部の練習に参加できないこと、元サッカー部のメンバーでサッカーをしにうちの近くまで来ること、
だからそこへ来ないかということだった。突然の誘いとはいえ、のこと以外何の予定もなかった俺は誘いを受けることにした。





「あ、行くのね。」

「うん。」

「そうだ竹巳、藤代くんに聞いたんだけどね。」

「なに?」

「いつでも寮に戻っていいんだからね?」

「・・・え?」

「藤代くんはもう高等部の練習にも参加してるんですってね。
そんなこともできるのねえ。」

「・・・。」

「ホラ、今回みたいにサッカー部の子で練習するにも、自宅にいると連絡つかないこともあるじゃない?
部活が終わって少しの間くらい家にいても・・・って思ってたけど、周りの子たちはもう動き出してるんだものね。」





ピアノもサッカーも、俺自身の好きなようにやらせてくれていた両親。
サッカーに専念するために寮に入ったときも、笑って背中を押してくれた人たちだ。
俺は家族に恵まれていることは知っているし、母親の言葉に特別な意味が含まれていることなんてないとわかってる。





「竹巳は優しいから私たちが寂しがってると思って帰ってきてくれたんでしょう?
でも、ゆっくりもしてられないものね。高等部にいったらまた強い人がたくさんいるわよ〜!」

「・・・そう、だね。」

「また試合見に行くわね。いつだって応援してるから!」





なのに、その言葉を重く感じてしまう自分が、応援してくれる母親にちゃんと頷くことができない自分が嫌だった。




















『竹巳?』

「・・・。」

『ねえ、竹巳。』

「うるさいな、外では話しかけないでって言ってるだろ?」

『だって竹巳、なんか元気ないんだもん。』





別に態度に表したつもりもないのに、どうしてこういうところは気づいてしまうのだろうか。
大体調子が悪いことに気づいているのなら、話しかけないでそっとしておいてほしい。





『調子悪いのなら行くのやめたら?』

「・・・別に悪くないし。」

『・・・意地っ張り。』

「・・・っ・・・」





普段なら何気なく流してしまえる言葉なのに、妙に癇に障って。
思わずをにらみつけて、けれど彼女はまったく動じていない。





「余計な口出しするなよ。には関係のないことなんだから。」

『えー、竹巳のこと心配してるだけだよ?』

「余計なお世話。誰も心配してくれなんて頼んでない。
ちょっと一緒にいたくらいで俺のことわかってるみたいに言うなよ!」





出会ってから、時間もたっていないのに。自分は死んでしまっているっていう幽霊なのに。
彼女はいつでも余裕で笑って、俺の心の中に踏み込んでくる。
勉強や運動も自慢できるくらいの実力を持っているらしく、全力ですごしてきたから未練も後悔もないと言いきった。





『ちょっと一緒にいた私に気取られるくらい元気ないんだったら、はじめから行くなって言ってるの!』

「・・・っ」

『理由なんてわからないけど、行きたくないのならそう言えばいいんだよ。』

「・・・。」





後悔がない、なんてそんなことあるはずないって思ってた。
がどういう経緯で幽霊になってしまったのかなんて知らないし、聞く気もなかった。
やってきた死にたいして何も未練が残らないなんて、俺には理解できなかったし、信じられなかった。

けれど、





「・・・そんなこと、言えるわけないだろ?!」

『なんで?』

「俺は高等部に入って・・・またあいつらと一緒にレギュラーを目指す。母さんだって応援してくれてる。
それなのに、行きたくないなんて言えない。遅れをとることだってできない。」





けれど、もしそれが本当なら。
本当に彼女に未練がないというのなら。





「・・・踏み込んでくるな。」






きっと彼女に俺の気持ちはわからない。
悩んで悩んで、今でも迷い続けている俺のことを、どんなにくだらない奴だと思っていることだろうか。










「自分が死んでるのにいつもヘラヘラ笑ってるような奴に、何も言われたくない!」










やっぱり、すぐに彼女から離れるべきだった。
祟るなんて脅し文句、本当に怖がっていたわけじゃなかったんだ。





『竹巳。』

「・・・。」

『まるで義務みたいに言うんだね。』

「!」





ただ、彼女といる時間がそれほど嫌なものじゃなかったから。
少しだけならと、そう思ってしまった。





『竹巳はどうしたいの?』





は最初から飾ることなく、いつだって正直だった。





『何がしたいの?』





本心を隠し続ける自分にとって、彼女はまっすぐすぎた。





『そんなに焦って・・・決めなくちゃいけないの?』









俺は俯いたまま、の問いに答えることはできなかった。
このとき彼女がどんな表情をしていたかもわからない。

少しすると音もなく、目の前にあった気配が消えた気がした。
顔をあげると、もうそこに彼女の姿はなかった。








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