「・・・っ・・・くっ・・・」

『・・・っ・・・わ、笑っ・・・一生懸命な人を笑うなんて、最低よー!!』





家でピアノを弾くのは久しぶりだったけれど、俺が帰ってくる前に両親が調律師に頼んでくれていたらしい。
学校のピアノとは少し違う音が心地よかった。

早速の歌の練習を始めようと何の曲がいいかと聞けば、彼女は苦悩した挙句、短めの童謡を選択した。
小さい頃に必ず聞いているというのと、音程のとりやすさからだろう。
俺も楽譜をなしに弾けるものだったから、すぐにはじめてみることにしたのだけれど。





「いや・・・別に歌に笑ったわけじゃ・・・」

『じゃあ何?何に笑ったの?!』

「・・・童謡をこんなに力強く歌う人、はじめて見たっ・・・」





何事も全力で取り組んできたと言っていた彼女。一番それを信じられるのが、この歌の練習かもしれない。
真っ赤になりながらも、必死で歌おうとしているのが伝わってくる。
今まで騒がしいとしか思えなかった彼女が、はじめて微笑ましく見えた・・・なんて言ったらは怒るだろうか。















空に唄う
















『ううっ・・・だから今までカラオケで頑張ってきたのに・・・!』

「だからごめんって。ホラ、全力で頑張るんだろ?」

『・・・竹巳、面白がってるでしょ?』

「・・・まあ、少しは。」

『!!そうやって乙女心を弄ぶんでしょ?!ひどい!』

「人聞きの悪いこと言わないでくれる?」





それまでやる気があったはずのが、床にうなだれるように倒れこんだ。
こうなったのは俺にも責任があるからなんとかなだめようとしたけれど、
ダメだ、それまでのを考えるとどうしてもからかいたくなってしまう。
そのせいで彼女はさらに歌う気力を無くしてしまったようだ。

今日はもう無理だろうとため息をついて、棚に並べられた楽譜を眺める。
適当に手にとりパラパラとめくっていると、自然と体がピアノの方へ向いて。
ピアノを習っていた頃を思い出しながら、ゆっくりと鍵盤に触れる。





『・・・。』





しばらく弾いてなかったけれど、意外と体は覚えているものだ。
それはとてもぎこちなかったし、昔に比べれば当然下手にもなっていたけれど。
なんだかとても気分がよかった。

数曲弾き終わるとが無言で俺の後ろへ立ちつくしていた。
先ほどまでの怒った表情はどこにも見当たらない。というよりも、ポカンとした間抜けな表情を浮かべている。





『す・・・すごいね竹巳!そんなに弾けるとは思わなかった!』

「いや、別にそんな驚くほどじゃ・・・」

『何言ってるの?竹巳の努力の結果でしょう?』





自分にとっては驚くようなすごいことではない。
小さい頃から習っていればそれなりに弾けるようになるのは当然のことだし、
もちろん自分よりすごい人間なんて山ほどいることだって知っている。
だから、がこんなにも興奮しながら自分を褒めていることに驚いて、反応に困ってしまった。





『全部わたしが努力してきた結果だもん。自慢したくなるでしょ?』





そういえば自身にたいしてもそんなことを言っていたっけ、と思い出す。
ピアノを習っていた頃は確かにたくさん練習をした。
努力・・・そうか、あれは小さい自分なりにかなり頑張っていた気がする。
ただ、そんなに褒めちぎられるほどではないとも思うけれど。





『ねえねえ、最初に弾いた曲はなんて曲?可愛い感じの!』

「最初?ああ、子犬のワルツ?」

『子犬?可愛い感じの曲だもんね。あとは?』

「月の光とか、アヴェマリア・・・それから花の歌。」





曲名と一緒に軽く弾いてみせると、表情を輝かせながら何度も頷いて。
ピアノの音に耳を澄ませるように時々目を閉じる。





『じゃあさ、最後に弾いたのは?』

「夜想曲。」





が音楽に興味を持つなんて意外だった。
さっきまでは顔を真っ赤にして、もう歌なんて嫌だって顔をしていたのに。





『いいなあ、私これ好きだなあ。』

「有名だからね。耳が聞きなれてるんじゃない?」

『えー?そういうのじゃないよー。』





一通り弾き終えると、弾いていたはずの俺よりも先にが大きく息を吐いた。
数秒の間の後すぐに顔をあげてゆっくりと微笑む。





『へへ、竹巳ってピアノ好きなんだねー。』

「え?」

『だってこれって昔の知識のままなんでしょう?つまり小学生のときにいろいろ覚えたってことだよね?』

「たまたまピアノ教室で教えてくれただけだよ。」

『教えてくれても覚える気がなかったら覚えないよ。私なんて興味ないことすぐ忘れちゃうもん!』

「ああ、はそんな感じ。」

『ええ!少しは否定してよ!』





小さい頃からピアノ教室に通っていて、小学校のときは合唱コンクールの伴奏をしたこともある。
だけど時が過ぎていくにつれて、俺はサッカーを知りたくさんの仲間たちに出会い、もっと楽しみたいと思うようになった。
けれど、別にピアノを弾くことが嫌いになったわけでもなく、今でもよくクラッシック音楽は聴いている。
ほんのたまにだけれど、音楽室のピアノを借りることだってある。





「・・・まあ、うん。ピアノの音を聴いてると落ち着くかな。」

『そっか。だからかな。』

「何が?」

『私、誰かがピアノを演奏するの聴くのって初めてじゃないよ。テレビとかでプロの人が弾いてるのも見たことあるし。』

「え?まあそうだよね。」

『竹巳の弾いた曲がどれくらい難しいとか、そういうプロの人と比べてどうかなんてわからないけど、
竹巳のピアノ、わたし好きだよ。』

「・・・。」

『なんだかすごく落ち着く。優しい気持ちになれるね。』





今の自分が昔とくらべてどれくらいピアノの腕が落ちたかなんて、考えるまでもない。
音楽に詳しくなく、音感もないと自分で言っていたの言葉で何かを左右されるなんてこともない。

だけどなんだか胸がざわついて。彼女のたった一言が・・・もしかして、俺は、





『・・・あれ、竹巳?赤くなってる?』

「・・・っ・・・」

『おおっと、照れてるの?!竹巳ってば可愛い!』

「照れてない!どうしてはそういうことを恥ずかしげもなく言うんだよ!」

『だって本当のことだよ?何を恥ずかしがる必要があるの?』





普通なら照れてしまったり、意地をはって素直に言葉にできないことも、
は隠すことなく自然と言葉にする。まるでそれが当然だというように。

思えば最初からそうだった。
はよくも悪くも正直だ。思ったことをすぐ口にする。
だから、彼女の言葉に嘘はきっとないのだろう。





「・・・ありがとう。」

『う?ああ、うん!』





小さく呟いた言葉が聞き取れなかったのか、把握するまでに時間がかかったのか。
顔をそらしながら告げた言葉に、は嬉しそうに頷いた。
なんだかいつもいつの間か彼女のペースになってしまうんだ。それが少し悔しい。





「さて、じゃあ続きはじめる?まずは発声からいこうか?」

『え!そこに戻るの?!』

「当たり前だろ?まだこれが未練じゃないって決まったわけじゃないし。」

『・・・そ、そうですね・・・。』

「それじゃあ、どうしようかな。ドの音からいこうか?」

『もう笑わないでね?!』

「わかってるよ。」





歌でなく発声の練習でも彼女はやっぱり一生懸命で、真っ赤になりながら必死で声を出す。
けれど笑ってしまっては練習が止まってしまうから、俺は必死になって笑いをこらえた。

その日は俺が一体ピアノで何をしているのかと、部屋を覗き込んできた母さんが部屋に入ってくるまで続いた。
力尽きてその場に倒れこむを見て、こらえていた笑いが一気に押し寄せてきてしまい、
母さんに不思議そうな顔をされたのは言うまでもないだろう。







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