最後に残したお前の言葉。






伝えることのなかった想い。








きっと、届いていたから。

















最後の夏に見上げた空は

















「ここ、か・・・。」





小さな紙切れに書かれたとある住所。
少し皺の残るそれは、半年以上前に受け取ったもの。
武蔵野市から数時間電車に揺られ、ようやく目的の場所へたどり着いた。

桜塚高校を出てそのままやってきたこの町。
初めて訪れたそこは、都会に並んでいるようなビルなど一つもない田舎町だった。





「・・・君は・・・。」





驚いたように呟かれたその声の方へ振り向く。
そこにいたのは何度か会ったことのある、見覚えのある顔。





「お久しぶりです。」





以前出会ったときよりもさらにやつれて見えるその人物は





の父親だった。


















家の中へと招かれ、断る理由もなかった俺はそのまま彼の後につく。





「母さんは・・・ああ、いないようだ。」





玄関に靴がないこと、リビングやキッチンにの母親がいないことを
確認して、父親は安堵した表情を見せる。





「・・・まだ、・・・さんのことは・・・?」

「ああ。思い出していないよ。・・・彩珂と混同したままだ。」





俺は桜町に行く前に、何度かこの人に会っている。
の母親には会ったことはなかったが、彼女の話は聞いていた。

そして、『彩珂』という名の子供のことも。

『彩珂』はこの人たちの一人目の娘。
体が弱く、小さい頃に亡くなったと聞いた。

その後引き取られたのが
血はつながってないとはいえ、彼らはを本当の子供のように愛していた。
彼らがお互いを思いあっているのは確かだった。



けれど、今、の父親が言った言葉。





『思い出していない』





思い出していないと言った父親が指していたのは・・・のことだった。



目の前での力を目の当たりにした母親。
そして、が遺伝子強化兵であることを
17の夏にいなくなってしまうことを、思い知らされてしまった。

もともと体も、心も強いほうではなかった。
一度子供を失っている彼女の心は、同じ思いをすることを拒み、
その悲しみを封印してしまった。遺伝子強化兵の娘などいなかったと。



そして導き出された都合の良い答え。
小さい頃に亡くなったという一人目の子供である彩珂。
その後、施設から引き取り一緒に過ごした

彼女たちが混同され、一人の人間となっている。
自分で生んだ彩珂。と共に過ごした日々は母親の中で彩珂との日々になっている。
名前は彩珂だが、母親の思い出に残るのはの姿。

そして『彩珂』は今は遠くで暮らし、しばらく会うことができないと思い込んでいる。
そうして母親は自分を保つ。・・・そうしなければ生きていけなかったのだろう。



けれど・・・。





「よく・・・来てくれたね。君も大変だっただろう。」

「いえ・・・。」

「・・・君が一人でここに来たということは・・・は・・・。」





ずっと一緒にいた、最後の時を過ごした俺ですら認めたくない事実。
俺は俯いたまま、返事を返すことができなかった。





「・・・そうか・・・そうかっ・・・」





俺の態度で確信を持ったのだろう。
父親は静かに俯き、自分の拳を握って。

彼の膝の上に水の雫が落ちていく。
何粒も、何粒も。





「・・・すまなかった三上くん・・・すまなかった・・・っ・・・!!」





叫ぶように呟いた自分の娘の名前。
すまないと何度も謝るその姿を、ただ茫然と眺めていた。

きっとこの人もの側にいたかったのだろう。
愛した娘の最後を共に過ごしたかったのだろう。
けれどそれすらも叶わなかった。
娘をたった一人にしたという負い目だけを残して。

この離れた場所で、娘のことを語る相手もないまま。
ただ、想うだけで。





「・・・これを。」





鞄の中から数枚の紙の束を取り出す。
俺が何を言うよりも、これだけでいい。
これだけ渡せばいい。それで、この人ならわかるはずだ。





は自分から貴方たちの元を去った。追うなとも言った。
自分のことは忘れてほしいとさえ思っていたのかもしれない。だからきっと、これも渡すつもりもなかったんだと思います。」

「三上くん・・・?」

「アイツは優しすぎた。だけど、貴方たちはこの言葉を知るべきだと俺は思う。」





父親は差し出したその紙束を受け取り、静かに紙を広げた。
食い入るようにそれを見つめ、読み出した父親を俺はただ静かに待った。





『お父さん、お母さんへ』





ゴミ箱へ捨てられていた数枚の紙束。それは。
最後まで離れていた両親に向けられた手紙だった。










『今日、桜塚高校に転入したよ。いきなりクラスメイトを怒らせちゃった。
つくづく私って空気が読めてないみたい。これじゃあまた二人を心配させちゃうよね。』





少しずつ、語りかけるように綴られているその言葉。





『あのね。私も・・・友達が出来たよ。ちゃんと友達って言える人たち。
すごくいい人たちなんだ。紹介は・・・できないけど、私は大丈夫だから。安心していてね。』





送るつもりのない手紙だったはずなのに、その言葉はいつでも両親を気遣っていた。





『実は・・・好きな人がいたんだ。今日その人と再会したよ。びっくりした。
もう二度と会えないと思ってたから・・・。だから本当に嬉しかった。
だけど・・・好きだから、好きすぎて、どうしたらいいのかわからなくなっちゃった。』





一人で悩んでいたこと。今までであれば、両親に相談してきたのかもしれない。





『悩む必要のないこと、教えてもらったよ。その人ね。側にいていいって、いてくれってそう言ってくれた。
私も側にいたいと思う。誰かを好きになれるって、好きになってもらえるって・・・こんなに幸せなことだったんだね。』





隠すことのない、まっすぐなその言葉。





『今日はサッカー部の試合なんだ!私も協力するよ。
友達の為に何かできるって、本当に嬉しい!」





今まで感じられていなかった、新たな感情と喜び。






『大切な友達がまた一人増えたよ。自分の命をかけて、私たちを救ってくれた。
出会えてよかったって。幸せになってって。そう言ってくれたかけがえのない人。
私も後少ししか時間はないけど、彼のことは絶対に忘れない。』





他人を想って、前を向いていく強さ。





『もうすぐ・・・最後の日が来るんだね。体に変化がないから、実は全然実感が沸いてないんだ。
だけど・・・皆や、先輩に・・・会えなくなると思うのは怖いな。皆といる時間は、本当に温かくて・・・。
お父さんやお母さんが友達はいいものだって言ってた意味、わかったよ。
それと・・・好きな人がいることも。こんなに支えられて、勇気がもらえる。
お父さんとお母さんみたいな関係みたいに・・・なんて大げさかな。それでも二人は私の理想だったから。
二人みたいに・・・なりたかったな。』





滅多に見せることのなかった、弱さ。





『お父さんとお母さんから離れて・・・寂しかった。悲しかった。
今でも・・・それは変わらないけど。でもね。私は今、こんなに満たされてるよ。

心からの友達。たくさんの優しい人たち。とてもとても、愛しく想える人。
こんな人たちが側にいる。その場所に私がいる。私、幸せだよ。



だから。



だからお父さんもお母さんも、幸せになってほしいな。
つらいなら私のこと、忘れても構わないから。
優しい二人だから、今もきっと後悔しているんじゃないかって。
悲しんでいるんじゃないかって・・・それがとても心配だった。

もしも、そうなら。

どうか自分たちを責めないでください。
もう私のことで悲しまないで。

私のことを思い出してくれるのなら、一緒に笑ってる思い出がいい。
二人を苦しませる思い出じゃなく、二人を笑顔にしてあげられる思い出がいいな。



もう、これが最後の手紙になるのかな。
なんて、手紙のつもりが日記みたいだったかな。でも送るつもりはないから、それくらいいいよね。



今まで、ありがとう。





たくさんたくさん、ありがとう。





私、二人の子供でよかった。』









それは両親に向けたの最後の願い。
そして、心からの感謝の言葉。











「っ・・・っ・・・・・・!!」










何度も何度もの名前を呼んで。その手紙を握り締めて彼はずっと泣いていた。


























そうして暫しの時が経つ。
目を腫らしたの父親は、ようやく落ち着いたように俺を見た。





「ありがとう・・・ありがとう三上くん・・・。」

「俺は・・・何もしてないですよ。」

「・・・君がいたからは・・・は幸せでいられたんだ。」

「・・・何もしてないです。俺は俺のしたいようにしただけ。の側にいたいと思ったのは俺の意志です。」

「・・・そうか。・・・けれど、やっぱり礼を言うよ。」






礼を言われるだなんて、そんな大層なことをしたつもりはない。
けれどそれでこの人の気が収まるならばと、それを受け入れる。





「・・・そういえば奥さんは?戻ってこないんですか?」

「ああ・・・。今日は買い物で遠出をすると言っていたから・・・。
土曜日で人も多いだろうから、時間がかかると思っていたが・・・。それでもそろそろ帰ってくるだろうな。」

「・・・では俺も、帰ります。それは・・・それをどうするのかは貴方に任せます。」

「・・・君は・・・これを妻に見せるべきだと思っているかい?」

「・・・俺は・・・そうですね。思います。いつかは話さなければならない真実だ。それに・・・。」





それに、こんなにもアンタたちを想っていたが、母親の中で存在していないだなんて。
そんなの悲しすぎる。例えばはそれでもいいと笑うだろうけれど、俺は・・・そんなことを認めたくはない。

けれど続けようとしたその言葉は、声にならずに消えた。
が守ろうとしたもの。それを感情に任せた安易な一言で壊すわけにはいかない。





カチャカチャ。ガチャリ。





椅子から立とうとした瞬間、聞こえたのは玄関の鍵を開ける音。
の父親が少しだけ慌てたように、俺を見る。





「あら?お客さま・・・?」





重そうに買い物袋や紙袋を手に提げたの母親が、疑問の表情を浮かべる。
しかし、俺を客だと判断し、ニコリと笑顔を向ける。





「・・・仕事先の息子さんだ。ちょっと知り合いでな。近くまで来たからよってくれたんだ。」

「あら。そうだったの。言ってくれればちゃんと用意して家を出たのに。」





どう見たって普通の親だ。
本当に・・・この人はを忘れてしまっているのだろうか。





「初めまして。えっと・・・仕事先の・・・名前を聞いても良いかしら・・・?」

「・・・三上です。三上亮。」

「亮くんね。年も・・・彩珂と同じくらいかしらね?ああ、娘なんだけれど・・・。」





ズキリと胸が痛む。
そんなに嬉しそうな顔なのに、思っているのはじゃない。





「じゃあ俺は・・・帰ります。」

「あら。もう帰るの?まだいてもいいのよ?私、何のお構いも出来ていないし・・・。」

「いえ、もう帰るところでしたから。」

「そうなの?あなた・・・あら?」





の父親をじっと見て、夫の異変に気づいたようだ。
父親は慌てるように、視線をそらした。
ああ。そういえばこの人はと一緒で嘘が下手だった。
のこともよく今まで隠し通してこれたものだ。





「目が・・・赤いわ?腫れぼったいし。」

「そ・・・そんなことはない。」





結構鋭い人だ。けれど俺は助け舟を出すつもりもない。
今まで誤魔化してきたんだ。これからも誤魔化すつもりなら、これくらいなんてことないだろう。





・・・これからも誤魔化すのなら・・・?





これからも・・・嘘をついて・・・の存在を忘れたままで・・・?





「亮くん。今度うちの娘にも会ってね。仲良くしてくれると嬉しいわ。」





なあ。俺はお前のことを絶対に忘れない。
例えばこの人が、お前を忘れたままでいても。

そう、思ってた。

お前はきっとこの人たちを傷つけたくなかったんだろう。
自分が悲しい思い出になるのなら、いっそ忘れてくれて構わないと。
だから俺も、お前の母親がこのままでいるのも仕方がないと思っていた。





けれど。





本当は、望んでいたんだろ?







自分のことを覚えていてほしいって、願っていたんだろう?









「・・・知ってるよ。貴方の娘だろ?ずっと一緒にいたから。嫌ってほど知ってる。」

「ええ?そうなの?じゃあ彩珂と同じ学校に・・・」

「いましたよ。桜塚高校に。」

「さくらづか・・・こうこう・・・?」

「・・・三上くん・・・。」









告げるつもりのなかった言葉。
父親の心配そうな顔。それでも彼は俺を止めようとはしなかった。










「俺が一緒にいたのは、だ。彩珂じゃない。」










母親の目がいっぱいに開かれる。
聞き覚えがあるはずのその名前。知らないだなんて言わせない。









「・・・・・・?」









一瞬の沈黙。
その後すぐに彼女は床に崩れ落ちるように、頭を抱えて。










「い・・・や・・・いやあぁぁっーーーー!!」










半狂乱になって叫んだ母親を、隣にいた父親が抱きしめる。
感情に任せた安易な一言。そんな言葉、言うまいと思っていたのに。
それでも、やっぱり俺に我慢だなんて性に合わない。





「俺はの家族でも親でもない。だからアンタたちの気持ちなんて理解できない。だけど。」







』という言葉に母親が反応を返す。
悲しそうに叫ぶ声。息も荒いが俺の言葉は聞こえているようだ。





は逃げずに戦ってた。アンタたちを想ってた。それなのに・・・アンタたちが今でも逃げてちゃ仕方ねえだろう?!」





視点の定まらない目で茫然とする母親に、父親がの手紙を握らせる。
彼女は震える手で、ゆっくりと、恐る恐るそれを開いた。

驚いた表情。そして。
止まることのない涙。その手紙を目にして、と離れてから初めて彼女は認めた。
という存在を。一緒に過ごした娘を。





「・・・っ・・・ごめんねっ・・・ごめんねぇっ・・・!!」





こうして真実をつきつけて。
俺は残酷なことをしているのかもしれない。
このままもしこの人が今以上に壊れてしまったなら。
が悲しむことは目に見えているのに。





それでも俺は。
誰を傷つけるよりも、お前の望みを叶えたいと思う。



何もせずに後悔だけするだなんてまっぴらだ。





・・・こんな好き勝手にやって、またお前に怒られそうだな。





の言葉を・・・無駄にしないでほしい。」





俺に言えることは、これくらいしかなかった。
それはの願い。そして・・・俺の願いだ。


頭を抱えてずっとへの謝罪だけを繰り返していた母親。
けれど次第にその声が小さくなっていく。そして。

涙で濡れた顔で俺を見上げて。
体を震わせたままで。
それでも。





「・・・ありがとう。ありがとう・・・亮くん。」





それはとても弱々しかった。
それでも彼女は笑っていた。
しっかりと、笑っていた。



そしてそれは、に似た優しい笑顔だった。




















今度こそその家を後にし、俺は自分の家へと向かった。
薄暗くなった道を一人歩く。考えるのは、お前のことだった。

おせっかいですぐ何かに首を突っ込んで。
おかしなことに巻き込まれて、怪我したり、悲しんだり、酷い目にあったり。
それでもお前は何度でも、同じことを繰り返す。

他人になんか興味なかったくせに。
バカみたいに他人ばっかりを気にするようになって。

こうして、いなくなってまで誰かを救うだなんて。
どれだけ世話を焼けば気が済むんだよお前は。



だけど、お前のその優しさは。
バカみたいに何度でも注ぐその想いは。
いつも誰かの支えになっていた。









そして今、この時間さえも。










「何で先輩の言うことを聞かないといけないんですか?
別にここは先輩のものじゃないでしょ?」





最悪な出会いだった。





「・・・無理に好きでいる必要はないです。けれど、
無理に嫌いになる必要だって、ないと思います。」





それでもお前はいつからか、側にいることが当たり前の存在になっていた。





「三上先輩が、好きです。・・・できるならずっと側に、側に・・・いたいです。」






きっと何度も悩んで。





「私は口ばっかりで、私を助けてくれた彼らを救うこともできなかった・・・!!」





足掻いて、苦しんで。





「だ・・・ダメです先輩・・・!来ないで・・・!!」





傷ついて。それでも。





「私・・・先輩に出会えて、よかった・・・。」





それでも最後までまっすぐに、俺を見てくれていた。





「・・・私も・・・愛してます・・・ずっと、ずっと・・・。」





最後まで俺を、愛してくれた。














最後のそのときまで、お前はお前だった。
お前は自分のこと、勝手な性格だなんて思ってるんだろうけど、それは結果誰かを救っていて。
俺から言わせれば、どこが自分勝手なんだと言ってやりたかった。








これからの当たり前の日常。






ずっと一緒にいたかった。






一緒に、いてほしかった。








最後のその時まで、俺の幸せを願ったお前を









自分が幸せだと笑ったお前を、もっと幸せにしてやりたかった。














「・・・っ・・・。」
















がいなくなって、初めて涙が溢れた。

認めたくなかった。が死んでしまっただなんて。
もう会うことができないだなんて。
涙を流せば、それを認めてしまうようで嫌だった。

だから現実から目をそらした。
のいない現実を見ないように過ごしていた。





でも・・・お前が望んでいるのは、そんなことじゃないんだよな。





は逃げずに戦ってた。アンタたちを想ってた。それなのに・・・アンタたちが今でも逃げてちゃ仕方ねえだろう?!」





まるで、自分にも言い聞かせるように放ったその言葉。
わかってるよ。俺もいつまでも逃げてなんかいねえから。





溢れ出した涙は、暫く止まらなかった。
まるで今まで溜まっていた涙が溢れ出したかのように。

流れる涙を拭いもせずに、もう既に暗くなった夜空を見上げた。

格好悪く逃げていた自分。
何が解決したというわけじゃないし、お前がいないこれからを過ごすことに変わりはない。





それでも。





それでも、この涙の後にはまっすぐに前を向けるような気がした。













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