ただ、前を見る。





そんな単純なことすらも、できなかった。














最後の夏に見上げた空は














が、桜塚高校の2年がいなくなって数日が経った。
職員室の先にある2年の教室。どの教室へ行ってもそこに流れていたのは静寂だけだった。
賑やかだった廊下、うるさいくらいの教室の騒ぎ声。もう誰一人としてそこにはいない。

慌しく動く教師たち。ほんの少しの間休校となっていた学校も、今日からまた再開する。
窓からは何事もなかったかのように、隣の奴らと笑いあいながら登校してくる生徒の姿が見える。





「・・・。」





ベッドの上から見える外の景色を一瞥して、視線を部屋へと戻す。
そしてこの数日そうしていたように、ベッドに寝転んだ。

まるで後処理とでもいうように、慌しく動く教師たちとは正反対に
俺はこの数日、ほとんど部屋から外に出ていない。
こうしてベッドに寝転び、何も考えずただ天井を眺めていた。

が眠りについて、俺は真っ白になった頭でただ学校中を歩いた。
わかっているはずの現実を無視して、どこかにがいるんじゃないかと期待して。



けれど。



騒がしくてうるさかった教室。人一人いない廊下。
包んでいたのは静寂。
探せば探すたびに、こみ上げてくる孤独感。
俺はもうそれ以上、その場にいることができなかった。

部屋のベッドにうつ伏せに倒れこみ、今でもアイツを探そうとする思考を止める。
もう何も考えたくはなかった。現実など・・・認めたくはなかった。





コンコン





部屋のドアを叩く音が聞こえる。
俺はドアへと目を向けたが、返事はせずにまた天井を見上げた。





「三上?起きてるんだろ?」





声の主は椎名だ。
相変わらず生意気そうな声。

椎名はこの数日、暇を見つけては渋沢とサッカーをしていた。
パスをくれる相手も、出す相手も、戦う相手すらもういない。
それでも、飽きもせず何度もボールを蹴って。





「わかってる?今日から学校だよ。寝ぼけて忘れてるんじゃないかと思って。」

「椎名。もっと言い方があるだろう。三上、一緒に学校へ行かないか。」





何だこいつら。
今までも俺を迎えに来たことなんてないくせに、余計な気なんてつかいやがって。
つーか迎えって小学生かっつの。





「・・・俺は関係ねえし、とっとと行けばいいだろうが。」

「何意地張ってんのさ。ガキじゃあるまいし。」

「意地って何だよ。別にそんなもん張ってねえし。」

「いつまでそうやっていじけてんのかって言ってるんだよ。」

「!」





相変わらずムカつく物言いをする。
誰が意地を張ってる?誰がいじけてる?





「おい・・・椎名・・・」

「お前がそうやって、何も考えずに何もせずにいることなんて、が望んでると思うわけ?
そう思ってるんだったらよっぽどのバカだ。大バカだ。だって全然安心なんて・・・」





バンッ





椎名の言葉に思わず立ち上がり、勢いよくドアを開け放す。
俺の行動に驚きもせずに、椎名をただ俺を見上げていた。





「お前にの・・・何がわかる?!偉そうな口聞いてんじゃねえよ。」

「まあお前よりわかるだなんて言わないけど、さっきの考えは間違ってないと思うよ。」

「・・・っ・・・!」

「間違ってないこと・・・それがわかるのはお前だとも思うけどね。」





怒りに任せて睨みつける俺から、椎名は決して目をそらさない。
にらみ合う俺と椎名の横から、俺の腕を掴んでその空気を変えたのは渋沢だった。





「よし。三上も部屋から出てきたことだし、教室へ行くか。」

「・・・何勝手に決めて・・・ってオイ!」

「何だ。準備もちゃんとしてあるじゃんか。やっぱり意地はってただけか。」

「椎名!お前人の荷物・・・!渋沢も手離せ!!」

「やれやれ。コイツの我侭にも困ったもんだね。」

「そう言うな椎名。さあ行こうか三上。」

「お前らっ・・・人の話無視してんじゃねえ!」





たかが数日。それなのに人と話したことがとても久しぶりに感じる。
それが例えこんなにいけ好かない奴らでも。

・・・こいつらも、もう誰もいない教室を見たのだろうか。
騒がしかったあいつらがもういないことを、受け入れているのだろうか。





「・・・チッ・・・。」





大切に思っていた奴らと居場所がなくなって。
それでも俺を迎えに来るだなんて、余計なことまでして。
自分たちだってまだ気持ちの整理も、混乱もしてるだろうに。バカじゃねえの?





「全く・・・やっと観念した?」

「・・・観念も何も・・・。俺は明日、この学校を出るからな。今更授業なんて出る必要ねえんだよ。」

「「・・・え?」」





俺の腕を持ち、引きずるように前を歩く渋沢の足が止まった。
その後ろについていた椎名も驚いたように俺を見る。

誰にも言うつもりなんてなかったけれど、こいつらにならば伝えてもいいのだろう。





「俺は・・・この夏が終わったら武蔵野市に帰ることになってたからな。」

「・・・な・・・何だよそれ・・・。」

「別に俺がいようがいまいが問題ねえだろうが。」

「そんなの関係ないだろ?お前は卒業までいると思ってた。だってここには・・・!」





椎名の言葉の先。言葉を詰まらせた椎名が何を言いたいかなんてわかっていた。
ここはと再会した場所。と過ごした場所。の笑っていた場所。
あまりにも多すぎる思い出は、胸が痛くなるほどにのことばかりだった。





「ご丁寧に催促の電話まで来てるんで。」

「・・・政府の・・・?何とかならないのか?」





何もせずに過ごした寮の部屋で、無機質な機械音が鳴り響いた。
携帯から流れていたその音は、親父からの電話を知らせていた。
ディスプレイを見て、何も考えずにその電話をとって。
もう俺が戻れるように準備はしてあるから、すぐに帰ってこいと言う親父の言葉。
のいないこの場所に、の思い出だけしか残っていないこの場所に。
拘る必要なんてもう、なかった。





「・・・お前・・・前にサッカー部のことで政府に掛け合ってくれたことあったよね・・・?
そのときどうやって頼んだわけ?あんなやっかいなこと、政府が簡単に受け入れてくれるなんて思ってない。」

「・・・は?何のことだよ。」

「とぼけるなよ!郭が粛清施設に連れていかれるってときもそうだ。お前は一体何をしたんだ?
何を・・・条件にしたんだよ!!」

「・・・。」

「お前がこれから政府に縛られるような・・・そんな条件じゃないのか?!」





今まで大して触れもしなかったのに。やっぱりコイツは苦手だ。
そんなもん適当に流してりゃいいのに。面倒な奴。





「・・・俺がお前らの為にそこまですると思ってんのか?」

「僕らの為じゃない。の為だ。が望んだのなら、お前は何だってする。」

「なんだそれ。俺はそこまでいい人間じゃねえよ。」

「じゃあ言えよ!条件は何だ!!」

「知らないって言ってんだろ。」





俺は椎名にそのことに関して告げる気はないし、椎名は椎名でどうにかしてそれを聞き出そうと必死だ。
不毛とも言える言い争い。どちらも引くことをしらない。だからコイツとは気が合わないっていうんだ。





「三上・・・お前っ・・・!」

「ああもう、うるせえなあマジで。」

「落ち着け。二人とも。」





そんなやり取りを繰り返す俺たちを止めたのは、またも渋沢。
俺たちの間に入り、俺の方へと視線を向けた。





「・・・自棄に・・・なってるわけじゃないんだな?」

「・・・ああ。当たり前だろ。」

「俺たちが心配することは、ないんだな?」

「ねえよ。元々お前らが俺を心配するだなんておかしいだろ。」

「おかしくなんてないさ。俺たちはもう友達で仲間だろう?」

「・・・っ・・・気色悪いこと言ってんじゃねえよ!」

「気色悪い?別に普通だと思うが・・・。」





渋沢も渋沢で苦手だ。どうもコイツは椎名とは違ったやりにくさがある。
友達やら仲間やら、青くさいことを平気で言ってるし。





「もう一度聞く。大丈夫だな?」

「ああ。何回も言わせるなってんだよ。」

「・・・だ、そうだ椎名。」





そう言って、今度は椎名へと振り向く。
椎名は不満そうに、渋沢の笑顔を見てため息をついた。
そんな椎名の表情を見て小さく微笑んで、渋沢は再度俺の腕を掴む。





「お前が明日転校してしまうのなら、今日は尚更学校へ来るべきだ。
それが授業をサボっていい理由にはならないからな。」

「・・・は・・・?」





笑顔で有無を言わさずに。
気づけば俺はまた渋沢に引きずられていた。





「って・・・オイ!渋沢!」

「もう諦めたら三上。こうなった渋沢は何が何でもお前を教室に連れていくよ。」

「はあ?」





まともで引き際の弁えている奴かと思っていたが、どうやらそれは違ったようだ。
コイツも椎名と同じ・・・いや、笑顔で有無を言わせず人を従わせるあたり、もっとやっかいな奴なのかもな。
サッカー部を仕切っていたように見える椎名ではなく、渋沢がキャプテンだった理由はそういうところにあったのかなんて
どうでもいいことを考えながら、俺は渋沢に引きずられるまま3年の教室へ連れて行かれることとなった。





















そして結局今日は渋沢と椎名に引っ付かれたまま、全ての授業を受けることになってしまった。
数少ない3年のクラスの話題は、遺伝子強化兵のこと。
明らかにほっとしている奴が多くて、気分が悪かった。
この学校の奴らのほとんどが遺伝子強化兵に恐怖していたなんてわかっていたのに。
それでもこみ上げてきたのは悔しさだった。

授業が終わり、ようやく解放された俺はまた自分の部屋へ戻った。
サッカーまで誘われたときには驚いたが、さすがにそれは断った。
疲れた表情をしていた俺に、椎名も渋沢ももうそれ以上は何も言わなかった。



明日出て行くこの部屋にはもう何もなかった。
とはいえ、元々この部屋には物自体少なかったのだけれど。

明日戻るはずの武蔵野市。
俺はそこに戻って、自分の家に戻って。元いたあの高校に戻る。
と出会った高校。そこにだってはいないのに。

俺は一体・・・何の為にそこへ戻るのだろう。
親父の言いなりで、そこに戻って何が得られる?
本当に欲しいものは、もうどこにもないのに。





コンコン





扉をノックする音。またあの二人かとため息をつく。
けれど、その予想ははずれて。





「三上くん?入ってもいいかしら?」





聞こえたのは女の声。この声は聞き覚えがある。
返事もせずに扉を開けた先にいたのは、サッカー部の監督で顧問でもある西園寺先生だ。





「突然ごめんなさい。けれど、貴方にどうしても伝えておきたいことがあって。」

「・・・何ですか。」

「これを・・・。」





差し出されたのは、数枚の紙の束。
それを差し出したまま何も言わない西園寺先生を一瞥して、それを受け取る。





そして。





「・・・!!」

さんの部屋のね・・・ゴミ箱にあったのだけれど・・・。」





複雑そうな顔をして、何か説明をしている。
けれどその紙きれの内容を俺は何度も何度も眺めなおして。その説明は耳に入ってはこなかった。





「三上くん?」

「・・・え?」

「貴方・・・明日武蔵野市に帰るそうね。」

「・・・ああ、まあ・・・。」

「それを・・・どうするかは貴方に任せていいかしら?」

「・・・俺・・・?」

「普通に頼まれたのならば、私がそれを渡してもいいのだけど・・・。
それは彼女の部屋のゴミ箱に、捨てられていたの。」

「!」

「ゴミ箱に捨てられているには、あまりに綺麗で不自然で。
捨てられていたものを拾い出すなんて、気が進まなかったんだけれど。」

「・・・。」

さんの気持ちが一番わかるのは・・・貴方でしょう?だから、貴方に任せるわ。」





俺はその数枚の紙切れを握りしめて。
これをゴミ箱に捨てたを思った。そのときのの心を想った。

優しすぎたアイツの、伝えることのできなかった言葉。





「・・・わかりました。」

「そう。じゃあお願いするわね。」





そう言って悲しげに微笑む。
この人もまた、あいつらを本気で思っていたうちのひとりだ。
複雑な想いがまだ心を支配しているのだろう。





「明日は・・・早いのかしら?」

「朝には出て行きます。」

「そう・・・。翼が寂しがるわね。」

「・・・まさか。」

「貴方たちは結構似たもの同士だったと思うわよ?」

「気分が悪くなること言わないでくれますか。」





最後にもう一度笑った西園寺先生が帰っていき、
俺は握り締めていた何の飾り気もない紙の束を見つめて。





「・・・たくっ・・・。バカじゃねえの?」





返事が返ってくることのない、彼女に向かって呟く。





「渡されたくなかったら、もっと目立たないところにでも捨てておくべきだったな。
俺はお前の気持ちなんて知らねえからな。」










俺がのいないあの場所に帰る意味なんてわからない。
そんなもの、なかったのかもしれない。



けれど。



とりあえず、ここから離れる理由は見つかった。
お前の最後の言葉、伝えられなかったその言葉。

無駄になんてさせない。
たとえお前がそれを望んでいなくても。





俺はその紙の束を鞄に入れて、そのままベッドへと倒れこむ。



これを持っていったらアイツは驚くだろうか。怒るだろうか。
そんな疑問が頭をよぎる。



答えを探して、そんな自分に苦笑する。
そして、実感させられる。





いくら考えたって、答えは出ない。






答えは、返らない。






些細な疑問の答えさえ







もう知ることは、できないのだと。















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