ねえ先輩
私は幸せでした。
貴方に会えて、よかった。
最後の夏に見上げた空は
青い空に浮かぶ、白い雲。
今まで何度も見上げてきた空の色。
朦朧とした意識の中で、それでも見上げた空はあまりにも綺麗だった。
「・・・・・・?」
耳元で囁かれた自分の名前。
その名を呼ぶのは誰よりも愛しい人。
私はその声の方へと振り向いて、笑顔を向けた。
自分の体温はあまりにも低いのだけれど。
私の体を後ろから抱きしめてくれている亮先輩のおかげで、その体温の低さは気にならなかった。
けれど、この温かさがそばにあっても。
残された時間はほんのわずか。それは、抗いようの無い事実。
離れたくない。側にいたい。けれど、認めなければならない現実。
それでも変わらずに願い続けるのは。
少しでも長く、貴方の側にいること。
「・・・ふふ。」
「・・・何笑ってんだよ。」
「先輩と初めて会った日くらい・・・空が綺麗だなあって思って。」
「・・・そんなもん覚えてんのか?」
「覚えてますよ?あの日は雲ひとつない青空で。
それなのに嫌な先輩に会っちゃった、なんて思ってましたもん。」
「何だそれ。俺こそ面倒な奴が来たって思ったっての。」
「ここは俺が使ってんだよ。1年が入ってくんな。とっとと消えろ。」
「何で先輩の言うことを聞かないといけないんですか?
別にここは先輩のものじゃないでしょ?」
「あはは。私たちの出会いって、結構最悪でしたね。」
「まあな。」
「・・・でも・・・先輩の素直じゃないところも、不器用な優しさも。ちゃんと・・・わかりましたよ?」
「俺もわかった。お前の頑固すぎるところとか、おせっかいなところとか、能天気なところとか。」
「・・・それ、褒めてないです。」
「・・・そういうところがわかってんのに、それでも俺は・・・。」
先輩が私を見つめる。
まっすぐなその眼差し。私も先輩を見つめ返した。
「・・・それでも・・・?」
「・・・。」
「・・・先輩・・・?それでも・・・何ですか?」
「うるさい。」
その先の言葉が予想できてなかったわけじゃないけれど、私は笑みを浮かべながら先輩に問う。
そんな私の表情に不満を持ったのか、先輩が赤くなって私の口をふさぐ。
それほど強くもなかったその手をほどき、私は赤くなった先輩に笑みだけを返した。
「・・・私・・・嬉しかったです。」
「何が。」
「もう会えないと思ってた先輩が・・・桜町に来てくれたこと。」
「お前がいないと、つまらねーんだよ。何もかも。」
「側にいろって言ってくれたこと。」
「先輩も最後まで一緒に、側に、いてくれますか?」
「・・・バーカ。当たり前のこと聞いてんじゃねーよ。」
「この町に来た頃、全てに絶望して・・・。何もかもを諦めそうになっていたのに。
それでも先輩の存在は、私に力をくれてたんです。」
側にはいない貴方を思うだけで、どんなに勇気付けられただろう。
温かなこの想いは、どんなに私を支えただろう。
「私が思ってたことも・・・隠してた気持ちだって、先輩にはすぐばれちゃってましたね。」
「当たり前だろ。お前みたいにすぐわかる奴も珍しいっての。」
「お前の嘘も強がりも、俺に隠せるわけがねえだろ。」
「でも・・・先輩だけでしたよ?そんなこと言うの。」
「他の奴らの目が節穴なんじゃねえの?」
「あはは。・・・だけど、先輩のその鋭さは・・・いつも私を救ってくれてました。」
「他の誰に話せなくても、俺にだけは話せ。
そんな顔させとくために、ここに来たんじゃねえんだよ。」
貴方の乱暴だけど不器用で優しいその言葉は、いつだって私の胸に響いていた。
隠れるようにそこにあった優しさに、温かさに何度助けられただろう。
青い空に向けて、自分の手のひらを掲げる。
左手の薬指にはめられた指輪の青いガラス玉。光に反射してキラキラと光るそれはとても、綺麗で。
「だ・・・だって、あの、薬指ですよ?左手の・・・。」
「ああ。だから?」
ほんの小さな願い。
口に出すことを躊躇った数秒の願いさえ、貴方は叶えてくれた。
「ねえ先輩。」
「・・・何だ。」
「私・・・先輩に出会えて、よかった・・・。」
「!」
「先輩に出会えなかったら・・・こんな幸せを私は知らなかった・・・。」
他人と関わることを避けていた自分。
そんな私がこんなにも他人と関わって。
その楽しさを、温かさを、愛しさを感じるようになったのは、いつからだっただろう。
きっとそれは、自分で気づくよりもずっとずっと前から。
この幸せを教えてくれた人。
ずっと一緒にいたいと願える人。
心からの愛しさを感じさせてくれた人。
「亮先輩・・・。」
ずっと一緒にいたかった。
貴方の側で変わらない日々を送っていきたかった。
きっと、小さな口喧嘩は何回でもあるんだろうな。
からかわれて怒る私と、何でもないように不敵な笑みを浮かべる先輩がいて。
それでも、いつの間にか一緒に笑いあう日々。
他愛のない日常。
当たり前に続く毎日。
変わることのない何気ない日々を
居心地の良い貴方の隣で、一緒に過ごしていきたかった。
「先輩の側にいられることが・・・本当に嬉しかった。」
それはいつでも心にあった、小さな願いだった。
けれど、私にはあまりに遠い願いだった。
叶うことのない、儚い願いだった。
それでも。
それでも貴方と過ごした時間。
願いは叶わなくとも。
「幸せ・・・でした。」
視界が滲んだ。
ああ。最後まで笑っていようと思っていたのにな。
最後だから、先輩に心配かけないように格好つけたかったのに。
・・・なんて、格好なんかつけたとしても、亮先輩にはすぐに見破られてしまっていただろうけれど。
亮先輩が見えないのは、この涙のせいだろうか。
それとも朦朧としている意識のせいだろうか。
「・・・・・・。」
先輩が私の名前を呼ぶ。
私を抱きしめる腕が、包まれた体が貴方の温もりを伝えて。
「俺も・・・お前に会えてよかった。」
たくさんの迷惑をかけた。
しなくてもよかったはずの苦労をさせていた。
包帯の巻かれた痛々しい姿。
最後の最後に、痛い思いもさせてしまった。
それでも。
私と同じ想いを。出会えてよかったと、そう思ってくれる。
胸に温かいものが広がる。
「・・・愛してる。」
「!!」
「お前を愛してる。。」
・・・ずるいなぁ先輩。
絶対に言わなそうなその言葉を、今ここで言うなんて。
さっきは真っ赤になって、うるさいだなんて言ってたのに。
ぼやけていた視界。浮かんでいた涙。
溢れ出した温かな涙が止まることは、もうなかった。
先輩は最後まで、私に幸せを与えてくれるんだ。
「・・・私も・・・愛してます・・・ずっと、ずっと・・・。」
私にはもう未来なんてないけれど。
それでもこの想いは消えないと信じさせて。
私の想いはこれからの貴方の未来に、重荷を背負わせてしまうのだろうけれど。
それでも貴方は、そんな私ごと受け入れてくれたから。
視界はぼやけていたけれど。
目の前に見えたのは先輩の綺麗な顔。
その唇が私の唇に触れた。
きっと、短い時間だった。
それでも長く感じられたその時間。
温かな感覚が、幸せな時間が私を包み込んだ。
「・・・先輩・・・。」
もう貴方の顔もはっきりとは見えなくなって。
私はその願いを見届けることもできないけれど。
叶ってほしい願いが、1つだけある。
「・・・幸せに・・・なって・・・くださいね・・・?」
私の分まで生きて、だなんてそんなことは言えない。
その台詞はきっと、貴方に重荷を背負わせるだけだから。
けれど。信じていることがある。
信じたい願いがある。
きっと、先輩は幸せを掴める。
今よりももっと、ずっと。
だって、こんなにも私に温もりを、幸せを与えてくれた貴方が
幸せになれないなんてこと、あるはずないから。
「・・・っ・・・。何でお前はっ・・・最後まで・・・」
ねえ亮先輩。
私、うまく笑えてるかな?
最後に向ける笑顔が、そこに込められた想いが貴方に伝わるといい。
「・・・!」
私の名を呼ぶ先輩の声。
震えて聞こえたその声に、私はもう答えることができなかった。
愛しい人の声と伝わる温もりを感じながら、残っていた最後の意識を手放して。
私は、二度と目覚めることのない眠りについた。
亮先輩。
私、幸せだよ。
大好きなこの青空の下で
誰よりも愛しい、貴方の腕に包まれて。
ずっと一緒にいたかった。
貴方と一緒に歩む未来を願っていた。
貴方と一緒に、生きていきたかった。
願いは、叶わなかったけれど。
それでも私は、幸せでした。
この温かな想いを教えてくれて。
誰かを想う、この愛しさを与えてくれて。
側に、いてくれて。
ありがとう。
貴方と一緒にいられることが、嬉しかった。
貴方の隣にいることが幸せでした。
亮先輩。
貴方に出会えて、よかった。
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