生意気で、ひねくれてて。
だけど
素直で優しくて、まっすぐだった。
どんなお前たちでも、俺にとっては
最高の、生徒だった。
最後の夏に見上げた空は
教室の窓から見えるのは、広がる青空。
眩しいほどの日差しが差し込む今日は、まさに夏といった天気だ。
窓から見えるのは、グラウンドを駆け回るサッカー部。
俺のクラスの生徒や、弟である将もそこにいた。
「・・・。」
俺はそんな彼らを見ながら小さくため息をつき、昨日の夜に将と話していたことを思い出していた。
『ねえ功兄。明日のことなんだけど・・・。』
『何だ?』
『明日は・・・サッカー部に来なくても大丈夫だよ。』
『・・・え?!』
弟の突然の言葉に驚き、声をあげた。
最後の日となるその日に、側にいなくて大丈夫、だなんて。
そんな言葉を聞くことになるだなんて思ってもみなくて。
『功兄、ここ最近ずっとサッカー部に来てくれてるよね?』
『ああ。そうだけど・・・。』
『僕のサッカーする姿を見てるのが楽しいって言ってくれたよね。・・・僕、嬉しかった。』
生徒が自由になるという3日間。
俺自身の授業もほとんどなくなり、俺は毎日のようにサッカー部へ顔を出していた。
もちろん、他の生徒にも声をかけていたけれど。
『・・・功兄はね、僕の憧れなんだ。』
『・・・!』
『器用で、何でも出来て、優しくて。僕もこうなりたいって思える人だった。』
『・・・将?』
『だから・・・そんな功兄には、今の僕を、サッカーをしていた僕を覚えていてほしいんだ。
いなくなっていく自分を、最後の力のない自分の姿を見られたくないんだ。今の僕を覚えていてほしい。』
悲しそうに笑う弟に、なんて声をかけたらいいのかわからなかった。
こんな時にさえ、何も言うことのできない俺を憧れと言ってくれる弟。
俺は、お前に憧れを持ってもらえるような人間じゃないのに。
『親にも見捨てられたのに・・・功兄がこの町に来てくれて・・・本当に嬉しかった。』
『・・・っ・・・。』
『僕にサッカーを教えてくれたのも功兄だったよね。』
『そう・・・だったな。』
『うん。僕、サッカーがあったおかげで夢中になれるものが出来た。仲間も、かけがえのない居場所も。
・・・ありがとう。功兄。』
『・・・それはお前が自分で見つけたんだ。俺は何もしてないだろ?』
『それでも・・・やっぱり功兄がいてくれてよかった。僕の自慢の兄貴だ。』
もう悲しげな表情さえ見せずに、いつものように優しく笑う弟を抱きしめた。
目に浮かんでいた涙を見せることのないように。
『お前こそ・・・俺の自慢の弟だよ・・・!!』
『本当?功兄がそんなこと言ってくれるなんて、嬉しいな。』
そう言って笑った将の姿と、窓の外で楽しそうに笑う将の姿が重なる。
バカだな将。例えばどんなお前の姿を見ても、お前が俺の弟であることは変わりのないことなのに。
お前を見る目が変わるなんてこと、あるはずないのに。
それでも、お前がそれを望むのなら。
俺は窓から離れ、教卓の椅子に座り、机に突っ伏した。
自分の生徒たちが迎える最後の日。・・・こんなことをしている場合じゃないのに。
弟の笑った顔や、大切な生徒たちの楽しそうな姿を思い出して。
俺は動けずにいた。何をすればいいのかわからない。
こんなときなのに、自分は何も・・・できないのだろうか。
ガラッ
「おわっ!びっくりした!」
大きな音を立てて開けられたドア。
それと同時に聞こえた声。それが誰なのかなんて、顔を見るまでもなくわかった。
「・・・よぉ若菜。郭と真田も一緒だな。」
「よぉじゃないよ先生。こんなとこで一人で教室にいて、めっちゃ怪しいんだけど!」
「怪しいとか言っちゃダメでしょ結人。まあ確かに怪しいって言うか、寂しいけど。こんなところに一人で。」
「英士・・・あんまりフォローになってねえけど・・・。」
相変わらずの三人。
俺は机に突っ伏したまま三人に顔だけを向け、小さな笑みをこぼした。
「やば!功先生なんか笑ってるぞ!!」
「先生、疲れでもたまってるんじゃないの?」
「でも俺ら・・・最近は問題なんて起こしてねえけど・・・。」
「コラ一馬!俺らがいつもは問題起こしてるみたいな言い方すんな!」
「ええ?!いや、そんなつもり・・・は・・・」
「あはは。一馬って本当正直だよね。」
何だか毎日と変わらない光景。
今日が最後であることが嘘みたいで。
笑いあう三人の姿をただ眺めていた。
・・・そうだ。こいつらはこんなに笑っているのに。
今のこのわずかな時間さえも、精一杯に生きているのに。
俺が落ち込んでいてどうする。俺は机から体を離し、その場に立ち上がった。
「どうしたお前ら?教室に来て、俺に会いたかったのかー!?」
「何だそれ!復活した途端、いきなりジイシキカジョウだ!」
「何で自意識過剰がカタコトになってんだ・・・?」
「うるせ!一馬!なー功先生暇なの?こんなとこに一人でいて寂しいんだろー?
俺らが話し相手になってやろっか?」
「正直に俺らが暇だからって言いなよ結人。」
「ちっがーう!!寂しい功先生と俺らがお情けで遊んでやるの!」
三人のその姿があまりに微笑ましくて。
俺はまた静かに笑った。そして。
「じゃあ遊んでもらうか!どうしたい?ゲーセンでも行くか?」
「んー。いいよここで。もう俺ら大人だし!ゲーセンではしゃぐ年じゃないんだよな!」
「何だお前。前まではしょっちゅうゲーセン連れてけー!とか言ってたくせに。」
「ふっ。大人に見えてもガキだな功先生は!ゲーセンはもう卒業したんだよっ!」
教卓の前の席に腰掛けた若菜が誇らしげに言う。
その両隣に座った郭と真田が静かに笑みをこぼす。
何だかバカにされてる感があるが、これもいつものこと。
楽しくはあれど、嫌な気分になどなったことはない。
「そういえばさ先生。は?あれから会った?」
何気なく聞かれたその言葉に、心配の色が隠れていたこともわかった。
には会った。会ったが・・・その容態を告げることはも望まないのだろう。
俺は顔に出やすい性格らしいけれど、これくらいは隠せなければ。
こいつらが知りたいのは真実。けれど、知らなくていいこともある。
そんな言い訳をつけて、俺は逃げているだけなのかもしれないけれど、それでも。
何が正しいのかなんてわからないから。何より、それを自身が望んでいる。
「ああ。会ったよ。大丈夫、元気そうだった。」
「そっかー。ま、あの先輩がいりゃ大丈夫か。悔しいけど!」
胸を撫で下ろす若菜と真田。
郭だけは神妙な顔で俺を見ていたけれど、すぐに元の表情に戻った。
「知ってる?功先生。ってモテるんだぜ?」
「へえ・・・。そうなのか。」
「へえ・・・じゃないよ!可愛いじゃん!なあ一馬?!」
「え?!いや、そ、そう・・・そう・・・だな・・・。」
「一馬・・・。態度でバレバレなんだから、いい加減認めたら?」
「う、うるさい!」
「それに英士もだし?」
「そうだね。」
「あははっ!お前ら皆、が好きだったってことか?三人が三人とも同じ子を好きになるなんて大変だなぁ?」
高校生らしい会話。仲のいい三人が同じ子を好きになってしまうなんて。
も大変だが、この三人の間でもどんな葛藤が繰り広げられたのだか。
いかにも青春って感じだ。自分にとっては随分前のことのようで、少し照れくさくなる。
けれど、三人がを好きになったということにも頷ける。
他人のことばかり考える優しい子。強く、儚く、それでも前を向いて歩いていく子だった。
「けど、には三上先輩がいて・・・くそっ!むーかーつーくー!!」
「でも三上先輩がいたから俺ら、泥沼にならなくて済んだんじゃない?」
「いや・・・泥沼になっても俺たちは俺たちだ!俺らの誰かがと付き合うことになったら潔く身を引くし!」
「・・・じゃあ三上先輩がいなかったら、俺がと付き合ってたかな。」
「ああ?!何言ってんだいけしゃあしゃあと!俺だってのー!」
「・・・。」
「不満そうな顔で抗議してんな一馬!」
「べっ・・・別に不満そうな顔なんてしてねえよっ!!」
「あははは!大変だなも!」
「功先生、なに余裕ぶってんだよ!先生なんて全然モテないくせにー!恋愛話とかすっげー疎そう!!」
「なっ、何だと若菜!聞き捨てならないなそれ!!」
子供みたいな言い合い。
大人のはずの俺が若菜と言い合っているなんて、周りからみたらどんなにガキかと思われるだろう。
だけど俺にはこの時間が、生徒と対等でいられるこの時間が何よりも大切だった。
「・・・なー。功先生。」
「ん?」
「その髪の色・・・止めないんだな。」
「ああ。これか。結構気に入ってる。教師らしくないって怒られるんだけどな。」
随分前に若菜にカラーリングの実験台だと言って、染められた色。
金髪になった自分の髪を他の教師は白い目で見ていたが、自分的には結構似合ってると思ってる。
「似合ってるだろ?」
「まあな。だって俺がやったんだから当たり前。」
「はは。なるほどな!」
・・・なんだろう、この違和感は。
いつも通りのはずなのに、今、何か違和感を感じて。
「なー・・・先生・・・。」
「・・・若菜・・・?」
感じた違和感。
教室によく通るほどの大きな声の大きさ。
声だけで元気だとわかるその明るさ。
今、それが・・・感じられない。
「若菜・・・?!真田!郭!!」
俺はすぐさま教卓から離れ、三人の席へと駆け寄る。
けれど、苦しそうに荒い息を繰り返す三人になす術なんてなくて。
「・・・先生。結人の話・・・聞いてやって。実は俺たち・・・先生を探してここに来たんだよね。」
「・・・え・・・?!」
「俺たち・・・先生にたくさん迷惑かけたから・・・最後の挨拶をしたかったんだ・・・。」
「!!」
苦しそうに、でも優しく微笑む三人。
最後の時のその前に、俺を探していてくれた。
たくさんの迷惑?そんなもの、そんなものかけられたことなんて、一度もない。
「功先生ー。」
「何だ?!若菜・・・!」
「俺さ・・・大人って大っ嫌いだった。誰も、信用なんかするもんかって思ってた。」
「・・・若菜・・・。」
「だけど・・・だけどさ。功先生だけは・・・信用してもいいかって・・・そう思える奴だったよ。」
「・・・っ・・・。」
「ゲーセン連れてってくれたり、雑誌買ってきてくれたり、カラーさせてくれたりさ・・・。」
「・・・なんかそれ・・・パシリっぽいぞ・・・?」
「ははっ。でも・・・俺たちには、パシリしてくれる人なんていなかったから・・・。
そんなこと頼める大人なんて・・・いなかったからさ・・・。」
「!」
若菜の言葉が胸に突き刺さる。
親のいなかった若菜。どんなに冷たい環境で育ってきたのだろう。
クラスのムードメイカーだった。明るい性格だった。けれど、どれだけの傷を抱えていたのだろう。
「先生ほど・・・俺たちのことで必死になってくれる人なんていなかった・・・。」
「真田・・・。」
「皆・・・俺たちを怖がってた。俺たちを避けてた。それでも先生は・・・俺らのこと考えてくれてた。」
人一倍照れ屋で、すぐに誰かにからかわれがちだった真田。
優しすぎて自分を責めることもあっただろう。周りを憎みきれずに苦しんだこともあっただろう。
「功先生がいなかったら、俺はここにいない。
俺をここに残すために、先生がどれだけ動いてくれたか・・・俺は知ることができなかったけれど・・・。」
「郭・・・。」
「それでも先生が必死になってくれたことは知ってる。・・・本当に、感謝してます。」
郭はきっと純粋だった。何もかもを知っているように冷静に周りを見ているようでいて。
純粋さと、冷静さ、そして哀しい覚悟を持っていた。
たくさんの憎しみを溜め込んで、幸せを失う怖さを背負って、どれだけつらかっただろう。
この優しい子たちが受けてきたたくさんの悲しみや苦しみ。
実際に俺が受けてきたわけじゃない。それをわかってあげられることはできなかったとしても。
それでも、少しでも俺は、この子たちの力になることができていたのだろうか。
「・・・へへっ。ダッセー功先生。泣きそうになってるぞー?」
「なっ・・・!何言ってんだよ若菜!そんなこと・・・」
若菜の言った台詞を受けて、必死に顔を隠した。
本当、俺は情けない。こんな顔、こいつらに見せるべき表情じゃない。
もっと、笑って。いつも通りに。
「あのさ。功先生・・・。」
「な・・・何だ?」
「確かに先生はガキだし・・・単純だけど・・・。」
「わ、若菜ー?」
「それでも、大人なんだよな。だから、俺らに必死で格好つけようとしてる。」
「・・・?」
弱々しくなっていく若菜の言葉に疑問の表情を浮かべた。
そんな俺を見て若菜が笑った。弱々しく、それでもいつもの明るい笑みを。
「大人だからって・・・泣いちゃいけないなんてことないからさ。」
「!!」
「泣いたっていいよ。我慢しなくたっていい。格好つけなくても・・・いいからさ。」
「・・・な・・・」
「もしも俺らのことで涙を流してくれる人がいたなら・・・結構幸せだったと思えるから。」
「・・・っ・・・。」
「俺らのこと覚えてくれる人なんて、誰もいないのかもって思ってた。だけど・・・。」
「功先生は・・・俺たちのこと・・・忘れないでくれよな。」
生徒の前で泣くことなんてしないと、決めていたのに。
止める術を知らない自分の涙が頬を伝う。
「忘れない・・・!絶対に・・・絶対に忘れない!!」
涙で濡れた顔で、必死に叫んだ。
なんて、情けない姿。それでも。こいつらはそれでもいいと言ってくれたから。
「・・・ああ。そうだ。」
「何・・・何だ?!」
「泣いてもいいって言ったけどさ。あんまりずっと泣いてないでくれよな。うざいから。」
「・・・若菜ー?!」
「泣いてくれてもいいから。でも、あんまり長く引きずらないで欲しい・・・でしょ?結人。」
「え、英士・・・!」
「・・・素直じゃねえよな結人は。」
「一馬に言われたくねえよ!」
それまで黙っていた二人が、若菜の言葉に軽く補足を加えて。
ああ。この三人は本当に通じ合っているのだと、改めて実感する。
それでも、もう既にあまりに弱々しい三人のやり取り。
きっと、最後となる微笑ましい、温かなその時間。
「・・・一馬・・・?」
やがて・・・騒がしかった声が消えていく。
「・・・英士・・・?」
最後に響いたのは、若菜の寂しそうな声。
「・・・二人とも・・・根性ねえなぁ・・・結人さまを見習えっての・・・。」
弱々しく、それでもいつもの彼の言葉。
「・・・結構・・・楽しかったよ功先生。・・・ありがとな・・・。」
静かに呟いた彼の言葉に、俺は笑って。
「俺も・・・楽しかった・・・!お前らみたいな生徒が持てて、幸せだった・・・!!」
その言葉に満足したかのように、嬉しそうに微笑んで。
若菜も静かに、その目を閉じた。
静寂だけが残った教室。
一人、茫然と立ち尽くして。
「・・・っ・・・うっ・・・くっ・・・」
何も出来ない自分。静かに眠る生徒の傍らでただ涙を流す。
こんなにも明るくて、楽しそうで、笑っていた生徒たち。
何故こんな理不尽な理由で、こんなにも短い時間しか生きることができなかった。
『う・・・うぇっ・・・うわああああん!!』
外から少女の鳴き声が響いた。
俺はそこへ駆け寄りたい衝動に駆られたけれど、足を止めた。
『いなくなっていく自分を、最後の力のない自分の姿を見られたくないんだ。』
将は最後の姿を見られたくないと俺に言った。
俺は自分の手を握り締めて、その場に踏みとどまる。
思い出すのは楽しかった時間。
「そうそう!俺、新しい友達できるってワクワクしてたのにー!」
「うっそ。また頼むよ先生!功先生しか頼りになんねーんだよなっ!」
「もー!功先生タイミング悪すぎよ!いいところだったのに!」
優しさの溢れていたその時間。
「すいません。でも俺ら・・・心配で仕方がないんです。」
「・・・俺、ここにいていいの?」
「大切に、したいんです。この気持ちを。」
こんな俺でも、たくさんの想いを寄せてくれた。
「・・・功先生が、好きです。ずっと、ずっと前から、先生のことが好きでした。」
「それでも・・・やっぱり功兄がいてくれてよかった。僕の自慢の兄貴だ。」
「泣いたっていいよ。我慢しなくたっていい。格好つけなくても・・・いいからさ。」
大切な、大切な生徒たち。
「功先生は・・・俺たちのこと・・・忘れないでくれよな。」
忘れない。
お前たちと過ごした時間。温かなこの時。
嬉しかった。楽しかった。幸せだった。
絶対に、忘れないから。
頬を伝う涙が止まることはないけれど、今日だけはそのままでいよう。
泣いてもいいのだと、お前らはそう言ってくれたから、その涙を止めようなんて思わない。
けれど。心配しなくたっていい。
お前らが心配するくらいに、長く泣いてばかりなんかじゃいないから。
いくら情けない俺でも、そこまで心配はかけないから。
俺もお前らのように、強く生きていく。優しくて、明るくて、まっすぐだったお前たちのように。
だから今日だけは。
この涙を止めることなく、お前らだけを想う。
忘れることなんてない。忘れることなんてできない。
かけがえのない、大切な生徒たちを。
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