恐怖に怯えても





不安に駆られても





それでも、願う。

















最後の夏に見上げた空は



















「おかえりなさい!先輩。」

「・・・おう。お前はどうだった?」

「・・・。」

「・・・そうか。」





検査室から戻り、部屋に入るとそこには既に亮先輩の姿があった。
私が検査を始めてから1時間と経っていなかったのに、本当に30分で帰ってきてくれたんだ。
けれど私の検査結果は期待した結果ではなかった。
亮先輩の問いに何て答えればいいのか迷い、言葉に詰まった私を見た先輩はその結果を察する。





「とりあえず・・・問題は起こさなかったみたいだな。」

「あはは。おかげさまでバッチリです。」

「自慢気に言うところじゃねえ。当然のことだろうが。」





亮先輩に否定の言葉を返せない私は、誤魔化すように笑った。
そのまま、先輩の隣に置いてあった椅子に腰掛ける。





「皆・・・どうでしたか?」

「相変わらず生意気だった。うぜえし。」

「皆優しいんですよ?先輩がまた挑戦的な態度取ったんじゃないんですか?」

「何言ってんだ。俺はいつだって寛大な態度であいつらと接してるぜ?」

「・・・そうですか。」

「何だ今の間は。」

「いえ。深い意味は特に。」





先輩が私を睨みながら、額をはたく。
私は額をさすりながら、続く先輩の言葉に耳を傾けた。





「ま、ここに押しかけてくるようなことにはならねえよ。多分な。」

「・・・どうやって説得したんですか?」

「・・・それは企業秘密。」

「企業秘密って・・・。」

「お前、あいつらが好きなんだろ?」

「え?は、はい・・・。」

「それと同じ。お前が幸せならいいってさ。」





亮先輩がどんな話を皆にしたのかはわからない。
だけど、皆も私の幸せを祈ってくれていた。私も皆の幸せを祈る。
皆が幸せでいてくれるなら・・・今はそれだけで充分な気がした。





「それと・・・何だったか。心配するなとか頑張れとか、お前といて楽しかった・・・だったか。
後は・・・。いや、これはいらねえな。」





先輩が何かを思い出すように額に手をあてて、皆からの言葉を伝えてくれる。
たまに何かを考えこむように、ぶつぶつと呟きながら。





「それから・・・ありがとう、だってよ。」





皆からの言葉。私が伝えた言葉と同じで、嬉しかった。
私が感じていた思いを、皆も持っていてくれたんだ。





「・・・へへ。嬉しいです。」

「そうかよ。そりゃよかった。」





亮先輩がぶっきらぼうに返す。
それでも私の頭を撫でる手は、とても優しかった。





「・・・そうだ先輩。屋上行きましょうよ!」

「屋上?この病院のか?」

「さっき先生に聞いちゃいました。屋上は開放してるらしいんです。
ちゃんと許可ももらいましたから、行きましょうよ!」

「・・・お前って変わらねえよな。」

「へ?何がですか?」

「別に。いつまで経ってもガキだなって話。」

「ええ!何ですかそれはっ。」





変わらなくてよかった。このままでよかった。
この空の下で、貴方と並んで。青い空を見上げて。
他愛のない口げんかをして、何事もなかったかのようにまた二人で話して。
当たり前の日常。望むことは・・・それだけだった。
そんな当たり前の時間が、今の私には何よりも大切だった。




















「うわぁ!先輩っ。今日も快晴です!」

「屋上なんていつも来てるだろ。何でそんなテンションあがってんだ。」

「ここは病院の屋上ですよ?景色も違うんです!
もうー。先輩は夢がないなぁ。」

「何かお前、屋上マニアみたいだぞ。」

「マニアでも何でもいいですよ。この場所はこんなに気持ちいいんだから。」





入ることすら禁止の学校の屋上とは違い、高いフェンスなど設備がしっかりとしている。
屋上には、看護師さんが干したのだろう白いシーツが所せましと並んでいた。
とはいえ、この病院にはそんなに患者がいないので、これは今日のみ日干しにでもしているだけなのだろう。
くつろげる場所はあまりないようにも見えるけど・・・。
周りを見渡すと、白いベンチが二つほど並べて置いてある。

軽くほこりを払って、亮先輩を呼ぶ。
先輩は呆れたようにため息をついて、私の隣に腰掛けた。





「綺麗だなぁ。」

「・・・。」

「ねえ先輩。」

「何だよ。」

「先輩はどうして屋上が好きだったんですか?」





白いベンチに腰掛けて、空を見上げたまま問いかける。
私が来る前から先輩は屋上にいた。
私とのくだらない喧嘩があっても、そこからいなくなることはなかった。
まぁそれは、亮先輩の意地でもあったのだろうけど。





「俺はお前みたいに大層な理由はねえよ。
教師にも見つからねえし、誰にも邪魔されない。サボるには最適だろ?」

「・・・あははっ。先輩らしい。
じゃあ私が屋上に来たとき、本当に迷惑だったでしょ?」

「そうだな。すっげえ迷惑だった。」

「うわー。そんなにはっきり言わないでくださいよー。」

「けどお前だって引かなかっただろうが。
俺が迷惑に思おうが関係なかっただろ?」

「だってあの時の先輩。すっごい俺様だったんですよ?あ、今もですけど。
引くに引けないじゃないですか。」

「・・・今さりげなくムカつくこと言わなかったか?」

「・・・気のせいです。」





何だか微妙な沈黙。
さりげなく言った一言を誤魔化しきれるはずもなく。
私は空を見上げたままだけど、先輩の視線が痛い。
この雰囲気はまた頭でも叩かれそう・・・。





「・・・お前、しつこかったよな。
何度追い出したって、毎回懲りずに来てたし。」

「先輩こそ失礼なこと言ってるじゃないですかっ。
屋上は譲れなかったんですよね。私が学校で唯一安らげる場所だったから。」

「さみしー奴。」

「・・・そこは否定できないかも。だけど・・・先輩と会って変わりましたよ?」

「・・・。」

「屋上が『一人だから安らげる』場所じゃなくて・・・『先輩と会える』場所に・・・変わりましたよ?
その頃はきっと・・・無意識だったんだろうけど。」

「・・・何、言ってんだか。」





もう先輩の視線は感じなかった。
隣に座る先輩も私と同じく空を見上げているのだろう。
一緒にいた時間に、思いを馳せて。





「先輩も何か変わりました?私と会って。」

「変わるか。俺は俺だ。」

「えー。そこは俺も変わったぜ!とか言ってほしいなぁ。」

「そんなこと言えるか!ていうかそのキャラは何だよ!」

「先輩が爽やかになったらこんな感じかと。」

「変なイメージを作るな。」

「わかってますよ。ちょっとした冗談です。
私は今の先輩が好きですから。」

「っ・・・。」





言葉につまった先輩が、どんな顔をしているのかが想像できた。
きっと顔を真っ赤にして照れている。そしてそれを隠すための憎まれ口を探しているんだ。





「・・・恥ずかしいこと口走ってんじゃねえ。バーカ。」





ホラ。やっぱり。
思ったとおりの先輩の行動と言葉。思わず笑いがこぼれる。





「・・・何笑ってんだよっ。」

「別に・・・きゃあっ。」





空を見上げていた私の視界は、覆いかぶさってきた亮先輩によって塞がれる。
羽交い絞めにされた状態で、先輩の腕が私の視界を塞いでいるために視界は真っ暗。
けれど先輩は力を入れて私を抑えているわけではない。先輩の腕を少しずらして、ようやく視界を確保する。

開けた視界から、亮先輩を見上げる。
そこにあったのは、先輩の険しい表情。





「亮先輩・・・?」

「・・・・・・。」





その表情のまま、額や首元に触れる。
先輩の突然の行動にただ驚いて、私はされるがままの状態で固まる。
私に触れた亮先輩の手から、人の温もり以上の熱さを感じる。





「お前・・・。」





そして、気づく。
亮先輩の険しく、真剣で苦しそうな顔。
熱いのは亮先輩じゃない。

貯水タンクで日陰になっているとは言え真夏の、しかも屋上のベンチ。
照りつける日差しで温められたこの場所を暑く感じないはずがない。

それなのに私は、全く暑さを感じていなかった。
亮先輩から伝わる人肌の温もり。それをあまりに熱く感じてしまう理由。



亮先輩じゃない。
私の体温が・・・低すぎるんだ。





「あはは・・・。どうしちゃったんでしょう・・・。
でも・・・この暑さには丁度いいですよね・・・!」





亮先輩に心配をかけたくない。その一心で。
声の震えを隠しきれていないことはわかっていたのに、それでも私は笑う。
大丈夫。まだ、なんともない。まだ、側にいられるはずなんだ。





「・・・笑うな・・・」

「・・・っ・・・!」

「・・・笑わなくていい。嘘はつくなって言ってるだろ?!」

「・・・亮先輩っ・・・」





抱きしめられて、先輩の温もりが痛いほどに伝わる。
自分の体温が異常なくらいに低い。夏の暑さなんて関係ないくらいに。
先輩が抱きしめてくれている、この温もりを手放さずにはいられなかった。
そうしないと、私が私でいられなくなる気がした。



わかっていた。自分がいなくなること。
わかっていたはずだった。貴方と離れること。
けれど頭でわかっていたって、実感なんてできていたはずもなくて。

実感して初めて襲ってくる恐怖。
初めて実感させられたその恐怖に、震えが止まらなかった。

亮先輩に縋り付いて、彼の温もりを感じて。
私はまだここにいるのだと、自分に言い聞かせて。



残りわずかな時間だということはわかってる。
もうすぐ私は、この場所からいなくなる。





亮先輩に・・・会えなくなる。





私を抱きしめてくれている先輩を、私も強く抱きしめる。
少しでも側にいられるように、この温もりがずっと側にあってくれるように、祈りながら。










どうか、どうか。











少しでも長く、この人の側にいさせてください。
















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