大丈夫。





そう思える理由は、ずっと前からわかっている。

















最後の夏に見上げた空は
















「さあ、最後の実験に付き合ってもらおうか。」





思い出したくもなかった尾花沢の冷たい笑みとその言葉に
心臓が早鐘を打っている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。

もうあんな思いはしたくない。
傷つきたくない。誰も傷つけたくない。
もう二度と・・・先輩と離れたくない。

恐怖に怯えて動かない体。
けれど、こんなところで捕まるわけにはいかない。
こんな奴の言いなりになんてなりたくない・・・!

震えながら、ようやく自分の足が動く。
私は近づいてくる尾花沢から少しずつ後ずさる。





「・・・そうか。逃げるか。それならそれで私は構わないがね。行くぞお前たち。」

「はい。」





小さく返事を返した男たちは、みゆきちゃんを担いでいる。
ダメだ。私がこのまま逃げたらみゆきちゃんが連れていかれてしまう。

少しでもいい。時間を・・・。コイツらをここに引き止めておければ・・・。





「ま、待って・・・!!」

「なんだね。私たちにも時間がないんだ。」

「その子は遺伝子強化兵じゃない!!」

「・・・何だって?」





やはり、尾花沢は勘違いをしている。
あの場所にいたみゆきちゃんが遺伝子強化兵だと。





「アンタが欲しいのは遺伝子強化兵でしょ?その子は1年生。遺伝子強化兵じゃない。」

「それは・・・予想外だったな。こんなところにいるからてっきり・・・。」

「だからその子を連れていっても意味なんてないでしょ?!」

「・・・その通りだ。だが、君はこちらに来る気はないのだろう?
ならば、この子で実験してみるしかないだろう?」





何を・・・何を言っているの?
どうしてそうやって人を苦しめて、追い詰めて。
どうして、この人はそんな生き方しかできないの?





「離して!!その子には未来がある!!こんなことに巻き込まれていい子じゃない・・・!!」

「だから未来のない君が来るべきだと言っているだろう!!」





それまでの穏やかな態度が豹変して、尾花沢が強く叫んだ。
その怒声に体が強張って、私は言葉を失った。





「もう数日の命だろう?何故そんなに拘る?
そんなにこの少女が大事ならば、君が犠牲になるべきだろう?そうじゃないのか?」

「・・・っ・・・!!」





悔しい。
こんな奴に何がわかるって言うの?

たとえ残された時間がわずかでも。
私にできることが、何もなかったとしたって。

それでも私はまだ、ここにいる。
たくさんの想いと、願いを持って。

今ここで、生きている。
大切な人と共に、精一杯に生きているのに・・・!





「お前ら・・・その子は捨ておいていい。くんを連れていくぞ。警備を倒しているとは言え、これ以上時間はかけられん。」

「はっ!!」

「!!」





みゆきちゃんを地面に投げ出して、二人の男が私を捕らえにかかる。
私が逃げれば連れていかれるのはみゆきちゃんだ。
逃げ出そうとした足を、それ以上動かすことはできなかった。

二人の男は私の腕をしっかりと掴んで、尾花沢の前へと連れていく。
楽しそうに笑う尾花沢の姿は、本当に悪魔のようで。





「別に悪いことばかりと考えなくていいんだぞ?
はっきり言うとまだ研究途中なのだが・・・だからこそその効果は計りしれない。」

「・・・。」

「研究者としては、しっかりと完成したもので実験したかったのだがね。
もう時間がない。仕方ないだろう。」





尾花沢の一言一言に怒りがこみ上げて。
それでも何もすることのできない自分が、悔しくて仕方なかった。





「所長。こちらの子はどうしますか?」

「何かに使えるだろう。連れていくか。」

「ちょっ・・・!その子は関係ないはずでしょう?!」

「君の言葉をそのまま信じると思っているのか?
この子が遺伝子強化兵なら、みすみす実験対象を逃したことになる。」

「なっ・・・!!」





男は私の言葉を聞き入れるはずもなく、尾花沢の言葉通りに
倒れたままでいるみゆきちゃんに近づく。





「やめっ・・・」









ドカッ!!!








私の声と同時に、男が倒れこむ。
驚いて見たその先には。









「・・・亮っ・・・先輩・・・!!」

「その手を離せ。変態野郎が・・・!!」









亮先輩の刺すような声に、尾花沢も
私を捕らえていた男も怯んだのがわかった。そして。









「おりゃあぁぁ!!」

「なっ・・・!!」









亮先輩に気を取られている間に、別方向から誰かが体ごと突っ込んできた。
尾花沢ともう一人の男は地面に転がり、腕を捕まれた状態でいた私も引きずられるようにその場に倒れこんだ。





「こ、功先生・・・!」

「大丈夫か!!」

「って・・・功先生こそ・・・。」





あまりにも勢いをつけて体当たりをしたためか、功先生本人は
大分遠くに転がり、倒れこんでいる。そしてそのまま一緒に転がりこんだらしい尾花沢を抑えつけていた。
私の手を掴んでいた男も、頭を打ったらしく起き上がれていないようだ。





「風祭っ・・・何まで巻き込んでんだよ!」





亮先輩が倒れた私に駆け寄ろうとする。
けれど、その後ろで倒れていたはずの男が動いた。





「もうその子で構わん!!薬を打て!!」





尾花沢の声が響き、男は懐から注射器を取り出した。
それは横で倒れたままのみゆきちゃんへと向けられる。





「亮先輩!!後ろ!!その人を止めて!!」

「ちっ・・・!!」





ガッ・・・!!





「往生際が悪ぃんだよ!!」





みゆきちゃんにそれが刺される前に、男が倒れこむ。
先輩は男をけり倒したその足で、地面に転がる注射器を踏み潰した。

そして、再度私の方へと振り向く。





「・・・!!」





何が起きたのか、私でさえわからなかった。
目の前の光景に夢中になって、気づいたときに感じていたのはかすかな腕の痛み。





「あは・・・あはははは!!」





功先生に抑えられたままの尾花沢が高らかに笑う。
尾花沢を抑え付けている功先生も、私に走り寄る亮先輩も、そして私も。
茫然としたまま、動くことができなかった。



みゆきちゃんに向けられていたはずの注射器が、私の腕に刺さっている。
みゆきちゃんを囮にして私たちの目をそちらに向けさせて・・・。
本当に薬を打とうとしていたのは・・・私だったんだ。





「・・・くそっ・・・!!」





私に注射を打ったその男を、亮先輩が力いっぱいに殴り飛ばした。
それでも納得がいかないように、倒れたその男を何度も何度も殴った。





「あ・・・亮先輩・・・。」

「・・・っ・・・。」





悲しそうに、そして本当に悔しそうな顔で私を見て。
その場に座り込んでいた私を抱きしめた。





「・・・ごめんなさい。問題起こすなって・・・今日言われたばっかりだったのに・・・。」

「・・・けり倒すって言っただろうが。マジでふざけんなよお前・・・。」

「でも先輩・・・。それでも・・・助けてくれましたね・・・。」

「助けられてなんかねえよ・・・!!くそっ・・・!!」

「そんなことないですっ・・・。私、連れていかれちゃうとこだったんですよ?
先輩が来なかったら・・・本当に先輩に会えなくなるところでした。」

「お前っ・・・」





私の肩を強く掴んで、亮先輩が私の顔を見つめた。
怒ったように私を見つめた亮先輩を見て、私は小さく微笑む。
先輩はそんな私を見て、力が抜けたように私の肩に額を乗せた。





「・・・よかった。先輩の側にいられて。」

「・・・バカだお前は・・・。本当に・・・。」





私の肩に額を寄せる先輩の表情は見えないけれど、
握ってくれているその手はとても温かい。
大丈夫。先輩が側にいてくれれば。私は、大丈夫だ。





。病院へ行こう。きちんと見てもらおう。桜井も連れていかないとな。」

「そうですね。お願いします。功先生も迷惑かけてすみません・・・。」

「全く、にはいつもヒヤヒヤさせられてる気がするぞ?」

「あはは・・・。」

「・・・でも・・・お前は俺の生徒だから。いつだって頼ってくれていいんだぞ。」

「・・・はい。」

「立てるか?手を・・・。」

「大丈夫で・・・っひゃあ!!」





立ち上がろうとした私は、自分の体が浮いたような感覚に襲われて。
気づけば亮先輩の両腕に持ち上げられ、そこに自分がすっぽりと収まっていた。





「亮先輩っ・・・?」

「うるせえ。大人しくしてろ。」

「こ、功先生ー!」

「いいじゃん!お姫様抱っこって奴だな!」

「黙れ。エセ教師。」

「エセって・・・三上ー!!」





かなり恥ずかしかったけれど、一向に引く気配のない亮先輩を見て
私は抵抗することを諦めた。大人しく亮先輩の首に腕をまわす。





「お・・・増援が来たな。」





功先生が呟く。
先生の見つめる先に、数人の人影が見えていた。





「・・・功先生。亮先輩。」

「何だ?」

「さっきのこと・・・言わないでいてくれますか?
特に・・・みゆきちゃんや、私の友達には。」

「・・・・・・?」

「報告が必要なら、先生方に言っても構いません。
でも・・・私の周りの人たちは優しいから・・・心配させてしまう。余計な不安を与えてしまうでしょう?」

「・・・。」

「そんなこと、嫌なんです。私のせいで余計な心配をさせてしまうことも。
考えなくていいはずのことで、重荷を背負わせたくないんです。」





優しい人たち。
最後まで、自分たちの為に生きてほしいから。
残される彼女に、余計な重荷なんて背負わせたくないから。





「お願いします・・・!」

「・・・わかった。」

「ありがとうございます。功先生・・・。」





私を見て、少しだけ悩むように顔を俯けた功先生は
それでも頷いて返事をしてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。
そして、無言で私を見つめるもう一つの視線に気づく。





「・・・。」

「・・・先輩?もしかして、俺には心配ばっかりかけてるくせに・・・とか思ってます?」

「別に。つーか、お前が俺に迷惑かける、かけないとかって今更な話だろ?」

「何ですかっ。その、いつも迷惑かけてるみたいな言い方ー!」

「何かご不満でも?迷惑かけてないとでも?」

「・・・そりゃっ・・・な・・・なくはないですけどね!」

「慌ててんな。バーカ。」





先輩が勝ち誇ったように笑う。
否定は・・・できないもんなぁ。





「俺に迷惑かけられるのなんて、お前だけだ。」





呆れたように小さな声で呟く。
それは本当に小さな声だったけれど、いつもよりも近くにいる先輩のその声はちゃんと聞こえた。
先輩に迷惑をかけているという言葉なのに、何だか私は特別なんだと言われたようで。
嬉しくて、嬉しくて。私の顔には自然と笑みが浮かんでいた。



私たちが話している間に、功先生は増援で来た他の先生方と話を終えたらしい。
功先生に気絶させられたらしい尾花沢と、その部下を任せてみゆきちゃんを抱き上げた。





「二人とも、俺の車で行こう。行けるか?」

「あ?別に歩いて数分の場所だろ?別に車なんて使わなくても・・・。」

「ダメだ。もう夜なんだ。何かあってからじゃ遅い。
お前もそのお姫様抱っこしてる状態じゃを守れないだろ?」

「・・・。」

「わかったらホラ。行くぞ!」

「チッ・・・。」

「三上!舌打ちしない!!」





功先生は子供なようでいて、やっぱり大人だ。
冷静に考え、行動して、亮先輩の悪態さえも受け流して。
そんな二人を見て、軽く笑みを浮かべながら
抱えてもらっている亮先輩に負担がかからないように体制を立て直し、先輩の首にしっかりと腕をまわす。





「・・・っ・・・。」





かすかな痛みが腕に広がる。
さっき刺された注射のせいだろう。
乱暴に刺されたその跡が、しっかりと浮かんで見えた。

私のその様子を亮先輩が無言で見つめていた。





「大丈夫です。」





笑いながら、そう答える。
優しい貴方にその言葉を伝えても、気休めにしかならなかったのかもしれないけれど。





「嘘なんかじゃないです。先輩には嘘つかないって、約束したじゃないですか。」

「・・・。」

「怖い気持ちもあるし、不安な気持ちだってあります。
だけど、亮先輩が側にいてくれるのなら。私は、大丈夫。」

「それくらいで大丈夫なわけ・・・!」

「それくらい?私にとっては、本当に大きなことなんですよ?」





先輩が呆れるように、怒ったように言葉を返したが
私はそれに動じることもなく、それが当然だというように先輩の言葉を遮る。





「側に・・・いてくれるんですよね?」

「・・・当たり前のことを聞くなっつってんだろ。」





いつかした質問を同じように問いかけて。
そして先輩も、同じ答えを返してくれる。

想いが通じて、短いけれど幸せな時間を過ごしてきた今、
あのとき以上に先輩の言葉が胸に響く。



功先生の車に乗り込み、ほんの数分の距離にある病院に向かった。
あの薬が一体どんな効果を持つのか。一体自分はどうなってしまうのか。

そんな恐怖が、不安がなかったわけじゃない。

だけど私の側には亮先輩がいる。
それだけでその感情が和らいでいくのがわかる。



だから大丈夫。
私に残されたあまりにも短いその時間。
きっと私は幸せでいられる。笑って、過ごせる。

そんな願いとも言える思いを抱いて、
私たちは薄暗い明かりの灯った病院へ足を踏み入れた。











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