ありきたりの日常
それでもそれは、
忘れたくない、温かい時間。
最後の夏に見上げた空は
ピリリリ ピリリリ
朝っぱらから鳴り響く電子音。
その音は自分の頭の上にある携帯から聞こえた。
この携帯の番号を知る奴は数少ない。
まあ監視役になったときにもらった、連絡用のものだからな。
その携帯がこんな朝早くから鳴るなんて。
一体何事かと俺はベッドから顔を出し、携帯を手にとった。
「・・・。」
ディスプレイには自分がよく知る人物の名前。
けれど、そいつから電話がかかってくることなど滅多にない。
俺が必要時以外に話すことのなかった相手。
その名前を見て電話を出ることをためらったが、無視してても意味がないだろう。
通話ボタンを押して、電話に出る。
『亮か?』
「ああ。何の用だよ。・・・親父。」
『随分な言いようだな。父親が息子に電話しただけだろう?』
「アンタが用もなく俺に連絡なんて取るかよ。」
『なるほどな。まあいい。用件を言おう。』
「・・・何。」
『少しでいい。こちらに戻ってこい。』
「・・・は?」
突然の親父の言葉に、俺は間の抜けた声をあげる。
だって当たり前だろう。どうして俺がここにいると思ってるんだ。
時間は一時でも無駄にしたくない。それを親父がわかっていないはずがない。
「何言ってんだよ。今がどんな時かくらい、アンタだってわかってんだろ。」
『「今」だからだ。だからこそ必要なことだ。』
「断る。俺はここを離れるつもりはない。」
『・・・断れる立場だと思っているのか?』
重たい沈黙がその場の空気を支配する。
親父の言葉の意味は、ムカツクほどに理解できた。
『お前にはいくつ貸しがあると思っている?今、政府を動かしてそちらを調査することもできる。』
「・・・脅しかよ。」
『・・・そう思ってくれてもいい。とにかく一度でいい。戻ってくるんだ。』
「・・・今日、そっちに向かう。けど用が済んだらすぐに帰る。今日中には絶対に帰る。それでいいかよ。」
『いいだろう。ならばこちらも予定を合わせよう。』
挨拶もなく、ブツッと電話が切れる。
俺は握っていた携帯電話をベッドに投げつけた。
今、ここを離れるなんて馬鹿げたことをしたくなんてなかったのに。
親父の脅しに従うしかなかった、自分の無力さを悔やむ。
今まであることを条件に、何回か親父の力を借りてきた。
あんな腐った権力に頼る自分、認めたくなかったけれど
そんなちっぽけなプライドなんて、いくらでも捨ててやろうと思った。
力を借りる俺に、親父は何も言ってこなかった。
一つの条件さえ守れば、何かを要求してくることはなかった。
親父の意図なんてわかるはずもなかったが、俺にとっては好都合で。
後に何を言われようが、そのときの俺に先を考える余裕なんてなかった。
だから思う。何故『今』なのかと。
今呼び出す必要性がどこにある?
一緒にいられる時間がわずかになったこの時に。
「・・・くそっ。ざけんなっ・・・!」
俺は悔しさに顔を歪めながら、一刻も早く親父の元へ向かい用を済ませようと荷物を詰める。
毎日会っているの顔を浮かべながら。焦る気持ちを抑えながら。
アイツは俺の知らないところで、いつも何かに巻き込まれる。
だから一刻も早く帰ってこなくては。
もう二度と、アイツと離れることなんてしたくない。考えたくもない。
朝のざわついた教室。
私はもういつも通りに、近くにいた友達と談笑をかわしていた。
ふと見えた視界の先に、意外な人物。
話をしていた有希とに一言残し、私はその人が立つドアの前へと向かった。
「亮先輩。どうしたんですか?朝からこっちに来るなんて珍しいですよね?それにその格好・・・。」
「ちょっと出てくる。今日中には戻ってくるから、お前フラフラすんなよ。」
「フラフラなんてしませんよー!・・・けど亮先輩・・・。どこに・・・?」
先輩は私を見下ろし、髪の毛をかき回す。
最近、先輩はいつもこうだ。照れたり、言いにくいことがあると私の髪をいじる。
「監視役の仕事だよ。行かねえとココにいられなくなるからな。面倒だけど行ってくる。」
「先輩・・・。」
「んな顔してんじゃねえよ。今日中には戻るって言ってんだろーが。」
「先輩。何かあったら言ってくださいね・・・?私だって先輩の力になりたい。
力になれるかなんてわからないけど、それでも、先輩に甘えてるだけじゃダメだと思うから。」
私の心を見透かして、いつも欲しい言葉をくれる亮先輩。
先輩に与えてもらっているだけじゃ嫌だから。私も先輩の力になりたい。
先輩を見上げながら、その気持ちを言葉にする。
「・・・ああ。わかってる。
けど、今回は別に何があるってわけじゃねえから。本当に心配はいらねえよ。」
髪をいじっていた手をそのまま、優しく私の頭に置く。
先輩を見上げて、軽く微笑んだ先輩の表情を見て、少しだけ安心する。
「わかりました。じゃあ・・・いってらっしゃい!」
「ああ。・・・あ。」
「何ですか?」
「お前、絶対一人になんなよ?常に誰かと一緒にいろ。後・・・あー、何だ。」
「?」
先輩が何かを言いづらそうに口篭もる。
何だかその言葉を口にすることが、とても嫌そうな顔に見える。
「一応、念のため、たいして役にも立たねえだろうけど。」
「・・・すごい念押しですね。」
「うるせえな。あー、あのチビにも言っておいたから。」
「・・・へー。誰のことですか?」
「・・・そのチビが渋沢にも伝えるって言ってたし。放課後はサッカー部にでも行ってろ。」
「あははっ。ありがとうございます。そうしますね。」
素直に翼さんの名前を出せばいいのに。
二人は認め合ってるくせに、未だ犬猿の仲。
先輩の性格上誰かに頼みごとなんて、恥ずかしかったんだろうなあ。
それでも私を心配して、考えてくれて、翼さんに頼んでくれたんだ。
嬉しさがこみあげて、自然と笑いがこぼれた。
「じゃあ、待ってますね。」
「ああ。大人しく待ってろ。俺のいない間に問題起こすんじゃねえぞ。」
「了解です!」
笑顔で返事を返す。
確かに私は、亮先輩には心配をかけすぎている。何度も助けてもらっている。
先輩が不安になるのも仕方ないから、大丈夫だという意味もこめて精一杯笑った。
放課後、私はサッカー部の皆とグラウンドへと向かう。
私たちの後ろには、サッカー部ではない3人も一緒だった。
グラウンドにつくと、既に部活の準備を始めていた翼さんがいた。
「こんにちは。翼さん。」
「。今日はあの性悪男いないんだってね。」
「・・・性悪男って・・・。二人とも普通に名前で呼んでくださいよー。」
「・・・へえ。つまりアイツも僕を名前で呼んでなかったわけだ。何て呼んでたの?」
しまった・・・!と思ったときには既に遅く
ニッコリと笑う笑顔に黒いオーラが見え隠れする。
私は動揺するのを隠せずに、変に口篭もってしまった。
「ま、いいけどね。をいじめるのは趣味じゃないし。
ところで後ろの集団はどうしたの?見学?」
「ちゃん争奪戦の結果っす!若菜たちも一緒にサッカーやっていいっすよね翼さん!」
「違うでしょ藤代。若菜たちがどうしてもって言うから、連れてきてあげたのよ。」
「何だとー!小島!お前なんか俺の華麗な技を見たら驚くかんな!」
「はっ。見せてほしいものね。その華麗な技。」
「バカにすんなー!見てろよ!!」
「うん!サッカーは皆でやった方が面白いよ!」
翼さんはため息をつきながら、止まることのない私たちの会話を眺めて
会話に参加せず、けれど一番説明がうまそうな人物に声をかけた。
「水野。説明頼める?」
「・・・えーと。が今日サッカー部に行くって話を若菜たちが聞いてて。
ならばサッカー部じゃなく、自分たちとゲームをしようとを誘ったんです。」
「・・・なるほどね。それで争奪戦ってことか。
若菜たちが妥協して、一緒にサッカー部に行くってことで話がまとまったんだ?」
「そういうことですね。」
「全く・・・。いつまで経ってもガキだよね。お前ら。」
憎まれ口を言ってはいても、翼さんの表情は優しい。
口論を続けるメンバーに、「いい加減にしとけ」と軽く頭を叩く。
「で?皆サッカーするってことでいいの?」
「ああ。俺は遠慮しておきます。見学だけさせてもらうってことで。」
「え?郭やらないの?!お前、運動神経いいじゃん!」
「ああ。怪我が治りきってないんだよね。だから今日は見学。」
「あ、そっか・・・。じゃあ治ったら一緒にやろうな!!」
「そうだね。お願いするよ。」
「そうだぞ英士!今度一緒にやるんだからな!!俺の華麗なプレーでも見て勉強しとけよ!」
「わかってるよ。結人の華麗なプレーも、一馬のヘタレなプレーも見ておいてあげるよ。」
「英士!何で俺だけヘタレなんだよ!!」
「あははは!さっすが英士!わかってる!!」
「くそー。何だよそれー!!」
皆の笑い声がグラウンドに響く。集まった仲間の話題はつきない。
そんな中、翼さんが私に声をかける。
「も今日はマネージャーじゃなくて、一緒にサッカーしてみる?」
私は少しだけ悩んで、首を横に振った。
別に興味がなかったわけではないけれど、やっぱり私はサッカーをしている皆を見ている方が好きだから。
「そうだ翼さん。今日は私がマネージャーの仕事しますから、
みゆきちゃんにもサッカーしてもらったらどうでしょうか?」
「みゆきに?ああ。それもいいね。後で誘ってみようか。」
「はい!」
翼さんと話す横で、言い合いを続ける皆を将くんがオロオロしながら止めていた。
そんな彼を見かねた水野くんが「いい加減にしないと、練習の時間がなくなるぞ」と呟く。
その言葉を聞いて、皆が止まり、素早く部室へと方向を変えた。
「じゃあ。私たち着替えてくるわね。若菜、真田!くだらない言い合いしてないで
部室はこっち!早く来なさいよ。」
「何だと小島!えっらそーに!!絶対負けねえからな!」
「勝てるものならどうぞ?勝てるものならね!!」
「くあー!ムカツク!!」
「ちょっとは落ち着けよ結人。」
「これが落ち着いていられるか!一馬!俺たちのコンビプレーだ!
コンビプレーで度肝を抜いてやろう!!」
「ええ!?俺もかよ!」
「当たり前だ!怪我の治った英士も含めて、スリートップになったろうぜ!!」
「だめだめー!FWは俺だからな!若菜たちには譲らないし!!な!将!!」
「うん!僕も負けないよ!!」
「よし一馬!相手に不足はないぜ!気合入れていくぞー!!」
「・・・おー。」
「声が小さーい!!」
「お、おおー!!」
サッカー部の皆の中に、結人と一馬も加わってますます賑やかになってる。
なんていうか、サッカー部にいても違和感なさそうだよね。
部室へと向かう皆から、気合の入った掛け声が聞こえ思わず笑いをこぼした。
「椎名先輩。」
「ん?何?」
「椎名先輩も戻っていいですよ。の側には俺がいますから。
・・・俺を信用してもらえるのなら。ですけど。」
「・・・。」
「翼さんっ。英士は・・・」
「・・・はぁー。」
「「??」」
一瞬の沈黙の後、翼さんは呆れたようにため息をつく。
私たちはその意味がわからず、翼さんの言葉を待った。
「あのさ郭。もう自分を卑下するのはよしたら?もうお前は充分に苦しんだんだろ?」
「!」
「・・・あの事件に関わったってことで、お前の話は聞いてる。
けど、またお前が同じようなことをするなんて思ってないさ。
一緒にいる奴らを見ればわかる。お前の目を見れば、わかるよ。」
「翼さん・・・。」
「椎名先輩・・・。」
「お前を信用するよ郭。と一緒にいてやって。」
「・・・はい。」
「に何かあったら、あの性悪男に何言われるかわかんないんだよね。
だから、頼んだよ?」
「・・・はいっ。」
そう言うと、翼さんはグラウンドの方へと向かって歩いていった。
そうして、先ほどまでしていた部活の準備を始める。
そんな翼さんの後姿を英士はずっと眺めていた。
視線はそのままに、呟くように口を開いた。
「皆、甘いよね。」
「・・・え?」
「甘すぎるくらいだ。」
「・・・そっか。」
「けど、その甘さに・・・俺は何度助けられただろう。」
「・・・助けられた?」
「うん。何度も。何度も。」
「・・・じゃあ、よかった。」
「?」
お互いグラウンドを眺めたまま、呟くように話す。
私の言葉に疑問を感じたのか、英士の視線が私へと向けられる。
「今の英士は、少しでも救われた気持ちでいられてるんだよね?」
「・・・うん。」
「私も、そう。自分じゃない誰かの言葉が、こんなにも胸に響いて。
後悔が消えることはないけど、それでも気持ちは、心は、救われた気がしてるんだ。」
「・・・。」
「戻ってきてよかったね。皆がいてくれて嬉しい。勿論、英士も。」
「・・・うん・・・。俺も嬉しいよ。ありがとう。」
グラウンドを見つめていた私たちの視界に、運動着に着替えた皆が現れる。
皆でじゃれあいながら、準備を進め、何度も笑い合う。
そんな光景を、英士と並んで見ていた。
ありきたりの日常のような1コマ。それでもその日常を目に焼き付けるように。
ありきたりなこの日常でさえ、大切にしたい。
決して忘れることのないように。
目の前のこの光景を
ありきたりの日常を
自分の胸にしっかりと刻み込んだ。
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