自分以外の誰かが、自分の幸せを願ってくれる。





その気持ちを裏切ることなんて、したくないから。















最後の夏に見上げた空は














「そうですか・・・。大丈夫。俺も協力しましょう。」





目を覚ました松下さんの部屋で、私たちは英士を助けたいことを告げる。
松下さんは話を聞いて、迷うことなく、私たちの考えに同意してくれた。





「・・・つーか、確かにアンタの証言は重要なものになるだろうけど。
アンタ一人が証言したってどうにもならないんじゃねえ?
一体何を根拠に大丈夫なのか、理解できねえんだけど。」

「根拠がないわけではないさ。説明しようか。」





亮先輩の傲慢な態度を気にしたようでもなく、
松下さんは穏やかに笑って返事を返す。





「私たちの施設の者は、ほとんどが警察に捕まった。けれど・・・尾花沢所長と数人の所員は逃亡している。
そう言いましたね?」

「・・・はい。たくさんの所員が捕まり、けれど逆に大勢過ぎたことを利用して。
混乱に乗じて数人の部下と一緒に逃亡したそうです。」

「・・・。」

「今回一番生徒を苦しめた首謀者が捕まらないなんて・・・。悔しくて仕方がない。」

「功先生・・・。」

「お気持ち、察します。けれど、それは・・・今回に限っては悪いことばかりではない。」

「え・・・?!」





疑問の表情を浮かべる私たちに、
松下さんはゆっくりを口を開いて、説明をはじめる。





「確かにほとんどの所員は捕まり、所員は皆、郭くんのことを証言するように思える。
そうなれば、こちらの証言など信じてもらえないでしょう。まあ、信じるも何も、それが真実なのですが。」

「そう・・・ですね。」

「けど、大丈夫なんですよね?英士は・・・。一緒にここにいられますよね?」

「ああ。さん。君の証言も重要になる。協力してもらうよ。」

「はい!」





険しい表情になった功先生と、表情を変えずに目だけをふせた英士を見て、
思わず松下さんへと、確認の声をかける。かけた声に、松下さんは穏やかに笑みを返す。
私は少し安心することができて、強張った体の力の抜いた。





「で?何が大丈夫なんだ?」

「捕まった所員は、郭くんのことには触れない。警察に話すこともないだろう。」

「・・・え?!」





その場にいた全員は驚いた声、表情をする。
松下さんは笑顔を絶やさぬまま、話を続ける。





「まず、郭くんと所長のやり取りを知っていたものは少数だ。
研究員でない警備員は、郭くんもさんと一緒に誘拐されてきたと思っているだろう。」

「・・・けど・・・。」

「もうひとつ。あれだけの所員や警備員がいて、どうして今まで遺伝子強化兵の研究がばれなかったんだと思う?」

「・・・?」

「詳しい事情を知らない者ももちろんいたし、所長の狡猾さもあっただろう。
けれど、一番の理由は、誰一人としてそのことを漏らすことがなかったからだ。」

「・・・。」

「この研究に全てをかけていたんだ。そして、それを実現させようとしていた所長に、皆が忠誠を誓っていたからさ。」

「!!」

「その忠誠の強さは・・・郭くんやさんなら、痛いほどにわかるだろう?」

「・・・はい・・・。」





あの場所で実験を行なっていた所員は、皆が皆、同じ考えを持っていたように思える。
『この研究は素晴らしい』『この研究に貢献できることは誇れることだ』
その考えを初めに聞いたのは、尾花沢から。
所員が尾花沢の考えに、心酔していたことも。
警備員が命がけで尾花沢を守ったことも。
わかりたくもないことだったけれど、尾花沢が彼らにとって、どんな存在かくらい見ていればわかった。





「つまり、所長に絶対の信頼をおいている。所長なら自分たちの夢を叶えてくれると信じている。
今、逃亡中の所長に不利になるようなことは絶対に言わないということさ。」

「・・・なるほどな。けど、本当に言わない保証なんてあんのかよ。下山の例だってあるんだぜ。
郭と尾花沢のやりとりを知っていたのが少数だったとしたって、研究を諦める奴がいたっておかしくない。」

「まあ、そういわれれば保証なんてないな。だが、口を割らない所員の方が圧倒的に多い。これは保証できる。
数人の所員が本当のことを言ったところで、その他大勢がそれを否定したらどうなるだろう?
首謀者なしに、真偽の確かめようもない。郭くんについて、どっちが本当かなんて判断できなくなる。」

「・・・下山も・・・その少数に入るわけか。」

「ご名答。」





英士と尾花沢のパイプ役には、下山先生がなっていたと聞いた。
彼から聞いて、あの施設の場所がわかったとも。
先生は既に警察に出頭していて、事情も話しているそうだ。
けれど、それも所員たちの否定によって、真偽がわからなくなる。





「所長は郭くんとのやり取りの証拠は、何も残らないようにしていた。
郭くん。君もそうだろう?」

「・・・ああ。」

「今回の件の規模から見て、君たちの誘拐を否定することはできないだろう。
けれど、それに関して余計なことは言わない。
腐っても尾花沢の見込んだ優秀な研究員、警備員の集まりだ。それくらいの頭は当然ある。」

「・・・尾花沢が逃げたことで、こっちにも有利に働いたわけか。」

「郭くんや・・・さんに対しても疑いの目はかかるだろう。
けれど、真実はわからない。その状態で粛正施設に行くなんてこと、いくら政府でもそれはない。
そもそも今回の件は、政府にも責任がある。深くは追求してこないだろう。」





松下さんが説明を終えて一息つく。
部屋の中には沈黙が走って、緊張した空気は漂ったままだ。





「郭くんも、さんも、『誘拐された』とだけ言えばいい。
・・・さんが受けた実験は・・・言わない方がいいかもしれないな。
政府に無駄な検査をされかねない。悔しいだろうが・・・。」

「大丈夫。私は・・・皆でこの場所にいられることの方が大切です。」

「・・・そうか。郭くんも・・・それでいいな?」

「・・・。」

「・・・英士。」





ここに来てからほとんど喋らなかった英士。
私たちと一緒にいたいと言ってはくれたけれど、その表情は暗い。
まだ、迷っているのだろうか。





「・・・俺は、初めて見たよ。」

「・・・え・・・?」

「大地の笑った顔さ。」

「!」

「所員の誰に聞いても、大地の表情が変わったところは見たことがないと言っていた。」

「・・・。」

「俺が言えることじゃないけれど・・・大地の最後の表情は、幸せそうだった。」

「・・・松下さん・・・。」

「今回のことを気にするなとは言わない。けど、大地はきっと、君たちが好きだったんじゃないか?」

「・・・っ・・・。」

「無駄に、しないでほしい。俺も願っているよ。君たちの幸せを。」





そう言って、松下さんはまた穏やかに微笑む。
不破くんの死で、弟さんの死を思い出したことだろう。痛かっただろう。
それでも私たちの幸せを願うと言う松下さんの言葉に、嘘は感じられなかった。





「・・・おい。郭。」

「え・・・」





ドカッ!!!














少しの間。
私はその場から吹き飛ぶ英士を、状況の理解もできずに目で追っていた。




「なっ・・・!!何やってんだーーー!!三上ーーー!!」





功先生の叫び声が聞こえ、やっと状況を理解する。
英士の名を呼んだ亮先輩が、英士を殴り飛ばしたのだ。





「あっ・・・亮先輩っ?!」

「あ?制裁だよ。制裁。俺はコイツを許さねえって言っただろ。」

「制裁って・・・!何も今することじゃないだろ?!怪我人だぞ郭は!!」





功先生がめずらしく本気で怒っている。
確かに怪我をしている英士にすることじゃない。
でも、亮先輩が意味もなくこんなことをする人じゃないことは、よくわかってる。
だから私は、英士に駆け寄りながらも先輩の行動の意味を考えていた。





「どいつもこいつも甘すぎ。見ててムカツクんだよな。
これくらい、なんてことねえだろ?」

「・・・そうだね。むしろ全然足りないよ。」

「・・・英士・・・。」





体を起こしながら、笑みを浮かべる英士。
無表情のままに、そんな英士を見下ろす亮先輩。

向かい合う二人を見て、ふと思った。
私は英士を恨んでいないし、結人や一馬だって英士への思いは変わっていない。
それでも英士は後悔してる。苦しんでる。
自分以外の誰かを巻き込んだこと。親友たちに心配をかけたこと。

たとえ私たちが『許す』と言ったところで、英士は自分が許せないとそう言っていた。
私たちは誰も英士を責めなかった。責める必要がないと、そう思っていたから。
それは本当の気持ち。けれど。

けれど英士は、誰かに責めてほしかったのかもしれない。
優しくされるだけじゃつらくて。許されるだけじゃ苦しくて。
だから自分で自分を追い込むことしか出来なくて。

何も言わないことが、痛みになることもあって。
亮先輩はそれをわかっていて、あえてそれを『行動』で示したのかもしれない。
英士が少しでも楽になれる、きっかけを作るために。





「は。だったらいくらでも殴ってやるぜ?」

「先輩からはもう遠慮しておくよ。本当に殺されそう。」

「郭・・・。お前・・・。」

「いいんだ。功先生。三上先輩は当然のことをしただけ。」





功先生を見上げた英士の頬は、赤くはれ上がっていた。
表情も変わり、覚悟を決めたように松下さんを見つめた。





「松下さん。俺、ここにいたい。すごく我侭な願いだけど・・・。
だから、よろしくお願いします!」

「ああ。勿論だ。」

も・・・最後まで巻き込んでごめん。」

「ううん。私で力になれるなら嬉しいよ。」

「粛正施設に入れられなくても、自由は多少制限されるかもしれない。
けれどそれは、貴方たちにお任せして構いませんね?」





松下さんが、功先生と亮先輩の顔を交互に見る。
亮先輩は無言のまま、松下さんを見つめ、功先生ははっきりとした声で返事を返した。















病院での面会時間が終わり、監視役として病院に泊まっている亮先輩も含めて
私たちはそれぞれの部屋へ戻る。

戻った後に、功先生と松下さんが二人きりでしていた会話を、私は耳にすることはなかった。











「松下さん。貴方はこれから・・・どうなるんですか?」

「退院したら、刑務所に入るでしょう。遺伝子強化兵の研究をしてたからには当然のことだ。」

「・・・それでも貴方は、二人を助けてくれた・・・!」

「・・・助けたのは、大地。私は何もしていません。」

「貴方も助けてくれたと、生徒たちは言っていました!」

「そう言ってくれたのなら、その言葉ほど嬉しいものはないな。」

「・・・松下さん・・・。」

「救いたかったと、後から後悔するばかりだった。
俺の考えは根本から間違っていたのでしょう。」

「けれど貴方は間違いに気づいたのでしょう・・・?」

「郭くんにはああ言ったが、やはり償いは必要だ。
ただ、彼には時間がなかった。背負うものは大きくなるが、それでも幸せになってほしい。」

「・・・。」

「本当に、心から、そう思います。」

「・・・わかりました。松下さん。本当にありがとうございました!」

「こちらこそ・・・。力になれて嬉しく思います。」















そして次の日。
政府の人間が私たちの元へやってきた。
私たちに怯えながら、尋問のようなものは続いた。

けれど松下さんの思惑通り、所員は誰も私たちのことについて語らなかったらしく
尋問の終わった数日後、あっけないくらいにすんなりと、『処分保留』の通知が届いた。

松下さん自身も驚き、権力のある誰かの力が働いたのではないかとそんなことを呟いていた。
結局誰も心当たりがなかったみたいだけれど。

私たちは、そんなことを考えもせずに
ただただ、この場所にいられることに、皆でいられることに喜んでいた。



残りわずかな時間を、大切な人たちと、愛しい人と
精一杯生きよう。そう、思った。

彼らが望んでくれたこと。
彼らの思いを無駄になんかしたくなくて。





だから私は、その思いと同時に



決して消えない感情が、



自分の言葉とは違う、後ろ向きなその感情が



自分を押しつぶそうとしていたこと










必死で気づかないフリをしていたんだ。











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