生きている意味なんてなかったはずだ。





それなのに





出会ったお前は、必死で生きようと願っていた。














最後の夏に見上げた空は

















物心ついたときには、既にこの場所にいた。
一番古い記憶は、たくさんの白衣を着た大人に囲まれている光景。

ベッドに横たわったままの俺に、たくさんの人間の中心にいた男が口を動かした。





「大地。君は選ばれし人間だ!!
これから世界を支配する我々の力となるんだぞ?」





意味がわからずに、俺はその男を、尾花沢を見上げた。
尾花沢の満足そうに笑った顔が印象に残っている。

このとき俺は本能的に感じていた。
俺はこれから、ここで暮らしていくのだろうことを。
この場所で、この男が絶対なのだということを。





















「この資料、間違っているぞ。」

「大地?何を言って・・・。」

「この数式の応用では、求めた結果は得られない。
ここは・・・こうするべきだ。」





机の上に乗せられた資料に、自分の考えた結果を書き込む。
隣でそれを見ていた所員は、驚いたようにしてその資料を覗き込んだ。





「所長!尾花沢所長!!」

「何だ?結果が出たのかね?!」

「い、いえ・・・!それよりも大地が凄いんです!
こんな、大学でも習わないような数式の応用・・・。見てください!この資料!!」

「・・・。」

「大地が解いたんです!まだ10歳にも満たないと言うのに・・・。」





なにやら興奮した様子の所員が、尾花沢にその資料を渡す。
所員が何にそんなに興奮しているのかがわからない。
現に尾花沢もその資料を冷静に眺めているだけだ。





「それが、どうかしたかね。」

「・・・え?だって大地が・・・。」

「私が求めているのは、遺伝子強化兵の研究の結果だ!
何が出来ようと、全く関係ない!!」

「はっ・・・申し訳ありません!!」





5年ほど前に告げられた真実。
俺は桜町という小さな町で生まれ、ここへ連れてこられた。
つまり、誘拐されたということになる。

それを理解するまでに時間はかからなかった。
けれど、理解したところで何かが変わるわけではない。俺にはそれがわかっていた。

俺が連れてこられた理由は『遺伝子強化兵』であるからだ。
『遺伝子強化兵』は世間では、戦争の負の遺産として隔離され、恐れられている存在。
今更俺がそれだとわかったところで、どうしようとも思わない。

ここにいる経緯がどんなものであろうとも、俺はずっとここで暮らしてきた。
ここで暮らし、遺伝子強化兵の研究に貢献し、結果を出す。
それが今の俺の役目なのだろう。

それを不快に思ったことはない。
それどころか、俺は何も感じたことはない。
昔は感じた『痛み』でさえも、もう麻痺してしまっている。

怒りも、憎しみも悲しみも。嬉しさも楽しさも。
感情の名前がいくつもあることは知っていても
それがどんなものかなんて、わからなかった。



















「またダメか!一体何年待たせれば気が済むんだ!!」

「申し訳ありません。しかし、大地が遺伝子強化兵であることは、紛れもない事実です。
能力を発揮できるはずなのに・・・何故・・・。」

「他の遺伝子強化兵のように、薬を全く飲んでいないんだぞ?!それで何故、何も起きないんだ!」

「考えうる限りのことはしています。けれど、原因がわからない・・・。」

「他に何でもいい!どうにかして力を発揮させるんだ!」





今日もいつものように、所員と尾花沢が言い合いをしている。
俺は今日新しくついた傷を一瞥して、上から服を羽織る。

俺がこの施設に来てから15年。
実験に実験を重ねたが、結果は出なかった。
どうやら俺には、遺伝子強化兵として欠陥があるらしい。
力を抑える薬を口にしていないと言うのに、力が起こる気配すら感じられない。

あまりにも結果が出せなかったためか、今では溜めた知識を生かし研究に参加しているほどだ。
自分を研究しているというのに、俺もその研究に参加するなんておかしな話ではあるが。





「・・・何て出来そこないを連れてきてしまったんだ・・・。
私もなんて運の悪い・・・。」

「もう一人の女の子の方であれば、もっと研究もスムーズにいったのでしょうか。」

「本当にそうだな。その子の行方もわからんしな。他の遺伝子強化兵は桜町の中だ。
郭くんに連絡は取れても、彼がここに来るのは難しいだろう。
それに危険を冒して連れてきても、彼はもう薬を長年飲んでしまっている。」

「八方塞りになってしまいましたね。」

「大地。お前力を出し惜しみしているわけじゃないだろうな?!」

「そんなことをして、何のメリットがある?」

「・・・口だけは達者になったな。肝心なところでは役に立たないというのに。」





尾花沢が薄笑いを浮かべて俺を見る。
他の所員も疲れきったように、肩を落とした。
この光景はもう、日常のようになっていた。

尾花沢は最初に俺に告げた。
俺は『選ばれし人間』だと。
けれど、今の俺がそんな人間であるわけがなかった。
そんな人間であるならば、俺はとっくに遺伝子強化兵の能力を発揮していたのだろう。

いや、人間としての感情を感じることも出来ない俺が
最初からそんな人間であるはずはなかったのかもしれない。


















「郭くんからの朗報だ!!」

「どうしたんですか?所長?」

「行方不明だった遺伝子強化兵が見つかった!
私たちが求めていた、『もう一人』だ!!」

「なっ・・・!では、その子さえいれば・・・!!」

「ああ。大地のような出来そこないではない!力も使ったそうだ!
ここへ連れてこれれば、研究は終えられると言っても過言ではない!」

「・・・俺と同じ、遺伝子強化兵が来るのか・・・?」

「ああ。お前とは違って優秀な子だ。
その子が来たら、後はお前の好きにするといい。」

「俺はもう必要ないという事だな。」

「ああ。・・・いや、お前には最後の仕事をしてもらおう。
遺伝子強化兵の監視役・・・。お前にしか出来ない仕事だろう?」

「俺は欠陥品ではなかったのか?」

「お前にしては珍しい。言葉の意味が理解できなかったか?」





言葉の意味?欠陥のある俺を、わざわざ大切な研究対象の監視役にする理由など・・・。





「だから、お前にしか出来ないのだろう?」





欠陥があるから?だから出来ること。
それは、つまり。










なるほど。そういうことか。










「了解した。」

「よし。では早速郭くんに連絡を取ろう。それでは・・・・・」





今までとは違い、揚々と話す尾花沢の声を聞きながら
俺は自分の中で、何かが大きくなった気がした。





欠陥のある俺だから、遺伝子強化兵の側にいても問題ない。
例えば遺伝子強化兵の力に巻き込まれようと、尾花沢は痛くも痒くもない。
もう必要のない俺だから、俺がいなくなろうと何も問題はない。

それも、いいだろう。
俺には生きている意味など、初めからなかった。
17歳で終わる命。
どうせ無くなる命だ。それまでは生きていてもいいかと、ただ漠然と思っていただけだ。

意味もないから、することもない。
だから、目の前にあったこの研究に乗ろうと思っただけだ。





俺には欠陥があって、感情も持ち合わせていない。
それなのに、今、俺の中で大きくなる虚無感は何なのだろう。
今まで常に持っていたもの。感情なんて呼べるものとは思っていなかったけれど。

何の本だったか、読んだことがある。
『心に穴があく』
一体どんな感情かもわかっていなかったが、何かにあてはめるのならばこれが一番合っている気がした。
気分だけでそう思うなんて、俺らしくもない。自分で自分がわからなかった。













そんな自分を理解できないまま、 はこの場所へやって来た。
いや、連れてこられたと言う方が正解なのだろう。

 は初めから、不思議な奴だった。
俺にはなかった感情を、様々な感情を見せる。
何度、考察を繰り返しても、理解できない存在だった。

郭との言い合いを眺め、何故こいつらはこんなにも必死なのだろうと、そう思った。
後、ほんの少しで尽きる命。そんなに必死になってどうするのだろう。





『大切な人といたい』やら、『政府を壊滅させる』など、





そんなこと、望んでどうする?
俺たちはもう、この世からいなくなる存在だというのに。
こいつらは本当にそれがわかっているのだろうか。
本当に俺と同じ、遺伝子強化兵なのだろうか。















疑問が、膨らんでいく。





「自分たちの都合で・・・自分たちのために・・・不破くんを連れてきておいて
どうしてそんなことが言えるの?」






何故?





「無駄なことなんかじゃないよ!」





何故、お前は。





「不破くんも・・・一緒に行こう?」





何故、他人のために、戦える?
何故、他人のために、叫べる?
何故、笑うことができる?










「・・・いいだろう。お前に協力しよう。ここを・・・脱出する。」










何故、俺はお前に協力すると言っている?





意味なんてなかったはずだ。
ずっと生きてきたこの場所から、離れる気もなかったはずだ。
死はもうすぐ。今更、何をしようとも思っていなかった。
それなのに。

気づくと、俺は言葉を発していた。
に協力すると、そう告げていた。

何かを深く考えたわけではなかった。
それは、それが当たり前のように、自然に口から出た言葉。
今までこんなこと、なかったというのに。



 という人間に、興味を持っていたのは本当だ。

自分が不利になるのも厭わずに、感情を剥き出しにして
自分が『大切』と言っている相手に、何度拒絶されようと、諦めようとしない。
会って数日しかたたない俺に、『欠陥品』だった俺に、手を差し伸べる。

そんなの考えが知りたかった。
誰かのために、必死になれるに興味を持った。
といれば、俺の知らなかった何かがわかる気がしていた。

そう。だから俺はに協力しようと言ったのだ。
なら俺の知らない答えを、知っているような気がして。










けれど、今考えてみれば





いくつも並べていた理屈なんて関係なく

















ただ、の側にいたかっただけなのかもしれない。



















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