怒りも、悲しみも。





嬉しさも、楽しさも。





そんな当たり前の感情。





けれど、それはとても大切で。















最後の夏に見上げた空は












「ふ・・・不破くん!!!」





倒れていく不破くんに向かって叫ぶ。
近くには不破くんを撃った人間がいたのかもしれないけれど、
このときの私に、そんなことを考えている余裕なんてなくて。
無意識のうちに不破くんのいる方へ駆け出していた。





!ダメだ!今そっちに行ったら・・・!くそっ!」





私と同じく、茫然としていた英士も動く。
夢中で不破くんの方へ向かう私に、英士の声は届かなかった。

私の後についた英士も、同じように不破くんのいた扉の前に走り寄る。
そして私と不破くんをかばうようにして、前に立つ。





「不破くんっ!不破くん!!」

「・・・大丈夫だ。問題ない。」





起き上がろうとする不破くんを、抱きかかえる。
すると、自分の手にぬるっとした感触を覚える。
私の手は、真っ赤な血に染まっていた。





「っ・・・!!」

「肩を・・・撃たれたか。心臓でなかったことが救いだな。」

「そんな冷静にっ・・・。」

「これくらいの傷は慣れている。
この血の量も、死に至るほどではない。大丈夫だ。落ち着け。」





こんなにもたくさんの血が出ていても冷静で。
不破くんは一体、どれほどのことを受けてきたのだろう。
こんなひどい傷に慣れているなんて言葉を、さらりと言えるなんて。





「不破・・・。本当に平気なの?」

「ああ。問題ない。」

「銃はおそらく・・・向かって右の道から撃たれてきたはずだ。
俺もはっきり見たわけじゃないから、確信は持てないけど。」





英士が私たちを背にして、警戒したように辺りを見る。
不破くんが扉に向かったときに、周りは確認した。
人気はなかったはずなのに。どこから銃が撃たれたのか。





。そこの扉のロックがはずされているか、確認できる?」

「う、うん。ちょっと待って・・・!」





私は目の前の扉に手をかける。
しかし、扉は変わらず、びくともしない。





「ダメ・・・!開かないよ!!」

「くそ・・・。完全に追いつめられた。このままじゃ・・・。」

「観念する気になったかね?」





どこからともなく声が聞こえる。
このゾッとするような声は。





「尾花沢・・・!」

「手間を取らせてくれたものだ。ここから逃げられると、本気で思っていたのか?」

「何故、お前がここに・・・!」

「ああ。警備室で扉のセキュリティロックをはずそうとするものがいてね。
そいつは真っ先に、この扉のロックをはずそうとしたそうだ。」

「・・・!」

「案の定、君たちの協力者だったわけだな。
その証拠に、君たちはここに現れた。」

「・・・この場所がわかっていたというのか?
人気はずっとなかったはずだ。一体どこから・・・。」

「この研究所には、お前の知らない仕掛けがたくさんあると言う事だよ。
私たちが近づいていると知ったら、君たちはまた逃げるだろう?
だから隠し通路から、ホラ、そこの部屋へ出たんだ。」





尾花沢が指し示す先は、この扉に最も近い部屋。
先ほどの発砲は、その部屋からしたもののようだった。





「松下さんは・・・どうしたの?!」

「松下?・・・うちの研究員に、そんな名前の奴はいなかった。最初からね。」

「殺した・・・のか?!」

「だから最初からいないと言っているだろう?物騒なセリフを吐くのはよしたまえ。」

「そんなっ・・・。」





私たちに協力してくれたのに。
あんなにも、心優しい人だったのに。
私たちのために、警備室へ行って・・・殺された・・・?
そんな、そんなことが・・・。

松下さんのことなど、何でもないような顔をしたまま
尾花沢とその後ろに立つ数人の警備員が、私たちに銃を向ける。





「さあ。戻るんだ。死にたくないだろう?」

「くっ・・・。」

「大地のその傷も手当てしてやろう。さすがのお前も、血を流しつづけたら死ぬぞ?」





ポケットに入っていたガーゼを不破くんの傷に押しあてて、
それでも白いガーゼはどんどん血の色に染まっていく。
不破くんの顔が青ざめているのがわかった。

このままでいても、不破くんの傷が悪化するだけだ。
相手は銃を持っていて、いつでも私たちを殺せる。
私は生きたい。英士も、不破くんにも死んでなんかほしくない。





・・・。」

「・・・英士?」

「俺はここで君に死んでほしくない。
・・・いや、は殺されないかもしれないけど、俺たちのいないこの場所で
どんなことをされるのかなんて、考えたくもない。」

「・・・。」

「だから・・・。」

「待て。」





私と同じ考えに行き着いた英士の言葉を遮ったのは、青い顔をした不破くんだった。
私の肩につかまったまま、英士をじっと見つめる。





「お前らは、大切な場所へ帰るのだろう?今、この機を逃したら
それこそ一生、この施設に縛られる。それでいいのか?」

「そんなこと・・・わかってる!だけど、今ここで死んだら、何にもならないだろう?!」

「死なないさ。」





不破くんが私の肩から手を離し、さらに英士の前に立つ。
不敵な笑みを崩さない尾花沢は、銃を両手に持ち、しっかりとかまえる。





「大地。お前がそんなにバカだとは思わなかったな。
無駄なことはしない奴かと思っていた。」

「・・・確かにお前やここの所員に、そう育てられてきた。
けれど、無駄だと思っていても、頭ではわかっていても、体が動くことが本当にあるのだな。」

「ははははっ!!どうやら本気で死にたいらしいな。
お前とは長い付き合いだったが、こんな別れ方なんて残念だ。
最初から最後まで、私の邪魔ばかりで、何の役にも立たなかったな。」

「待ってっ・・・!私たちは・・・!」

。」





不破くんの前に立とうとした私を、不破くんが制する。
そして、私たちに向かって呟く。





「大丈夫。死なない。」

「お別れだ。大地。」





尾花沢の銃から、銃弾が発射される。












「死なせない。」





















不破くんが呟いた後、気づくとその場は静寂に包まれていた。
何かの力に吹き飛ばされた私は、英士に支えられていた。
その英士は、不破くんを驚いたような表情で見ている。





「不破・・・。お前・・・。」

「ああ。俺も、やはり遺伝子強化兵に間違いはなかったのだな。」





不破くんの見つめる先には、尾花沢を含む警備員が皆、倒れている。
まるで、私が力を使ったときのように。





。大丈夫か。
力が制御できず、近くにいたお前まで影響を与えてしまったようだ。」

「だ、大丈夫・・・。」

「・・・力を隠していたのか?」

「いや、俺は間違いなく、能力を使えなかった。
何をされても、どんな苦痛を受けても、そんな力感じたことなどなかった。」

「それが、何で急に・・・。」

「・・・理由は、わかっている。」

「・・・え?」

「俺に、初めて『感情』が芽生えたからだ。」

「・・・感情・・・?」





不破くんが再び私たちから目をそらし、尾花沢たちの方を向く。
私たちは静かに、不破くんの答えを待った。





「俺に足りなかったものは・・・人間らしい、感情だったのだな。」

「人間・・・らしい?」

「俺は何をされてもこれが自分の人生だと、全て諦めていた。そう、初めから。
どんなことをされても、痛みも、怒りも、悲しみや憎しみさえも、何も感じなかった。」

「・・・。」

「遺伝子強化兵の力は、『強い感情』で引き起こされるものだと言われている。
俺には重要な『感情』が抜けていたんだ。」

「今は・・・何を?」

「お前らを守りたいと思った。お前らの願いを叶えたいと。
大切な場所へ・・・。」

「不破くん?!」





言葉を途切って、不破くんがその場に倒れる。
英士と二人で駆け寄り、その体を支える。





「・・・やはり負担は大きいな。」

「もう・・・。自分を大切にしてって、言ったじゃんっ・・・。」

「不破はまず、自分がどれだけ無茶してるか知るべきだね。」





こんな状況なのに、自然と笑みがこぼれる。
嬉しかった。不破くんが『感情』を持ってくれたことが。
嬉しかった。その『感情』が、私たちに向けられたものだったことが。
本当に、嬉しくて。












「は・・・ははははっ!!よく、よくやったな大地!!」





そんな私たちの先に響いた声。
倒れた警備員の中から、たった一人。尾花沢が立ち上がる。





「お前が力を使えるようになるとは思いもよらなかった・・・!
お前とくん。私は最高の研究素材を手に入れられる!!嬉しい誤算だ!」

「尾花沢っ・・・。何で・・・!」

「私の部下は優秀でね。大地の力が使われる直前、咄嗟に私をかばったんだ。
だから私は最小限の衝撃しか受けていない。」

「・・・どこまでも、卑怯な奴だね。」

「大地!くん!私と共に研究を続けようじゃないか!
郭くんも、まだ政府への復讐は諦めていないのだろう?」

「アンタ、まだ言ってるの?今更アンタなんかについていくなんて言うと、本気で思ってる?」

「そっちこそ忘れてはいないかね?私は銃を持っている。そして。」





先ほど尾花沢たちが出てきた部屋から、大量の警備員が現れる。
皆、銃を持って、私たちに向けている。





「この場所はもう、全所員に伝わった。お前たちは袋のネズミだ。」

「どこまで・・・私たちを追いつめれば・・・。」

「大地ももう、動けないようだな。早く手当てをしよう。
大地は大事な所員だからな。」





たくさんの苦痛を与えて、力がないと見限って、
今更どうしたら、そんなことが言えるのだろうか。
この尾花沢という人間こそ、人間らしい感情なんてない。
尾花沢に怒りがこみあげ、強く睨む。

それと同時に、私たちの後ろの扉から電子音が鳴り響く。





「な・・・何?!」

『・・・こちら松下!D2の扉のセキュリティを解除した!
こちら松下っ・・・』

「松下さんっ・・・!!」

「松下?!何故松下が・・・!!」





尾花沢が慌てて、スピーカーを見る。
松下さんは死んでいなかった。
どうにかして、ロックを解除してくれたんだ。
後は・・・。





「郭。。そこの扉を開けろ。こいつらの相手は俺が引き受けた。」

「不破。お前、そんな体で・・・。」

「問題ない。今、こいつらの相手が出来るのは俺だけだ。さっさとしろ。」

「・・・わかった!」

「みすみす扉を開けさせるとでも・・・!!」

「・・・俺が動けないなどと誰が言った?
俺は今なら、お前らをどうとでも出来る。もちろん、命を奪う事も一瞬だ。」

「大地・・・!お前・・・!ここまで育てた恩を忘れたのか?!」

「・・・確かにお前に育てられたと言っても、間違いはないのだろう。しかし・・・。」





扉が開き、外の世界が見える。
早朝の薄暗い光景。間違いなくここから脱出できる。





「不破くん!開いたよ!」

「よし。お前らから出ろ。俺もすぐに出る。」





不破くんの言葉に従い、英士とともに外に出る。
そしてすぐに不破くんを呼ぶ。





「不破くん!早く・・・。」





ガッ!!!





目の前にあった、不破くんの後ろ姿がすぐに見えなくなる。
その代わりに、今開けたばかりの灰色の扉が、視界を遮る。





「不破くん?!何やって・・・!!」

「不破!!」





不破くんの予想外の行動に、私と英士が同時に叫ぶ。
前には再び閉じられた灰色の冷たい扉。














「しかし、生きる意味を教えてくれたのは、こいつらだ。」














私と英士の声は、直後の轟音にかき消されて。
山奥にある、遺伝子強化兵の研究施設は、大きな光に包まれた。

















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