本当に大切なことを見落として
それでもまだ、やり直せるのなら。
最後の夏に見上げた空は
「郭くん。さんが話がしたいと・・・。」
「・・・具合が悪いって、伝えて。」
「ですが、貴方が行かないと研究がスムーズに進まない恐れがあります。」
「大丈夫。俺が具合が悪いって言えば、は無理強いしない。研究も反抗したりしないから。」
「そう、ですか。わかりました。」
下手な言い訳を考えて、俺を連れにきた所員を追い返す。
それくらい、今の俺はに会いたくなかった。
に会えば、ずっと思ってきた生きる理由を、決心を、
揺さぶられてしまうことはもうわかっていたから。
そう。俺はただ逃げていた。
まっすぐに俺にぶつかるから逃げているだけ。
なんて、格好悪い。こんなことで揺らぐ決心なんかじゃなかったはずなのに。
それから数日間、俺はを避けつづけた。
「やあ郭くん!調子はどうかね?」
「・・・尾花沢。」
「最近、君に元気がないと聞いてね。どうしたのかと思ったのだが。」
「・・・そんなことないよ。俺はこれが普通だから。」
突然俺の部屋に現れ、上機嫌のまま言葉を続ける尾花沢を一瞥する。
この男とは必要以上に喋りたくなんてないというのに。一体何をしにきたのか。
「そうか。ならばいいがね。今日は朗報を持ってきたんだ。」
「朗報?」
「くんのことだ。実験の結果、とてもいい結果が出ている。
遺伝子強化兵の力を発揮したわけではないが、それもすぐだろう。」
「・・・本当に?」
「ああ!本当だとも!これで私の夢にも大分近づいた。郭くんも嬉しいだろう?」
嬉しい・・・?
そう。嬉しい。が力を発揮したことで、政府に攻撃できる。
それにうまく行けば、の研究結果次第では、俺もその力を使うことができるかもしれない。
それが俺の目的。生きてきた理由。とても、喜ばしいこと。喜んでいいのに。
何かが胸に引っかかって、素直に喜ぶことができない。
「君がくんを突き放してくれたおかげで、くんも大人しく研究を受ける気になったようだ。」
「・・・そう。」
本当に?は本当にもう俺を、桜町に帰ることを諦めたのだろうか。
あんなにも桜町に帰ることを、皆に会うことを願っていたが。
・・・いや、諦めてもおかしくはない。毎日監視され、実験を受け、
今まで一緒にいた俺にすら拒絶をされて。
俺は何を驚いているんだ。自分がそう仕向けたのに。俺が、をこんな場所に連れてきたのに。
「そういえば俺はもういいの?結局検査だけしか協力してないけど。」
「ああ。くんがいれば十分だ。君のデータはやはり、大地と同じものだったからな。
それに、長年薬を飲んでいたことも、大分影響がある。くんの結果が出るまで、ゆっくりしていたまえ。」
それから尾花沢が自分の研究を自慢気に話し、気が済んだ頃、俺の部屋を出ていく。
俺は何もすることがなく、自分の部屋のベッドに寝転んだ。
もうすぐ俺の目的が果たされる。政府につくられた俺たちの力で
誰もが恐れてきた、この忌々しい力で、政府を攻撃する。それが、俺の目的。
何を迷う必要がある?大切なものを失ったあのときから、思ってきたことだ。覚悟していたことだ。
今更、迷う必要なんてない。今更迷ったって・・・。
コンコン
いつもと同じ時間に、ドアをノックする音が聞こえる。
またからの呼び出しだろうか。けれど、俺はもうに会うつもりはない。
「・・・聞かなくてもわかるでしょ。アンタも毎回律儀に俺のところに来なくても・・・。」
「何のことだ?」
いつも俺を呼び出しにくる所員だと思い、話し掛けた先には、いつもと違う声が返ってきた。
驚いてドアを凝視する。この声は・・・。
「・・・不破?」
「入るぞ。」
そこには思ってもいなかった人物がいた。
をずっと監視し、の側にいた不破。何で彼がここにいるんだ?
「具合が悪いと聞いたが?」
「・・・何だ。に頼まれてきたの?監視役でもそんなことまでするんだ。
まあ、大切な研究データだしね。」
「・・・?は何も言っていない。これは俺の意志だ。」
「・・・は?」
俺と何の接点もなかった不破が、何故俺を訪ねてくるのか。
彼の言っている意味が全然わからなかった。
「・・・というよりも、は今、話せる状態ではない。」
「・・・どういうこと?」
「今日の実験が終わってから、まだ目を覚まさないからだ。」
「!!」
「だからは関係ない。俺がお前と話しに来ただけだ。」
「目を・・・覚まさないって・・・?」
「無理もないことだろう。俺の実験のときの数倍の早さで、実験を繰り返している。
体に負担がかかってもおかしくない。」
心臓が早鐘を打っていた。
数日前に見た、疲れた表情をしたを思い出す。
不破の顔を見たまま、固まっている俺のことはおかまいなしに不破が言葉を続ける。
「・・・お前は、の言葉に耳を傾けるつもりはないのか?」
「・・・え?」
「俺には理解できないが・・・はどんなに弱っていっても、お前を説得しようと言ってきかない。」
「・・・何、言ってるの?不破。自分が何言ってるかわかってる?お前はの監視役なんだろ?」
「俺はに協力すると約束した。あいつの脱出を手伝うと決めた。」
「なっ・・・!!」
淡々と話を進める不破の言葉に、驚いて思わず声を出す。
ずっとここで生きてきた不破が、どうして数日一緒にいただけのに協力なんてする?
例え、不破が尾花沢に恨みを持っていたとしたって、あまりにも無謀な考えだ。
それに不破は、生きることを諦めていた。に協力して、危ない橋を渡る理由がない。
「何で?どうしてアンタが・・・。」
「に興味を持ったからだ。あとたった少しの命を必死に生きるを見てみたいと、そう思った。」
「そんな、ことで・・・。」
「は俺にはないものを持っている。遺伝子強化兵としての価値もなくなった俺の最後の目的だ。
の言う、『大切なもの』を見つけてみるのもいいかもしれない。」
真面目な顔をして話す不破に、反論の言葉をぶつけようとした。
けれど、言葉が出てこなかった。
大切なものがなかった不破。きっと、彼の生きる意味はこの研究しかなかったのだろう。
その研究でさえも、成果がでず、見捨てられて、何かをすることを諦めていた。
そんな不破が見つけた、生きる目的。
それがどんなに無謀でも、馬鹿げたことでも、俺はそれを否定することなんてできなかった。
「俺の調査はもう済んでいる。あとは郭。お前だけだ。」
「・・・何言ってるんだよ。逃げる準備が出来たなら、とっとと逃げれば良かっただろ?!」
「はそれを望んでいない。」
「!!」
「実験で日に日に弱っていくあいつに、俺は言った。
もう郭は諦めて、脱出すべきだと。それが最良の選択だと。」
「・・・。」
「それでもは、首を縦には振らなかった。お前がいなければ意味がないとそう言って。」
「・・・バカじゃ・・・ないの?そんなときまでキレイゴト・・・?」
「キレイゴト?」
「そうだよ。はいつだってそうだ。綺麗事を並べて、いい人間、優しい人間でいようとする。
他の奴らはそれで救われたとしても、俺にはうんざりなんだ・・・!」
「・・・綺麗事。上辺だけということか。」
「そうだ!だって本当は俺を恨んでいるのに。一人で帰ることが怖いから
俺がいないと気まずいから。皆にいい奴だって思われていたいから。だから俺にこんなにも執着するんだ・・・!」
不破が俯いて沈黙する。何かを考えているようだ。
やがて、顔を上げて俺に言葉を返す。
「そのキレイゴトとは自分の命さえも、賭けられるものなのか?」
「・・・え?」
「今は死ぬことはないだろうが・・・このままだとは確実に、普通よりも早く死ぬ。」
「!」
「それまでに受ける苦痛も、想像しがたいものだ。」
「何、言って・・・。は大切な研究対象なんだから、簡単に死なせるわけ・・・。」
俺が言葉を終える前に、不破は自分が着ていた白衣を脱ぎだす。
不破の突然の行動に驚いて、俺は言葉を止め彼の行動を見ていた。そして。
「・・・!!」
俺が見たものは、痛々しいたくさんの傷跡。
切り傷もあれば、火傷のような跡もある。
昔から受けているような古傷もあれば、少し新しいような傷もある。
長袖と白衣を着ていた不破からは決して見えない傷。
その痛々しい傷跡から、彼が受けてきた苦痛の一部が想像できた。
「まさか・・・も・・・?!」
「・・・にはまだない。今は遺伝子強化兵の力の元である、電気を流している段階だ。
とは言っても、人間の限界を超える電気量ではあるが。」
「・・・。」
「しかし、実験がうまく進まなければ、もこうなる可能性はある。
遺伝子強化兵の能力発揮には、『強い感情』も必要だと言われているからな。
それが『痛み』や『苦しみ』であっても。」
言葉が、何も出てこない。
俺が部屋で休んでいる間に、はどれだけの苦痛を味わっていたのだろう。
毎日苦しめられながら、俺にまで拒絶されて、どんな気持ちでいたのだろう。
「・・・それでも、のしていることは『キレイゴト』なのか?」
「・・・。」
違う。それは純粋なの思い。の願い。
俺と一緒に、ここから出たいと願う思い。俺を大切に思ってくれている思い。
キレイゴトなんかじゃない。俺がそう思っていただけ。そう、思い込んでいただけ。
そう思っていなければ、決意が揺らいでしまったから。
そう思っていなければ、目的が達成できないと思ったから。
「はお前が大切だと言っていた。お前には、そういった感情はないのか?」
「・・・。」
は最初から、利用するだけの、それだけの存在だった。
だからに信頼はされても、俺は決して感情に流されない。流されるわけがない。そう思っていた。
なのに。
いつでも前向きなを、誰かのために必死になるを、俺の隣の席で楽しそうに笑うを、
こんなにも大切に思うようになったのは、いつからだっただろう。
認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。
俺の生きる理由が、決意が、たった一人の人間のために崩れるなんて思いたくなかった。
を見てこんなにも優しい気持ちになれる自分を認めることなんて、できなかった。
結人や一馬という存在が出来て。俺の生きる意味は見出せたはずなのに。
それでも初めに思った俺の生きる『目的』を忘れるなんて出来なくて。
新たに出来た大切な存在で、昔の痛みは消えると思ってた。けれど。
心の底にあった、醜くて汚い感情が消えることはなかった。
いつか結人も一馬も、俺を見捨てるんじゃないかって、不安に思っていた。
ドロドロした感情がいつも俺を苦しめて、何かを恨まずにいられなかった。
だから決心した。俺は政府を憎むと。
だから覚悟した。誰に憎まれても、俺は自分の目的を果たすと。
そうすることで、何かを憎んで、それに向かうことで俺は自分を保っていた。
「・・・の目も覚めているかもしれないな。俺と話すより、と話した方がいいだろう。一緒に来い。」
不破に促されるままに、彼の後について歩く。
頭の中に、様々な感情が渦巻く。
俺は一体何がしたかった?何が大切だった?
の部屋の前に着き、ドアを開ける。
そこにはまだベッドに横たわったままのがいた。
眠ったままのに一歩一歩近づいていく。
「・・・っ・・・。」
思わず声をあげる。
眠っているの顔は、とても青ざめていて。
いつも笑ってくれているその顔の面影を感じることができなかった。
自分のために、政府を恨んで。を巻き込んで。
しなくてもいい苦しい思いをさせて。
それでもは俺を信じてくれた。何度も何度も、俺に近づいてくれた。
迷う必要はもう、なかった。
「・・・う・・・。」
「・・・。目が覚めたか。」
「・・・不破・・・くん。・・・英士・・・?」
それから少しして、が目を覚ます。
俺がこの場所にいることに驚いた表情を見せる。
「。」
の手を握り、まっすぐに見つめる。
「・・・一緒に、帰ろう。」
が驚いて俺を見上げる。
そして、俺の心を理解したかのように、優しく、温かく微笑む。
「・・・うん・・・。」
そう一言だけ返したの笑顔は、優しくて、温かく、けれど弱弱しくて。
そんなを見て、涙が込み上げた。
こみ上げてきた涙を隠すように、の手を握ったまま自分の額にあてた。
も黙ったまま、俺の手を握った。
の優しさは、今の俺にはとても痛くて。
もっと、憎んでくれてよかった。恨んでくれてよかった。けれど。
今だけはのその優しさに甘えて、その手を強く、強く握り返した。
。
こんな俺でも、まだ信じていてくれるなら。
俺は絶対に君を守るから。今度こそ間違えないから。
だから一緒に帰ろう。
俺たちの町へ。大切な場所へ。
一緒に、帰ろう。
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