初めから、利用するだけの存在だった。





ただ、それだけの存在。





それなのに、どうして。











最後の夏に見上げた空は













「1年D組に転入生が来るらしいですよ。」





力を発揮した遺伝子強化兵が転校してくる。
その情報を知ったのは偶然だった。

俺は教師に頼まれて、たまたま準備室に来ただけだった。
少しだけ開いたドアから漏れるその声は、化学の担当教師。
その相手は見えないが、後姿と話し方から、どうやら英語の教師のようだった。





「え?転入生ですか?1年って・・・遺伝子強化兵のクラスじゃないですか。」

「そうなんですよ。ほら。16年前に誘拐事件があったでしょう?その誘拐された子らしいです。」

「ええ?!じゃあ、転入してくる子も遺伝子強化兵・・・ですか?!」

「そうです。しかもここだけの話・・・いや、私も学年主任から内密にと言われているんですがね・・・。
その子は遺伝子強化兵の能力を使ったらしいんですよ・・・。」

「なっ・・・!そんな子を受け入れて大丈夫なんですか?!」

「まあ建前上はね。受け入れなければ。何か問題を起こしたら、即退学・・・粛正施設行きですよ。」

「はあ・・・。ただでさえ、普通の遺伝子強化兵に脅かされているって言うのに・・・。
その上そんな子まで入ってきたら、私たちの命がいくつあっても足りないですよ。」

「後少しの辛抱ですよ。後1年だ。そうすれば私たちも自由です。」





自分たちのことしか考えていない、教師たちの会話に怒りを覚えながら
奴らの言っていた『遺伝子強化兵の能力』を使った転入生には大いに興味を持った。

そいつを使えば、俺の目的は果たされるかもしれない。
誰もが恐れる遺伝子強化兵の能力。戦争の負の遺産。
尾花沢の研究も進み、俺の願いも叶うかもしれない。



尾花沢とは中学のときに出会い、取り引きを持ちかけられた。
俺は桜町で遺伝子強化兵の情報を渡す。日々の状況、変化、気づいたことを報告する。
その代わりに尾花沢は、政府を壊滅させる。俺の生きているうちに、必ず行動を起こす。
尾花沢も自分の研究を否定されたとかで、政府に恨みがあったようだ。
俺の目的を聞いても、迷うことなく同意した。



どうして俺だったのかはわからない。
尾花沢と話したのは、わずかばかりだったのに。
俺の政府に対する否定的な言葉でも聞いたのか、それとも、俺を見て何かを感じ取ったのか・・・。

尾花沢と言う人間は、はっきり言って大嫌いな人種だった。
けれど、俺にとって、人間よりも目的。尾花沢がどんな人間であろうとも、関係なかった。
俺が桜町の外に出るためには、政府を壊滅させるためには、尾花沢が必要だった。










「これを。」

「わ、わかった!」



人気のない裏庭で、目の前の男に紙切れを渡す。
そこには、俺が先ほど聞いた情報、そして俺の考えが書いてある。

目の前の男は、尾花沢の用意した連絡用の教師。
俺と尾花沢はこの教師をパイプ役にし、連絡を取り合っていた。

尾花沢がパイプ役を教師として送り出したのは正解だった。
俺はその教師に質問するフリをして、いつでも話し掛けられる。
ただ、気が弱いらしく、いつも何かに怯えてオドオドしている姿には呆れるしかなかったけれど。
どうしてこんな人間をパイプ役に送り込んだのかは疑問だったけれど
今考えれば、『役に立たない』人間を送り出したのかもしれない。

研究所で役に立たず、桜塚高校で何かが起こっても何も問題のない人間。
尾花沢の命令に従い、裏切る度胸もない男。だからこそ、この男だったのだろう。















そして、その遺伝子強化兵は、俺たちのクラスへやってきた。
力を発揮したなんて、どんな子か興味はあった。
けれど、やってきたその女の子は当然、俺たちと同じ普通の子だった。
ただ、何かを諦めたように暗い表情をしてはいたけれど。

元いた場所に、大切なものがあったのかもしれない。
彼女はそれを諦めて、この町にやってきたのだとしたら、その表情にも納得がいく。
一度できた大切なものを失うことが、どんなにつらいことか。俺にはわかる。

しかし、それならば好都合。
今まで幸せに暮らしてきただろう彼女は、少なからず政府を憎んでいるはずだ。
大切なものがない今ならば、俺の考えにも同意するんじゃないだろうか。
俺が大切なものを無くして、生きる意味を失ったように。彼女もまた別の生きる意味を探すはずだから。





俺は彼女に、 に好意的に接した。
彼女を俺の目的に引き込むためには、俺を信用させることが必要だった。
そして、所々の会話の中で、政府をどう思っているかを聞き出した。
はっきりとは言わなかったが、は元の町へと戻りたいと願っているようだった。

この町を抜け出せることを条件に、なんとか尾花沢の研究所へ連れていくことはできないだろうか。
そんなことを考えていた矢先、は変わっていった。
後ろ向きに見えたその考え方が、どんどん前向きに変わっていく。



はこの町で、何かを見つけたのだろうか。

俺が結人や一馬に会うまで見つけられなかったものを見つけることができたのだろうか。
だからあんなにも、笑って過ごせるのだろうか。
だからあんなにも、自分以外の誰かの為に、必死になれるのだろうか。



の存在は、俺たちをも巻き込んで、マイナスの感情を消していった。
ずっと一人だと思いこんでいた結人を、誰も手のつけられなかった鳴海を、
自分を卑下して後ろ向きだった一馬も、そして、サッカー部も。

の言っていることは、ただの理想で、キレイゴトに聞こえた。
それでも、それでも皆、に救われていた。














コンコン





「・・・何?」



ドアをノックする音が聞こえ、外の相手に向かい声をかける。



さんが貴方を呼んでいます。出られますか?」

「・・・。」

「郭くん?」

「・・・会いたくないって、そう言って。」

「・・・そう言われたら、研究に協力しないと言われました。
こちらとしては、余計な面倒は起こしたくないので・・・。」

「・・・わかったよ。」



俺に何度もひどいことを言われても、まだ諦めない。
こんなところに連れてこられた原因の俺に、どうしてそこまで執着するのか。
の最も大切なあの先輩から、引き離したのは俺なのに。
恨まれたっておかしくない。それなのには、まだ理想を言っている。
彼女のキレイゴトはもう、たくさんだった。















「英士。よかった。来てくれたね。」

「ていうか、所員を脅したのはでしょ。話があるならさっさと済ませてくれる?」





の部屋に入ると、そこには相変わらず無表情の不破が、俺を凝視していた。
自身も笑ってはいるが、明らかに疲れている。・・・遺伝子強化兵に対しての実験が始まったのだろうか。
・・・まあ俺には関係のないことだ。





「・・・単刀直入に言うね。一緒に、ここから出よう。」

「・・・もこりないね。俺は自分の目的があるからここにいる。そう言ってるでしょ?」





『監視役』の不破が側にいることをわかって話しているのだろうか。
あまりにはっきりと、脱出の話をするを一瞥する。も大分焦っているのだろう。





「じゃあ私も何度でも言う。ここに居て英士は幸せ?」

「・・・。」

「あんな、遺伝子強化兵の気持ちを理解しようともしない尾花沢について、目的を果たして、本当に幸せなの?」

「尾花沢がどんな人間かなんて問題じゃない。大切なのは俺の目的が果たせるかどうかだから。」

「・・・英士・・・。」

「別に俺の意見なんて求めなくても一人で逃げればいい。・・・逃げれるものならね。」





気丈に言葉を発するの表情に、少しだけ悲しみがまじる。
それでいい。そうして俺を、ここから脱出することを諦めればいい。





「・・・例えば・・・ね。」

「・・・?」

「例えば、私たちの最期がやってきたときに、私は何を思うんだろうって、考えることがあるの。」

「・・・。」

「私はきっと、大切な人たちのことを思い出す。幸せだったときを思い出す。皆、そうじゃないかな?」

「何が・・・言いたいの?」

「そのときに英士を思う人も・・・たくさんいる。」

「何を・・・。」

「このまま英士が桜町に帰らないで、英士がいないことを悲しんだまま逝くなんて。
私はそんなの嫌だ。そんなの、幸せなんかじゃない。」

「・・・。」

「だから英士も、英士も一緒に帰らないと意味がないんだよっ・・・。」





の言う『キレイゴト』。
そう。これは唯の理想で、誰だって言えるキレイゴト。
なのに、どうして・・・。





「もう・・・いいんだよ。そんな言葉はっ・・・。キレイゴトばかり並べて・・・うんざりなんだよ!」

「英士・・・。」

「確かに一馬や結人は、俺がいなくなって悲しんでるだろうね。
けど、俺は決めたって言っただろ?政府を壊滅させると、そう思って生きてきたんだ!」

「・・・。」

「それに俺、言ったよね?は利用してただけだって。どうなろうと、関係ないって。
いくらが俺と戻りたいって言っても・・・。キレイゴトを並べても。
俺はを何とも思ってないんだから。無意味なんだ。」





こんなにも酷い言葉を並べて。彼女が俺を諦めてくれることを願う。
覚悟は、していた。誰にどんなに憎まれようと、俺は俺の目的を果たすと。





「これ以上話しても時間の無駄だって、いい加減気づいてくれる?・・・俺は部屋に戻る。」





振り返って、ドアに手をかける。
さすがのも、もう俺を諦めたようで俺を止める言葉はなかった。





「・・・英士。」





部屋を出る寸前、かからないと思っていた言葉をかけられ、思わず足を止める。
が顔を上げて、まっすぐに俺を見つめていた。





「私、嬉しかったよ。」

「・・・?」

「転入して、笑って声をかけてくれたこと。」

「・・・!」

「結人と気まずくなったとき、それでも教科書を見せてくれたこと。」

「・・・。」

「鳴海くんにからまれたときに、かばってくれたこと。」

「何・・・言って・・・。」

「突然やってきた私に、優しく笑いかけてくれた。受け入れてくれた。
皆で笑いあってた毎日が、本当に楽しかった。」

「・・・。」

「それが英士の計画のためだったとしても、私は、嬉しかった。
・・・本当に、嬉しかったよ。」







バタンッ







の言葉が終わると同時に、閉じかけたドアを閉める。
悲しげで、それでいて真っ直ぐに俺を見るの表情が頭から離れない。



の言葉が、頭から離れない。



どうせその言葉だって、嘘なんだ。キレイゴトなんだ。
は自分が帰りたいだけで。本当は俺を恨んでいる。
けれど、自分一人では帰りづらいから。だから俺を・・・。

そう。そのはずなんだ。なのに、なのにどうして。









どうしての言葉は、こんなにも俺の心を、決意を揺さぶるんだろう。









自分の部屋に入って、ドアを背にしたまま、その場に座り込む。
覚悟はしていた。していたはずなのに。



俺は俺の目的を果たすために、誰に憎まれてもいいとそう思っていた。



に憎まれたってよかった。恨まれたってよかった。





けれど。





のあの悲しそうな表情は見ていたくない。





そう思う自分がいることも、もう否定することはできなかった。














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