誰に憎まれてもいい。
誰に恨まれてもいい。
それでもそれは確かに、俺が生きる『理由』だったから。
最後の夏に見上げた空は
「郭くん。君のデータはやはり大地と同じものだった。
薬もずっと飲んでいたことを考えると、君が力を発揮することは難しいだろう。」
「・・・そう。」
「まあ気を落とすな。代わりにくんが君の目的を果たしてくれるだろう。」
「・・・。」
と不破が去った後の朝食の席で、尾花沢が何事もなかったかのように話をする。
そのあまりにもわざとらしい笑い顔に不快感を覚え、適当に返事を返す。
「俺も部屋に戻るよ。」
尾花沢の返事を待たずに席を立つ。
いくら目的が一致しているからと言って、この男と仲良くする気は毛頭ない。
「君もくんのように、『偽善』なんていう感情は持たないことだ。
私なら君の願いを叶えることができる。それを忘れないことだ。」
「・・・。」
「まあ何年も連絡を取り合ってきた仲だ。今更君を疑う気もないがね。」
尾花沢を一瞥して、部屋から出る。これ以上、この男と話していたくはなかった。
一人の人間として、尾花沢は狂っている。
そして、間違いなく俺の嫌いな人種だ。
けれど俺には。俺が昔から思い描いていた願いには、尾花沢が不可欠だった。
尾花沢しかいなかった。他にこの願いを叶えることができる奴なんて、いなかった。
俺は普通よりも少し、裕福な家庭に生まれた。
父親と、母親と、自分より少しだけ年の離れた弟と、普通に暮らしてた。
小学生のときに、父親から俺が『遺伝子強化兵』であることを聞かされた。
父親は言った。「それでも俺たちは最後まで、英士と一緒にいるから。」と。
何を言っているのかわからなかった。俺をからかっているのかとも思った。
けど、あまり笑わない堅物の父さんが、そんな冗談を言うはずがないから。
自分が17歳までしか生きられないと、そんな残酷な運命でも信じるしかなかった。
その頃無口で一人でいた俺には、友達はいなかった。
けれど、俺と一緒にいてくれる家族のためにも、最後まで生きようと思った。
父さんは仕事ばかりで、俺にたいして笑いかけることなんてない堅物で
母さんは気が弱く、『遺伝子強化兵』の俺に怯えて、それを必死に隠すような弱い人間。
何もしらない弟だけが、無邪気に家の中を駆け回っていた。
絵に描いたような理想的な家族だったわけじゃない。
けれど、俺はこの家族と一緒になら最後まで生きていたいって、そう思ったんだ。
そう、思ってたんだ。
ある日、夜中に目を覚ますと、リビングから父さんと母さんの声が聞こえてきた。
二人はテーブルをはさんで、真剣な顔で何かを話していた。
「・・・立花さんもついにここから離れるそうよ。・・・英士の同級生・・・。遺伝子強化兵のいる家よ。」
「・・・そうか。じゃあその子供は施設か寮にでも入ることになるんだな。」
「・・・私達も・・・もう・・・いいんじゃないの?」
「もういい」とそう言う母さんの言葉の意味は充分にわかっていた。
日に日に俺に怯えを隠せなくなった母さんが、精神的に参っていたことに気づいていなかったわけじゃないから。
だから、俺も思ってた。もう離れてくれてもいいと。俺は一人でも大丈夫だと。そう、言おうと思ってた。
「何を言っているんだ。」
「でも・・・アナタ・・・!私は・・・!」
「いくら遺伝子強化兵と言っても、自分の子供を見捨てたなんてしれたら
俺の会社での立場がどうなると思っているんだ!!」
父さんが発したその言葉に、耳を疑った。
その場に立ち尽くして、そのまま動けなかった。
「わかってるわよ・・・!アナタの立場上、英士を見捨てられないってことは・・・。
アナタはずっと会社にいて安全でしょうけど、私はずっと家にいるのよ?
英士と一緒にいなければならないのよ?!自分の息子に怯えて、ビクビクしているのはもう嫌なのよ!」
「仕方ないだろう?それに英士はずっと薬を飲んでいるんだから、そんなに怖がる必要もない。
後少し、一緒にいてやろうという気にはならないのか?お前も母親なんだぞ?」
「そんなこと言って・・・!!私の気持ちも少しは考えてよ!!」
その後の会話は覚えていない。
自分の中で、何かが音を立てて崩れていく。
俺は母さんにとって、一緒に『いなければならない』息子で
俺は父さんにとって、一緒に『いてやろう』と思われる息子で・・・。
父さんが俺に笑いかけないのは、単に仕事ばかりの堅物な人だからだと思ってた。
母さんが俺に怯えることがあるのは、『遺伝子強化兵』に怯える、弱い人間だからだと思ってた。
それでも『息子』である俺を、愛してくれていると。
俺の時間が限られたものでも、生きていたいと思った。
俺を守って、愛してくれる家族のためになら、生きていたいと思った。
けれど。違っていた。
俺のためじゃなかった。俺を愛してくれていたわけじゃなかった。
俺は一人だったんだ。ずっと一人だった。誰も愛してなんてくれていなかった。
中学に入学すると同時に、自分から寮に入ると両親に言った。
母親は驚いた顔のまま何も言わず、父親は俺を止めた。
けれど、「『俺が』寮に入りたい。『俺が』友達と一緒にいたい。」とそう言うと
父親は何かを考えたように押し黙り、やがて「わかった。」と一言だけ言った。
そう。俺が望んだことであるならば、周りにも格好がつく。
父親が気にする『会社の立場』というものも保てる言い訳ができるだろう。
死に行く息子の最後の願いだからと、可哀想な家族を演じることだってできるだろう。
もちろん友達なんていなかった。俺は一人だったから。
それでも嘘でかためたこの家族より、寮で一人でいた方がずっと楽だ。
俺から離れたがっていた母さんも、これで安心して暮らしていけるだろう。
寮に入るために、家を出る日。
何も知らない弟が泣きながら、俺にすがりつく。
この家で唯一、嘘をつかずにいてくれた弟。自然に弟の頭をなでていた。
けれど、この弟も俺が遺伝子強化兵だと理解できる年になったなら、俺を怖がるのかもしれない。
ならば、そうなる前にこの家を出ていくことは正解だったのだろう。
父親は一言、「気をつけろ」と言葉をくれた。その表情は無表情のまま変わらない。
俺は最後に母親を見る。俺がいなくなって一番安心するのは母親だろう。
その表情は明るいだろうと、母親の顔を見る。
けれど、その表情は予想していない表情だった。
母親は泣いていた。俺を見つめて声を殺して泣いていた。
どうして?俺がいなくなって、一番うれしいのは母さんのはずだ。
嬉しくて泣いているようには見えない。ほっとした表情にも見えない。俺には・・・。
つらくて泣いているようにしか見えない。
自分の目がおかしくなったのかと思った。
俺を愛していなかった家族を、最後だからと綺麗な思い出にでもしようとしているのかと。
混乱する俺を温かい腕が包み込む。
「・・・ごめん・・・」
「・・・母さん?」
「・・・愛して・・・あげられなくて・・・ごめん・・・ね・・・」
母親が俺にしか聞こえないような小さな声で囁く。
俺は母親に抱きしめれたまま、その場に立ち尽くす。
母さんはわかっていたんだ。俺が突然寮へ行くと言い出した理由を。
自分が俺に見せていた態度を。怯えを隠しているようで、隠せていなかったことを。
自分が愛されていないと、気づいていたことを。
母さんは俺がいなくなったことで、安心して暮らしていけるだろう。
けれど、俺にずっと怯えていたことを思い出しては泣くのだろう。
自分の息子に怯えていたことを、愛することができなかったことを、悔やむのだろう。
母さんは弱すぎた。
自分の息子に怯えるほどに、弱い人間。
怯えている自分を悔やむほどに、弱い人間だった。
俺が遺伝子強化兵じゃなかったら。そんな考えが頭をよぎった。
そうすれば、両親は俺を愛してくれただろうか。
父親は俺に笑いかけてくれただろうか。
母親は俺に怯えることなく、暮らしていけただろうか。
弟に、いつまでも優しい兄でいられただろうか。
中学に入学し、俺は生きる理由を失っていた。
大切にしていた家族を切り離し、大切なものは何一つない。
もう数年で死んでいく俺に、生きていく理由はもうなかった。
けれど、このまま一人で死んでいくのも嫌だった。
理由なんてない。ただ漠然と、自分で死ぬなんてことをしてはいけない気がして。
大切なものを思うことで生きてきた俺が、これからも生きていくには理由が必要だった。
そして、その理由に行きつく。
俺が遺伝子強化兵でなかったのなら。こんな思い、しなくてよかった。
一つの町に閉じ込められ、監視され、家族にさえ怯えられて。
その状況を作り出したのは誰?
監視さえも他人任せに放棄して、高みの見物をしているのは・・・誰?
生きる理由を見つけた。
それが例え、どんなに叶わない願いでも。どんなに馬鹿げた思いでも。
ひどく醜い考えだったとしても。それでも俺は、生きる理由を見つけた。
家族を失って、初めて見つけたその『理由』は、その後にどんなことがあっても消えることはなかった。
一馬や結人っていう、かけがえのない親友ができても、その思いだけは消えなかった。
むしろ大切な人ができたことで、あいつらを苦しめる政府を許すことなんて、ますますできなくなっていた。
俺は政府を許さない。
誰に憎まれても、例えば親友に憎まれたって、俺は政府を壊滅させてやる。
それが俺の生きる理由。
大切なもの、大切な人はいる。
けれど、その大切な奴らだって、憎んでいる相手だから。
俺たちの犠牲の上に、のうのうと生きている奴ら。
俺たちが死んで、きっと何もなかったかのように暮らしていく奴ら。
皆、憎んでいる。憎まないはずがない。
偶然にも尾花沢に目をつけられた俺なら、それができる。
それなら、俺が動いたっていいだろう?
誰に憎まれたっていい。その覚悟はしていた。
例えばそれがクラスメイトであっても。
例えばそれが親友であっても。
例えばそれが、今まで出会ったことのなかった、俺の心を揺さぶる女の子であっても。
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