この冷たい建物の中で、たった一人で。
知ることのなかった感情を、知って欲しいと
そう、思ったんだ。
最後の夏に見上げた空は
「・・・不破くん。」
「なんだ?」
「聞いても・・・いいかな?」
「何をだ?」
尾花沢に追い出され、私たちは部屋へ戻ってきていた。
しばらくしたらまた研究が始まるらしいが、その間だけでも不破くんの話が聞きたかった。
「・・・ずっとここにいたの?外にも出ず、学校にも・・・?」
「ああ。俺は外へ出ることを禁止されていたし、学校は行かずともここには膨大な資料があったからな。」
「・・・尾花沢に育てられたの?」
「そうだな。金銭面で言えば尾花沢なのだろう。」
「金銭面・・・?じゃあ実際は誰が不破くんを?」
「食事やその他の躾という意味であるなら、特定の人間はいないな。
食事は共同の場所で食べていたし、躾は最初に教えられた後は一人でこなすように指示されていた。」
淡々と質問に答えていく不破くんを見て、胸が痛くなる。
この冷たい場所で、誰か彼を救ってくれていた人間はいたのだろうか。
「・・・自分が遺伝子強化兵だって、いつ知らされたの?」
「確か5歳の頃だったか。尾花沢から聞かされていた。
俺がここに来た理由もそのとき知った。」
「そんな・・・小さい頃に?」
「どうも俺は頭の回転が一般人よりも速いらしい。尾花沢の言っている意味は理解できた。
まあ、連れてこられた経緯が『誘拐』と理解するのはもう少し後だったが。」
「・・・憎くはなかった?」
「『憎い』とは思わなかった。・・・というよりは、何も、感じなかった。」
「・・・。」
「俺は理解した。俺は遺伝子強化兵で、誘拐された子供であると。
そして幼い俺が、ここから出られる術を見つけることはできないと。
ならば、ここで生きていくことが最良の選択なのだろうと、そう結論づけた。」
「それから・・・逃げようと思ったことはないの?
あんな・・・あんなひどいことを言う尾花沢についている必要なんか・・・!!」
「幼い頃の刷り込みで、長い間そんなことを考えなかったのは事実だ。
しかし、今更俺が外の世界に出てどうなる?知らない世界に逃げ込んでどうなる?
どちらにせよ、俺はもうすぐこの世界からいなくなる。無駄なことをするつもりはおきないな。」
「無駄なことなんかじゃないよ!」
不破くんの表情が変わる様子は全くなくて。
事実を並べる不破くんの言ってることは正論だった。
けれど私は、例え時間が残りわずかであっても、無駄なことはないと信じたい。
「確かに私たちは、この世界からいなくなる。けど、今は生きてる。この世界に、生きてるんだよ。」
「・・・。」
「私たちの時間は少ないけど、それでも私は最後のそのときまで、自分らしくいたい。
空を見上げて綺麗だと思ったり、誰かの一生懸命な姿を見て感動したり、大切な人と一緒にいて幸せを感じたり・・・。
そうやって、生きていたい。」
「・・・俺には、理解できない感情だな。」
「不破くんは・・・大切なものとか、信じられるものは・・・ないの?」
「大切?・・・俺にとってなくてはならないものという意味か?」
不破くんは顎に手を当てて、黙ったまま考える。
そして結論に行き当たったように、顔を上げ私の目を見て答える。
「俺にはないな。」
「・・・!」
「にはあるんだな?」
「・・・うん。ある。・・・たくさん、あるよ。」
屋上で見上げる空一杯に広がった青空や、武蔵野市にいる両親、
桜町で出会った友達、そして、亮先輩。
自分が遺伝子強化兵と知っても、絶望せずに生きてこられたのは彼らのおかげだった。
武蔵野市にいたとき、一人でも平気だった。
クラスの中で浮いていたとしても、気にならなかった。
けれどそれは、両親がいたから。亮先輩がいたから。
一人でいるようで、一人じゃなかったから。
だから私は何があっても平気でいられた。桜町に来ても、その存在が支えだった。
けれど不破くんにはその存在さえもなくて。
理不尽に誘拐されて、この場所にたった一人。
たった一人で、いたんだ。
「・・・大切なものとは、どんなものだ?それがあるのは、どんな気分だ?」
「・・・支えになってくれる。勇気をくれる。生きていたいって、そう思える・・・。」
「そうか。ならばそれがない俺に、お前が生きたいと願う理由は理解できなくて当然だな。」
「そんなことっ・・・!」
「お前が郭に対して、必死になっていた理由も同じか?」
「・・・え?」
「郭も、お前の『大切』なんだろう?」
政府を壊滅させると言う、英士を必死で引きとめた。
不破くんは、そんな昨日のやり取りを思い返していたようだった。
「・・・うん。大切な人だよ。」
「郭はお前を『大切』にしているようには見えなかったが?」
「・・・関係ないよ。英士が私を嫌いでも、私は英士を友達だと思ってる。」
「・・・。」
「不破くん。・・・もし・・・」
ドアを開ける音に私の言葉が遮られ、白衣を着た研究員と警備をする数人が部屋の前に立っていた。
声を出さず、警備員に顎で指示を出す。私の腕が掴まれ無言のままに、引っ張られる。
「・・・ちょっ・・・!何するの?!」
「所長から、君には反抗的な態度があると言われている。こうでもしなければ、
君はおとなしく私たちに従わないだろう?」
「っ・・・。」
「おとなしく私たちに協力するんだな。遺伝子強化能力の解明をすれば、どんな奴らもかなわない、
無敵の力が入るのだから。その研究に協力できるのだから、誇りにさえ思ってくれてもいいと言うのに。」
「や・・・やめて!離してよ!!」
「。」
「不破・・・くん。」
「・・・そこで暴れても意味がない。おとなしく協力した方がいい。」
「!」
「そうだ。大地の言うとおりだ。君がどんなに反抗しようと、そんなもの私たちには痛くも痒くもないのだから。」
「・・・。」
私は反抗するのを止め、諦めたように力を抜く。
私を抑えていた警備員が、ほっとしたように力を緩める。
「はっはっは!わかったようだな。君に逃げ場なんてないんだ。
最後までじっくり協力してもらおう。・・・行くぞ。」
無言のまま、促されるままに別室に向かって歩いていく。
後ろからは不破くんも着いてきていた。
知ったように話す、この白衣の研究員の言うことを聞いたわけじゃなかった。
けれど、確かに私は最初に思っていたはずだ。
『逆らっていないフリをして、情報を掴む。ここから脱出する』と。
頭に血がのぼって、そのことを忘れていた。
確かに私がここでどんなに暴れても、反抗しても、それは状況が悪化するだけだ。
不破くんはそれをわかっていて、助けてくれたのだろうか。
それとも、唯事実を述べただけなのかもしれないけれど。
「今日は昨日に比べたら、少しつらいかもしれないが、頑張ってくれよ?」
連れてこられたのは、コンピュータが数台並び、何本ものコードでつながれた物々しい機械のある部屋。
昨日、検査だけした病院のような部屋とは全く違う雰囲気だ。
「・・・少し、早くはないか?」
「何言ってるんだ大地。時間はもうないんだぞ?お前にした研究のように、ゆっくりとはしていられないんでね。」
「・・・そうか。」
「ではさん。こちらに仰向けになってくれ。」
機械だらけの部屋に、隔離されたように一つだけあるベッド。頑丈な扉とガラスに遮られている。
この部屋で一体何が起こるのだろうか。昨日と全く違う空間に不安と恐怖を覚える。
そのベッドに仰向けになると、近くにいた助手の研究員が近づいてくる。
彼らは私の体の所々に、機械から伸びたコードを取り付けていく。
独特の機械音の中で、研究員たちが話し合っている。
そしてしばらくすると、私を連れてきた男が笑顔を見せながら、言葉を発した。
「では早速始めよう。今日は検査というよりは、実験となる。頑張ってくれ。」
「・・・実験って・・・?」
「遺伝子強化兵の『力』の源が何かは知っているか?」
「・・・そんなの知るわけ・・・!」
「『電気』だよ。」
「・・・電気?」
「そう。強力な稲妻のような電気を発するんだ。始まりはそこから。
君も力を発揮したとき、電気が流れるような感じがしなかったかい?」
「・・・。」
記憶をたどって、その時のことを思い出す。
確かにそれは、自分の中を電気が走るような感覚だった。
そして、周りにいた政府の人間を吹き飛ばしたんだ。
「君の場合、それがどのように作用してか、衝撃波のようなもので済んだようだが。」
「・・・。」
「それにしても興味深い能力だからな。まずはその能力を発揮してもらわなければならない。」
「・・・何を・・・?」
「擬似的に力を発揮しやすい状況にするのさ。」
「・・・?」
「まあ実際にしてみればわかる。スイッチ!」
「何・・・キャアアアーーー!!」
体が痺れるような感覚に襲われる。
それが痛みなのか、痺れているのかもわからず、私は耐えきれず叫び声をあげる。
「っ・・・はあっ・・・はあ・・・」
「おかしいな。君は力を発揮するとき、こんな電気量ではすまないはずなんだが・・・。
これくらいの電気量、耐えてもらわないと実験にならないな。」
「な・・・に・・・」
「君にそのときに流れただろう電気を与えて、力を発揮しやすい状況にしてるんだ。」
「・・・!」
「次はもっと電力を強めよう。少しあげて!」
「はい!」
「大丈夫。少し耐えていれば、すぐに終わる。
もともと力を発揮した君なら、すぐに慣れるだろう。」
「こ・・・んな・・・」
「スイッチ!」
「キャアアアアーーー!!」
感じたことのない苦痛が、何度も何度も私を襲う。
強くなっていく電力に、意識が朦朧としてくる。
何で、何でこんなことをされなくちゃいけないの・・・?
朦朧とした意識のまま、ガラス越しにいる研究員を見る。
「・・・恨んでくれても構わないよ?君が力を発揮したそのときには、『怒り』も感じていたはずだからね。
その方がこっちも都合がいい。」
「・・・っ・・・」
「まだ実験は終わらないよ?大地はこの倍の電流は耐えている。
大地に出来るのだから、君に出来ないわけはない。」
「・・・!!」
「大地の成果があって、遺伝子強化能力は『電気』にしか反応しないとの結果が出ている。
だから君にもこういった実験が出来るんだ。その辺は大地が遺伝子強化兵で役に立ったところと言えるだろう。」
怒りが、こみあげる。それと同時に、表情を変えずに私を見ていた不破くんを見て、胸が締め付けられた。
彼はどれだけ苦しい思いをしたんだろう。どんな理不尽な仕打ちに耐えてきたんだろう。
何も感じず、『憎む』という感情さえも持たずに、ただただ言われるがままに。たった一人で・・・。
それから何度も何度も、電流を流され、私は意識を失った。
気づいたときには、部屋のベッドに横たわっていた。
痺れがまだ残っているようで、うまく体を起こすことができない。
「気分はどうだ?」
「・・・不破くん・・・。」
部屋の隅にいた不破くんが、声をかける。
起き上がれない私の方へ歩いてくる。
「電流は、初めてか?」
「・・・初めてだよ。」
あまりにもおかしな質問に拍子抜けし、苦笑しながら答える。
一瞬冗談かと思ったけれど、不破くんにとってはこれが日常だったんだ。
「不破くんは・・・ずっとこんな苦しい思いを、してきたんだね。」
「・・・苦痛という感情は、もう忘れたな。体の痛みは麻痺している。」
「・・・。」
「今日はゆっくり休むといい。」
「・・・もう休む時間になってる?」
「いや、まだだが。」
「英士と・・・話せるかな?」
「・・・不可能ではないだろうが・・・お前のその体では、まともな話はできないだろう。
今日はやめた方がいいと思うが。」
「・・・ううん。大丈夫。これくらいで参ってるわけにはいかないよ。
時間を、無駄にはしたくないの。一刻も早くここを・・・。」
そのまま言葉を続けようとして、やめる。
尾花沢に堂々と反抗しているとはいえ、『一刻も早くここを出たい』なんて言葉を、不破くんに言っていいのだろうか。
不破くんは私たちと同じ遺伝子強化兵で、私たち以上に、苦しい思いをしてきている。
けれど、ここの所員となって、ここから逃げる気もないと言っている。
その彼に、私の思いを話してしまっていいのだろうか。
出会ってたった数日の彼を信用して、自分の思いを話すのは馬鹿げている。
けれど、私は。
「・・・一刻も早く、ここから、出たい。」
不破くんは表情を変えずに私を見る。
そしてまた、何かを考える素振りを見せてから、言葉を発す。
「どうしてそこまで必死になる?俺たちの命は残りわずかだ。もう諦めた方がいいと思うが。」
「残りわずかだからこそ、その時間を大切にしたい。
私は戻りたい。大切なものがたくさんある、桜町に。命を終えるなら、そこで終えたい。」
「ならば郭と話してどうする?あいつはここに留まる気のはずだが。
ならば、一人でも逃げる算段をつけた方がいいだろう。」
「・・・英士も一緒に帰らないと、意味がないから。」
「・・・どういうことだ?」
「英士も大切な人だから。英士を待ってる人もたくさんいるから。
英士がいなければ、幸せじゃない。私も、皆も。」
「・・・。」
「・・・不破くん。」
「何だ?」
「不破くんも・・・一緒に行こう?」
「!」
「ここから出て、桜町に行こう?
大切なもの、温かい場所・・・短い時間でも見つかるかもしれない。」
それまで表情を変えなかった不破くんが、驚いた顔を見せる。
私の言った言葉を理解できないというような顔をしている。
私は残酷なことを言っているのかもしれない。
不破くんは『死』というものを受け入れて、もしかしたら何の未練もなく、逝くことができるのかもしれないのに。
大切なものができるということは、幸せなことだと思ってる。
だけど、幸せであればあるほどに、それから離れるときにはそれだけのつらさや悲しさが待っているんだ。
今まで『大切なもの』がなかった彼がそれを失うとき、今までにない悲しみが襲ってくるのかもしれない。
それなのに私は『大切なもの』がないと言った彼に、その感情を、温かい感情を知ってもらいたいって、そう思ってるんだ。
この冷たい建物の中で、何の感情も知らずに、理不尽に実験をされ、理不尽に見捨てられて。
それが彼の運命だというのであれば、それはあまりに悲しすぎる。
最後に少しだけでもいい。少しだけでも『幸せ』を感じてほしい。
「・・・何故お前が、そこまで必死になるんだ。俺が遺伝子強化兵だからか?」
「・・・本当、会ってから全然経ってないのにね。自分でもよくわからない。でも・・・。
不破くんをここに一人、残していきたくない。そう、思うから。」
「・・・残していくも何も・・・お前はここから脱出できると思っているのか?」
「・・・できなくてもする。なんとかするよ。無理っていわれても、諦めない。」
「根拠のない自信だな。」
「う・・・。」
「・・・しかし、お前の言っていることにも興味はある。
お前が必死になる理由、大切なものとは何か。・・・最後の考察対象としてもいいかもしれない。」
「・・・不破くん?」
「・・・いいだろう。お前に協力しよう。ここを・・・脱出する。」
「!」
「建物の大体の構造は把握しているが、俺が知らない場所も多少ある。
結局尾花沢を俺を信用しきってはいないからな。調査の必要がある。
その間、お前は郭を説得しろ。郭がいなければ・・・意味がないのだろう?」
「・・・うん!・・・ありがとう・・・!!」
私はたくさんの人に支えられて、今を生きてる。
『幸せ』だと、そう思っている。
だから私も、その感情を知らない不破くんの手助けができたらいい。
それは残酷なことかもしれない。自分勝手な感情なのかもしれない。
けれど、少しでもいい。それでも知ってほしかった。
私がたくさんの人にもらった、温かな感情を。
大切な人たちにもらった、幸せな気持ちを。
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