憎む気持ちもあった。





恨む気持ちもあった。





醜い感情がなかったわけじゃない。





けれど、それでも。









最後の夏に見上げた空は











部屋に唯一ある、小さな窓から光が差す。
時計もないこの部屋で、時間を計ることはできなかったけれど、
そのかすかな光が差す方向から、今が朝であることを理解した。

昨日私が目を覚ました時間は深夜だったようで、
尾花沢たちが去ってから、誰も私のいる部屋に来ることはなかった。

何もないコンクリートに囲まれた部屋で、私はずっと考えていた。
私はどうすればいい?どうすればここから逃げ出すことができる?
どうすれば英士と一緒に帰ることができる?





「おはようくん。よく眠れたかね?」





尾花沢が満面の笑みで私の部屋に入ってくる。
昨日連れていた二人の部下も後ろについている。





「・・・おはようございます。」

「一晩眠って、落ち着いたようだね?私たちに協力してくれる気になったかな?」

「昨日は混乱していました。きちんと話を聞くべきだったかって思って・・・。」

「そうかそうか。無理もないことだ。君は思っていたより物分りがいい子だな!」





尾花沢が大声で笑う。かなりの上機嫌に見えた。
・・・もちろん、この男に従うつもりなんてないけれど、今の私ではここで逆らってもどうにもならない。
ここがどこかも、どんなところかもわかっていないこの状況で、逃げ出すことは無理だ。
だから、逆らっていないフリをして、情報を掴む。悔しいけれど、私にできることはそれくらいだろう。





「あの・・・英士は・・・?」

「郭くんは別室にいるよ。彼にも多少、研究に協力してもらうからな。」

「そう・・・ですか。」

「さて、君にも協力してもらう。一緒についてきてくれ。」

「・・・協力って・・・何を・・・?」

「はっはっは!そう怖がらなくていいさ!まずは君の体を検査させてもらう。
脳波や血液の採取・・・病院の検査と変わらないから安心したまえ。」





・・・『まずは』・・・か。
体を検査して、遺伝子強化兵の細胞を研究する。
始めはそうなんだろう。けれど、それだけで終わるはずがない。
彼らが欲しいのは遺伝子強化兵の能力。膨大な力。
私がその能力を発揮したのは偶然にすぎない。
・・・じゃあその力を発揮するまでに、一体どんなことをさせられるのだろう。

大きな不安がこみ上げた。
けれど、ここで弱みを見せてはならないと思った。
こんなこと、何でもないようなフリをしないといけないと思った。
こんな奴らに、負けたくないと思った。


















その日は尾花沢の言ったとおり、病院で受けるような一通りの検査で終わった。
私が昨日のように、逆らうような言動を発しなかったために、尾花沢はずっと上機嫌だった。

そんな尾花沢の目を盗んで、私は検査室を行き来する間の道や、構造、専門医の会話から
出来る限りの情報を頭に詰め込んだ。





「今日はこれで終了だ。また明日もよろしく頼んだよ。」

「・・・はい。・・・あの、英士と会えますか?知り合いがいないと不安で・・・話がしたいんです。」





一瞬、尾花沢の目が鋭く私を見る。
けれど、上機嫌だった尾花沢はすぐに笑って、頷いた。





「いいだろう。後で郭くんを君の部屋へ向かわせよう。」

「あ、ありがとうございます・・・。」





今日一日、おとなしく言うことを聞いていたのは正解だったようだ。
英士とは会わせてもらえないと思っていたから、少し驚いた。





「ただし。」

「・・・え?」

「そのときは、彼も一緒だ。」





私のいた部屋の前に、誰かが立っている。
近づくにつれて、そこに立っているのは、私と歳も変わらないだろう少年であることがわかった。
検査をした専門医も、通る廊下の途中で見た研究員も、この施設にいるのは大人ばかりだったのに。





「その女が か。」

「そうだ。これからお前がつく子だ。」

「そうか。了解した。」





尾花沢に向かって敬語を使わない、独特の喋り方をしている。
近くで見てもやっぱり若い。彼もこの研究所の所員なんだろうか。





くん。この男の名前は不破 大地。これからは彼についてもらうことにするから。」

「・・・それは・・・どういう・・・。」

「言葉の通りだよ。君の側にはいつも大地がつくことになる。部屋も同じだ。」

「なっ・・・!!」

「当然だろう?君は貴重な研究材料だと言ったはずだ。その君に何かあっては困るんだよ。」

「だっ・・・だからって、何でっ・・・!」

「大地が男だと気にしているのかな?安心したまえ。大地は変な気を起こしたりはしないから。」





おとなしく言うことを聞いて、情報を集めて、英士と一緒に桜町へ。
そのかすかな望みが、さらに難しくなった。
いくら情報を集めても、四六時中見張られていたら、どうすることもできない。
尾花沢は私たちを逃がすつもりなど毛頭ない。逃げ出す可能性が少しでもあるなら、全て潰す気でいる。





「君の側につくのに、大地ほどふさわしい奴はいない。
『何か』はないとは思うが、安心して私たちに協力するといい。」

「っ・・・!!」





そうして尾花沢はその笑みを絶やさぬまま、私の部屋から去っていく。
この男なら、私がおとなしくしただけで上機嫌になるようなこの男なら
出し抜けるかもしれないなんて、そんなものはあまい考えだったと思い知らされた。





「・・・入らないのか?」

「・・・。」

「・・・?ここで突っ立っていることに意味はあるのか?」

「・・・わかってる。」





促されるまま、部屋に入る。
今朝、部屋を出たときにはなかったベッドや椅子、小さなテーブルが増えていた。
部屋も一緒だという、彼のために用意されたものだろう。・・・監視のためとはいえ、どうかしてる・・・。

私はため息をつきながら、小さな窓の近くにある椅子に腰掛けた。
そして『大地』と呼ばれていた男も、私の様子を見てから少し離れた位置にある椅子に腰掛ける。





「・・・。」

「・・・。」





しばらく沈黙が流れる。
当たり前だ。私を監視するような人に話すことはなかったし
彼もまた私に話すことなどないのだろう。けれど。





「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」





けれどそんな中で彼は、微動だにせず、私を見つめ続けていた。
いくら監視と言われていようが、何もないこの部屋でずっと見つめられ続けるなんて、気分のいいものじゃない。





「やめて、くれませんか?」

「・・・む?何をだ?」

「そんなにずっと見られてるの、気分悪いです。」

「そうなのか。」

「そうです。普通はそうでしょ?!」





なんだか間の抜けた返答に、少し声を荒げて返事を返す。
一体この人は何なのだろう。私をバカにしているのだろうか。





「ふむ・・・。普通はそうなのか。ならば、やめよう。」

「・・・え?」





そういうと彼は、私の方向とは反対の、壁の方向へ視線を変える。
そしてそのまま微動だにせず、今度はこちらを全く見ようとしない。
見られないというのは歓迎すべきことなんだろうけど、彼の行動に頭が混乱する。





「あの・・・。」

「何だ?」

「名前・・・『大地』・・・?」

「不破 大地だ。」

「不破くんは・・・ここの所員なの?」

「そうだ。だからこそお前の監視を任されている。」

「どうして、貴方みたいな若い人が?私と同じくらいの年だよね?」

「俺は幼少時からここに住んでいる。そのまま所員になっただけだ。
年は17だから、お前と同じ年ということになるな。」





私の投げかける質問に、淡々と答えていく。
『監視役』というからには、何を言っても無視されるかと思ってた。
ただでさえ、検査を受けたときのここの所員は、ただ言われたことをこなしているだけのようだったから
『監視役』なんて、もっと厳しい人がするものなのだと思っていた。

けれど不破くんは、私が嫌だと言ったことは聞いてくれるし
投げかけた質問にも、答えてくれる。
現に今もずっと、私と正反対の壁の方向を向きながら話をしている。

もちろん、これくらいで油断はしない。けれど、拍子抜けした気分だった。





「・・・小さな頃からって・・・所員の人の子供ってこと?
不破くん以外にも、私たちと同じくらいの子っているの?」

「いや、所員の子供ではない。『不破』という姓をもらった者が親だと言うのなら、親はいるが。
そして10代の子供は俺だけだ。他にはいない。」

「え・・・?」





コンコン





不破くんの発言に、疑問を投げかけようとした瞬間、部屋のドアをノックする音が聞こえた。





「・・・英士?」





ガチャリと音を立ててドアが開く。
そこには、無表情で私を見つめる英士が立っていた。
不破くんの存在に気づいて、視線を不破くんに向け、気にしないようにすぐ私を見た。





「・・・何の用?」

「話がしたくて。」

「俺はないけど?」

「私にはある。」





本当は英士を呼び出して、ここから逃げ出す話をしたかった。
けれど、ここには不破くんがいる。そんな話をするわけにはいかない。





「・・・どうして、この研究所に協力しようと思ったの?」

に答える必要ないでしょ?」

「ここにいても暇だから。それくらい話してくれてもいいでしょう?」

「・・・尾花沢との目的の一致。昨日話したよね。」

「その目的って・・・何?」

「・・・。」





英士が顔を背けて、沈黙する。
そして無表情のままに、顔を上げる。







「政府を、壊滅させること。」







何を言っているのか、すぐには理解できなかった。







「・・・どういう、こと?」

「言葉どおりだよ。遺伝子強化兵の力で、政府を攻撃する。」

「なっ・・・!そんなこと・・・!!」

「できないって言える?遺伝子強化兵は戦争のために作られた人間兵器だよ?
政府を潰すくらい、ワケないよ。」

「だからって・・・!!」

「俺たちを作った政府が、俺たちに攻撃される。滑稽で笑えちゃうね。」

「・・・英士・・・!!」





英士が冷たい表情で微笑んだ。
英士は憎んでる。心から憎んでる。尾花沢みたいな人間に協力するほどに。

私たちを作り出した政府。危険なものを閉じ込めるように、私たちの自由を奪った政府。
皆、憎んでる。私だって恨んでる。許すことなんてできない。けれど。





「そんなことしたら、また戦争が起こるかもしれない・・・!
また私たちみたいな人間が生まれてくるかもしれない・・・!!」

「・・・かもね。けどそれは、俺たちがいなくなってからの話だ。
その後のことは知らない。戦争をして、醜く争えばいい。」

「私は嫌だよ!そんなことしたくない!」

「・・・さすが。キレイゴト言うのが好きだよね。
けど、そんな甘い考え、俺には通用しないから。」

「違う・・・。私はそんなに出来た人間じゃないよ。
政府のことだって恨んでる。私たちを苦しめた政府を許す事だってできない・・・!」

「なら、一緒に協力すればいい。何の問題もないでしょ?」

「・・・それでも・・・!!私は、最後の時間を、大切なこの時間を・・・
皆と過ごしていたい!大切な人と過ごしたいの・・・!!」

「・・・。」

「政府を恨んでる。憎んでる。けどそれ以上に・・・皆と一緒にいたいんだよ!英士!!」





その場に不破くんがいることも忘れて、私は必死で思いをぶつける。
英士は黙ったまま、私を見つめ続けていた。





「英士も・・・そうでしょう?」

「・・・。」

「私のことは友達と思えなくても・・・結人や一馬は、間違いなく友達だったでしょう?」

「・・・。」

「サッカー部の試合があったときね。一馬、ずっと英士のこと気にしてたよ。
最初は大丈夫だって言ってた結人も、最後は一馬と一緒に、英士の様子を見にいったんだよ。」





英士はまだ黙ったままでいる。
一馬も結人も、皆、待ってる。英士の帰りを待ってるから。





「俺はもう、全部捨てたんだ。残りの時間は復讐のために生きる。」

「・・・!!」

「そのためにはも利用させてもらう。だからここに来たんだから。」

「っ・・・英士っ・・・!!」

「そろそろ行くよ。話すことはもう何もない。」

「待っ・・・!!」





私の声は届かず、英士が振り返って、ドアの方向へ向かう。
英士を止めようと手を伸ばした瞬間、思わぬところから声が聞こえた。





「・・・理解できないのだが。」





言葉を発したのは不破くんだった。
思わぬところから聞こえた声に、英士もその場に立ち止まる。

私はふと我に返る。一体どれだけ感情に任せて叫んでしまっただろう。
監視役の不破くんの前で、目的に反対することも宣言してしまった。





「さっきから思ってたけど・・・誰?」

「俺の名は不破 大地。の監視役だ。」

「・・・監視役が何の用?」

「お前たちはもうすぐ死ぬのだろう?」

「「!!」」





不破くんが当たり前のように、言葉をかける。
わかっていたことなのに、その言葉は私たちを突き刺す。





「・・・それが、何?」

「だったら何故そんなに必死になる必要がある?
政府を壊滅させてどうなる?他人に対してそんなに必死になって何の意味がある?」

「・・・っ。バカにしてるわけ?!」





さすがの英士も怒りの表情を浮かべて不破くんを見る。
私自身も怒りが込み上げていた。
不破くんの言ってることは、私たちが何をしても意味がないと言っているのと同じことだ。





「・・・?バカになどしていない。何故、そう必死になるのか、俺には理解ができん。」

「そりゃアンタにはわからないんじゃない?これからも先があるアンタに、わかってもらおうなんて思わない。」

「未来がなければ、わかると言うのか?それはおかしい。」

「何がっ・・・!!」

「俺にも、未来はない。」

「・・・え・・・?」

「よって、何かをしようとしても、意味がないと考えている。
それなのに、お前らは違う。何故だ?」

「ちょっと・・・待って・・・?不破くん、それってどういう意味なの・・・?」

「俺もお前らと同じだということだ。」










「俺も、遺伝子強化兵だ。」










淡々と話す不破くんの言葉に、私も英士も固まっていた。

どういうこと?
桜町以外に、遺伝子強化兵がいるはずがない。

不破くんは私たちをからかっているのだろうか。
そうして私たちをバカにしているのだろうか?
そんな考えが頭をよぎったけれど、不破くんの目は嘘をついているようには見えなかった。







そして私たちは知ることになる。





研究所の実体。研究所の目的。そして。





不破 大地と言う人間を。













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