「「行ってきます。」」





朝、自分とちょうど同じタイミングで、声が聞こえた。
その声の主はわかりきっていたけれど、俺はそちらへ顔を向ける。
相手も俺と同じだったようで、自然と視線がかちあった。





「おはよう、結人。」





穏やかに笑みを浮かべる彼女を見て胸がざわついたけれど、





「おはよ、。」





それが決して表に出ることのないように笑った。













幼恋















「昨日うちに来たんだって?お母さんが言ってたんだけど。」

「あー行った行った。そしたら、爆睡してんだもん。」

「そりゃ私もたまには寝るよ。ていうか起こしてくれればよかったのに。」

「だってそりゃもう気持ちよさそうによだれたらして寝てっからさー、
さすがの俺もこれはそっとしとかないとって思って!」

「嘘。」

「本当。」

「よだれなんてたらしませんー!」

「今更かっこつけんなよな〜!」





今まで彼女の前であんなにも動揺していたのは、自分の気持ちの正体がわからなかったから。
けれど俺はもう自覚した。自覚してしまった。彼女への想いを。





「・・・まー別に結人の言葉なんて真に受けないからいいけどね。」

「うわ、何それめっちゃ失礼!」

「はいはい、すみません。ところで昨日までの授業のノートまとめたんだけど、今渡しとく?
私、朝職員室行かないといけないんだ。」

「何?クラス委員の仕事?」

「うん、そんなとこ。」





けれど、自覚したところでどうにもならない。
どうにかしようとする権利すら、俺には無いから。
今まで散々傷つけて振り回しておいて、彼女が幸せを掴んだ今、俺に出来ることなんてないんだろう。





「大変だなー・・・なんて言わないかんな!河野と一緒なんだろ?朝っぱらから見せつけやがって!」

「誰も見せ付けてない。河野くんがクラス委員だったのはつきあう前からだし。」

「あーうっさいうっさい。」

「からんでるのは結人の方でしょ。」





唯一出来ることがあるとすれば、それは。



俺が今までどおりでいること。



気づいてしまったこの身勝手な気持ちを、隠し通すこと。





「じゃあ渡しとくね。1時間目はここの内容指されるかもしれないから、
出来れば目を通しておいた方がいいよ?」

「へーい。」

「うわー、やる気ゼロ。」

「そんなことありませーん。」

「あとはもう知らないからね。」





俺を心配するようにしかめた顔も、呆れるようにつくため息も、





「サンキューな、。」





俺の些細な一言に優しく浮かべる笑顔も、





すべてが特別に思えても。





この気持ちを彼女に伝えることはない。























それから数日後、結局つきあっていた彼女とは別れることになった。
彼女は俺に恥をかかされ愛想がつきていたようだし、俺自身もこれ以上彼女と付き合っていくことはできないと思った。
それからも告白がなかったわけじゃないけれど、すべて断った。

彼女がいることで、友達との話題になったり、それを自慢したり、俺自身だって楽しんで。
自分には可愛い彼女がいる。俺を好きでいてくれる子たちがこんなにいる。
周りのやっかみはそんな俺への嫉妬の証。そう思うと気にならなかったし、気分がよかった。
そんな、ガキみたいな優越感。

だけど、その裏で傷ついている奴がたくさんいること、俺は気づかなかった。
皮肉なものだ。誰かを好きになって、その人が本気で欲しいとそう思って初めて、
自分は何ひとつ手に入れられてなかったのだと気づかされた。

気づいたときには、俺の手からすべり落ちていて。それはもう戻ることはない。





「最近若菜、落ち着いたよな〜」

「なにそれ。俺はいつでも落ち着いてますけどー!」

「あっはっは、何の冗談?」

「うっわむかつく!めっちゃむかつく!」

「俺はお前がモテてるのがむかついてたっつの。こんな不誠実なやつ!
世の中間違ってる!俺のような優しくて誠実な男がなぜモテないんだ!」

「若菜は顔のおかげで得してること多いよな!」

「なんだよ、世の中やっぱり顔なのかよ〜!ちくしょう!」

「ごめんなー、かっこよくて!」

「あー!やっぱむかつくー!」





友達のいつもの軽口も、今の俺にはズシリと重く感じられる。
しかしそれも笑って受け流す。いつもの俺ならばそれを素直に聞き入れなんてしないから。





「あ、河野とさんだ。」





その言葉に内心ではひどく反応しながら、表面では何もなかったかのように振舞う。
友人たちが二人には聞こえない程度の声で騒ぎ出す。





「俺は河野もむかつくぜ!頭よくて顔もいい優等生で、さんゲットとかなんだそれ!」

「若菜も母ちゃんとられちゃったもんな〜。」

「母ちゃんってお前ら…俺とをどんな目で見てんだよ。」

「だってお前にとっちゃそういうもんなんだろ?
俺ら疑問だったよな、何で若菜はさんと付き合わないのかって。」

「幼馴染とかおいしい関係で、手のはやいお前が何もしないって、そういう風にしか思えないよなー。」





またも、重い言葉がのしかかる。わかってるよ。自分がどんなにバカだったかってこと。
手を伸ばせばすぐにでも手に入れることのできた幸せを、自分から手放してしまったことも。

どうして気づかなかったのか。
無くしてからじゃないと気づけないなんて、本当どうしようもない。そんな自分に嫌気がさしてる。





さん、いいよな〜。ちょっとかたいとこあるけど優しいし。」

「俺も怒られたことある!けど、なんか癖になるよな、あれ!」

「うわ〜変態がいる!」

「いや、ちょ、ええ?俺だけ?!」

さんに言ってやろーぜ。そんで蔑みの目で見られればいい!」

「わ、若菜!お前ならわかるよな?!さんにしょっちゅう説教されてるじゃん?!」





が女子に頼られてる姿は見ていたけれど、男子にも人気があったのは意外だった。
まあ確かに厳しいところもあるし、自分で間違いだって思うところは意見をとことん曲げない頑固者だけど。
は呆れながらも、ため息をつきながらも、頼まれたことは最後まできっちりとするし、面倒だって見るような奴だ。
頷ける要素はいくらだってある。
ただ、俺に説教をするのが日常茶飯事だったから、保護者やら母親なんてイメージがついてしまっていただけで。





「いやー、俺は説教が癖になる趣味は持ち合わせてないっすね!」

「ほら見ろ!」

「若菜!裏切り者!」





知ってるよ。が俺を怒るのは俺を思ってのことだって。
当たり前のことを言われて、ほかの奴らならイラつくことも、だったら素直に受け入れられて。
性格の悪いことを言う俺の話を聞いて、傷つけるような言葉を言っても笑っていて。

それはまるで、親友のようで、家族のようで。
に話を聞いてもらえるだけで、俺の心は徐々に軽くなっていった。
ドロドロした気持ちが流れていくように、安心できたんだ。





騒ぎ続ける友達をよそに、河野と歩くをもう一度見る。
楽しそうに笑ってる。俺といたときに見せた、切ない感情など感じられない。

俺が思うのも変かもしれないけど、よかったとそう思う。
を縛り続けて、なのに気持ちに答えることはなくて。
彼女は笑っていたけれど、俺はきっととてもとても傷つけたから。
俺が感じる痛みなど、何でもないくらいに。



戻れるだろうか。今までのように。
表面的にではなく、自然に、当たり前のように傍にいる存在に。

たとえばが俺を支えてくれていたように、俺もの支えになりたいと願う。
それがたとえ恋愛じゃなくても、彼女が大切な存在なことに変わりはないから。





「でもさ、そういえば、あの二人って・・・」

「どうした?」

「・・・?」

「いや、二人っつーか、河野の方。噂があるよな。」

「・・・噂?」





幸せそうに笑う彼女をこれ以上振り回そうだなんて思わなかった。
そんな資格、俺にはないと思った。



だけど、



だからこそ、彼女の幸せは願っていたいんだ。









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