暗闇を照らす、大きな月。
思い出すことのできない、遠い記憶。
世界は違っても、私たちは確かに。
同じ月を見ていた
「・・・。」
ベッドに横たわる少女が、静かに目を覚ます。
ぼやけた視界の中に人影を捉え、少女が意識を覚醒する前にその人影が声を発した。
「さんっ・・・!!」
その声と、ようやくしっかりと見えてきた視界によって
少女は自分の名を呼んだのが誰なのかに気づく。
「さん・・・?」
「さんっ・・・よかっ・・・よかった・・・!!」
ベッドに横たわっていたらしい自分。
動かそうとしても動かない体。
そうか、自分は車にはねられたのだと、ようやく理解する。
「そ、そうだ!先生・・・先生呼ばなきゃ・・・!」
目の前にいた少女、が慌ててベッドに備え付けてあるボタンを押した。
「私・・・生きてる?」
「そうだよ!本当に危なかったって・・・すごく、びっくりしたんだから・・・!」
が泣き出しそうな顔でを見つめる。
久しく、他人に心配されるなんて経験をしていなかったは
そんなまっすぐな感情をくすぐったく感じて思わず顔を背けた。
そして、それと同時に何かが胸につかえる。
確かに自分は事故にあった。
それは覚えてる。
だけど、それがどれほどひどいものだったかなんて、わかるはずもない。
じゃあ何でこんなにも自分は死んでしまうんだと思っていたのか。
今、生きていられるのが不思議に思えるくらいに。
自分は死んでしまうのだと、確信していたかのように。
夢を、見ていた気がした。
とても、とても幸せな夢。
たった一人だった自分の側にいてくれた人。
口が悪くて不器用で、それでもとても、とても優しい人。
その人といた時間、本当に幸せだった。
たくさん救われたような気がした。
もうその姿さえ、思い出すこともできないのに。
まるで夢などではないかのような、温かさを感じていた気がした。
そんなわけ、あるはずないのに。
彼女には昨日出来た以外の友達など、いなかったのだから。
耳にかすかに残る、その人の声。
「格好つけてんじゃねえよ。バーカ。」
頬に何かが流れて、ポタリと水滴が落ちる。
なぜ自分が泣いているのかなんて、わからない。
けれど、その涙は止まることなく彼女の頬を流れ続けた。
「さん・・・?」
「・・・おかしいな・・・。止まらないやっ・・・。」
「怖かったんだよね?安心したんだよ・・・!」
がを優しく抱きしめる。
そう、ほっとした気持ちもあるんだろう。けれど。
締め付けられるような胸の痛みと、こみあげてくる切なさ。
何故かは、わからなかった。
ただ、感じたことのない温かな気持ちと、胸に穴のあいたような切なさが
彼女の心を駆け巡っていた。
「遅くなっちゃったねー。時間大丈夫?ちゃん。」
「平気。ていうか一人暮らしだし。の方こそ門限厳しいんじゃないの?」
「学校の仕事だもん。正当な理由でしょ?」
「ま、そういう言い訳使えるね。」
「使えるって何ー?本当のことじゃんー!」
あれから数ヶ月の時が流れて。
学校から出てきた二人の少女が笑いながら、夜道を歩く。
「わあ・・・!月が綺麗だね・・・!」
の言葉に、も空を見上げた。
満天の星々に囲まれてなお、夜空を照らす大きな月。
「・・・。」
夜空に浮かぶ月を見上げる度に、切なく、苦しく、それなのに温かな気持ちになる。
夜空の月なんて、何度も見ていたはずなのに。
父親の経営していた廃ビルで、たった一人で。・・・たった、一人で?
自分は一人だった。
隣で笑う友達が出来るまでは。
だから、誰かとこの月を見上げるなんてことあるはずがなくて。
「ちゃん?」
「あ、うん。何でもない。」
「行こう!」
笑顔で前を指差すの姿に、も応えるように笑った。
「ひゃっ・・・。」
そして、それと同時に強い風が吹いて二人の髪を揺らす。
「ちっとはマシな顔するようになったじゃねえか。」
声が聞こえた気がして、思わず振り向く。
けれどそこには、誰の姿も見当たらない。
「どうしたの?」
「何か・・・聞こえなかった?」
「え?ううん。何も。」
「そっか・・・。」
気のせい、だろうか。
とても、とても懐かしい声が聞こえた気がした。
そしてはもう一度空を見上げる。
先ほどまで感じていた切なさや苦しさが消え、そこには温かさだけが残っていた。
「・・・ありがとう・・・。」
その小さな一言は、自身も無意識の言葉で。
誰に向けたのかもわからないのに、それでも彼女は小さく微笑みながら呟いた。
夜の街のまばらな人ごみの中を、小さな少年が歩く。
少年は黒い羽根を背中に携え、近くの人間に軽く触れては離しを繰り返していた。
彼の触れた手の先からは、ごく小さな光が灯る。
けれどそんな少年の行動に気づくものは、誰一人としていない。
「くそっ・・・能力無しの悪魔に逆戻りかよ・・・。」
少年のその呟きさえも、誰にも聞こえない。
誰にも見えることのないその姿で、また道を歩く一人に触れ、すぐに手を離す。
「ま、でも消されなかっただけマシだって思ってやるか。あー、俺って偉いー。」
文句ばかりのその声。
姿は子供なのに、大人びた笑みを浮かべる。
ただ、その表情はとても清々しかった。
近くを歩く人間に、片っ端から触れていく少年の手が止まる。
彼が目をとめて見つめていたのは、大きな、大きな丸い月。
一人の少女を思い出した。
たった一人で震えているように、うずくまっていた少女。
弱いくせに強がって。
一人が怖いくせに、平気だって顔をして。
どんなに悪態をついても、気が抜けたような返事しかしてこなくて。
「本当のこと、話してくれてありがと。」
「今日は楽しかった?」
「傍にいてくれればいいよ。どんな姿でも。」
「ありがとう・・・亮っ・・・!!」
本当に、おかしな奴だった。
彼女の記憶にはもう、自分はいないけれど。
彼女が自分の姿を見ることも、もうないのだろうけれど。
それでも。
あんなにおかしな人間、珍しいから。
たまには暇つぶしに、様子を見に行ってやろう。
少年の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。
人間と悪魔。
世界が違う二人。
出会うはずのなかった二人。
そしてもう、その片方には記憶さえ残っていないけれど。
少年はときどき月を見て、彼女を思い出す。
そして彼女も月を見上げる度に、思い出すことのできない記憶から
幸せだった時間とその温かさを思い出す。
それはきっと、決して消えることのない想い。
世界が違う二人。
けれど今、彼らは確かに同じ月を見上げて。
同じ想いを描きながら
幸せそうに、微笑む。
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