初めての感情。
初めての、幸せな戸惑い。
たった一人では、きっと得ることのできなかったもの。
同じ月を見ていた
「いいの?一緒にお弁当食べる子いたんじゃないの?」
「うん、大丈夫。ちゃんと話してあるから。」
元々昼まで学校にいる気のなかった私は、さんと共に購買へ向かい昼食を買った。
二人で話がしたいと告げると彼女は頷いて歩き出し、そのまま誰もいないシンとした教室のドアを開けた。
「ここって勝手に入っていいの?」
「あはは。だから秘密ね。」
どう見ても授業で使うだろう準備室。つまりは入ってはいけないところらしい。
真面目なだけの彼女しか知らなかったから、少しだけ意外だった。
そんな私の表情を読み取ったかのように、さんがまた笑う。
「・・・。」
「・・・。」
もともと静まり返っていたその場所に、再び訪れた静寂。
お互い何から話せばいいのかがわからない。
私の話すことは決まっているのに、どうやって伝えればいいのか頭が真っ白だった。
「何やってんだ、お前。」
私にしか聞こえない声が、私を叱咤するように響く。
わかってるよ。わかってるんだけど・・・。
「さん。」
先に声を発したのは、さんだった。
私は返事を返すことなく、ただ顔をあげて彼女を見た。
「私、貴方にずっと謝りたかったの・・・。」
「・・・何を?」
「貴方を、裏切ったこと。」
彼女の言葉に目を見開く。
裏切った?だってもともと仲良くなんてなかったのに?
「初めに貴方を助けようとしたのは、いじめってものが許せなかったから。
だからさんに話しかけて、私は貴方の味方だって示したかった。」
「・・・。」
「そんな、勝手な自己満足だった。」
私の聞きたかった答え。
聞かずとも彼女は語りだす。
私が彼女の答えを探していたように、彼女もまた私に話したかったのかもしれない。
「今までいじめなんてくだらないことで、私は絶対にその仲間に入らないって思ってた。
だけど、それは私が何も知らなかったから思えてたことだったんだよね。」
さんが悲しそうに笑う。
「貴方をかばって、正義の味方になった気でいた。
だけど、自分が貴方の立場になって初めて、周りのたくさんのものに恐怖を感じるようになった。」
それでも私に向けるまっすぐな視線。
「毎日が苦しくてつらくて。頼る人もいなくなって。・・・私は・・・何もわかってなかったんだ。」
悲しそうな表情のまま、私を見る彼女に何故か胸が苦しくなった。
「ただ、理想だけを思い描いて。結局は自分にも、周りにも負けてしまった。」
それがいじめの側に取り込まれたことを指していることは、具体的に言われずともわかっていた。
さんが少しずつ告げていく彼女の本当の想い。それは私が想像していたものとは違うけれど。
「・・・裏切ってなんかないと思うけど。」
「え・・・?」
「元々私たちは仲がよかったわけでもないし、貴方が私に話しかけてたときだって
私は相手にもしてなかった。」
「・・・。」
「裏切る以前の問題だよ。」
他人に関わることをしなかった私に
いつも一人だった私に話しかけてきた、珍しい人。
だけど私はそんな彼女に近づこうともしなかった。
それでも結局いじめの側に回った彼女を理解しようともせずに
安易に偽善者だと、私を同情していただけだと、そう決め付けて。
「さんが気にすることはないよ。」
彼女の答えに少しの期待を持っていたことも事実だった。
けれど、彼女がその正義感から私に話しかけていたと知った今も心は穏やかなままだ。
それはきっと私の横で意地悪く笑う、彼のおかげなんだろう。
購買で買った小さなパンを食べ終えて。
私は座っていた席を立った。
「じゃあ私は行くね。」
「ま、待って・・・!!」
「・・・何?」
「私が今更・・・言えることじゃないのは・・・わかってる・・・だけど・・・!」
私が席を立ったのと同時に、さんも勢いよく立ち上がって。
いつもの静かな声とは違う、大きな声を出して叫んだ。
「確かに最初は自己満足の正義感だった。だけど・・・だけど貴方を知りたいって思ったことも本当なの・・・!」
「・・・え・・・?」
「何回話しかけても打ち解けてくれないって思ってた。表情さえもあまり変わらなくて。」
「・・・。」
「でも・・・あの時さんは少し、ほんの少しだけど。悲しそうに笑ったよね?」
「!」
さんが私に話しかけなくなったとき。
いじめグループの輪の中で、私を無視するようになった瞬間。
そんな表情していた自覚はなかったけれど。
私に話しかけてくる彼女の真意がわかったように思えて。
結局は誰だって同じなんだと、諦めたとき。
「ずっとひっかかってた。あの表情をさせたのはきっと私なんだって、胸が苦しかった。」
「・・・だから、さんが気にすることじゃ」
「それでも!気になるんだもん!誰にも興味ないんだと思ってた。一人が好きなんだって思ってた。
いじめられたって気にもしない強い人なんだって思ってたのに・・・!」
「それでもあの時のさんは・・・本当に寂しそうだった・・・!!」
寂しい?
そんな感情、誰にも見せることなんてなかったのに。
私、本当は嬉しかったんだろうか。私を気にしてくれる人がいたことに。
たとえそれがどんな感情であっても。
「いじめられなくなって、クラスの女子の仲間に戻っても・・・そんな、いつ壊れてもおかしくない仲間なんて悲しいだけで・・・。
嫌われないように怯えながら一緒にいる友達なんて、寂しいだけ。」
「・・・。」
「そう気づいて、私も少しはあの頃より強くなったつもりだよ?
怖くても、自己満足の正義感でも、自分に嘘はつきたくないって決めたの・・・!」
決意を固めたように話す彼女に、昨日の怯えたような面影はなかった。
はっきりと強い瞳で、叫ぶように告げられた言葉。
「私、今度こそ・・・。さんの友達になりたい。貴方と本当の友達になりたい・・・!」
さんが自分の正義感から私に話しかけたことも。
周りのいじめに負けて、その正義感を捨てたことも。
打ち解けようとしない私を見限って、私から離れたことも。
自分が不利にしかならないようなことばかりを話して。
それでもなお、真剣な目で必死になって叫ぶ彼女の言葉は
ただまっすぐに私の胸に響いた。
「黙ってないで素直になれば?」
聞こえた声の方へ視線だけを向けると、いつものように意地の悪い笑みを浮かべる彼の姿。
誰かにこんなことを言われることも、その言葉が嬉しいと思えることも初めてで。
何て返せばいいのかわからない。沈黙だけが時を支配する。
けれど、全てを話してくれた彼女。
私だけが何も言わないのは卑怯だから。
「・・・ありがとう。」
彼女が驚いたように目を見開く。
私はそんな彼女を見て、小さく微笑んで。
「・・・また、学校に来たら・・・話してくれると嬉しい。」
今まで素直になれなかった私が、この気持ちを言葉にすることは難しくて。
おかしいな。亮には結構素直になれたんだけどな。
まだ私は人というものに慣れていないのだろう。今までの私を知る人ならば、尚更。
もっとマシな言葉もあったのだろうけれど。
今の私にはその言葉が精一杯で。
茫然とする彼女を見て、私は今度こそ席を立って扉に向かった。
「・・・うん・・・!たくさん・・・たくさん話そう・・・!」
そう言ってくれた彼女に、もう一度笑いかける。
彼女も顔いっぱいの笑顔で応えてくれた。
騒がしい昼休みの教室に戻り、自分の鞄を持って学校を出た。
隣にはニヤニヤと笑みを浮かべる、誰にも見ることのできない黒い翼を持った亮の姿。
「"初めての友達"が出来た学校生活、楽しんでいかねえの?」
「・・・ダメ・・・。慣れてないことが多すぎて今日は疲れた・・・。」
「は、なっさけねえな。」
慣れないことに戸惑って疲れきった私を見る亮の笑みは、本当に楽しそうで。
だけど、彼のそんな笑みにも腹は立たなかった。
彼が背中を押してくれていなければ、こんな嬉しく思える戸惑いなんてなかったから。
「亮も・・・ありがとね。」
「は?」
「とっぼけちゃってー。亮も素直になりなよ。」
「意味わかんねえ。」
「じゃあそれでもいいや。」
怒ってくれて、ありがとう。
背中を押してくれて、ありがとう。
側にいてくれて、ありがとう。
貴方に告げる想いはたくさんあるんだろうけれど。
それを言っても亮はきっと、全部否定して何もしてないって言い張るだろうから。
今まで感じたことのない、くすぐったいような小さな幸せ。
この時の私は自分の命がもう長くないんだってことを、忘れてしまっていた。
何度も聞かされてきた言葉なのに。
何度も告げられてきた事実だったのに。
キキーーーーーーーーーー!!
車のブレーキ音が鳴り響く。
自分の手から離された鞄が宙に浮く。
最後に見たのは、驚いた顔で私を見つめる亮の姿だった。
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