自分でさえもわからない。
どうしてこんなにも、心が揺れるのだろう。
同じ月を見ていた
ぼろっちいアパートの前に立つ一人の女。
そいつはを見るなりこちらへと駆け寄ってきた。
そして、の名前を呼んだ。
彼女の着ているものは、の部屋にあった制服と同じだ。
「さん、あの・・・私・・・さんが心配で・・・。」
かけられた言葉に、少し驚く。
は誰一人として友達がいないと言っていた。
ならばこの女は?
横に立つを見る。
彼女は顔を俯けて、その表情すら消していた。
「それはどうも。それで?」
「あの・・・学校、来ないの?」
「私の勝手でしょ?何?先生にでも様子見て来いって言われた?」
「ち、違うよ・・・。私が・・・さんに会いたくて。」
それは恐らく、が望んでいた言葉だ。
彼女は自分が必要されることを望んでいた。
それを叶えていた唯一の人間は母親だけだったとも。
目の前の女が何を考えているかは知らない。
薄っぺらい上辺だけの台詞だとしても。
何の関係もない俺との薄っぺらい生活より他に、選ぶものはあったんじゃないのだろうか。
「さん。」
ため息をついてが目の前の女のことだろう。彼女の名前を呼んだ。
おどおどしていて、気弱そうな彼女が顔をあげる。
「私に構わなくていいよ。」
「!」
「委員長の仕事お疲れさま。」
そう言ってがニッコリと笑う。
けれどそれはどう見たって冷たい、誰も寄せ付けないような笑み。
無理して笑っていた昨日とも、バカみたいに笑う今日とも違う、冷たい笑み。
「さっ・・・!」
「じゃあね。」
そう言うとは、その女を押しのけて階段を上る。そしてすぐにドアが閉まる音がした。
訳がわからなかったが、俺も彼女を気にせずに階段を上がった。
「あ、あの・・・!」
その声に振り向く。
無言で彼女を見つめると、彼女はおどおどしたままに言葉を続けた。
「貴方は・・・さんの・・・」
「・・・あー、親戚。」
どうでもいいが、確かそういう設定だったはず。
「さん、ずっと学校に来てないんです。このままだと留年になっちゃう・・・。」
「・・・アンタはの『友達』?」
「!」
わざわざ家まで来るなんて、何も関係がないわけではないんだろう。
友達が一人もいないと言っていた。目の前の女に聞いたことは単純な好奇心からだった。
「私は・・・そう、思ってます。さんは違うのかもしれないけれど。」
「ふーん。」
やはり人間ってものは面倒な生き物だ。
はコイツを友達と思っていなくて、コイツはを友達だと思ってる。
それでもは自分が一人だと言って、一人を恐れる。
友達やら、友達じゃないやら。くだらない。
「俺に言われても、どうにもできねえから。」
「あ・・・。」
そう言って、俺もの部屋のドアを開ける。
階段の下には、悲しそうにこの部屋を見上げる女だけが残っていた。
「ねえ亮。ぬいぐるみ達はここに配置するってどう?」
「・・・好きにしろよ。」
部屋に入ると、先ほどのに戻っていた。
あんな無表情、初めて見た気がする。
初めて会ったあの夜さえも、コイツは何らかの表情があったはずだ。
何事もなかったかのように、ぬいぐるみを並べだすを一瞥して
何気なく思った疑問を口に出す。
「『友達』いるじゃねえか。」
「・・・あの子は違うよ。」
ぬいぐるみを一つ一つ置きながら、こっちを見もせずには言う。
「アイツにとってはお前は『友達』らしいぜ?」
「嘘だよ。」
「あっそ。」
迷いもせずに彼女がそう言うから、俺もそれ以上は聞かなかった。
聞く必要もないと思った。
だけど。
この感情は何なのだろう。
こちらを振り向きもしない、小さな背中。
体の中で、何かがつかえているようなそんな感覚。
は俺と契約をした人間で。
その命は俺に大きな力を与える。
俺は悪魔で。
彼女との契約を終え、が死ぬのを待っている。
必要以上に彼女を知る気なんてなかった。
ましてや、優しくするつもりもない。
そう思うことに変わりはないけど。
「結局また逃げてんのか?」
が肩を揺らした。
そして、俺の方へ振り向く。少し、驚いているようだった。
いつもの俺ならばの言葉を聞いて、流して終わり。
この話が続くとは思っていなかったんだろう。
けれど、俺は続けた。
何故かなんてわからなかった。
単なる好奇心で、単なる暇つぶしだったのかもしれない。
それでも、それでもの話が聞きたいと思ったことも本当だった。
「・・・わからない。」
「・・・。」
「逃げてるって言うのかな。それもわからないや。」
俺が聞けば、は答える。
昨日の夜もそうだった。
それは俺が悪魔だからかもしれない。
彼女の周りにいる、くだらない人間とは違う存在だから。
そして、ほんの少しの時を、限られた時を一緒に過ごすだけの存在だから。
「あの子ね、さんって言うんだけど。同じクラスの子。」
「・・・。」
「ああやってたまに来るの。クラス委員長でさ。」
「それだけの理由で、わざわざ家まで迎えに来るってことか?」
ぬいぐるみを並べる手を止めて、が目をふせる。
「あの子、いじめられてたんだよ。」
「へえ。ま、分かる気もするけど。」
見ただけで気の弱そうな奴だとわかった。
鞄を両手に抱えて、オドオドしているところなんか、格好のイジメの対象になるんだろう。
「で?お前が助けたとか?」
「ううん。逆。」
「は?」
「そのいじめね。私が原因だから。」
「さらに意味がわかんねえけど。」
ぬいぐるみの最後の1つを並べ終えて、そのままの動きが止まる。
顔を俯けて、少し考えているような間があいた。
「あの子、クラス委員長だって言ったでしょ?もともとはあんなにオドオドしてなかった。
責任感も、正義感も強い子だったんだよ。」
「だから?」
「クラスでいじめの対象だった私にも、普通に話しかけてきてた。」
「・・・ふーん・・・。」
「いじめの対象の子をかばうような行為。その子が次の標的になるのは目に見えてるよね。」
の言いたいことがわかった。
なんて、くだらない。どこにでもいるもんだな、こういうくだらないことをする奴ら。
集団で強くなった気になって、虫唾が走る。
「彼女はいじめなんて受けたことなかったんだろうね。毎日泣いてた。
でも、真面目すぎてだからか知らないけど、学校を休むこともしなかった。」
「・・・。」
「いじめに参加しようなんて思わなかった。だけど彼女を助けようとも思わなかった。」
「は、お前も何気に冷たい奴だよな。」
「・・・彼女が、さんがわからなかった。さんが私に話しかけてきた理由が。
それが彼女の本当の優しさなのか、一人ぼっちの私に話しかけて、勝手な自己満足に浸ってるだけだったのか。
初めてで、わからなくて、結局何もできなかった。」
が自嘲的に笑む。そしてそのまま言葉を続けた。
「いつの間にかさんへのいじめは無くなったよ。そして以前のように、標的はまた私になった。」
「ふーん。何で?」
「さんがいじめ側に取り込まれたから。」
「・・・へえ。」
やはり人間は弱い。
自分が優位のときにだけ与えられる優しさ。
弱者になって初めてその愚かさに気づく。
「まあ脅されてるって感じだったけどね。だけどそれで私も迷ってた心が消えた。」
「は偽善者だったって?」
「・・・いじめには慣れてたし、相手にもしなかった。だけど、どうしても許せないことがあった。」
「お母さんを侮辱することと、同情の目で見られること。」
今の彼女に表情はなかった。
外でのはずっとこんな表情だったのだろう。
そうやって、強がって意地を張って生きてきたんだろう。
結局をいじめる側に周った少女が、何故今またに構っているのか。
それも結局は偽善なのか。疑問はあったのだろうけれど。
その時の俺は、そんなことよりも、彼女の不器用な生き方を思っていた。
彼女の生き方なんてどうだっていいのに。
関係ないのに。
関係、なかったはずだったのに。
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