俺はお前が望むものを与えることなんてできない。
それでも、お前はただ願う。
同じ月を見ていた
と出会って彼女の部屋に来て、そのままたいした話もせずに眠りについた。
次の日、俺が目を覚ました頃にはもう既に日も高くなっていた。
寝ぼけた頭で起き上がれば、そこにはまだ寝心地の悪そうな平べったいベッドで眠るの姿。
そういえばコイツと契約をしたのだったと、ようやく意識が覚醒する。
「それにしても何もねえ部屋・・・。」
人間でも悪魔でも、女ってのは妙なところにこだわる奴が多い。
部屋の模様もどうだっていいところにこだわって、こうした方が可愛いだの綺麗だのと。
対してこの部屋は、模様どころか本当に何もない。
テレビもなければ電話もなく、雑誌もなければゲームもない。
部屋の隅にハンガーでかけられている服は、学校へ着ていく制服だろう。
そういえばコイツ、どう見たって学生っぽいけど。こんな時間まで堂々と爆睡かよ。
「・・・何だ?」
制服の横にある棚の上に、丸い形をした小さな写真立てを見つける。
そこにはに似た髪の長い女とその横に立つガタイのいい男の姿があった。
この狭い部屋で、たった一人で。
誰が帰ってくる様子もないのに、何故か布団は余分にあって。
あんな真夜中に今にも崩れそうな廃ビルに一人でうずくまっていて。
自分の死を知らされても、動じることもなくて。
死ぬことさえ怖くないと、そう言った。
彼女と同じ人間ではなく、悪魔である俺に一緒にいてほしいと願った。
本当に謎だらけの人間だ。少なくとも俺の見てきた人間の中にはいない。
「・・・ん・・・。」
寝返りを打ちながら、ようやく目を覚ました彼女を一瞥する。
寝ぼけているのかキョロキョロと視線を彷徨わせて、俺の姿を見つける。
「・・・わ!・・・ああ、そっか。びっくりした。」
「何を今更。」
「何してるの?」
「暇だから部屋あさってた。」
「わー悪趣味。最低ー。」
「うるせえな。この部屋に何もねえのが悪い。」
自分の部屋のものを見られていたと言うのに(といってもたいして見てないが)
怒った様子も見せず、はゆっくりと布団から体を起こした。
「ねえ亮。今日はどうする?」
「何が。」
「一緒にいてくれるって言ったじゃない。だからってこの部屋でずっと二人ってのも嫌でしょ?」
「あー、それすげえ息つまるな。なんっにもねえもんなこの部屋。」
「だから一緒に出かけようよ。そうだなー。兄貴として妹の買い物に付き合うってのはどう?」
「何だその痛い設定は。」
「言ったじゃん。家族でも友達でも恋人でもいいって。だから今日は兄妹設定。」
「・・・バッカじゃねえ?」
「何を失礼な。いいじゃん。一度で三度おいしいってわけだよ。」
それこそ本物の家族といればいいし、友達でも恋人でも適当につくればいいのに。
それがどんなに浅い関係でも、俺と過ごすよりよっぽどマシなのではないだろうか。
こんなことで悪魔に命を捧げられる神経がわからない。・・・わかるつもりもないけれど。
「・・・じゃあ洗面所で着替えてくる。覗かないでよね亮。」
「覗くかバーカ。」
生意気な笑みを残して、ドアを閉める。
そしての言っていた言葉を思い返す。
・・・俺が兄貴?悪魔の俺が、人間の女の?
バカらしくて笑えてくる。まるで小さな子供がままごとでもしているかのような設定。
今日は兄貴で、明日は友達で、明後日は恋人ってところか?
明日生きれるかもわからないくせに、そういうのわかってんのかアイツ。
「お待たせ!行こうか亮!」
こんなにバカらしくてくだらないのに。
こんなことをしたってお前が望むものなんて手に入るわけがないのに。
それでも彼女は楽しそうに笑っていた。
「大丈夫〜?お兄ちゃ〜ん?」
「大丈夫じゃねえよ!買いすぎだてめえ!」
「可愛い妹になんて言葉!」
「可愛い妹なんだったら、少しはこの荷物持て。一人で涼しい顔しやがって!」
辺りの日は暮れて、空はオレンジ色に染まっていた。
昼過ぎに出かけた俺たちは、適当に店をまわって。
だが店に入る度にが何かしら買っていくから、荷物は増える一方。
いつもこんなに買い物してんのかよこの女。
「亮、意外と力ないんじゃないの?悪魔のくせにー。」
「ああ?!悪魔とか関係ねえだろ。」
「あははっ!」
あまりに楽しそうに笑う姿を見て、怒りさえも通り越して気が抜けた。
脱力してため息をついた俺が持つ袋を一つ手に取り、が俺を覗き込む。
「そんなに重かった?」
「重い重い。すっげー重い。オラ、お前も持てよ。」
「そこはたいしたことねえよこれくらい、って言うところじゃないの?」
「誰が言うかそんなこと。お前俺を理想のオウジサマとでも勘違いしてんじゃねえの?」
「してないしてない。大体王子ってガラじゃないでしょ亮。」
「・・・わかる、わかるが・・・お前に言われるとムカつく。」
持っている袋の一つをに軽くぶつける。
何をするんだとも自分を持つ袋を俺にぶつけた。
重い袋を両手に持った俺はそれを避ける術もなく。
「てめえっ・・・。後で覚えとけよ。」
「え、やだ、忘れるよ。」
の言葉に持っていた袋を投げ出してやろうと思ったが、そこはなんとか自分を抑える。
俺はコイツみてえにガキじゃねえし。ムカつくけど。
そんなくだらないやり取りを繰り返しながら、ようやくの家に辿りついた。
小さなアパートの2階。階段を上ろうとすると後ろから声をかけられる。
「ちゃん!」
「・・・あ、こんにちは。」
笑っていたの表情が一瞬曇る。
「・・・ちゃん、その方は・・・?」
「あ、えっと、母の遠い親戚の人です。私の様子を見に来てくれたとかで。」
「・・・そう。」
"人間"に化けた俺は今や誰の目にも見える。
この女は恐らくこのアパートの関係者なのだろう。見たことのない俺の姿を疑問に思ってもおかしくない。
昨日が言っていた変な噂でも立つのだろうか。まあ俺には関係ないけれど。
「・・・貴方がここに残ることはまあ、承知しているけど・・・あまり問題を起こさないでちょうだいね。」
を心配しているような目ではなく、とても冷たい視線。
俺をここに放り出した奴らがしていたような、蔑むような目。
俺は隣にいるを見た。
はその女に静かに微笑を向ける。
「わかってます。ご心配ありがとうございます。」
目の前の女が心配なんてしているわけがない。
初めて出会った俺がわかるくらいだ。だって気づいているのだろう。
それでも彼女は笑って言葉を返す。向けられた敵意など、何でもないかのように。
誰もいない真っ暗な部屋に灯りをつける。
大量の荷物を床に置き、ようやく俺は腕のしびれから解放された。
腕を休ませながら、の方へと振り向くと彼女は荷物を持ったまま
その場に立ち尽くしていた。
初めからおかしな人間だった。
この狭い部屋で、たった一人で。
誰が帰ってくる様子もないのに、何故か布団は余分にあって。
あんな真夜中に今にも崩れそうな廃ビルに一人でうずくまっていて。
自分の死を知らされても、動じることもなくて。
死ぬことさえ怖くないと、そう言った。
側にいることだって、フリでしかないのに。
俺がお前の家族にも、友達にも、恋人にもなれないことはわかっているくせに。
俺が本当にお前を思って側にいることなんて、あるはずがないのに。
それでもお前は俺に側にいてほしいと願う。
その後ろ姿を眺めて、俺は彼女に対して初めての感情を持つ。
契約の対象でしかない、利用するだけの彼女に興味を持った。
それは優しさでもなく、同情の気持ちでもない。
単なる暇つぶしだったのかもしれない。
そこに何か感情があったわけじゃない。
それでも、その時俺は確かに彼女を興味を持った。
彼女を知りたいと、そう思った。
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