「ごめん!!」





その日の根岸先輩の第一声。一体何事かと、私はポカンとした表情を浮かべた。





「根岸先輩?来た早々どうしたんですか?」

「この間もらったキーホルダー・・・」

「?」

「鍵につける前にどっかに落としたみたいで・・・探したんだけどどこにもなくてさ・・・!まじでごめん!」





先輩と一緒に行ったカフェの期間限定のおまけ。
まさにカップル向けに創られたようなそれは、同じデザインの色違いのキーホルダー。
冗談半分だった『お揃い』という言葉に、先輩は罪悪感を感じているのだろう。
顔の前で手を合わせて、必死に謝る姿を見て、私は肩を竦め小さく笑う。





「何そんな必死に謝ってるんですか。たかがおまけじゃないですか。」

「いや、でも・・・」





そう。別に示し合わせて買ったものでも、お互いに向けたプレゼントでもない。
そもそも私たちは付き合っているわけでもないし、お揃いのものを持つっていうのもおかしな話だった。



だから、なんてことない。





「いきなり神妙な顔で謝ってくるから、何事かと思いました。」

「だってさー・・・」





落とした場所も、もしかしたら、と思っている場所がある。でも、私はそれを口にしたくなくて。

一緒に出かけた日、キーホルダーを鍵につけようとして、予想外の人を見つけて。先輩はあわてて別の道へ逃げ込んだ。
両手に持っていた鍵とキーホルダーを鞄にしまいこもうとしたとき、手元からすべり落ちたんじゃないかと思う。
そのときにはもう、先輩の頭の中は別のことでいっぱいになっていたから。





「じゃあ今度、飲み物でもおごってください。それでチャラ。」

「お、おう!そんなもんいくらでも!」

「いくらでも?」

「あ・・・やっぱり上限ありでお願いシマス。」

「あははっ。」





あの日からも、私たちは何も変わらない。少なくとも私はそう接しているつもりだけれど。
日に日に先輩との距離が離れていくように思えるのは、先輩の想いを再確認してしまった私自身の、未だ消えない戸惑いのせいだろうか。














幸せの理由















視界いっぱいに広がった、眩しいくらいの青空。
今の自分とはあまりにかけ離れた快晴具合に、少しの眩暈を起こしながら先輩を待つ。
いつも遅れてやってくる先輩を待つ時間は、私にとって胸が弾むものだったはずなのに。
待ち遠しかったその時間は、先輩に会う前に気持ちを落ち着かせるものに変わっていた。



先輩と今までどおりに話せるように。

あの人の話をされても、平静でいられるように。

今の私が何を考えているのか、何を思っているのか、伝わらないように。





「・・・あー、もう・・・。」





先輩と距離を感じる理由は、やっぱり私の感情によるところが大きそうだ。
こんなことを考えている時点で、いつもどおりなんかじゃない。

でも、どうしても嫌だった。ドロドロした心の中なんて、絶対に見せたくなかった。
かっこつけてただけかって、余裕なフリをして面倒な奴だって思われたくなかった。






サン?」





私の名前を呼んだのは、今までとは違う、聞きなれない声。
この場所の担当である根岸先輩以外には、誰も来そうにないけれど。
私は振り向いて声の主を確認した。





「え?あ、あれ?中西・・・先輩?」

「あ、俺のこと知ってたんだ?根岸が話した?」

「そうですね、たまに・・・というか、サッカー部自体が有名なので、元から知ってますけど・・・。」

「えーまじで?俺、結構有名人なんだ。すげー。」





そこにいたのは、うちの学校では有名な、サッカー部に所属している中西先輩。
同じ部活である根岸先輩の話の中にも、よく名前が出てくる。





「えっと・・・どうしてここに?」

「ネギがさ、あ、根岸のことね。先生に呼び出しくらってここに来れなくなったから。代理を頼まれたんだよね。」

「代理・・・ですか?」

「そーそー。」





今まで代理を頼むなんてことはなかったし、そもそもそういう場合は一人で作業するか、別の緑化委員に連絡が行くはずだけど・・・。
どうしてわざわざ、同じ委員会でもなく、私にとっては初対面の中西先輩に頼んだんだろう?
そんな疑問が浮かんだところで、ポケットの携帯が震えた。もしかしたら根岸先輩かもしれないと、内容を確認する。





「あ、根岸先輩。『呼び出しくらって遅刻する。一人にしてごめん。』」

「・・・あれ。」

「中西先輩?なんだか話が違う気がしますけど・・・。」

「なんだよアイツ、メールする余裕あったのか。」

「根岸先輩に頼まれたわけじゃないんですよね?」

「まあね。暇だったし、ちょっと興味あったから、見に来ただけ。」

「興味?」

「ネギのこと、好きなんでしょ?」





疑問系ではあるけれど、明らかに確信を持って中西先輩はニッコリと笑う。
私は根岸先輩への好意をおおっぴらにしてるわけではないけれど、隠しているわけでもない。
そもそも中西先輩は根岸先輩の友達だ。私のことを話していたとしても不思議じゃない。否定しても無意味だろう。
本当にただの暇つぶしなんだろうかと疑問を持ちつつも、素直に頷きを返した。





「へえ・・・マジなんだ。あのネギに・・・へえー・・・。」

「・・・。」

さん視力いくつ?」

「え?」

「もしくは結構マニアックな趣味をお持ちで?」

「・・・中西先輩?一体なにを・・・」

「だってネギだよ?あの調子乗りでうざったくて面倒なネギだよ?わかってるさん!?」





ひ、ひどい・・・!この人本当に根岸先輩の友達なんだろうか・・・!
でも全部否定しきれないところが悲しいところです、根岸先輩・・・。





「知ってます。以前は散々付き合ってた彼女の惚気話を聞かされてましたし。」

「ああ、知ってる知ってる。
『薄情なお前らと違って、俺の話を楽しみに聞いてくれる後輩がいるんだぜ!』って自慢気に話してたから。」

「楽しみにはしてないですけど。」

「だよねー。」

「今は・・・愚痴の方が多いかもしれませんけど、惚気も愚痴もたいして変わりませんし。」

さんは心が広いねえ。」

「別に・・・広くなんて・・・」





そんなこと言わないでほしい。
今まさに自分の心の狭さに自己嫌悪しているところなのに。
自分の中のドロドロしたものに葛藤してるのに。





「あいつ、面倒だろ?」

「だから、知ってるって・・・」

「いろいろと。」

「・・・。」





中西先輩が意味ありげに私を見つめた。
余裕の笑みは、私の心を見透かされているような気がして。





「・・・どういう意味ですか?」

「どういう意味だと思う?」





私はからかわれているんだろうか?
中西先輩は本当に暇つぶしで、自分の友人を好きだと言っている後輩を見に来ただけかもしれない。
根岸先輩をからかうように、その後輩もからかってみようとか、そんな軽い気持ちで。





「・・・ふーん。なるほど。」

「な、何がなるほどなんですか?」

「『いろいろ』の意味は、わかってるわけね。」

「!」

「何も考えず突っ走ってネギに付きまとってるわけじゃなかったのか。よかったよかった。・・・うん?別に良くはないか。」

「・・・先輩、本当に暇つぶしなだけなんですか?私に何か言いたいことがあるんじゃないですか?」

「なに、告白とか期待させちゃった?」

「そういう冗談はいらないです。」

「わーつまんないなー。」





中西先輩が指す『面倒』は、きっと惚気でも、愚痴でもなく、根岸先輩のもっと根本の部分にある。

根岸先輩には、好きな人がいる。そして、その人をずっと忘れられていない。
だから、ちょっとしたきっかけでその人でいっぱいになってしまう。

けれど、お試しだなんて言って返事をあやふやにさせてる私を、突き放すことも出来ない。根岸先輩はそういう人。





「俺さ、他人の恋路に口出しするとか、面倒なことするキャラじゃないんだけど。」

「・・・。」

「最近のネギ見てたら、噂の健気な後輩がどんな子なのかなーって気になってきたんだよね。」





前の彼女を忘れられていなくても、優しすぎて私を突き放すことが出来なくても。
元々わかっていたことだ。知ってて、それでもいいのだと私は伝えた。だからこそ、はっきりとした返事をもらわなかった。

強引に一緒に出かけて。一緒の時間を過ごして。
私が楽しいから、距離が縮まっていくって思えたから、先輩もそうなんだって錯覚していた。





「・・・最近の?何か・・・あったんですか?」

さんは知りたくないことかもよ?」

「・・・。」

「それでも、知りたい?」





なぜかはわからない。けれどきっと、それを私に伝えるために、ここに来たのだろう。
なのに、私に断る余地を与えるように笑う中西先輩は、根岸先輩の言うとおりに意地が悪い。

聞かないほうがいいと、予感がしていたのに。
頷いた私を見て、中西先輩は内緒話でもするように私の耳元に顔を近づけ、囁いた。









「元カノから連絡が来てる。」









最近感じるようになっていた違和感。





距離を感じていたのは、私だけの問題じゃない。





根岸先輩にも、変化があったからだ。








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