「何かって・・・いや、別に何もないけど?ちゃっちゃと終わらせちゃおうぜ。」 何でもないと言いながら、私の目も見ずに先輩は笑った。 動揺していることは明らか。けれど、私には話したくないことなんだろう。 考えれば当たり前だ。私は委員会が同じというだけの、ただの後輩。 でも、私はずっと先輩の話を聞いてきた。先輩だって嬉しそうにしてくれた。 出会ってから過ごした時間は、ただの仕事仲間だった私たちの距離を縮めたと思っていたのに。 何もないってフリをして隠そうとすることが、やっぱりちょっと悔しいから。これくらいは言ってもいいだろう。 「無理に聞こうなんて思いません。」 「・・・。」 「だけど、先輩は嬉しくても、悲しくても、表情でわかるんですからね。すっごいわかりやすい人なんですから!」 「そ、そんなこと・・・!」 「話したくなったら話してください。今までと、一緒です。」 先輩の顔を見ずに、それだけを告げると、私はスコップを手にして作業を始める。 後ろから視線を感じ、先輩がホースを持ったまま、動かないで私を見つめているのがわかる。 ホースから水が地面に零れる音だけが聞こえていた。 「。」 「なんですか?」 「やめろよ、そういうこと言うの。」 「・・・そう、ですね。先輩の事情、よく知りもしな・・・」 「泣いちゃうから。」 そう呟いた先輩の言葉に、私は視線を戻して、先輩を見た。 言葉どおりに、泣いていたわけじゃなかったのに。 その表情は、弱々しく呟かれた言葉は、私をも苦しくし切なくさせた。 その日、先輩は彼女と別れた、とだけ告げた。 どうして別れてしまったのか、何かあったのか、聞きたかった。 けれど、先輩はそれ以上を語ろうとしなかったから、私も聞かなかった。 ほとんど会話もないまま作業は終了し、先輩は笑って手を振りながら、校舎へ戻っていった。 幸せの理由 「、何見てるのー?」 その日から、委員会の仕事以外でも、根岸先輩を気にするようになった。 彼と担当が一緒になるのは、週に1回の昼休みだけだ。 先輩を心配に思っていたけれど、お互いがわざわざ会いにいったことなどない。 次に会う日まで、先輩から話を聞くことはないんだろう。 「あ、サッカー部の人たちだ!やっぱり藤代先輩、かっこいいよねー!」 「えー、私は三上先輩だな!それかー、水野先輩!」 「は誰を見てたの?」 サッカー部には人気者がいる、なんていうのは、どこの学校でもよくあることだけれど、 この学校のサッカー部は、特に人気の高いメンバーが揃っているらしい。 かっこいい人は?と問われれば、数人に一人はサッカー部の誰かの名前を出すくらいだ。 けれど、同じくサッカー部に所属している根岸先輩の名前が出てくることは、悲しいことに滅多にない。 彼は整った顔立ちをしていて性格も明るく、周りの空気を読まない惚気話さえなければ、モテる部類に入ると客観的に思うのだけれど。 問題は彼の周りだろう。どうしてこんなにイケメンが集まった?と思うくらいに、見目麗しい人揃いなのだ。 「あー、もしかして、根岸先輩?」 「・・・へ?なんで?」 「だって、、根岸先輩と一緒に委員会の仕事してるじゃん。好きになっちゃったとか?」 「あー、ないない!」 「そうなの?つまんないのー。」 根岸先輩が好きか、嫌いか、と二択を迫られたなら、私は好きと答えるだろう。 けれど、それは彼の人間性であって、恋愛感情ではない。 あれだけ彼女の惚気話を聞いていて、どうして彼を好きになれるだろう。 「根岸先輩って、いつも楽しそうだよねー。」 「そうそう、いっつも笑ってて悩みとかなさそう!」 「私はちょっとミステリアスな方がいいなー。三上先輩とか!」 「また三上先輩?私は渋沢先輩の大人の魅力かな!」 「は?」 「・・・どうなんだろ?」 「ええー。私たちに聞かないでよ?」 皆の言っていたとおり、根岸先輩は今も部活の仲間と楽しそうに笑ってる。笑ってるように、見える。 でも、その笑顔に陰りが見えるように思えるのは、悲しそうに笑った先輩を見てしまっているからだろうか。 次に会ったとき、ちゃんと話を聞けたなら、こんなに心配になることも、彼を気にすることもなくなるだろうか。 「うっす、!今日も頑張ってるな!」 「・・・。」 「そ、そんな目で見るなよ!俺だって友達付き合いとか、いろいろあってだなー。」 「いいです。先輩の遅刻にはもう慣れてます。」 「怖い!後輩が怖い!」 次の週、根岸先輩はいつもどおりに中庭にやってきた。 先週言っていたことも、表情も、なかったことにしたみたいに。 「そんで、中西がさー、あ、中西ってサッカー部一緒・・・って、知ってるか。 俺のことバカにすんだよね。どうしたらいいと思う?」 「そこは中西先輩に同意するので、どうしようもないと思います。」 「ねーひどいよねー・・・って、同意すんの!?お前、俺の味方じゃねえの!?」 「別にどっちの味方になった覚えもないんですけど。」 「気さくで仲良しな先輩と、話したことのない嫌みったらしい先輩を同列に扱うなよ!悲しいだろーが!!」 いつもみたいに続けられる、他愛のない世間話。 ひとつだけ違うのは、先輩の彼女の話がまったく出てこないこと。 先輩はもう、忘れようとしているのだろうか。話すらしたくないのかもしれない。 それなら・・・私ももう考えないようにしよう。気になるのは変わらないけれど、先輩がそうしたいのなら。 「あ、この花そろそろ咲き頃だなー。好きだって言って・・・」 そう思っていたのに。 先輩が思わず零した言葉に、その場の空気が凍った。 と、いうよりも、先輩自身が固まってしまった。 「あ・・・そうそう、中西がね!言ってた気がする!」 「・・・へえー。中西先輩って花が好きなんですか。意外ですね。」 「・・・そ、そう!あいつ見かけによらず・・・」 「・・・。」 「・・・ごめん。」 「なんで謝るんですか。」 私は先輩をじっと見つめた。 いつも調子よくへらへらしているように見えて、根はまっすぐで真面目な先輩。 私の視線からきっと逃げられないとわかっていた。きっと誤魔化したりできないとわかっていた。 「だって、今まであんなに彼女の話してて・・・なのに、あっさり振られて、落ち込んで、この間なんてお前に見透かされてさ・・・。 俺、かっこ悪すぎて、だから・・・もうお前に心配かけるような姿、見せないって・・・そう思ってたのに。」 「先輩、何言ってるんですか?」 「え・・・」 「先輩がかっこ悪いのなんてわかってますよ!今更です!」 「・・・そっか・・・そう・・・って、えええ!?」 「私に気なんて遣わないで、延々と彼女の話ばっかりしてたくせに、変なところで悩まないでくださいよ。」 「え、ちょっ・・・俺ってそんな印象だったの!?」 「私を気遣うっていうのなら、中途半端にごまかさないでください。その方がよっぽど気になる。」 「・・・っ・・・」 「いつもみたいに、言いたいことを言ってくれていいです。大人しい先輩なんて、調子が狂っちゃうから。」 先輩は彼女を自慢したくて、幸せだって誰かに伝えたくて。 たまたまそこにいたのが、私だった。きっかけはそれだけだった。 だけど、先輩はいつだって嬉しそうに話してくれた。大好きな人を想い浮かべながら、いつだって笑っていた。 「何を聞いても、私は変わりません。 かっこいいとか悪いとか、心配するとかしないとか、そんなことたいした問題じゃありません。」 私たちの関係は、ただの先輩と後輩で。 お互いに特別な感情があるわけでも、はっきりとした友情があるわけでもない。 それでも、このときの私は、一つの感情に動かされていた。 「言ったでしょう?今までどおりだって。」 笑っていてほしかった。 今までのように、今までどおりに、幸せそうに笑う先輩を見たかった。 TOP NEXT |